第一章~⑭

「先程おっしゃいましたが、当時勤務していた駅員さんは今、こちらにいますか。できれば直接お話を伺いたいのですが」

「三人いた内の一人が確か奥にいるはずです。今呼んできますので、少々お待ち下さい」

 そう言い残し、素早く中へと引っ込んだ。逃げられた為に不満だったのか、彼が言った。

「なんだよ。もう少し抗議してやっても良かったのに」

「いいじゃないですか。余計な揉め事を起こしている暇はないですよ。事件当夜に勤務していた駅員に話を聞けるのなら、そっちの方がいいでしょう」

「それはそうだけど、あの態度は無いだろう。それにいつもの須依なら、俺より先に怒鳴っているじゃないか」

「あれ位で腹を立てていたらきりがありません。二年余りのコロナ禍で、こうした扱いは慣れました。適当に流さないとストレスが溜まりますし、かえって良くないと割り切らなければ身が持ちません」

 本音は違ったけれど表向きそう宥める。自分より先に彼が興奮したからかえって冷静になれただけだ。共感してくれたことで感情が分散したのだろう。先程入ったコンビニでの様子が頭を過った。

 あの時、須依達の他にも客がいた。もし烏森のような同伴者がおらず、また須依ほど感覚の鋭くない通常の視覚障害者がレジに並ぼうとすれば、ソーシャルディスタンスを保つ為、両手を広げるまたは白状で突くしかない。

 だがそうすると人に当たる恐れもある。実際にすみませんと何度頭を下げたことか、と嘆く障害者達の声も耳にしていた。健常者でさえ列から外れたり、気付かず順番を抜かしレジまで行ったりする人も多いというのだから、通常の視覚障害者なら尚更だ。それで注意を受ける場合は止むを得ない。よって他の客に前へ進めばいいですか、と尋ねる等するしかないのだ。

 交通機関等を利用する際だって困る。間隔を空け席に座れ、など当然難しくて分からない。また視覚障害者は日常的に人や物に触れる。買い物だと手に持って確認し、思った商品と違えば棚に戻すのだ。

 須依は磨いた感覚と烏森という相棒がいるおかげで何とかなっている。けれど通常の視覚障害者が抱えるストレスは相当だ。よって自分はまだ恵まれているのだと思えた。

 しかしまだ腹に据えかねていたのか、彼は言い返してきた。

「不当な差別に慣れちゃ駄目だろう。主張をし続けないと、ああいう奴はいつまで経ってもいなくならない」

「そうですけど、馬の耳に念仏とも言うでしょう。聞く耳を持たない人にいくら言っても理解されません。だから適当な所で切り上げるのも、私達が生きていく上の処世術じゃないですか」

 障害者に限らず性的なものや人種なども含めれば、差別なんて昔からある。それがSNSの普及も手伝い、世界中で起こった新型コロナのパンデミックにより、様々な意見の対立が表面化した。

 例えば検査拡大するか否か、マスクするかしないかするなら不織布かどうか、距離をどの程度取ればいいのかといったものから、やがてワクチンを打つ必要があるか否か、ワクチンの種類はどれがいいか、どの治療薬は認められるか等にまで広がった。 

 他にも自宅療養のやり方や隔離の仕方が適切か、マスクはどれがいいか等々、何百通りもの見解の相違が生じ、議論から批判、誹謗中傷、罵詈雑言へと発展し、挙句の果てには個人の思想や支持政党による論争、人種差別にまで及んだ。これ程人の考え方が多種多様で、また状況により変化し時には醜い正体が明らかになった現象、時代はなかったかもしれない。大変な事態に陥った時こそ本性が見えると言われるが、全くその通りだ。

 そういった時、意見の食い違う人と争うことは大変な労力が必要となる。明らかにこちらが正しい場合であっても、間違いを認めない相手を言い負かすにはなかなか難しい。烏森の言うように、そこで泣き寝入りしてしてはいけないという点も理解できた。

 しかし別の人間に仕立て上げようというような不可能なことを、相手に要求してはならない、という言葉もある。だから敢えて流す、または距離を置く手も時には必要だと思う。

 それに今は、突然逆上してナイフを取り出すような奴がいる。二人共、格闘してもそう簡単に負けない自信があるけれど、無用な争いは避けるべきであり、特に仕事中はそうだ。

 そんな事を言い合う内に、先程の駅員に呼ばれたであろう人物が現れた。そこで二人は話を切り上げた所に向こうから声がかかった。

「東朝新聞の方ですか」

「はい。お忙しい所申し訳ありません。あなたが先日起こった事件当夜、こちらで勤務していた方ですか」

 失礼な態度を取った相手とは別の人だからだろう。烏森は全く違った声の調子でそう質問すると、返答があった。

「はい。被害に遭った女性が駅を降りた時のお話ですね。警察の方にもご説明しましたが、特に変わったことはなかったと思います」

「その時間帯だと駅前で営業をしていた店はないと伺いましたが、本当ですか」

「そうですね。この辺りだと、遅い店でも十二時頃には閉店してしまいますから」

 落ち着いた声の調子と抑揚から推測するに、先程の駅員より年配だと思われる。対応も悪くない為、話は早そうだ。

 そこで須依からも質問してみた。

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