第15話 電話の相手
放課後。
私――月宮詩歌が席を立つと、クラスの友達が声を掛けてくる。
「詩歌、遊びに行かない?」
「ごめん。今日は用があるから」
「そっか。忙しいもんね」
もう一度お詫びを入れると、足早に帰路につく。
つまらないことに現を抜かしている暇なんてない。私には他の何よりも優先しなければならないことがあるのだから。
あれ以来、藤沢先生は休職していた。
私の抗議が応えたのだろうか。
でもそれは分かって貰えたということだ。
今頃は己の犯した過ちを深く反省していることだろう。
相地くんを笑いものにすることは許さない。
それは私に対する宣戦布告だ。
彼のことは何人たりとも傷つけさせない。
家に着くと、私は二階にある自室に閉じ籠もる。通学カバンを籠に入れると、机の上のノートパソコンに向かい合う。
相地くんの音声作品の編集作業。
今日一日、私と交わした会話――自分の話している部分をカットし、相地くんの話してる部分だけを繋ぎ合わせる。
『科学の時間の実験ってさ、最終的には教科書に載ってる通りの結果になるんだし、何の面白みもないよな』
『月宮さんに教えて貰った喫茶店、この前行ったけど凄く良かったよ。落ち着いてて読書が凄く捗った』
『月宮さんって何でも知ってるよな』
ああ……。
相地くんが私を肯定する言葉を口にしてくれた。
それだけで絶頂してしまいそうになる。
音声をエンドレスに再生し、私は相地くんと交わした会話を思い出し、その甘美な記憶の世界の中に自ら進んで囚われる。
相地くんの声が鼓膜から脳に通り抜け、血肉となって身体中を巡る。相地くんの声に私の全身が愛撫されている心地になる。
編集を駆使すれば、相地くんに愛を囁かせることもできる。本来は言ってない睦言を口にして貰うことも出来る。
でも私はそうしない。
彼の尊厳を穢すような真似は。
私は相地くんのことを愛している。彼が死ねと言えば私はすぐにでも死ぬ。それが彼の幸せに繋がるというのなら。私は笑顔で逝くことができる。
編集作業に没頭しているうちに日が暮れ、私は家族と共に夕食を取り終えると、散歩に行くと言って家から出た。
閑静な住宅街をしばらく歩くと、アパートの前に辿り着く。
そこは相地くんの家だ。
学校での雑談で彼が一人暮らしをしていると知った私は、放課後、帰路につく彼の後をこっそりと追って突き止めた。
アパートの二階の角部屋、相地くんの部屋の窓の明かりを確認すると、私は人気のない影に隠れて持参した受信機を起動させる。
耳にあてると、室内の音が聞こえてくる。
相地くんのいない間に部屋に侵入し、盗聴器を設置させてもらった。郵便ポストに合鍵が隠してあったからそれを使った。
盗聴器はコンセント型のもので、すでに差してあったものと入れ替えた。見た目は全く同じだから気づかれる心配もない。
ごめんね、相地くん。
でも私はあなたを愛しているから。
盗聴器が拾う音声を、私は受信機を通して鼓膜に入れる。
足音に食事を取る音、彼が見ているであろうテレビやスマホの音声。彼の家の生活音が次々に流れ込んでくる。
まるでいっしょに暮らしている心地になれる。
しばらく浸っていると、話し声が聞こえてきた。
一人暮らしの相地くんに同居人はいない。部屋に足を踏み入れた時も、他の人間の生活の痕跡は見当たらなかった。
どうやら電話をしているみたい。
随分と親しげな口調だ。
相手は誰だろう?
通話相手の話している内容までは聞き取れず、相地くんは基本聞き役に徹していることもあって中々正体が掴めない。
男子ならいい。でももし女子だったら?
通話時間はすでに五時間を越えていた。内容は学校の話やバイト先の話、好きな音楽の話といった他愛のないものばかり。
相地くんが途中で通話を終えようとすると、通話相手が何だかんだと理由を付けて通話を引き延ばしている節が見受けられた。
こんなに遅いと、明日に響いてしまう。相地くんが寝不足になってしまう。
私は通話相手を特定しようと耳を澄ませる。
けれど中々尻尾を掴めない。
もう日も遅い。
そろそろ切り上げて帰ろうかと思った時だった。
『陽川さんも眠いだろうし――』
――え?
私は引き返そうとした足を、その場に縫い付けた。
今、相地くんは陽川さんと呼んでいた。電話の相手は比奈? こんなに夜遅くまで二人はずっと親しげに話し込んでいた?
その時、脳裏に記憶がよみがえる。
ファミレスを辞めた比奈は最近、コンビニバイトを始めたと言っていた。
そして相地くんもバイトをしていると話していた。
彼がどこで働いているかはしっかり覚えていた。
コンビニだ。
そしてさっきまでの通話を聞くに、二人は同じコンビニで働いている。
以前の昼休み、比奈は私に教えてくれた。
バイト先の人を好きになったのだと。
比奈は女子とは長電話することもあるけれど、男子と電話することはない。あんなふうに親しげに話してるのは聞いたことがなかった。
つまり。
「……そっか。そうだったんだね」
点と点が繋がり、一つの答えが導き出される。
どうやら。
私たちは同じ人を愛してしまったらしい。
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