第2話 幸せな日々
俺が【魔法少女】になってしまう、その1時間ほど前。
時刻は午前3時を回り、俺の戦場である酒場『
ラストオーダーから閉店までの間に厨房の片付けがきっちり済んでいると、気持ちも晴れやかになる。別に何かと戦っているわけじゃないが、『勝った』という気分だ。
ピカピカに輝く皿の山を見下ろし、ささやかな達成感に浸っていると、最近入ったばかりのウェイトレス──名前はシェリィという──が、普段は愛嬌のある丸顔を悲しげに歪めてやってきた。
「あの、店長……すみません。一組だけ残ってるテーブル席のお客さんが、『酒を出せ』って騒いでるんですけど……」
おそるおそる、といった様子で声をかけてくるシェリィに、俺は小さく首をひねった。
「もうラストオーダーの時間は過ぎただろ?」
「はい。ちゃんとラストオーダーも取りに行きましたし、説明もしたんですが、聞き入れてもらえなくて。冒険者のお客さんみたいで、逆らうと逆上されそうで……」
なるほど、それでわざわざ厨房まで俺を頼りに来たのか。
冒険者の一団が相手なら、まだ新人のシェリィが萎縮するのも仕方ない。
「わかった、俺が応対するよ。シェリィはホールの片付けをよろしく」
シェリィの脇をすり抜け、厨房からホールに出る。
残っている客は一組だけ。いかにも荒くれ者という感じの男たちがテーブル席を囲んで、空のジョッキをもてあそんでいる。
まだ洗い残しの食器があったか……軽くガッカリしながらも営業スマイルでごまかし、男たちに声をかける。
「店長のブロスと申します。恐れ入りますが、お客様がた。当店は既に閉店時刻でして……」
「あぁん? うるせえ、つべこべ抜かすな! 俺らは毎日命がけで戦ってて、酒が何よりの癒しなんだよ。いいから酒持ってこい!」
「……お気持ちはわかります。私も、昔は冒険者でしたから」
俺が理解を示すと、男たちは意外そうに目を丸くした。
「おっさん、マジで?」
「ええ。才能がなかったので、もう10年も前に引退しましたけどね。スリリングな依頼を終えて飲む祝い酒は、格別に旨かったのを覚えていますよ」
当時のことを思い出し、懐かしさにとらわれながら答える。
「ただ、当店にも営業上の都合がありまして……ここは先輩の顔を立てると思って、今日のところはお引き取り願えませんか?」
「……なんか覚めちまったな。おい、出ようぜ」
男たちのひとりがそう言うと、他の面々も頷いて席を立つ。
テーブルに置かれた代金を数えていると、男たちの囁きあう声が聞こえた。
「さっさとリタイアした半端者がよ。何が先輩だっつーの」
「こんな安酒場で、若い客相手にもペコペコ頭下げるのが冒険者の末路ってか? やだやだ。ああはなりたくねえな……」
好き勝手なことを言って、男たちはぞろぞろと店を出ていった。
さほど揉めずに帰ってもらえたことに安堵していると、シェリィが駆け寄ってくる。
「店長、ありがとうございます! ……店長も冒険者だったんですね。どうりで結構がっしりした体つきだと思いました!」
「はは……昔の話だよ」
……そう答えた俺の胸には、虚しさがこみ上げてきていた。
神話に出てくるような英雄に憧れ、己を鍛えて未知の秘境やダンジョンに挑んだ日々が脳裏に蘇る。
だが幾度となく死の危険を味わい、自分がただの凡人に過ぎないことを思い知らされた俺は、結局、夢に背を向けてしまった。
今では町での安定した暮らしを得て、充分に幸せだと言えるはずだが、それでも……他の冒険者を見ていると、うらやむ気持ちは捨てられない。
「……シェリィ、もう上がりだろ? あのお客さんのテーブルは俺が片づけておくから、帰っていいよ。今日もお疲れさま」
「は、はい! お先に失礼します、店長!」
異様にかしこまった様子で、シェリィは深々と一礼すると、更衣室の方へ歩いていった。
俺は空ジョッキをまとめて厨房へ運び、それらをまたひとつひとつ洗っていく。
「ブロスくん。ちょっといいかな」
今度こそ洗い物を終えたというタイミングで、しわがれた男性の声に呼ばれ、俺は振り向いた。
そこに立っていたのは、この酒場『
歳は確か70歳くらい。立派にたくわえたヒゲと、いつも浮かべている柔和な笑みが印象的な、好々爺という言葉がふさわしい人だ。
