第4話 図書委員の女子
放課後、俺は帰宅する前に寄り道をすることに。
校舎の四階にある図書室にやって来る。
部活中の生徒や中庭で駄弁っている生徒の喧噪に包まれる校内で、図書室だけは別世界のような静けさを保っていた。
本の匂いに満ちた空間には、俺以外に誰もいない。
比較的賑わっている昼休みでも、席が全て埋まっているところは見たことがない。人の気配からはもっとも遠い異世界。
借りていた本を返却するために受付に向かう。
そこには小柄で細身の女子生徒が座っていた。猫背になりながら、分厚いハードカバーの本を顔を隠すほどに読み耽っている。
「薄木さん」
「はひぃ!?」
本の世界に集中していたからだろう。
声を掛けると、びくうっと肩を跳ねさせた。ハードカバーの本が手元から落ち、背表紙の部分が上靴の足の甲に突き刺さる。
「うひゃああ!?」
「だ、大丈夫か!?」
木目の床の上で芋虫のように這いずり回る女子生徒。
墨汁を擦ったような黒髪が目元を覆うように伸び、強く触れたらうっかり折れてしまいそうなほどの小さな痩身が印象的。
彼女――薄木小夜子さんはクラスメイトであり、図書委員を務めていた。
「あ、相地くん……」
「悪い。いきなり声をかけて」
「い、いえ。お気遣いなく……。業務中に本を読んでいた私の落ち度なので……」と自分に責があると主張する薄木さん。
ちょっと涙目になっていた。
「借りた本の返却をしにきたんだ」
通学鞄から小説の文庫本を取り出すと、受付の上に置いた。
薄木さんはそれを手に取ると、おずおずと上目遣いで尋ねてくる。
「ど、どうでしたか……?」
「凄く面白かった。本当は時間をかけてゆっくり読むつもりだったのに、読み始めたら止まらなくて一日で読んじまった」
「…………!」
「さすが薄木さんのおすすめだな。外れなしだ」
「ふ、ふひ」
薄木さんはぎこちない笑みをもらした。
「よ、喜んでもらえてよかったです」
図書室の一角には選書コーナーがある。
図書委員が選出したおすすめの本が推薦コメントと共に平置きされている。
図書委員が全員読書家かと言えばそんなことは毛頭なく、ただ楽そうだから入っただけで一冊も読んだことのない生徒もざらにいるらしい。
なので圧倒的な読書量を誇る薄木さんが選書は全て担当していた。
「高校入るまではラノベしか読んだことなかったけど、薄木さんのおかげで他にも面白い本がたくさんあるって知れたし」
「な、なんともったいないお言葉……」
「おすすめのコメントも興味を惹かれて的確なんだよな。ビブリオバトルとか出たら優勝できるんじゃないか?」
「そ、それは無理だと思います」
「そうかな?」
「文章では饒舌でも、対面だと話せなくなるので……」
人見知りということらしい。
そういえば教室でも口数は少なかった。
「つ、次に借りる本はお決まりですか?」
「まだ特には」
「よ、よければ、この作品などいかがでしょう」
薄木さんはおずおずと一冊の本を取り出した。
「わ、私が最近読んだ本なのですが、とても面白く……。
チェス指しの少年の話なのですが、以前、相地くんがクイーンズ・ギャンビットが好きだと言っていたので、お気に召すかなと」
「面白そうだ」と俺は表紙を眺める。チェスの駒の上に乗った象と、円形の輪の上に少年が乗っている絵が描かれている。
「でも、俺がクイーンズ・ギャンビットを観た話、薄木さんにしたっけ?」
「ひえ!?」
薄木さんは狼狽した様子を見せた。
「ご、ご友人と話している内容をたまたま耳にしまして……」
「ああ、そういうことか」
なるほど、納得した。
「というかこれ、図書室の本じゃなくて、私物じゃないか?」
「だ、大丈夫です。布教用に買ったものなので。私は一切手をつけていません。ちゃんと綺麗なものですから」
「別にそこは気にしてないけど」
「それに相地くんにお渡しするために買ったものですから」
「俺のために?」
「うひい!?」
薄木さんは話しすぎたと思ったのか、慌てて言葉を紡いだ。
「い、今のは言葉の綾と言いますか……。同じ本好きとして、ぜひ一度読んでみて欲しいという思いからでして。下心とかでは……!」
「大丈夫、分かってるから」
ばたばたと身振り手振りで弁明する薄木さんに、俺は笑いながら答える。
「じゃあ、ありがたく借りさせて貰うよ」
そして渡された本を通学鞄に入れる。
「読んだらまた感想伝えるな」
「お、お待ちしてます」
図書室を後にしようとすると、廊下に司書の先生がいた。
「ども」と挨拶をする。
「さっきから様子を覗いていたのですが、人見知りの薄木さんがあんなふうに誰かに心を開いてるのは初めて見ましたよ」
「まあ、クラスメイトですから」
図書委員のクラスメイト――薄木さんも交流のある生徒だが、彼女もまた静かで気遣いのできる素敵な女子だ。
病んでいる要素は見当たらない。
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次回からそれぞれの病みが徐々に出てくる予定です。
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