第26話 必ず帰るから

 ……朝の陽射しを感じて、俺は先に目が覚めた。

 自分以外の、誰かの寝息と温もりを素肌で感じながら目覚めたのは初めてのことだ。

 俺の胸に頬を寄せ、無防備に眠っているミルエッタの髪を撫でながら、未経験の感傷に浸る。


「……んっ……ブロ、ス……?」


 長いまつを動かして、ミルエッタがゆっくりと目を開けた。

 視線を上下させ、裸で抱き合ったまま毛布にくるまっている互いの姿を見てから、ぼっと茹で上がったように顔を真っ赤にする。


「あ……え、ええっと……お……おはよう」


「……ああ。おはよう、ミルエッタ」


 彼女ほどではないが、俺も気恥ずかしさを覚えてぎこちなく挨拶を返した。

 こんな時は、どういう言葉をかけるのが正解なんだろう……俺には見当がつかない。

 とはいえ、ずっと何も言わずにいるわけにもいかず、長い沈黙を破って俺の方から口を開いた。


「その……俺も、今起きたところなんだ。よく眠れたか?」


「え、ええ。私、いつの間に寝ちゃってたのかな……最後の方なんて記憶があやふやで、よく覚えてないんだけど……」


 そう言われると、俺もハッキリとは思い出せない。何しろ夢中だったのだ。

 だが、ちゃんと確認しておかねばならないこともある。


「えっと……痛く、ないか? 今日、出発かもしれないのに……無理させてごめんな」


「……平気よ。ブロスが優しくしてくれたおかげで、すぐ慣れたし……」


「本当か? けっこう血も出てたし、気を遣って言ってるんじゃ……」


 俺が念を押すように訊くと、ミルエッタは耳まで赤くして睨んできた。


「ただ痛いだけの行為なら、私から3回も求めないわよ。……これで満足?」


「……すみませんでした」


 俺は念を押したことを後悔して、目をそらした。

 ミルエッタは呆れたような小さい溜息を挟み、再びこちらの胸に頬を寄せてくる。


「私ね……死んでもいいって思ってたの。昨日までは」


「えっ……?」


「エルドラさんと一緒に、グレア王国に渡れって言われた時……そこで、正体のわからない強大な敵と戦って死ぬことになっても、それはあなたを死なせた罰なんだろうって。当然の因果応報なんだって……そう思ってた。でも今はもうそんなこと、全然考えられない」


 ミルエッタは顔を上げて、こちらを見た。

 穏やかで力強い微笑みだ。


「だって――またあなたに会いたいから。一緒に遊んで、おいしいもの食べて、楽しい話をして……したいこと、まだまだたくさんあるもの。絶対に死ねなくなったわ」


 そう言って、ミルエッタは俺の唇に自身のそれを重ねた。

 しっとりと柔らかく吸いつくような感触を残して、静かに離れていく。

 その唇が笑みの形を作るのを見て、ミルエッタの決意を感じた。


「必ず帰るから。待っててね、ブロス」


「ミルエッタ……なあ。俺、ミルエッタに隠してることが……」


 ここまで自分をさらけ出してくれたミルエッタに、隠し事をしたままではいたくなかった。

 自分とエルドラが同一人物であることを打ち明けようとする――が、その口をなぜかミルエッタの人差し指が押さえつけてきた。


「ブロスが何か隠し事をしてるのには気づいてたわよ。でもあなたのことだから、何か必要があって隠してるんでしょ? そういうのはね、言わなくていいの」


「いや……でも……」


「私だって王宮に出入りしてるんだから、人に言えない秘密なんてたくさんあるし。これから命がけの戦いに出ようって人に、これ以上秘密を背負い込ませないでよ。どうしてもっていうなら、帰ってからにして。いいでしょ?」


 冗談めかしてミルエッタが突っぱね続けると、俺にはもうそれ以上何も言えなかった。


「……わかったよ。じゃあ、打ち明けたいから無事に帰ってこいよな」


「うん。言われなくても」


 即答して、ミルエッタはまた唇を重ねてきた。

 今度は俺も、彼女を抱きしめながらキスに応える。

 永遠にも思えるくらい長い時間、俺とミルエッタはそうしていた。




 宿を出て、王都の中央広場に移動したところで、俺はミルエッタに切り出した。


「……俺は一旦、別行動を取るよ。ポポロンにはよろしく言っておいてくれ」


「またお別れなのね。……でも、今度は10年前よりずっと幸せな別れだわ」


「ああ。絶対にまた会おうな」


 ブロスとして再びミルエッタの前に姿を現せるのは、魔神を倒して全てを終わらせた後になるだろう。

 だけど、その間はずっと俺が、魔法少女エルドラとしてミルエッタを守ってやれる。

 だからつらくはない。……俺は必ず、ミルエッタを守り通す。


 ミルエッタは名残惜しさを振り切るように背を向けて、城の方へと歩き出した。

 小さくなっていく彼女の背を見送ってから、俺も歩き出す。

 その遥か頭上を、何かが飛んでいくのが見えた。


 見上げれば、鳥とはまるで桁違いの大きさの――しかし鳥のような翼をはためかせて飛ぶ、獅子の体を持った獣の姿があった。

 あれが、ミルエッタの言っていた巨獣グリフォンなのだろう。


「王女様のお帰りか……俺も、待たせるわけにはいかねえな」


 俺はすぐ近くの路地裏へ駆け込むと、その場で変身した。




 エルドラの姿で城に戻った俺は、アリアナに抱きつかれたりポポロンに文句を言われたりしつつ、その日のうちに出発することを聞いた。

 グレア王国では、いったい何が俺たちを待ち受けているのだろう。

 今はわからないが、たとえどんな強敵が現れても、俺は全力で立ち向かうまでだ。


 だが、この時の俺はまだ気づいていなかった。

 出発が迫るにつれて、ポポロンがひどく不安げな様子を見せていたことと――その理由に。

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