「オーナー。珍しいですね、こんな時間に」
「少し前に目が覚めてね。今そこでシェリィくんとすれ違ったんだが、ブロスくんに感謝していたよ。立派な店長だと言っていた」
「いえ……俺なんて、まだまだですよ」
本心からそう答えたが、オーナーは謙遜と受け取ったのか、満足そうな笑みを浮かべた。
「君はよくやっとるよ。うちで働き始めてもう10年になるか……その間、着実に成長してくれた。仲間の面倒見もいいし、真面目でしっかりしとる」
「……ありがとうございます。オーナーにそう言ってもらえると、自信が持てますよ」
率直な褒め言葉に、少し照れくさいものを感じながらも頷き返す。
すると、オーナーは何かに思いを馳せるように、遠い目をした。
「なあ、ブロスくん……この『
「……えっ?」
「わしもいい歳だ。女房には先立たれ、徴兵された息子も魔族との戦いで死んだ。もしもわしに万一のことがあったら、この店を託せるのは君をおいて他にはおらん」
「そんな……縁起でもない。オーナーはまだまだお元気でしょう」
「いいや、老い先短い命じゃ。いつ何があるかもわからん。もし君がその気なら、オーナーにするための手続きを始めてもいいと思っとる。真剣に考えておいてくれぬか」
「……わ、わかりました……」
突然のことで驚いたが、オーナーからの頼みとあっては、こちらも真面目にならざるを得ない。
困惑しつつも、俺はただ頷き返したのだった。
退勤した俺は、まだ夜明け前の静かな町を歩きながら、オーナーの提案について考えていた。
交通の要衝にあってそれなりに栄えているこの町の中でも、『
そこのオーナーにしてもらえるのなら、俺はもう一生、食いっぱぐれることはないだろう。
答えなど考えるまでもない……はずだ。
「……はあ」
そのはずなのに、俺は気が重くてたまらなかった。
オーナーになるということは、雇われ店長だった今までの身分とはまるで違う。あの店の全てを、自分が背負って立つということだ。
まだ冒険者への未練を捨てきれていない半端者の俺が、そんな重要な役割を任されていいんだろうか……?
自問自答しながら、自宅へ続く曲がり角を曲がった──その時だった。
「あ〜〜っ!! みみ、み、見つけたポン!!」
突然、素っ頓狂な声がすぐ足元から聞こえてきた。
見れば、猫ともウサギともつかないふわふわの動物……らしきものが、俺を見上げて懸命に背伸びしている。
「な、なんだ? 喋る動物……? まさか、魔族か!?」
魔物の中でも、言語を解するほど高度な知性を持つ存在は『魔族』と呼ばれ、その狡猾さゆえ、魔物以上の脅威とみなされている。
俺が反射的に身構えると、謎の生き物は慌てたように短い前足をバタバタと振った。
「ボクは敵じゃないポン! そんなことより、キミ! 魔法少女になってくれないポン!?」
「……はあ!?」
何を言っているのかさっぱりわからない。
困惑する俺に、謎の生き物はお構いなしといった様子でまくし立ててくる。
「お願いポン! キミしかいないんだポン! キミほどのソウルの持ち主は初めて見たポン、きっとすごい魔法少女に──あっ、ちょっと待つポン!?」
俺は謎の生き物の脇をすり抜けて、自宅まで猛ダッシュした。
襲ってこないところを見るに魔族ではないのかもしれないが、何にせよ関わり合いになりたくなかったのだ。
大急ぎで家の前まで走ってくると、鍵を開け、玄関に入ってすぐにドアを閉める──。
「──ぶぎゃ!?」
そのドアに、俺を追ってきた謎の生き物が思いっきり体を挟まれた。
「うわああっ!? お、おい、何やってんだ馬鹿!」
俺が驚いてドアを開けると、謎の生き物はよろめきながら玄関に滑り込んできた。
なんて執念だ。
「はあ、はあ……お、追いつけてよかったポン……」
「……な、何なんだよ、お前。いったい何が目的なんだ?」
そのガッツに半ば感心を覚えている俺を見上げ、謎の生き物はハッキリと答えた。
「お願いだポン! 魔法少女になって、この世界を侵略する魔神と戦ってほしいポン!」
──そうして、俺は魔法少女へと変身を遂げることになる。
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