第6話 夜の教室にて

 放課後。

 夜になると、私は学校の敷地を覆う塀を乗り越えて侵入する。


 生徒と言えど、立派な不法侵入だ。

 バレたら怒られるだけでは済まないかもしれない。けれど背に腹はかえられない。目的を達成するためなら手段は選ばない。


 明かりの消えた校舎、その裏手に回り込む。

 非常階段の踊り場の傍の扉は鍵が壊れていた。そこから校舎内に入れる。

 私立高校や小綺麗な効率は警備システムが整備されているのかもしれないけど、うちの高校にそんなものはなく、まるでザルだった。


 記憶と月明かりを頼りに真っ暗な廊下を抜け、階段を使って二階に上がると、目当ての教室の前に辿り着いた。

 廊下側、床面に接した位置にある窓の右から二番目――日中にこっそり開けておいた窓を通じて教室内へと侵入する。


 他の机には目もくれず、向かうのは窓際の一番前の席。

 相地くんの机だ。


 机の中を覗き込む。

 筆箱や教科書がぎっしりと入っている。

 今日も置き勉をしていた。

 不用意だ。けれど、その不用意さも愛おしい。


 昔から、好きになった人の所有物を収集するのが好きだった。

 その人の一部を手に入れられた気がして。


 今でも彼を好きになった時のことは鮮明に覚えている。

 貧血で倒れていた私を、保健室まで連れていってくれた。それ以来、私は彼のことを目で追うようになっていた。

 その気持ちは日に日に膨らみ、いつしか私物を盗むようになっていた。

 最初はシャープペンシルで満足できた。けれど次第に欲が出て、教科書やノート、上靴にも手を出すようになっていった。


 お弁当のおかずを盗んだ時は危なかった。

 体育の授業中に抜け出し、こっそり教室の中に忍び込んで通学鞄から盗み出した。


 盗み出した品は何度も味わい尽しているうちに味が消えてしまう。だから今日、また新しいものを盗みに来たのだった。


 机の中の筆箱を開けると、中から一本のシャーペンを取り出す。

 彼がこのペンを使っている時のことを想像する。

 下腹部がうずいた。


「あは……♪」


 家まで待てない。今この場で味わいたい。

 彼の指先が触れているであろうグリップの部分をゆっくりとねぶろうとする。そうすることで彼の指紋を私の中に取り込もうとする。


 シャープペンシルを通して私たちは繋がり合う――。

 その時だった。


「なるほど。あなたが盗難の犯人ね」


 背後からの突然の声に、心音が跳ねた。

 弾かれたように振り返る。

 教室の後ろにある棚の上に足を組んで座っている人影があった。

 組んだ足の上に肘を突き、そこに小さな顎を乗せながら、その人物は遙か高みから私のことを悠々と見下ろしていた。

 月明かりに照らされ、その姿が炙り出される。


「……月宮詩歌」


 文武両道、才色兼備の高嶺の花。

 同学年であれば誰でもその名を知っている。


「あなたがどうしてここに?」


 それに――なぜいることに気づけなかった? 

 教室に入る前、私は中を確認したはずなのに。

 気配と存在感を完全に消していたとでもいうのか。


「相地くんの私物が盗まれてるかもしれないって聞いたから、張っていたの。

 あなた――隣のクラスの影山文佳さんでしょう? 他のクラスに、しかも夜遅くに勝手に入り込むのは感心できないなあ」 

「あ、あなたも不法侵入でしょう……」

「私はこのクラスの委員長だから。いいの」


 月宮詩歌は当然だという面持ちをしていた。


「ちなみに、一つ残念なお知らせだけど。相地くんの机の中に入ってる私物、それは全部私の持ち物よ」


 全部、彼女のもの?


「そ、そんなはず、ない。筆箱やシャーペンは間違いなく彼のもの」

「同じものをそろえたの」


 月宮詩歌は平然と告げる。


「気づくことができないなんて、彼への愛が足りてないんじゃない?」

「……っ!」


 彼への愛が足りていない? 

 そんなわけがない。

 私は誰よりも相地くんを愛している。


「……私を通報するの」

「ううん。忠告しにきただけ」

「忠告?」


 月宮詩歌は小さく笑みを浮かべる。


「相地くんのものは、全て私のものだから。彼の足の小指からつむじの先、所有しているものまで含めて全部」


 だから、と言った。


「勝手なまねはしないで貰えるかな?」

「……っ!」


 頭に血が上るのを抑えられなかった。

 この女も彼のことを――。

 けれど、何より。

 彼をまるで自分のもののように――。彼は私のものなのに。

 かっとなった私は制服のポケットに手を入れると、カッターナイフを取り出した。

 剥き出しになった銀色の刃が月明かりを照り返し、光る。


「か、彼は貧血になった私を助けてくれた。彼は私を愛しているし、私もまた彼のことを誰よりも愛している。邪魔するなら痛い目を見ることになる……!」

「ふふ。あなた、慣れてないでしょう。手が震えてるよ?」


 刃を向けられても、月宮詩歌はまるで動じていない。頬に手を置きながら、児戯を見守るように微笑んでいる。


「いいよ。せっかくだし、遊んであげる」

「舐めるなあああああ!」


 私は床を蹴ると、勢い任せに月宮詩歌に斬りかかろうとする。刃を滑らせ、次の瞬間には彼女の肌を切り裂いた。


 はずだった。


 なのに。

 気づいた時には教室の天井を仰いでいた。


「――っ!?」


 何が起こったのかまるで理解できなかった。

 理解できたのは私が返り討ちにされ、持っていたカッターナイフが、今は月宮詩歌の手に握られているということだけだった。

 頭を抑えられ、剥き出しになった刃が、開いた口の中に差し込まれている。

 銀色の刃の冷たい感触が舌に触れていた。


「このまま刃を滑らせて口裂け女にしてあげようか? それで相地くんに『私、綺麗?』って尋ねるの。面白いと思わない?」


 月宮詩歌はくすくすと笑う。

 私は自分が狂っていると自覚していた。

 でもこの女はものが違う。

 平気で人を壊すことができる目をしている。

 

 何より。

 彼への狂気的な愛をその身に宿している。


 同類だからこそ、そのことが分かった。


「影山さんのこと、本当なら許すつもりはなかったんだけど」


 月宮詩歌は謳うように言った。


「あなたが教科書を盗んでくれたおかげで、相地くんとイチャイチャできたから。その分の功績は考慮してあげる」


 カッターナイフを口内から引き抜くと、私の顎を指でなぞる。

 そして月明かりを背にしながら。

 天使のような微笑みと共に告げた。


「でももう、二度とその醜い面を私と相地くんの前に見せないで? さもないと、あなたは二度と表を歩けなくなる」


 月宮詩歌は念を押すように言う。


「わかった? 約束よ?」


 私は首を縦に激しく振っていた。

 それ以外の選択肢はなかった。


 皆から天使と称される月宮詩歌。

 けれど私の目には、紛れもない悪魔に見えた。


―――――――――――――――――――――――


徐々に本性が露わになってきましたね。

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