第40話 真相

 あの日以降、月宮さんは朝、迎えに来なくなった。

 代わりになぜか陽川さんが迎えに来るようになった。


「相地くん、おはよっ☆」


 見る者を明るくさせてくれる笑顔。

 花園さんが月宮さんの変装だとすればもう危険はないのだが、俺は陽川さんといっしょに登校することにしていた。


「詩歌、今日も休んでるね」


 教室に着き、始業時間になっても月宮さんは姿を現さない。

 ここ数日、彼女は欠席していた。

 連絡はなく、無断欠席のようだった。クラスメイトたちも心配していた。

 風邪でも引いたのだろうか?

 熱を出した俺の傍にずっといても涼しげな顔をしていた月宮さんが?


 脳裏をよぎるのはあの日の光景だ。

 俺の怯えを悟った月宮さんは、傷ついたような、寂しそうな表情をして、すぐに柔らかな微笑みを浮かべていた。


 ……でも、月宮さんは花園さんに変装して、俺を騙そうとしていたんだ。自分なしでは生きられないように依存させようとしていた。

 だから、負い目を感じる必要なんてないはずだ。


 なのに。

 どうしてか気になって仕方がない。


「相地くん、最近、詩歌と何かあった?」

「……え?」


 昼休みになった時のことだった。

 席でぼうっとしていると、陽川さんに不意にそう尋ねられた。


「いきなりどうしたんだ?」

「んー。ちょっと気になってさ」


 陽川さんは心配そうな面持ちで口にする。


「詩歌、相地くんのこと好きでしょ? あたしもそうだけど、なるべく他の子といっしょにいて欲しくないと思うんだよね。

 なのにこの前、いきなり頼まれちゃってさ」

「頼まれた?」

「そう。相地くんの家の送り迎えを私の代わりにしてあげて欲しいって。私には他にやらないといけないことがあるからって。

 詩歌が休んでるのって、もしかしてそのせいなのかなって。相地くん、詩歌に何か聞かされてない?」

「…………」


 他にやらないといけないこと。俺には心当たりはなかった。

 月宮さんは俺に執着していた。

 他のどんなことよりも、俺を優先していた。

 そんな彼女が俺を恋敵であるはずの陽川さんに任せて、学校を休んでまで、しなければならないと判断したこと。


 ……分からない。


 思い返してみるとずっとそうだった。

 俺は月宮さんのことを何も知らない。

 どうして俺のことを好きになったのか、どうして俺に執着するのか、いったい彼女は何を考えているのか。

 俺が知っているのは、才色兼備の高嶺の花で、クラスの皆に慕われているという、ただ表面上の情報でしかない。


「まー。あたし的には相地くんといっしょにいられるなら嬉しいし、詩歌が譲ってくれるって言うんなら今のうちに思う存分イチャイチャしたいところだけどー」


 冗談めかしながら言った後、でも、と続けた。


「詩歌は相地くんを取り合うライバルだけど、その前に友達だからさ。もし何か困ってるなら助けになりたいじゃん?」


 何の躊躇いもなくそう言い放った陽川さんを見て、やっぱり根っこの性格は凄く良い人なんだろうなと俺は思った。


「……あ、あの」

「うおっ!? びっくりしたぁ」


 陽川さんは突如割り込んできた声に肩を跳ねさせる。


「えーっと。確か薄木さんだよね?」


 俺たちの目の前には、いつの間にか薄木さんが立っていた。

 珍しいな。

 普段教室で話しかけてくることなんてないのに。


「……お二人の話を盗み聞きしていて、いてもたってもいられなくなってつい。月宮さんが休んでる理由についてなのですが」

「ナチュラルに盗み聞きしてるのは引っかかるけどまあ今さらか。……それより月宮さんについて何か知ってるのか?」

「……は、はい。実は以前、月宮さんにお呼び出しをいただきまして。その時に今お休みされてる理由も拝聴しました」


 薄木さんはそこまで言うと、辺りをきょろきょろと見回した後、恐縮しきった様子で俺たちに切り出してきた。


「……あの、ここでは何なので、少し場所を変えませんか? お二人にご足労いただくのは心苦しいのですが」

 

