第8話 図書室にて

 放課後。

 私――月宮詩歌は図書室で自習をしていた。

 ワイヤレスイヤホンを両耳に嵌め、心地のいい音の海に身を委ねながら、手元のノートにペンを走らせる。

 しばらく集中していると不意に肩を叩かれた。


「うひゃあ!?」


 突然の刺激に肩が跳ねる。

 顔を上げて振り返ると、金髪の女子生徒がにかっと笑みを浮かべていた。


「……もう、比奈。びっくりさせないでよ」

「あはは。ごめんごめん。まさかあんなにびっくりされるとは」


 友人の比奈が両手を合わせ、拝むように謝ってくる。


「でも詩歌、めちゃ感度いいね♪」

「セクハラ発言、反対」


 比奈の頭に軽くチョップを入れる。

 比奈はいたずらがバレた子供みたいにぺろりと舌を覗かせる。

 私も全然怒ってるわけじゃない。

 単なるじゃれ合いだ。


「随分集中してたみたいけど。なーにやってんの?」

「自習。今日の授業の内容をノートにまとめてたの」

「うわ。さすが学年一位様。ものが違う」


 比奈は大げさに驚いてみせる。


「字も綺麗だし、内容もめっちゃ分かりやすい。凄すぎ。でもこれ、自分で確認するためというよりは人に見せるために書いてるみたい」

「うん。彼の役に立ちたいから」

「ん? どゆこと?」


 おっと、話しすぎた。

 話題を変えないと。


「そういう比奈こそ、どうして図書室に?」

「バイトの面接まで時間あるから、一眠りしていこうかなと思って。図書室って一番学校でよく眠れる場所じゃん?」

「読書好きからは反感を買いそうな台詞だね」


 苦笑する。


「てか詩歌、音楽は聴かないんじゃなかったっけ?」

「え?」

「イヤホンつけながら自習してたでしょ。前はあたしたちが流行りの曲の話してても全然付いてこれないって言ってたのに」

「あー……うん」

「何聞いてたん?」

「別に普通の音だよ。ポモドーロテクニックの動画」

「ぽもどーろてくにっく?」

「二十五分集中して、五分休憩するのが効率が上がるらしいんだけど。タイマーを波の音とか雨とかの環境音に乗せた動画。それを聴いてたの」

「はえー。すっごい」


 比奈は大げさに驚いていた。

 たぶん、あんまり分かってなさそう。


「それより比奈、ここは図書室だから。他の利用者の人たちに迷惑がかかるし、これ以上話すのはよくないと思う」

「それもそだね。じゃあ、また明日」

「うん」


 比奈は小さく手を振ると、離れた席に向かっていく。

 その姿が見えなくなってから私は再度イヤホンを付け直した。

 ふう、危ない危ない。

 うっかり聴かれちゃうところだった。

 周りに人がいないのを確認すると、スマホの再生ボタンをタップする。

 すると音声が両耳に流れてくる。

 

『月宮さん、おはよう』

『次の移動教室、場所変更になったらしいよ』

『ノートありがとう。めちゃくちゃ分かりやすかった。先生の授業聞くより、これで自習した方が頭に入ってくるわ』

 

 両耳の鼓膜に響く相地くんの声。私はそれを聴いて身もだえする。


 ああ……すっごく心地の良い声。

 まるですぐ耳元で相地くんに囁かれているみたい……。


 私が聴いていたのは相地くんの声だった。

 直接収録してもらったものではもちろんない。

 まして販売しているものでも。

 これまでに会話したものをこっそり録音して、後で編集で繋ぎ合わせたのだ。

 これはこの世に一つだけの相地くんの音声作品。


 至近距離から放たれる彼の声が、私の鼓膜を侵していく。それは脳に達すると、大量の快楽物質をスプリンクラーみたいに分泌させた。

 下腹部がうずき、切ない気持ちがこみ上げてくる。図書室という公衆の面前で相地くんに耳元で囁かれている自分を想像する。


「ん……」


 太ももを摺り合わせ、気づけば私は熱っぽい声を漏らしていた。

 授業の内容をまとめたノートを作っているのも、相地くんに貸すためだ。

 私の文字が彼の目を通して彼の脳に届き、知識となって溶け込む。そのことを想像するだけで多幸感が止まらない。


 相地くんの役に立ちたい。奉仕したい。幸せにしてあげたい。

 そのためなら何だってする。


 もし彼の幸せの邪魔をする人がいるのなら許さない。


 相地くんの声を耳元で聴きながら、彼の役に立てる喜びを噛みしめつつ、私は彼のためにノートにペンを走らせ続けた。


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