第34話 蜘蛛の糸

 花園麻里さんとは高校一年の頃に出会った。

 初夏に行われた席替えで彼女の隣の席になった。


 前の高校は私服登校が許されていて、大半の生徒は制服で登校していたが、花園さんは地雷系ファッションで登校していた。

 当然ながら著しく浮いていた。


 花園さんは社交的な生徒ではなく、周りも彼女のことを腫れ物扱いしていて、だから花園さんはいつも一人だった。

 休み時間はバキバキに割れたスマホを弄っていた。

 その姿が妙に寂しそうに映って。

 だから、気づけば俺は花園さんに話しかけていた。


『その服装、おしゃれでかわいいな』


 自分が変わった女子に好かれがちなのは気づいていた。

 深入りしすぎると痛い目を見ることも。

 けれど、俺は放っておけなかった。

 今になって振り返ると、変わった女子に好かれがちなのと同じくらい、俺も変わった子が好きだったのかもしれない。

 好きというか、見捨てられなかったというか。

 俺が話しかけると、花園さんは嬉しそうに応えてくれた。


 そこから交流が始まった。


 最初は良かった。

 学校で話したり、連絡先を交換してメッセージのやり取りをしたり、放課後いっしょに街に遊びに繰り出した。

 歪みが生じ始めたのはある程度仲良くなった頃だ。

 日に日に束縛が激しくなり、情緒が不安定になり、夜遅くでも電話で俺を呼び出すことが増えていった。

 予定があるから無理だと言うと、今から死んでやると激昂してきた。

 構って貰うために自傷行為も行うようになった。

 遅効性の毒のような日々だった。


 さすがに付き合いきれないと距離を置こうとした。悪いけどもう花園さんと付き合いを続けるつもりはないと告げた。


 俺が本気だと悟ったのだろう。

 花園さんは乾いたひび割れのような笑みを浮かべた後、目を剥いた。


『私を肯定してくれない相地くんなんて、相地くんじゃありません。私を愛してくれないならもう必要ありません』


 銃口のような両目が印象的だった。

 そして腹を刺された。

 それから俺は生死の境を彷徨い、何とか一命を取り留め、退院した頃には花園さんは俺の前から姿を消していた。

 風の噂では女子少年院に移送されたと聞いた。

 もう二度と再会することはないと思っていた。

 なのに――。


 

 駅前の噴水広場から逃げ出した俺は、無我夢中で走った。

 過去から逃れるように。

 恐怖から逃れるように。

 息が切れ、膝ががくがくと悲鳴を上げ、胸が張り裂けそうなほど苦しくなっても、俺は決して足を止めなかった。

 

 ようやく家の前まで辿り着くと、意を決して振り返り、彼女の姿が見えないことを確認してから部屋の中に飛び込んだ。

 鍵を閉め、チェーンも掛けてから、扉に背中をつけて座り込む。

 

 まさか。

 まさか花園さんと再会するなんて。

 

 女子少年院に移送されたんじゃなかったのか? もう出所したのか? だとすればなぜこの街にやってきたんだ?

 

 俺と目が合った瞬間。

 花園さんは小さく呟いていた。

 みつけた、と。

 

 彼女は俺と会うためにここにやってきたんだ。

 何のために?

 そんなの決まってる。

 俺に復讐するためだ。

 花園さんを愛さなかった俺を、恐れをなして彼女の下から逃げ出した俺を、今度こそ始末しにきたに違いない。


「もう忘れたと思ってたのに……!」


 花園さんの俺に対する執着は終わっていなかった。

 今もなお続いていた。

 逃れることはできない。

 歯がガチガチと震え、音を鳴らす。心臓の鼓動が高くなる。全身に不安と恐怖の羽衣が纏わり付いて離れない。


 怖い。怖い――。

 俺が飛びかける理性のたがを必死に押さえ込んでいた時だった。

 

 ピンポーン、と。

 

 インターホンの音が高らかに響き渡った。


「――っ!?」


 全身が総毛立ち、心音が跳ね上がる。

 追ってきたのか!? 

 振り切れたと思ってたけど、そうじゃなかったのか!?


 ピンポーン。


 このまま籠城してやり過ごすか? 

 そうすれば諦めて帰ってくれるんじゃないか? 

 いやでも花園さんのことだ。

 どんな手を使ってでも無理やり中に押し入ろうとするに違いない。


 ピンポーン。ピンポーン。


 どうする? 俺はどうすればいい!?

 次の瞬間にでも強引に扉をぶち破られるのではという恐怖に苛まれながら、次の一手について思索を巡らせていた時だった。


「相地くん?」


 外から聞き覚えのある声が聞こえてきた。


 ……今の声、花園さんじゃない?


 俺は恐る恐る立ち上がると、ドアアイから外の様子を窺う。

 部屋の前に立っていたのは月宮さんだった。


 ――た、助かった。


 心底ほっとしながら、玄関の扉を開ける。


「こんな時間にごめんね。煮物を作りすぎたから、お裾分けしようと思って」


 月宮さんは俺の表情を見ると、心配そうに尋ねてきた。


「どうしたの? 凄い青ざめた顔をしてるよ」

「実は……」


 気づけば俺は月宮さんに打ち明けていた。

 放課後、駅前のゲーセンに遊びに行ったこと。

 帰りの噴水広場で前の学校の同級生と再会したこと。そしてそれがかつての因縁の相手である花園さんであったこと。

 自分一人で抱えるのは限界だった。


「……それは本当に本人だったの?」

「間違いない。あれは花園さんだった」


 他人のそら似なんかじゃない。

 それに花園さんは俺と目が合った時、深い笑みを浮かべた。

 見つけた、と呟いていた。


「……そっか。それはすっごく怖かったね。不安だったね」

「花園さんは俺を追いかけてきたんだ。今度こそ息の根を止めるために。花園さんはまだ俺のことを恨んでる」


 脳裏にはまだ花園さんの笑みが残っていた。


「ずっと、ずっと花園さんが追いかけてくる。逃れることなんてできない。俺はいったいどうすればいいんだ……」


 俺は縋るように月宮さんに尋ねる。

 月宮さんは答えを持ち合わせていないことを知っていながら。そうせざるを得ないほどに俺は追い詰められていた。


 すると、ふわりと良い香りがした。

 制服姿の月宮さんに、優しく抱きしめられていた。


「大丈夫。私が守ってあげるから」


 月宮さんは俺の耳元で静かにそう告げてきた。


「誰にも相地くんは傷つけさせない。だから何も心配しなくていいよ。相地くんはただ私に身を任せてくれればいい」


 月宮さんは「ね?」と微笑みかけてくる。


 気づけば、俺はこくりと頷いていた。

 地獄の底に垂れてきた蜘蛛の糸のように。

 月宮さんのその言葉は輝いて見えた。

 

 そうだ。簡単なことだったんだ。

 彼女が傍にいてくれたら大丈夫だ。月宮さんに縋れば、身を任せれば、抱いている不安も恐怖も全て忘れることができる。


――――――――――――――――――――――――

※女子の名前、花宮→花園に変更しました。

(月宮さんと宮の字がかぶっていたので)


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