第17話 穢れた涙
早朝からクリザとユーメに起こされた俺は、外出に誘ってきたふたりに、素知らぬ顔をしてついていった。
昨晩の会話を聞いていただけに警戒する気持ちもあったが、幼馴染のふたりを信じる気持ちの方が遥かに勝っていたのだ。
こいつらは、俺に危害を加えるような真似はしない。
きっと事情を説明して、「冒険者をやめてくれ」と言ってくるだけだろう。
もしも俺が断ったら、話がこじれてしまうおそれもあるだろうが……少なくとも、いきなり実力行使に出るはずはない。
ふたりのためにも、俺自身のためにも、俺は提案を素直に受け入れるつもりだった。
「……この辺でいいだろう」
街を離れてしばらく歩き、森が深まってきたあたりで、クリザはそう言って足を止めた。
すぐ目の前は崖で、足を踏み外せば助かりそうもないほどの高さがある。
……俺は嫌な予感がしたが、何も言わなかった。
クリザとユーメを疑う気持ちが俺の内から溢れ出しそうになるのを必死に押さえつけ、その疑念を封じ込めていた。
「ふ、ふたりとも……どうしたんだ? こんなところまで連れてきて……」
「……ブロス。お願いがあるんだ」
クリザは悲痛に表情を歪めながら言う。
その間にユーメの姿が視界から消えていることに、俺は気づかなかった。
「死んでくれ」
クリザがそう言った瞬間、俺の背中に何かがぶつかってきた。
棒立ちだった俺の体は前に吹っ飛ばされ、足元から地面の感触が消える。
反射的に後ろへ手を伸ばし、俺は落下する寸前で崖を掴んだ。
ぶら下がった体が岩肌に叩きつけられ、一瞬息が詰まる。それと同時に、背中がひどい熱を持っていることに気づいた。
刺されたのだ──ユーメに、後ろから。
「……な……なんで……」
ショックに震える声で聞き返した俺を、崖の上からクリザとユーメが見下ろしていた。
ふたりとも、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「わからねえよ! ……俺たちにもわからねえ。でも、ミルエッタがお前に死んでほしいんなら、俺たちはそうするしかねえんだよ」
「こんな、こと、しなくても……俺は……冒険者を、やめたって、構わないのに……」
「そんなもん、何の保証もねえだろうが!」
崖に掴まっている俺の手を、クリザが体重をかけて踏みつけてくる。
指に激痛が走り、掴まる力が緩みそうになる。
「ぐ……ぁぁ……っ!」
「ミルエッタは、お前が二度と冒険に出ないようにしろって言ったんだ。もしお前が引退した後で気が変わって、また冒険者なんかになられたら、ミルエッタの怒りに触れちまう……!」
焦燥に駆られたクリザの目は、とうに正気を失っているように見えた。
俺は歯を食いしばって痛みをこらえながら、ユーメの方を見た。
「ユ、ユーメ……やめさせろ……こんなの、間違ってる……っ」
「……ごめんね……私とクリザの赤ちゃんのためには、こうするしかないの」
涙ぐんで自らのお腹をさすりながら、ユーメは心底悲しげに答える。
が──次にユーメの口から出た言葉は、俺が自らの耳を疑うようなものだった。
「でも、いいよね? だって……ブロスが死んでも、悲しむ人はもういないんだから」
「…………は?」
信じられない。頭の中が真っ白になった。
確かに、俺には家族も恋人もいない。
でも、だからって──俺は『死んでもいい人間』だって、そう言いたいのか?
子供の頃からずっと一緒にいた、幼馴染のお前たちが……。
「せめて私たちだけは、ブロスのこと、忘れずにいるから……ごめんね。許してね……」
ユーメの頬を、大粒の涙が伝い落ちていく。
本当はこんなことしたくないのに、という言い訳のための涙。
吐き気をもよおすような、グロテスクな自己陶酔の涙。
大切な幼馴染だったはずのふたりが、突然別の生き物に変わったかのような心地がした。
「落ちろっ!!」
クリザが俺の手を蹴りつけ、強引に崖から引き剥がした。
俺は──こちらを見下ろすふたりの姿が、遠ざかっていくのを見ながら──。
全身を貫いた衝撃を最後に、意識を失った。
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