第31話 お見舞い 陽川さんの場合

 その後、俺の傍でずっと手を握っていてくれた月宮さんは、授業が全て終わる十五時半頃になると学校へと向かった。

 今日の放課後はクラス委員の会議がある。

 それに出席するためだ。


 俺が熱でダウンしている上、月宮さんまでここにいるとなると、うちのクラスからは誰も出席する人がいなくなる。

 代理で他の生徒を立てることもできるのだろうが、さすがに申し訳ない。

 月宮さんは最初そうするつもりだったようだが、俺が責任を感じるのならと、会議だけは出席することに決めたようだ。


『またすぐに戻ってくるから』


 そう言い残して月宮さんは部屋を後にした。

 幸い、午前中にぐっすりと寝れたおかげで眠気はない。

 悪夢の中に引きずり込まれてしまうこともないだろう。

 ただ発熱は依然続いていて、初夏にもかかわらず寒気が身に纏わり付いている。思わず布団の中で肩を抱き、丸くなる。


 しばらくそうしているとインターホンが鳴った。


 月宮さんが帰ってきたのだろうか? それにしては早すぎないか? そもそも月宮さんには出て行く時に合鍵を渡してあった。

 俺は身体を起こすと玄関の扉を恐る恐る開ける。


「お、相地くん、起きてる」


 そこには制服姿の陽川さんが立っていた。学校帰りなのだろう。


「陽川さん……」

「はあ~♪ よかった~!」


 次の瞬間。

 がばっ、と俺は抱きつかれていた。


「ちょっ!?」

「聞いたよ。熱出て倒れちゃったんでしょ? ルインのメッセ送っても返事ないし、何か怒らせることしちゃったのかと思った」

「スマホの電源、切ってたんだ」


 俺の言葉を聞いて、心底安心したようにはあ~と息をつく陽川さん。その後、ふと気づいたように苦笑を浮かべた。


「――って、よくはないよね。熱出ちゃってるんだし。とりあえず、お見舞いついでに必要そうなもの買ってきたよ」


 陽川さんは手に持った買い物袋を掲げて見せる。


「とりあえず、入っていい?」

「あ、ああ」


 俺は玄関の扉を大きく開けると、中に招き入れる。

 ローファーを脱ぎ、部屋に上がろうとした陽川さんはふと尋ねてきた。


「もしかして、詩歌もいる?」

「え?」

「詩歌、今日学校休んでたから。しかも無断で。そんなの今まで一度もなかったし。相地くんの家に来てるのかなって」

「さっきまではいたけど、今はいない」


 俺は経緯を説明する。


「放課後のクラス委員の会議に出てくれてるんだ」

「やっぱり来てたんだ。あたしも途中で抜けようかなって思ったんだけど。相地くんの分も授業のノート取った方がいいかなって」


 陽川さんは「はい」とノートを渡してくれる。


「世界史のノートも取ってくれたのか」


 世界史の授業は眠たいことに定評がある。

 陽川さんもいつもは爆睡していたのに。


「相地くんに喜んで欲しくて。愛の力ってやつ?」


 陽川さんは冗談めかしたようにはにかむ。


 俺はずっと切っていた枕元のスマホの電源を入れる。ルインのアプリのアイコンの上に通知数が表示される。


「さ、三百……」


 しかも全部陽川さんからだった。


「あ、内容は読まなくていいからね? けっこー重めというか、色々恥ずかしいこととか書いちゃってるから」


 陽川さんは照れたように笑う。

 この分量をまともに受け止める精神的ゆとりは今の俺にはない。お言葉に甘えて、電子の海に封印することにした。


「買ってきてくれた差し入れの代金、いくらだった? 払うよ」

「あ、そんなのいいって。あたしが好きでやったことなんだし」

「でも……」

「ここは貸しってことで♪」


 陽川さんは指を立てて笑う。


「また何かしらの形で返してもらうから」


 また貸しを作ってしまった。

 とんでもないものを要求されないといいが。


「この後、確かバイトだったよな?」

「そ。だからあと一時間くらいしたら行くね。あ、相地くんは寝てて。またムリして熱が上がったら大変だし」


 俺はベッドに潜り込むと、布団をかぶる。


「果物あるから。剥いてあげる」

 陽川さんは「キッチン借りるねー」と言って歩いていくと、五分ほどして剥いたリンゴを皿の上に載せて戻ってきた。

 うさぎの形に綺麗に切ってあった。


「はい。あーん」


 陽川さんは爪楊枝に刺したリンゴを、俺に差し出してくる。


「……自分で食べるという選択肢は?」

「なし。病人はムリしない」


 俺は素直に口をあけると、リンゴを咀嚼する。


「おいし?」

「ああ。瑞々しくて美味い」

「よかった」


 陽川さんははにかむと、


「あたしも一つ貰おっと」


 と俺に食べさせた爪楊枝で別のリンゴを刺すと、かじる。


「ほんとだ。結構イケるね」


 しゃくしゃくと良い音が聞こえてくる。

 陽川さんは寝ている俺の姿に気づくと、声を掛けていた。


「相地くん、どしたの。身体を丸めて」

「ちょっと寒気がするんだ」

「……ふーん。そっか」


 陽川さんはしばらく考えた後。

 名案を思いついたとばかりににやりと笑みを浮かべた。


「じゃ、あたしが暖めてあげる」

「え?」


 陽川さんは布団を持ち上げると、ベッドに身体を潜り込ませる。気づいた時にはすぐ傍に身を寄せてきていた。

 そしてぎゅっと抱きしめてくる。


 ――はい!?


「どう? あったかい……?」

「いや、暖かいのは暖かいけども。そんなに密着したら風邪移るんじゃ……」

「へーきへーき。あたし、風邪とか引かないから。ほら、言うんでしょ? バカと何とかは風邪引かないって。それ」


 と笑う陽川さん。

 それはバカの方を伏せないとダメなのでは?


「というか、俺、寝汗掻いてるし」

「ほんとだ。相地くんから風邪の時の匂いがする……♪」


 陽川さんは俺の首筋に顔を埋めると愉しそうに呟いた。

 全然嫌そうじゃない。

 むしろ嬉しそうですらあった。

 というか、めちゃくちゃ良い匂いがする。


 制服越しではあるが、互いの身体が触れあって気持ちがいい。風邪を引いてるわけでもないのに陽川さんの身体は熱の塊みたいに熱い。

 抱きしめられていると帯びていた寒気が次第に引いていく。

 それを感じ取ったのだろう。

 陽川さんは俺に向かって笑みと共に囁いてきた。


「もうしばらくこうしててあげるね……♪」


 結局、バイトに行くまでの間、互いに抱擁しあっていた。

 月宮さんと鉢合わせしなくて本当に良かった。

 こんな姿を見られたら修羅場確定だ。


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