第23話 甘美な果実
結論から言えば、来訪者は相地くんでした。
カラオケに行っていたのですが、同行していたご友人の体調が思わしくなく、早めに帰路についたということのようです。
月宮さんでなくて良かったとひとまず安心しました。
けれど、窮地には変わりありません。
私は現在、洋室の両開きのクローゼット、その片隅に身を潜めています。
もしバレてしまえばただでは済みません。
何と言っても不法侵入しているのですから。
僅かに開けた隙間から室内の様子をうかがいます。
相地くんはソファに寝転びながら、スマホをいじっている様子です。
こっそりと抜けだそうにも、ここはワンルーム。影が薄い私であっても、さすがに完全に気づかれずに退出するのは難しいでしょう。
外出でもしてくれれば、その隙に抜け出すことができるのですが……。
現状、相地くんにまるで外出する気配はありません。
インドアを決め込んでいます。親近感がわきますね。
そうこうしているうちに相地くんは夕食を食べ始めました。
帰りに買ってきたスーパーのお惣菜に、炊いた白いお米とインスタントの味噌汁、それに納豆という献立でした。
テレビにYouTubeの動画を映しています。
トップのおすすめ欄には、普段相地くんが視聴しているチャンネルの動画や、類似動画がいくつも並んでいました。
ゲームやアニメ、VTuberの配信やその切り抜き、お笑いもあります。
私は常々思うのですが、YouTubeのおすすめ欄というのは、その人の趣味嗜好が露骨に反映されています。
それを他の人に見せるのは、お尻の穴を見せるくらい恥ずかしいものです。
少なくとも私は絶対に見られたくありません。
でも私は今、相地くんのお尻の穴を見ている……。
イケないことをしていると思いつつも、その背徳感と、相地くんのことを深く知ることができた満足感に高揚します。
私は夕食を取る相地くんと共に、相地くんのお尻の穴(比喩)を見た後、逃げ出すタイミングを窺い続けました。ですが機会は訪れません。
食後しばらくして、相地くんのスマホに着信がありました。
スピーカーに切り替え、通話をしています。
お相手の声には聞き覚えがありました。
クラスメイトの陽川さんのようです。
そういえば、お二人はアルバイトでも同じシフトに入っていました。
しかし特筆すべきはその通話時間です。
一時間、二時間、三時間が経っても終わりません。
何をそんなに話すことがあるのでしょうか。
途中、相地くんがお風呂に入ってくると告げると、通話を切らずスピーカー状態のまま浴槽に向かって行きました。
陽川さんたってのリクエストのようです。
とにかく通話を切って欲しくないみたいでした。
これでは相地くんの入浴中に私が抜けだそうとすれば、うっかりスピーカー超しに陽川さんに物音を聞かれてしまいかねません。
ほんの僅かでも気取られるわけにはいきません。
結局私は動くことができませんでした。
お風呂から上がった後、相地くんはまた陽川さんと通話していました。
それにしても、私の目の前で相地くんが陽川さんと仲良く通話しているのを聞くと、胸の奥に何やらこみ上げてくるものがあります。
自分の好きな人が、自分では到底敵わない人と楽しげにしている。
陽川さんは通話を通して相地くんと直接話すことができるけれど、私はこうして二人のやり取りを薄暗いクローゼットの中から覗き見ることしかできない。
矮小な自己を容赦なく突きつけられ、絶望感が満ちてくると共に、そこにはなぜか甘美な愉悦も含まれていました。
そんなふうに人知れず興奮していた時でした。
……こ、こっちに近づいてくる。
相地くんはベッドから身を起こすと、クローゼットの方に近づいてきました。
扉が勢いよく開け放たれます。
「これは……」
終わった――。
私は思わず目をつむりました。
「よかった。実家から持ってきた夏用のパジャマがちゃんとあって。もうそろそろ長袖だと暑くなってきたからな」
タンスから取り出した半袖のパジャマを手に、相地くんはクローゼットを閉めてベッドの方に戻っていきました。
……助かりました。
片側の扉だけが開けられたのと生来の影の薄さと背の低さが幸いして、相地くんの視界に私の姿は映らなかったようです。
内心ほっと息をつきます。
もしバレていたら……。
相地くんは私に対する接し方を変えることでしょう。これまで積み上げてきた関係性は跡形もなく消え去るに違いありません。
大好きな人から、ゴミ虫を見るような軽蔑の眼差しを向けられる。
そのことを想像すると――。
あれ? 何だかぞくぞくとしてきました。
何もかもを失う瞬間。
そこにはどんな喪失感が待ち受けているのでしょうか。
それを想像すると、全身が熱くなってきます。
その後、相地くんと陽川さんの通話は夜遅くまで続き、気づいた時にはクローゼットの中で夜を明かしていました。
翌朝。
相地くんが登校するために家を出た後、私は部屋を抜け出し、帰宅してから何食わぬ顔で登校していました。
相地くんの生活を覗きながら、最低な自分に酔いしれる。
私も月宮さんのことをとやかく言えません。
甘美な果実の味を覚えてしまいました。
もう後戻りはできそうにありません。
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