第39話 辞世の句

 九死に一生を得るとはこのことを言うのでしょう。

 私――薄木小夜子は先日の一件を思い返しながらしみじみとそう思いました。

 

 突如として相地くんがクローゼットを開け、その中に私が潜んでいることがバレた時には完全に終わったと思いました。

 人の家に勝手に上がり込み、クローゼットの中でメロンパンをもそもそと頬張っているところを見られたのです。

 言い訳のしようもありません。

 相地くんに軽蔑され、失望され、罵倒の言葉が飛んでくる――その光景を想像して私は深い絶望感に満たされました。

 

 と同時にちょっと興奮もしていました。

 

 しかし、相地くんは私を咎めることもなく、それどころか以前から私がクローゼットに潜んでいるのを看破していたと言うのです。

 これにはさすがに驚きました。

 私は一方的に相地くんを見守っていたと思っていましたが、実際は相地くんも私のことを見守っていたのです。

 言わば私は泳がされていたのです。

 自分が釈迦の手のひらの上で踊っていた哀れな猿であると判明し、その滑稽さを想ってにわかに興奮してしまったのは内緒です。

 

 その後、私が相地くんに月宮さんの盗聴器の件と、今に至るまでの経緯を説明していると玄関の扉が開けられました。

 月宮さんでした。

 私は慌ててクローゼットに隠れ、再び九死に一生を得ました。八死に二生、十八死に二生を得たとも言えます。

 相地くんは月宮さんに疑心をぶつけ、月宮さんはその容疑を認め、最終的に相地くんの下を後にすることになりました。

 二人のやり取りを覗きながら私は思いました。


 ……この諍いの引き金を引いたのは私なのでは。


 月宮さんが危険人物だと進言したのは私です。

 最初に盗聴器を取り除いたのも。

 もしそのことが月宮さんにバレてしまえば、ただでは済まないでしょう。それはさすがに想像しても興奮はせず、ひたすらに恐怖でした。

 なので、墓場まで持っていくことを決めました。

 

 その後。

 私は気まずさの中、そそくさと帰宅しました。

 

 家に帰った後、そういえば、とふと思いました。

 私は部屋のクローゼットに潜んでいたことがバレたわけですが、これからも相地くんの家に通ってもいいのでしょうか。

 事実上の公認ということなのでしょうか。

 それとも見逃して貰えたのは先日の一件だけで、次からは発見次第、問答無用で警察に突き出されてしまうのでしょうか。

 お聞きするのを忘れていました。

 

 前者である可能性にかけてギャンブルをしようかと思いましたが、負けた代償があまりにも大きいので躊躇してしまいます。

 私は直接相地くんに尋ねてみようと思いました。

 

 放課後、相地くんが席を立ったのを見て、その後を追いかけようとします。

 けれど、行く手を塞がれました。

 目の前に立った人影を見た瞬間、私の全身の血流が凍りました。


「薄木小夜子さん、だよね」

「……つ、月宮さん」


 月宮さんが、私の前に立っていました。不気味な微笑みをたたえながら、まっすぐに私の眼を見つめてきます。


「あなたなんでしょう? 相地くんに情報を流したのは」


 冷たい光に見据えられ、ひゅっ、と喉から細い息が漏れました。


「ななな、何のことでしょう……?」

「ふふ。しらばっくれても無駄だよ。私、気づいてたんだから。この前、相地くんの部屋のクローゼットに隠れてたのも」


 完全にバレていました。


「それに、藤沢先生に抗議をしている時もこっそり覗いてたよね?」


 完全無欠にバレていました。

 八死に二生を得ていたと自分では思っていました。

 ですが、勘違いでした。

 月宮さんの件については回避できていませんでした。


「あなたにお話があるの。……付いてきてくれるよね?」


 こちらに委ねる形を取っていますが、実質有無を言わせぬ口調でした。

 九死に一生を得るとは言いますが、人間には一生しかありません。そしてこのままでは確実に私の生涯は幕を閉じることになります。

 本来なら今すぐ逃げるべきです。

 けれど、月宮さんの眼光がそれを許してくれません。


 メドゥーサに見つめられ、石化する人というのはこんな気持ちだったのでしょうか。私は初めて共感しました。


 他の生徒の皆さんに助けを求めようと視線を動かします。

 けれど、すでに放課後で教室内の人はまばらなことに加え、端から見ると私と月宮さんは普通に話をしているようにしか見えません。


 私の意図を見透かしたのか。

 月宮さんはくすっと微笑みながら機先を制してきました。


「他の子に助けを求めようとしても無駄だよ? 私と薄木さん、どっちの言い分が通るのかは考えなくても分かるよね?」


 仰るとおりでした。

 クラスの女神であらせられる月宮さんと便所虫の私では信用度がまるで違います。

 私が殺されたとしても、何だかんだ私が悪いことになるでしょう。


「ふふ。行こっか?」


 抗うすべはもはや残されてはいませんでした。

 私はその時、執行当日の死刑囚の方々の気持ちが分かった気がしました。

 執行前に好きなものを口に出来るだけ、死刑囚の方がマシかもしれません。

 先ほどのメドゥーサに見つめられて石化した人といい、人生で一度も共感したくない方の気持ちばかり理解してしまいます。


 どうせ逃れられないなら、せめて散り際くらいは潔くありたい。

 そう思い、次に浮かんだ思考を辞世の句とすることを決めました。


 たとえば豊臣秀吉が、

『露と落ち、露と消えにし我が身かな。浪速のことは 夢のまた夢』

 と残したように。


 たとえば吉田松陰が、

『身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置まし 大和魂』

 と残したように。

 

 世の優れた人物たちは、散り際も見事に散っていったものです。

 私は今考えていることを、脳内で文字に起こしてみました。

 

 ……あ、怖すぎておしっこ漏れそう。

 

 ということで。

 私の辞世の句は『……あ、怖すぎておしっこ漏れそう』に決定しました。


―――――――――――――――――――――

決定しました。


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