第35話 繋がり
翌日から俺の花園さんの影に怯える日々が始まった。
朝。
登校時間になると、家に月宮さんが迎えに来る。
「おはよう、相地くん。何もなかった?」
「あ、ああ」
微笑む月宮さんを見ると、ほっとする。一人の間、ずっと立ちこめていた恐怖や不安が瞬く間に霧散していく。
「じゃあ、行こっか」
月宮さんが差し出してきた手を取る。
その瞬間、俺は深い安堵に包まれる。傍に彼女がいてくれる。それだけで理性を失わずに保つことができる。
登校途中、曲がり角に差し掛かる。
あの角の向こうから花園さんが飛び出してくるんじゃないか。
そう思うと足が竦む。
俺の不安を嗅ぎ取ったのだろう。
月宮さんは「大丈夫。私が傍についてるから」と優しく囁きかけてくれる。繋いだ手の平から確かな熱が伝わってくる。
学校にいる間は安全だ。周りにたくさん人がいるから。
花園さんが潜り込むようなことがあればすぐに分かる。
それでも傍に月宮さんがいないと不安だった。
授業中も、休み時間も、昼食を食べる時も、俺は常に月宮さんにくっ付いていた。教室を移動する時には常に手を繋いでいてもらった。
「ちょいちょい! 何してんの!?」
尋ねられたので、陽川さんにも事情を伝えた。
すると、
「詩歌にだけ頼るとかズルい! 抜け駆けはナシ! 相地くん、あたしのことも詩歌以上に頼ってくれていいからね」
次からは教室移動は二人と手を繋いで行うことになった。
俺が真ん中で、左右に月宮さんと陽川さんがいるという構図。
周りの生徒たちはその様子を見て色々と噂していた。
そりゃそうだ。
俺が逆の立場だったとしても、同じことを思っただろう。
両手に花で羨ましいとか。
連行される宇宙人みたいな絵面になって滑稽だとか。
いずれにせよクラス中の男子から顰蹙を買っていた。
でも構わない。
花園さんの影の不安を紛らわせることができるのなら。
コンビニバイトは行かなくなった。
行かなくなったというよりは、いつ花園さんがやってくるのかと思うと、恐怖でシフトに入ることができなくなった。
だから放課後になるとどこにも寄らず、月宮さんと家に直帰する。
そして夜が来るまで傍で手を繋いでいてもらう。
何をするでもない。ただ手を繋いで貰うだけ。
でもそうしていると心が落ち着いた。
外から物音がしたり、子どもの声が聞こえてきて、不安が込み上げてくると、月宮さんが優しく抱きしめてくれた。
「大丈夫。大丈夫だからね……」
背中をさすりながら、宥めてくれる。
すると次第に正気が戻ってくる。
月宮さんと繋がっている間だけは、安らぎを得ることができた。彼女なしではもう普通に過ごせなくなっていた。
夜になると、月宮さんは夕食を作ってから、自分の家に戻る。
残された俺は一人になる。
夜の闇が次第に浸食してきて、溺れてしまいそうになる。
けれど、自分を見失いそうになる前にスマホに電話が掛かってくる。
陽川さんからだ。
『相地くん、元気? 聞いてよ今日、バイト先でさ~』
陽川さんの明るくて楽しげな声を聞いていると、沈み掛けていた心が彼女のテンションに引っ張り上げられていく。
浸食しようとしていた闇が瞬く間に取り払われていく。
今までは夜遅くまで続くとしんどかった通話だが、今ではずっと朝まで続いて欲しいと思うようになっていた。
夜の俺の心の支えになっていた。
それでもいつか終わりはやってくる。
陽川さんとの通話を終えると、俺は一人部屋の中に取り残される。水の底に沈めていた不安を思い出してしまいそうになる。
けれど――。
俺はクローゼットの方を横目で見やる。薄く開いたクローゼットからは、薄木さんが俺の方をじっと見つめていた。
――今日も来てたのか……。
普段であれば反応に困っていた。
でも今はどこかほっとした。
少なくとも薄木さんは俺に対する敵意はない。この前、風邪を引いて看病してくれた時にそのことははっきりと分かった。
そうだ。俺は一人じゃない。
周りには皆がいてくれる。
それがたとえストーカーであったとしても、束縛癖が強くても、ヤンデレだったとしても一人よりはずっとマシだ。
朝が来ると、また月宮さんが迎えに来てくれる。
俺は手を引かれながら、学校に向かう。
学内でも学外でも、月宮さんと陽川さんと薄木さんに囲まれながら過ごす。常に誰かは周りにいるから安心だった。
花園さんはあれから姿を現すことはなかった。
あの時の俺は制服を着ていたから、てっきり学校を突き止められて、乗り込まれるものだと思っていたのに。
来ないなら来ないに越したことはない。
このまま何事もなく、平穏な日々が続けば良い。
そう思っていた。
そんな矢先のことだった。
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