第29話 なんで?
私――月宮詩歌の人生は相地くんと出会ったことで始まった。
これまでもそれなりに充実はしていた。
でも、彼と出会ってからは一変した。愛を知ったことで、世界が色づき始めた。
自分の命よりも大切な、生涯を通して奉仕したい相手がいる。そのことがこんなに幸せなことだったなんて知らなかった。
朝。通学路を歩く私の足取りは軽い。
通学鞄の中には相地くんの分のお弁当が入っている。
早起きして作ったものだ。
昨日も遅くまで録音した相地くんの音声を編集していたから、ほとんど寝ていない。
けれど、全く辛くなんてない。むしろ幸せだった。
私が愛情を込めて作ったものを、相地くんが美味しそうに食べてくれる。
私の愛が料理を通して彼の中に流れ込み、溶け合い、血肉となる。そのことを想像するだけで愛おしさが溢れて止まらない。
早く、早く相地くんに会いたい。
顔を見たい。声を聞きたい。言葉を交わしたい。私が丹精を込めて作り上げた愛妻弁当を食べて喜んでいる姿を見たい。
一日中、起きてから眠るまでずっと、私は相地くんを想っている。
けれど、必ずしも結ばれたいとは想わない。
意外に思われるかもしれない。
私が何よりも願うのは、相地くんの幸せだ。
相地くんが幸せであれば、私の気持ちなんてどうでもいい。
他の女の子と結ばれても別に構わないと思っている。
ただ、現状、相地くんをもっとも幸せにすることができるのは私だから、私は相地くんの彼女の座に就こうとしている。
それだけの話だ。
逆に言えば、相地くんの幸せを阻む子が彼と結ばれようと企てているのなら、私はそれを阻止しないといけない。
どんな手段を使ってでも。
たとえ、相手が親友であっても。
そうすることで関係性が壊れたとしても。
私にはその覚悟があった。
きっとその日はそう遠くないうちに訪れる。
相地くんのアパートが見えてくる。
私は階段を上ると、廊下の突き当たりの部屋の前で立ち止まる。
そしてインターホンを鳴らした。
反応がない。
何度か鳴らしてみるけれど、やっぱり反応がなかった。
……どうしたんだろう?
また前みたいに音量を絞っていて、聞こえていないのだろうか?
それとも……。
万が一の想像が頭を過った私は、ドアノブを捻る。当然施錠されていた。
……仕方ないよね。
私は制服のポケットから合鍵を取り出す。
元々彼が持っていた合鍵を複製したものだ。それを鍵穴に差し込んだ。
☆
あたし――陽川比奈は朝からやきもきしていた。
「返事来ないなあ……」
蜂蜜を塗った食パンを咥えつつ、眺めているのは手元のスマホ。
そこに表示されてるのはルインの画面。
あたしと相地くんのトークルームで、あたしの
『おはよ☆ 今日もがんばろーね♪』
というメッセージが既読のまま放置されてる。
いつもならとっくに返信が来てるはずの時間。
なのに今日は音沙汰ナシ。
「ん~~? どうしたんだろ……?」
未読ならまだ起きてないのかなって思える。
でも既読。
あえて一回見た上で、返信しないでいる。
……なんで?
時間が経つごとに不安が込み上げてくる。
もしかしてあたし、嫌われちゃってる?
相地くんにとうとう愛想を尽かされちゃった?
いやいや、それはないでしょ。考えすぎだって。……ないよね?
気づけば追いメッセージを打っていた。
『あたし、何か怒らせることしちゃった?』
「ぐあ~~~~! やっちゃったあああ!」
打った後に後悔した。
これは重い! 重い女のムーブだ!
こんなのむしろ相地くんの呆れを加速させちゃうだけの結果に終わるでしょ!
もう一回『うそうそ笑 冗談だから』と追いメッセージを打ってみる? いやそれ逆に意識してる感が出てヤバくない?
あたしが頭を抱えていると、ママに「食べる時くらい、スマホやめなさい」とお叱りのお言葉をいただいてしまった。
うちではママが絶対権力者なので、素直に従う。
大好きな蜂蜜を塗った食パンをかじっても、気になりすぎて何の味もしない。頭の中は相地くんのことでいっぱいになっていた。
結局、家を出るまで返信はこなかった。
おかげで登校中は上の空、もしかして本当に愛想を尽かされたのかもって、不安が風船みたいにぱんぱんに膨れ上がっていた。
途中、クラスの子と会っていっしょに登校することになったけど、向こうが何話してても全然頭に入ってこなかった。ほんと申し訳ない。
そうしているうちに学校に辿り着いた。
うう……ゆーうつ。
あたしは意を決して教室に入ると、自分の席につく。
隣の席に相地くんの姿はない。
……相地くんが来たら、なんで返信しなかったのか訊いてみる? でも、それで重い女と思われるのもなあ~。
悶々としているうちに始業のチャイムが鳴った。
「――え?」
隣の席には、相変わらず相地くんの姿はない。
もしかして今日、来てない?
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