第21話 第三の刺客

 図書委員の私――薄木小夜子にとってのこれまでのもっとも至福の時間は、大好きな本の世界に没頭することでした。

 

 現実世界では地味で根暗でぱっとしない冴えない私。

 でも空想の世界では何にでもなれるし、どこにだっていけます。

 ファンタジー世界で冒険をする勇者にも、迷宮事件を解決する名探偵にも、子と旦那を裏切って不貞行為を働いてしまう人妻にだって。

 登場人物たちの心に寄り添い、知らない人生を追体験する。

 それに勝る喜びはありません。


 だけど最近になって、もっと至福の時間ができました。

 読んだ大好きな本の感想を、大好きな人と語り合うことです。

 彼――相地くんと話すようになったのは図書室でした。

 私の選書した本を借りて、感想を伝えてくれたのです。


『この本、薄木さんが選書したんだよな? 凄く面白かった』


 とてもびっくりしました。

 私の選書した本は特設コーナーに置いてあったのですが、これまで借りていってくれる人なんてほとんどいませんでした。

 それを読んだ上に、面白かったと感想まで伝えてくれたのです。


 私は舞い上がってしまい、相地くんに作品の良さを熱弁してしまいました。話し終えた後にはっと我に返り、死にたくなりました。

 身の程も弁えずにはしゃいで、絶対ドン引きされてしまった……。

 でも相地くんは引いたりせずに、


『薄木さんは本当に本が大好きなんだな。勧めてる他の作品も読んでみたくなったよ』と笑顔で言ってくれました。


 それから私たちは本を介してやり取りをするようになりました。

 普段、相地くんと教室で話すことはほとんどありません。

 相地くんは中心にいる人ではないけど、月宮さんや陽川さん、クラスの華やかな人たちとも関わりがあるような人です。

 底辺の私ではとても声をかけられません。

 図書室だけが声を掛けられる場所です。

 そこには教室にあるようなカーストはなくて、他に人もいなくて、だから私と相地くんはただの本好きとして話ができます。


 気づけば私は教室で相地くんを目で追うようになりました。

 最初に目で追うようになり、次に耳で追うようになり、いつの間にやら実際に後を追うようになっていました。

 ストーキングです。

 彼のことを少しでも知りたかった。空想にばかり現を抜かす私が、実在の人物に執着を抱くのはこれが初めてのことでした。

 私は尋常じゃなく影が薄いので、バレることはありませんでした。


 ちなみに。

 私は相地くんのことが好きですが、お付き合いがしたいだとか、そんな大それたことはまるで考えてはいません。

 ただ好きな人のことを知りたい、遠くから見守りたい。

 それだけです。


 でも最近話が変わってきました。

 月宮さんのことです。

 クラスで一、二を争うほど華やかな女子であらせられる月宮さんは、どうやら相地くんに気があるように見受けられました。

 それ自体に特筆すべき点はありません。

 お二人が付き合うことになったら少し寂しくはありますが、相地くんが幸せになれるのなら私は影ながら祝福します。


 けれども。

 月宮さんには裏の顔がありました。


 あれはとある日の放課後のことでした。

 図書委員として図書室の受付の役目を終えた私は、借りた本をどこで読もうかと校舎を彷徨い歩いていました。

 普段なら図書室で読むところですが、その日はたまたま、気分転換にどこか違う場所で読書を楽しみたいと思ったのです。

 そして辿り着いたのが東校舎でした。


 東校舎には空き教室が多くあり、私はそのうちの一つを読書場に選びました。

 引き戸を開ける寸前、厭な予感が全身を這いずり回りました。

 今思い返せば、あれは私の生物として本能が警鐘を鳴らしていたのでしょう。

 でもその時の私は見て見ぬ振りをしました。

 まさかこんな時間に、空き教室に誰もいないだろうと。


 空き教室には人がいました。

 教室の中央には椅子が一つ置いてあって、そこに男性が座っていました。

 椅子の後ろに両腕を縛られた彼は、猿ぐつわを噛まされています。


 ――ほええ!? 藤沢先生!?


 いきなり飛び込んできた衝撃的な絵面に、思わず絶句してしまいました。


 ええっ!? ななな、なんで!? 


 椅子に座った先生の前には、制服姿の女子生徒が立っていました。神の最高傑作のような端正な顔立ちには見覚えがありました。

 月宮さんでした。

 一瞬、私はお二人が倒錯的なプレイを愉しんでいたのかなと思いました。

 が、どうもそうではなさそうです。

 なぜなら藤沢先生の顔は恐怖に引きつっていて、とても友好的な雰囲気ではなく、二人の間には緊張した空気が流れていたからです。


 私はふとそこで思い出しました。

 今日の日中、月宮さんは相地くんを笑いものにしていた数学の藤沢先生に対して、憤りの念を抱いているようでした。

 抗議をしてくると言っていたのを覚えています。


 もしかして、これが――?


 にしても、抗議というよりは拷問といった様相です。

 それに月宮さんの雰囲気……。

 普段、教室で見せている明るくて温和なものとは打って代わり、冴え冴えとした三日月のような冷たい鋭さを発しています。


 見つかってはいけない……。

 私は開けた扉の隙間を、こっそりと閉じようとしました。

 私はこれまで相地くんへのストーキングを重ねてきましたが、生来の影の薄さのおかげでただの一度もバレたことはありません。

 気配を消し、誰にも気づかれないことに対する自信がありました。

 だからきっと今回も大丈夫だと思いました。


 けれど、次の瞬間。

 月宮さんの眼が、私を真っ直ぐに見据えていました。

 月宮さんは私の気配を正確に捉えていたのです。

 私を見つめる月宮さんは、うっすらと微笑みを浮かべました。

 まるで獲物を見つけたというように。


「ほぎゃああああああ!?」


 私は悲鳴を上げると踵を返して逃げ出しました。

 普段の運動不足が嘘のように速度が出て、火事場の馬鹿力というのはこういうものなのかと自分自身でも驚くほどの速さでした。


 走って、走って、走りまくりました。


 校舎を出た後で、ぜーはーぜーはーと息を荒げながら振り返ると、どうやら月宮さんが追ってきている様子はありません。

 助かりました。

 捕まっていたら今頃は大変なことになっていたでしょう。


 家に帰った後、私はあの時の光景は夢ではないかと思いました。

 でも翌日以降、藤沢先生は休職されることになりました。

 思い出すのはあの日の光景です。

 見たところ外傷はありませんでした――が、恐怖に歪んだ顔が、与えられた精神的な傷の深さを物語っていました。

 月宮さんはいったい何をしたのでしょうか。

 その後、月宮さんは私に接触してくることはありませんでした。いつでも始末できるから敢えて泳がせているのでしょうか?


 ともあれ。

 私は月宮さんの裏の顔を知ってしまいました。

 月宮さんが相地くんを好いているのなら、彼女の毒牙がいつの日か相地くんの身に降りかかることにもなりかねません。


 私は相地くんのことが好きです。

 彼に危険が降りかかろうとしているのなら、放ってはおけません。


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