第42話 決着

 俺が叫び声を上げると、月宮さんの動きが停止した。


 寸前のところで間に合った――。


 街外れにある廃病院、その一階にある拓けたロビー。

 床に座り込む花園さんの目の前に立っていた月宮さんは、動きを止めると、ゆっくりと俺の方に視線を動かした。


「相地くん……? どうしてここに?」

「薄木さんに事情を聞いたんだ。月宮さんが俺に嘘をついて、その陰で一人で花園さんを対処しようとしてるつて」

「言わないでって口止めしてたのに」


 月宮さんは困ったように呟いた。


「私たちの場所は? よく廃病院にいるって分かったね」

「それは陽川さんの力を借りた。陽川さんは顔が広いから、商店街とか街の人に聞き込みをして二人の行方を突き止めた」


 特に花園さんは変わった服装をしているから目撃情報も多かった。最終的にこの廃病院に向かったことが分かった。

 俺は床にへたり込む花園さんを見やる。

 薄木さんの言っていたことは正しかった。

 花園さんは月宮さんが化けていた存在じゃない。

 彼女はちゃんと実在した。


「聞いたよ。俺のために花園さんに変装してたって言ってくれてたって」

「…………」

「月宮さん。もういいんだ。それ以上何もしなくていい」

「でも、このままだと相地くんは花園さんの不安に怯え続けないといけない。ずっと過去の影に怯えて生きることになる」

「かもな。だけどそのために月宮さんが手を汚したら意味がない。花園さんを手に掛けたら人生が滅茶苦茶になる」

「心配しないで。私は相地くんが幸せになってくれさえすればそれでいいの。だから私のことは何も気にしなくていいんだよ」

「そんなの……気にするに決まってるだろ」

「大丈夫。もちろん私が独断で行ったことだから、相地くんに迷惑はかけない。罪悪感を抱く必要も全くないし――」

「違う! そうじゃないだろ!」


 気づけば俺は大声を張り上げていた。


「月宮さんは自分の人生がどうなろうと構わないのかもしれないけどな! 俺は月宮さんの人生が滅茶苦茶になるのは嫌なんだよ!」

「……どうして?」

「……どうしてって」

「……相地くんは私のこと、怖いと思ってるんでしょう?」

「それは」


 繕いの言葉を口にしようとして、押し留める。

 そんなものに意味はない。

 嘘偽りのない自分の気持ちを伝えないと。


「……そうだな、怖いよ。

 影山さんや藤沢先生を影で手に掛けていたことも、俺の部屋に勝手に侵入して盗聴器を仕掛けてたことも。

 録音した音声を編集して、スマホに入れてイヤホンで聴いてるのも怖い。その再生回数が一万回を超えてたのも普通に引いた」


 月宮さんの俺に対する執着は常軌を逸している。

 花園さんと同じくらい、いや、遙かにそれを上回るかもしれない。


「だったら――」

「だけど! 俺のことを看病してくれたり、不安な時に傍にいてくれたり、俺は月宮さんの優しさにもたくさん触れてきたから。

 怖くは思っても、理解できなくても、憎むことも嫌うこともできない。人生が滅茶苦茶になるのも見過ごせない」


 大きく息を吸う。

 月宮さんに俺の想いを伝えるために。


「月宮さんが俺の幸せを願ってくれてるのと同じように、俺も月宮さんが幸せになることを心から願ってる。

 だから、こんなことはもう止めてくれ。俺のためだとしても、誰かを傷つけたり、自分のことをないがしろにするのは」


 俺のことだけを考えるんじゃなくて。

 自分のことをもっと大切にして欲しい。

 それが俺の気持ちだった。


「……そっか」


 長い間の後、月宮さんはふっと息をついた。


「……私は相地くんに幸せになって欲しいから。相地くんが嫌だって言うなら、私は花園さんに手を出すのをやめないといけないね」


 手のひらからカッターナイフが地面に滑り落ちる。

 かつん、と甲高い音が鳴る。

 その瞬間、月宮さんからは戦意が抜け落ちていた。


 俺は花園さんの下に駆け寄る。

 床にへたり込んでいた花園さんは、俺が近づいてくるのを見ると力なく顔を上げた。


「……久しぶり、花園さん。怪我はないか?」

「……相地くん」

「……俺をまだ恨んでいて、この街まで来たんだよな。だとしても、怖い思いをさせた」

「……違うんです」


 花園さんは首を横に振った。


「……あの人に挑発されて結果的にはこうなっちゃいましたけど、私、本当はそんなことをしにきたんじゃないんです」

「……え? じゃあ、いったい何をしに」

「私……相地くんに一言謝りたかったんです。私のせいで傷つけてしまってごめんなさいって。相地くんに怖い思いをさせてごめんなさいって。

 ただ、それだけだったんです」


 そこまで話すと、花園さんは自嘲的な笑みを浮かべた。


「……でも、相地くんからすると、私なんかに会いたくないですよね。昔のことを忘れるために引っ越したのに。嫌な記憶を呼び起こすだけになってしまいますよね」

「花園さん……」

 

 俺はてっきり、復讐を果たしに来たのだと思っていた。

 でも違った。

 花園さんは過去の過ちを反省し、謝ろうと足を運んできた。

 俺は勝手に勘違いして、怯えていただけだった。

 花園さんが俺に自分の理想を押しつけて破綻したように、俺も花園さんのことを勝手に決めつけてしまっていた。

 

 そして、花園さんに敵意がないと分かった今。

 俺は胸に秘めていた想いを素直に打ち明けることができた。


「……あのさ、俺もずっと謝りたかったんだ。俺なんかを好きになったせいで、花園さんの人生を狂わせてしまったから」


 腹を刺されたあの日から、負い目に感じていた。

 俺を好きにならなければ、花園さんは普通に過ごせていたんじゃないかって。

 平穏な高校生活を送れていたんじゃないかって。

 俺と出会ってしまったことで、花園さんは不幸になったんじゃないか。俺が花園さんの人生を壊してしまったんじゃないか。


「だから、その、ごめん。許してもらえるとは思ってないけど」


 俺が俯きながら、そう呟いた時だった。


「……謝らないでください」


 頬に手のひらを添えられた。

 顔を上げると、穏やかな表情の花園さんが見つめていた。


「……私は、相地くんを好きになったことを後悔してません。

 最終的にはあんなことになってしまいましたけど、相地くんを愛していた時間は、私にとってかけがえのないものでした。

 生きていて良かった、生まれてきて良かった、そう思わせてくれるような、とても甘美で幸せな時間でした」


 そう語る花園さんは、真っ直ぐに俺を見ていた。


 自分にとって都合のいい俺の偶像じゃなく。

 確かに俺たちの過ごした過去の時間を、そして目の前の俺を見据えていた。


 だから、と花園さんは微笑んだ。


「……ありがとうございました、相地くん。今までずっと」


 そして、さようなら。


 そう呟いて、憑き物が落ちたような花園さんの表情を見た瞬間――。

 俺の中の膿んでいた過去の思い出が昇華されていくのを感じた。


 ああ、そうだ。

 結末こそ悲劇的だったけれど、花園さんと最初に出会って仲良くなるまでの間、俺の毎日も確かに鮮やかに色づいていた。

 

 楽しくて、幸せな日々だった。

 久しぶりにその時の気持ちを思い出した。

 

 そして思った。

 もうきっと、俺が悪夢を見ることはないだろう。


――――――――――――――――――――――――――――


次回で一区切りとなります!

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