 ☆

 

 俺たちは薄木さんと共に屋上前の踊り場にやって来た。

 屋上の扉は施錠されていて、その前の踊り場にはもう使われなくなった机が上下逆さに積み上げられている。

 ここなら誰にも聞かれないだろう。俺は薄木さんに切り出した。


「話してくれないか、月宮さんが休んでる理由を」


 そして、彼女のやらなければならないことを。

 薄木さんは小さく頷くと、おずおずと話し始めた。


「……先日の一件の後、私は放課後、月宮さんに呼び出されました。

 その時はてっきり粛正されるのかと思っていたのですが、実際には違いました。あの人は私に頼み事をしてきたんです。

 私の代わりに相地くんのことを見守ってあげて欲しい。彼に危険が及ばないよう、常に傍にいてあげて欲しいと。

 ……私には理解できませんでした。

 先日の一件が一段落ついたのなら、もう相地くんには危険はないはずです。花園さんに化けていたのは月宮さんなのですから。

 私がそう尋ねると、月宮さんはこう答えました。

 花園さんに変装したのは私じゃない。相地くんが目撃した花園さんは本人で、相地くんを今も探していると」


 ――え?

 俺はその言葉を聞いて、頭が真っ白になった。


「ちょ、ちょっと待ってくれ! 花園さんは月宮さんじゃなかった? 俺が見た花園さんは間違いなく本人だった?」


 薄木さんはこくりと首肯した。


「だ、だったら、どうしてあの場で月宮さんは自分が花園さんだって言ったんだ? わざわざ濡れ衣を被る理由は……」

「……相地くんのためだと言っていました」

「……俺のため?」

「……花園さんに化けていると言えば、そして自分が相地くんの下から去れば、相地くんは安心して日々を過ごすことができる。ずっと苛まれていた恐怖から解き放たれる。

 だから月宮さんは自分が花園さんに化けていたことにしたそうです。相地くんが向けてきた疑念に乗っかる形で」


 あの時、俺は月宮さんに疑念をぶつけた。

 月宮さんが花宮さんに化けているんじゃないかなんて考えてしまっていると。

 それを聞いた月宮さんは思いついた。

 自分が認めれば、花園さんに化けていたのは自分だということになる。花園さんの存在を俺の中から消すことができる。


 でも、だけど。


「それをしたら、俺は月宮さんのことを怖がるようになる。月宮さんに対する好感度は地の底に落ちてしまう。

 月宮さんは俺のことが好きなんだろ? なのに……なのにどうして、わざわざ自分の株を落とすような真似を……」


 違う。本当は分かってる。

 月宮さんがどうしてそんなことをしたのか。

 ただ認めたくないだけだ。


「……自分が嫌われてでも、相地くんの不安を和らげてあげたかったんだと思います」


 そうだ。

 月宮さんは泥を被ってでも、俺の不安を和らげようとしてくれた。

 花園さんの恐怖に支配された俺の心を解放しようとしてくれたんだ。


 だとしたら。

 あの時、近づいてこようとした月宮さんを反射的に恐れてしまった時、一瞬彼女の顔によぎった寂しげな色――。

 あれは演技じゃなかった。


「じゃあ、月宮さんは今……」

「……花園さんの行方を追っています。

 相地くんの前に花園さんが現れてしまえば、全て台無しになってしまいますから。その前にけりをつけるつもりかと……」


 けりをつける――。

 月宮さんは俺に害を為す人たちを影で始末していると言っていた。俺から遠ざけるために花園さんに戦いを挑もうとしている。


 俺は知っている。

 花園さんは強い。その上、凶暴だ。少なくとも穏便には済まないだろう。

 返り討ちにされてしまうかもしれない。


 それに。

 もし勝ったとしても、月宮さんは罪を背負うことになってしまう。


「ちょっ! 相地くん、どこ行くの!?」

「月宮さんを探しに! 先生には早退するって言っておいてくれ!」


 そう言い残すと、俺は階段を駆け下りて校舎を飛び出した。

 月宮さんを止めないと。


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