第一章~⑦
「マスコミの中には、和尻を慕う人物の犯行という見方をする人もいるけど、復讐してくれるほどの人望など、彼にはなかったよね」
「私もそう思っています。絶対とまで言い切れませんが、その線は薄いでしょう。といって米村の関係者だって同じです。最も同情的でマスコミに噛みついていた両親でさえ、所詮はガールズバーの女性にお金を費やし、周りが見えなくなった愚かな息子だと裏では呆れていたのが実情です。だから新原明日香を殺したいほど憎んでいたかといえば、首を捻らざるを得ません」
「要するに事件当夜のアリバイが無くても、近隣の防犯カメラなどに映った形跡はなかった。その上強い動機を持つ人もいない。だから怨恨ではなく、愉快犯の可能性が高いとみている訳ね」
「まあ、当たらずとも遠からずとだけ言っておきましょうか」
彼のその言い方が引っ掛かった。最初に会った際とは違い、何か含みを持っての答え方に思えた為、再び砕けた口調で突いてみた。
「何よ。他にも愉快犯の線を裏付ける何かがありそうな言い回しね」「気のせいです」
今度は詰まらずに反応したが、明らかにぎこちない。須依が鋭いことは的場も十分知っている。その為ここは敢えて黙り、見えない目で彼の顔を凝視した。
するとさすがに気付いたらしい。諦めたように呟いた。
「須依さんには参ったな。でもこれ以上は勘弁して下さい。ただでさえ今私達の係は風当たりが強いんですから。捜査情報を漏らした なんて噂が立てば、直ぐにでも捜査を外されてしまいます」
これはもう何かあると白状したようなものだ。しかしこれ以上踏み込めば彼の立場は間違いなく悪くなるだろう。それはこちらにとっても不本意だ。犯人しか知り得ない情報、いわゆる「秘密の暴露」と呼ばれるものを隠すのは、こうした事件だとよくある。だから今回は、警察がそうした物証か何かを掴んでいると知れただけでも収穫があったと我慢しておこう。
もしまた似た事件が起これば、それが同一犯かどうかの判断に使われるはずだ。万が一愉快犯による連続殺人事件となれば、その根拠として公表されるだろう。もちろん第三の事件に備え、伏せられたままとなる可能性も否定できない。
ただ複数の物証ないし根拠があった場合、マスコミにも小出しに情報提供するのが通常だ。それを他社に先駆けて記事に載せればスクープとなる。
しかし週刊誌ならばともかく、そんなものを争って書きたいとは思わない。追うべき点はもっと重要で、事件そのものを深く掘り下げたところにあると考えているからだ。時には警察だと動けない範囲でも、記者なら取材できることが起こり得る。例えば政治家等の圧力がかかり、警察上層部が屈して現場の捜査が止まるケースだ。
そんな時こそ彼らから情報を得て、真実を闇に葬り悪がはびこることがないよう取材し、世に示すのがジャーナリストの役目ではないか。綺麗事であり、現実は理想通りにいかないことも分かった上で、須依はそう信じていた。
よって情報を手に入れ、捜査員に迷惑をかけてしまう危険がある行動は自分本位であり、本末転倒な行為だ。的場と親しくなったのはある意味偶然だったけれど、記者としては重要なパイプであり、かつ大切な友人でもある。その彼を貶める真似だけはできない。
今の所、周辺からの必要以上な視線は感じなかった。それでもどこで人が見ているか分からない。よって余り長く彼と話していれば、迷惑をかけてしまう恐れもある。そこで潮時だと思いその場を離れようとしたところで、的場の背後から聞き覚えのある足音がした。
須依とは正対する形だったけれど、姿はぼんやりとした影にしか見えない。それでも声を掛けられる前に誰だか分かったので、わざとにっこり笑って頭を下げた。
的場が気づき、後ろを振り返る気配がした。その瞬間だった。
「おい、こんな所で油を売りながら、記者に捜査情報を教えてなんかいないだろうな」
「さ、佐々参事官。い、いえ、決してそんな事はありません」
慌てる彼に代わり、須依が笑ってフォローした。
「そんな話なんかしてないわよ。私が暇をしていたから、ちょっと相手をして貰っていただけ。佐々君もそんな意地悪を言わないの」
大学の同級生でキャリア官僚の佐々
さらに以前的場が須依に求婚した経緯を知る限られた人物の一人だ。よってこの状況に居心地が悪いと感じているのも当然だった。だが恐縮し直立不動になっているだろう彼の前で、君付けで名を呼ばれたのが気に食わなかったのか、佐々はこちらに矛先を向けた。
「何でフリー記者のお前が、こんな所まで入って来られたんだ。もしかして、以前の会社に再就職でもしたのか」
その問いに対し、首にぶら下げた記者クラブへの入館許可証を見せる。また先程的場と話した中で、彼に迷惑をかけない程度の内容を説明すると、ようやく納得したようだ。
「そういうことか。あの件で一課や五係は面倒な状況になったようだな。といってお前がこの辺りをぶらぶらしてこいつと一緒にいたら、もっと困るんじゃないのか」
ここに居てはいけないと思った的場が、残りのコーヒーを一気に飲み干したのだろう。
「参事官、お先に失礼します」
足早に去ろうとしたようだが、彼は呼び止めた。
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