第14話 陰湿教師
数学の授業は一日でもっとも憂鬱な時間だ。
根っからの文系である俺にとっては苦手科目ということもある。国語は学年でも上位の成績だが数学はてんで理解できない。
だがそれ以上に教師が苦手だった。
「よーし。じゃあこの問題を――相地。解いてみろ」
数学教師の藤沢先生がニヤニヤしながら俺を指名してくる。
四十代の男性で、天然パーマには虫類のような顔立ち。
一見すると陰湿そうな見た目だが、実は優しい――ということもなく、見た目の期待を裏切らない陰湿な性格をしていた。
「x=2でy=3です」
俺は計算した答えを口にする。
「おお、正解だ」
よかった。ちゃんと合っていたらしい。
ほっとする。
だが、これだけでは終わらない。
藤沢先生の本領発揮はここからだ。
「さてはお前、俺が見てない間に月宮に答え教えてもらったろ?」と俺には自力で解く力はないだろうとからかってくる。
「自力で解きましたけど」
「ほんとうかねぇ?」
顎に手を置き、蛇みたいにニヤニヤしている。
細身で背が高い。
席に座る俺を高みから見下ろしてくる。
「藤沢先生、私は相地くんに答えを見せてなんていません」
俺と藤沢先生だけの間合い。
そこに月宮さんの声が割って入る。
「相地くんは自分で考えて答えを導き出しました」
「何ムキになってんだ? 冗談だよ、冗談」
藤沢先生は気勢を削がれたのか、軽く笑い飛ばす。
「相地にも解けるってことは、誰にでも解ける問題ってことだ。テストで似た問題が出たらちゃんと全員正解しろよ?」
嫌味ったらしくそう口にすると、黒板に向き直った。
俺は藤沢先生に目を付けられていた。
あれは初回の授業のことだった。
問題を出されて当てられ、答えることができなかった。それを藤沢先生が茶化すと周囲の生徒たちから笑いが起こった。
それに味を占めたのか、藤沢先生は執拗に俺を弄ってくるようになった。
何かある度に俺を引き合いに出し、問題に正解したらさっきみたいに茶化し、不正解の場合は鬼の首を獲ったように弄ってくる。
最近は更にエスカレートしつつあった。
当然ながらまあまあダルい。
他の生徒たちはとっくに引いていて、またかよと辟易しているが、藤沢先生はそのことにはまるで気づいていない。
動画を撮ってSNSに載せでもすれば、炎上するかもしれない。でも行動を起こすのには結構な勇気がいる。
だからずるずると今にまで至っていた。
終業のチャイムが鳴り、藤沢先生が教室を出て行き、やっと解放されたと心の中で羽を伸ばしていた時だった。
「藤沢先生、ひどいよね。いつも相地くんのことをあげつらって」
右隣の席に座る月宮さんが、俺にそう話しかけてきた。
「まあもう慣れたけどな」
「ううん。さすがに度が過ぎてると思う。許せない。私、抗議してくる」
何やらお怒りのご様子。
珍しい。
月宮さんがこんなふうに感情を露わにするなんて。
「抗議って、大げさだって。そう言ってくれるのはありがたいけど。俺は別にそこまで事を荒立てる気はないというか」
「相地くんがよくても、私が我慢できないの」
語気強く言った。
「相地くんがあんなふうに言われるのは許せない」
「おお……?」
圧が凄い。
よほど腹に据えかねてるのだろうか。
自分のためじゃなくて、クラスメイトのためにここまで怒ってくれるなんて、月宮さんはやっぱり凄く良い人なんだろうな。
☆
そして翌日。
昼休みが明け、再び数学の時間を迎えようとしていた。
……今日も弄られるんだろうなあ。
始業のチャイムが近づき、憂鬱な気分を抱えながら待っていると、月宮さんが教室の扉を開けて中に入ってきた。
「今日、藤沢先生はお休みしてるから自習だって」
――え?
唖然とする俺を尻目に、教室中は沸き立っていた。
自習。
それは生徒たちにとっては何よりも甘美な言葉だ。
当然誰も素直に自習に励むわけもなく、クラスの皆はそれぞれ席を立つと、友達連中との雑談に花を咲かせ始める。
数学の授業がなくなったのは嬉しい。
けど。気になる。
俺は隣の席に着いた月宮さんに話を切り出した。
「月宮さん、昨日の件だけど」
「昨日の件?」
「藤沢先生に抗議するって話」
と言った後に尋ねた。
「月宮さん、もしかして本当に話をしにいってくれたのか?」
「うん。放課後、時間を取ってもらったの」
月宮さんはなにげないふうに答える。
「授業を円滑に進めるためとは言え、あんなやり方は間違ってると思いますって。特定の誰かをやり玉に挙げるなんて」
「それで……どうなったんだ?」
「藤沢先生、凄く反省してた。調子に乗りすぎたって。相地くんにはとても申し訳ないと思ってるって言ってたよ」
まさか素直に聞き入れてくれるとは。
「ありがとう。月宮さん。助かったよ」
「ううん、全然。相地くんのためだもの」
クラスメイトのために率先して動くことができる。
月宮さんは理想のクラス委員長だ。
なんか目がうっとりとしていて、湿度を感じるような気もするが……。
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