第25話 黙って抱いてよ
俺の悪い予感は的中し、ミルエッタは絡み酒を始めていた。わりとタチの悪いやつを。
「……だからぁ、ブロスは自己評価が低すぎんのよ。そりゃ、冒険者時代のことは私にも責任あるから強くは言えないけどさぁ……『自分なんかがモテるはずない』って思ってるから、せっかく他人にアプローチされても見逃してんの。わかる?」
「はあ」
つまみのチーズをぱくつきながらジト目で叱ってくるミルエッタに、俺は生返事を返すことしかできない。
何なんだこの時間は。
そんな俺の態度が気に食わなかったのか、ミルエッタはギロリと睨みつけてきた。
「ぜーんぜんわかってない! 今日の昼間だって、ずーっと一歩引いてるしさ……何よ。昔の仲間ってだけで、私があなたと何時間も一緒にいたがると思ってんの? バカ。にぶちん」
「……もういいだろ、俺のことは。そろそろそっちの話を聞かせてくれよ。恋愛の話、したいんだろ?」
バカ呼ばわりされてさすがにカチンときた俺は、溜息交じりに、話題の変更を促した。
こういう酔っ払いには、自分の話をさせて気持ちよくなってもらうに限る。
「あ? 私の話? ないわよ、そんなの」
「えっ?」
思わぬ言葉に俺が聞き返すと、ミルエッタは突然涙ぐんだ。
「だってさぁ……ぐすっ。初恋の人を、自分のせいで死なせたと思ってたのに……のんきに他の誰かと恋する気なんて起きないわよぉ……」
「……は、初恋? って……まさか、俺のこと……?」
「他に誰がいるのよ!? 初恋だし、今のところ最後の恋よ!」
「最後!? いや、だってさっき『今は』相手がいないみたいなこと言ってただろ……」
「見栄張っただけよ! なんなの、悪い!?」
「悪くはねえけど……いや、騒ぐなよ。お店に迷惑だろっ」
俺がマスターの方を横目で見ながら言うと、マスターはなぜかホクホクの笑顔を浮かべながら、緩く首を横に振った。
「私のことはお気になさらず。いやぁ、お客さん同士のこういうのが見たくてバーをやってますから……ささ、どうぞ痴話喧嘩を続けてください」
「痴話喧嘩じゃないですけど!?」
「ブロス、人が話してんだからちゃんと聞きなさいよぉ!」
腕をべしべし叩かれ、俺は仕方なくミルエッタの方に向き直った。
ミルエッタは3杯目のエールをがぶ飲みして、赤らんだ顔でこちらを睨む。
「ぷはぁ。……だからさぁ、恋愛とか浮いた話とか全然ないし……そうこうしてるうちに、もう26よ? 世間じゃ売れ残りとか言われる歳よ?」
「お前は立派に働いてるんだから、そんなの気にしなくていいだろ。それに、今からでも恋愛したけりゃ充分間に合う歳だ。ミルエッタは魅力的な女性になったし、その気になれば相手くらいすぐ見つかるさ」
「うわ出た、無責任な励まし。別に気休めの共感なんて求めてないのよ。……そんなこと言うんだったら、証明してみせて」
「……え? 証明って……」
「抱けって言ってんのよ!! あんたが本気で私を魅力的だと思ってるなら、できるでしょ!?」
威嚇する猫のような剣幕で怒鳴り立てられ、俺はたじろいだ。
こいつ、なんてことを言いやがる。
「お、お前な。酒の勢いでそんなの、よくないだろ……っ」
諫める俺の胸に、どん、とミルエッタが頭突きするように額をぶつけてきた。
そのままの体勢で、ぽつりと呟く。
「……いいから、黙って抱いてよ」
「いや……よくねえって」
「だってさ……これから私、死ぬかもしれないって戦いに行くんだよ? その前日に、10年間ずっと謝りたかった初恋の人が、目の前に現れるなんて……こんなの、運命だと思うじゃない。酒の勢いなんかで言ってないわよ」
「……ミルエッタ」
そうだ。グレア王国に渡った後は、何が待ち受けているかわからない。
俺がミルエッタの前に再び本来の姿を現してしまったのは、単なる偶然とアクシデントによるものだが、彼女にとっては大きな救いだったのだろう。
なら、その想いを最後まで遂げさせてやりたいと思う。
いや――俺自身の意思で、応えたいと思った。
「……あなたの気持ちが私に向いてなくても構わない。乱暴にしてもいいから……だから……」
「もう言うな。……わかったから」
「わかってない! だって、私はあなたのことだけをずっと……!」
俺は唇の前で人差し指を立てて、ミルエッタに黙るようジェスチャーすると、横目でマスターの方を一瞥した。
「その先は、他の誰にも聞かれないところで独り占めさせてくれ。……マスター、お代置いとくよ」
俺は迷惑料を込めて多めに、銀貨をカウンターに置いて立ち上がった。
きょとんとしているミルエッタの腕を引き、笑顔のマスターに見送られて店を出る。
「ちょ、ちょっとぉ……どこ行くのよ?」
「ふたりっきりで、お前を抱ける場所」
気恥ずかしさを隠すように、ぶっきらぼうに答えてやった。
ミルエッタは湯気が出そうなほど顔を真っ赤にすると、遠慮がちにこちらの袖を引く。
「……宿があるのは逆方向よ。バカ」
「悪い、王都は初めてだから。……やっぱ恰好つかねえな、俺は」
「いいの。私の方こそ……色々遠慮なく言っちゃって、ごめんなさい」
外の冷たい空気で頭が冷えてきたのか、店にいた時より数段落ち着いた様子で、ミルエッタが小さく頭を下げる。
そんなことは気にしていないと伝える代わりに、そっと彼女の頭を撫でてやりながら、俺は大事なことを伝えねばならないと思い至った。
「……今更こんなこと言ったら、都合がいいと思われるかもしれないが……」
「なによ?」
「……俺も、ミルエッタのことが好きだよ。お前が俺を憎んでたわけじゃないってわかって本当に嬉しかったし、その……すごく綺麗になってて、ドキドキした」
包み隠さず、思ったままの気持ちを伝える。
ミルエッタは一瞬驚きに見開いた目を、すぐに涙で潤ませると、その顔を隠すようにこちらの腕に抱きついてきた。
「……ほんと、さぁ。ずるいよ、ブロス」
「えっ?」
「私、寝かせてあげないからね。……朝に目覚めて、あなたが夢や幻みたいに消えてたらイヤだもん。あなたが確かにここにいるって証、私の体じゅうに刻み込んでくれるまで……離さないから」
……緊張に震える声で囁いて、ぎゅっ、とミルエッタは俺の腕にいっそう強く抱きついてくる。
自分のものとは違うリズムで高鳴る鼓動。
その存在をしっかりと感じながら、俺はミルエッタと共に歩き出した。
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