勇者が旅立つ日 ⑤

「ねぇ、そろそろ帰ったら?」

 すっかり夜になり、私とソティルは屋上から部屋に戻っていた。

 ソティルはベッドの上で本を読んでいる。部屋は天井につるされたシャンデリアのおかげで明るいから、夜中の読書も平気なのだろう。私はといえば、そんな明るさから離れ、部屋の隅で膝を抱えて座っていた。

「……ほっといて」

「いや、私の部屋だし。そんな隅っこでじめじめされると邪魔くさいわ」

 ソティルは言うと、ベッドの側の小さなテーブルに手を伸ばし、置かれたサンドイッチを一つ手に取って食べ始めた。この部屋の下にはキッチンがあり、ソティルはそこでサンドイッチを用意して食べていた。一国の王女なのに、妙に家庭的なやつだ。

「じめじめにもなるわよ……人生どん底よ。今まで頑張ってきたこと全部無駄になったし……遊びたいのも我慢して、友達も作らず頑張ってきたのに……ほんと、カビの生えた人生よ」

「発酵して美味しくなるかもよ」

 ソティルはサンドイッチを頬張りつつ、呑気な口調で言った。

 今はそんな無責任さに、怒る気力もない。

 私は自分の人生のすべてを、魔王討伐の旅の為に費やしてきた。朝から暗くなるまで訓練したし、夜は月の光の下で魔法の座学を頑張ってきた。

 一分一秒でも惜しかった私は、友達も作らなかったし、家族との時間も最低限に留めた。

 自分の出せるだけのすべてを差し出せば、必ず報われると思っていたのだ。

 でも、そんなのは思い込みだった。

血を吐くような努力が、実を結ぶことはない。

 手にしたのは、そんな重い現実だけ。自然と涙も零れてくるってものだ。

「はぁ……」

 私は深く嘆息すると、自分の膝に顔を埋めた。

「ねぇ……なんでそこまでして、魔王討伐の旅に出たいと思ったの?」

 不意に、私の隣から声が聞こえた。顔を少し上げると、ソティルがいつの間にか、私の隣に同じように座っていた。こうして側で見ると、ホントに綺麗な顔をしている。髪は艶々しているし、まつげも長く整っている。鬱陶しいぐらい、ソティルは美少女だ。その格差に私の胸の内に黒いものが沸々と湧き上がってくる。

「……全部、あなたのせいよ」

「はあ? 私? 何で?」

 ソティルは困惑した様子を見せた。私は吐き出したい気分だった。

「私は、〈勇者〉に選ばれなかった。予言の儀式を受けるまでは、皆が私に期待してたし、私のことを特別扱いしてくれた。でも、私の役割はあくまで〈勇者〉のその旅の仲間。加えて、この国のお姫様が勇者だっていうんだもの。誰も、私のことを大して期待しなくなった。所詮、他人は一番にしか興味ないのよ……」

私の本音に、ソティルが目を瞬かせた。

「えっと……つまり、チヤホヤされたいってこと?」

「……悪い?」

「それも立派な動機の一つだと思うけど……私と逆ね。どっちかというと、私は他人の評価に興味ないし。人の評価はむしろ邪魔くさい。大事なのは自己評価と、自分が楽しいかどうかが生きる基準ね」

「これだから、全部持ってるお姫様は……」

 まあ、頭ごなしに否定しない分、いいやつっぽいけど。

「でも、この部屋から出られないのよ? ああ、私は囚われのお姫様」

「自分でやっといてよく言うわ……」

 やっぱ腹が立つ。こういう飄々と人生過ごしてるやつ、ホント何なのだろう……もっと劣等感とか味わえばいいのに……憎らしい。

 無力感で、私はまた大きくため息をついた。

「ホント、旅にすら出られないなんてどうかしているわ。まあ、ある意味この状況も、予言を覆してると言えるのかもしれないけど……そう考えると、ざまぁって感じ」

「予言、嫌いなのね」

「大嫌いよ。本当は、私が魔王を倒して予言を覆して見せたかった。誰かに自分の運命や価値を決められるなんて、バカみたいだから。なんだったら、勇者様を背中から切りつけてでも、私が魔王を倒してやろうと思ったわ」

「怖いこというわね……」

 ソティルが苦い顔して私を見た。その反応に、私は少しスッキリした気分になる。我ながら嫌な性格だ。

「予言なんてクソ食らえよ」

「わあ、下品」

 吐き捨てた私の言葉に、愉快そうにソティルはケラケラと笑う。その姿に、また私はムッとした気分になる。こっちは深刻に悩んでいるのに。

「……会ってみて確信したけど」

「ん?」

「やっぱり、あなたのこと嫌い」

「あら、王族への反逆?」

「ギロチンでも磔でも好きにすれば? どうせこのままだと、魔王の手で人類は終わりよ」

「そうね。短い余生を楽しみましょう」

 なんという呑気な奴。

「達観しすぎ。勇者としての隠された力とかないの?」

「あってもこの塔から出られないからねー。どっちにしろ無理」

「隠された力があるなら、さっさと出しなさい。そうすれば魔王軍でも魔王でも、ここに連れてきてやるわよ」

 軽口を言いつつ、私はそんなことは無理だとも思う。

生まれ持った資質であるデュナミスは、必ず一人に一つだけ。

先ほどの糸なし糸電話というのが、ソティルの能力なら、そんなものでは魔王を倒せない。魔力の量や魔法に関する知識が豊富だとは察せられるけど、それだけでは勝てない。

 私がそんなことを考えていた時だった。

先ほどまで、楽しげに喋っていたソティルが、何故か急に黙り込んでいた。

 目つきが鋭くなり、口元に指を当てて何かを考え込んでいるようだった。

「……ソティル?」

「そうか……進軍経路……デュナミス……魔方陣……だったら」

 私の声に気づかずに、ソティルは何やらぶつぶつと呟いている。

その様子は何処か鬼気迫るものがあり、私は背筋に悪寒を感じた。

「――――想定完了。いける」

ソティルはそう呟くと、不意に立ち上がる。

「な、なに? どうしたの?」

 唐突なソティルの様子の変化に、私は戸惑っていた。すると、ソティルは私の方を見てニヤリと笑ってみせた。

「魔王討伐するわ。スピラ、手伝いなさい」

「は?」

 ちょっと待て、急にどうした。いきなりの宗旨替えに私はついていけず、間抜けな声を漏らしてしまう。

「それって、魔王討伐の旅に出るってこと?」

「言ったでしょ。冒険はしない主義。そもそも私、この部屋から出られないし」

「だったら無理じゃない」

 ソティルが何を言ってるのか、まったく分からなかった。

 私の反応が楽しいのか、ソティルはまた少し笑うと、大きな胸を張って私に宣言した。


「私が行けないなら、魔王が来い――ってことよ」


 かくして、前代未聞の魔王討伐戦の幕が開けられた。

 時刻は二十三時五十五分。

 ムカつくことに、まだ予言の日の内のことだった。

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