第一章~⑮

「それでは終電の時間だと、この辺りで街灯の当たらない所は真っ暗なのでしょうか。ストリートミュージシャンや、チラシなどを配る人などがいたりしませんか」

「いませんね。警察の方もその時間帯にいた人の目撃証言がないか探していたようですけど、おそらくタクシーの運転手さんぐらいしかいなかったはずですよ」

「そうですか。駅の構内でも同じですよね」

「はい。ここは売店も早く閉まりますし、チラシの配布等の行為は禁止されていますから」

「タクシーの運転手の方が、何か見たという話は聞かれていませんか」

「ありませんね。全員ではないですけど、同じく警察に事情を聞かれた人達から、どうだったかという話をお互いにしました。しかし皆、記憶に無いと言っていましたからね。他にも記者の方がいらっしゃいましたが、同じようにお話ししましたから。チラシを配っている人がいたかまでは聞かれませんでしたけど」

 彼の話が正しければ、夜まで待ちタクシーの運転手に確認しても、期待できる証言は得られないだろう。烏森もそう思ったらしい。

 他に何か聞く事はないかと囁かれ首を振ると、彼は駅員に向かって言った。

「お忙しいところ、お時間を頂いて有難うございました」

「いえ、こちらこそ弊社の者が失礼な態度を取ったようで、申し訳ございませんでした」

 どうやらその前のやり取りについて、それなりに報告は受けていたようだ。やはり彼の上司なのだろう。ただ単なるクレーマーなのか様子を見ようと、質問が終わるまで話題に触れないでいたらしい。 

 こちらも事を荒立てるつもりはない為、須依から頭を下げた。

「いいえ。ちょっとした行き違いです。お気になさらないで下さい。それでは失礼します」

 そう言って烏森の腕を引き、その場から立ち去ろうとした。まだ何か文句を言いたげな空気を、彼が発していたからだ。

 しかし当の本人が良いというのだから諦めたらしい。素直に先導して改札から離れた。そこから念の為にと、その場に停まっていたタクシーの運転手に同じような話を聞いた。

 さらには、被害者が通ったと思われている帰宅までの道を歩きながら、コンビニを含むいくつかの店舗に寄って同様の質問をぶつけてみたものの、全く収穫は得られなかった。

 一旦車に戻ろうと歩いている途中で、須依が彼に話しかけた。

「これで被害者または犯人が、この近辺でチラシのようなものを手に入れた可能性はほぼ消えたと見ていいですよね」

「ああ。後は被害者の勤務先から最寄り駅までの間の確認だ。しかし状況から考えれば、本人がそうしたチラシなどを手にし、帰宅するまで後生大事に持ち帰ったとは考え難い。あるとすれば犯人が彼女に狙いを定めた場所で、そういった紙を入手した可能性だけだ」

「そうですね。コロナ禍なのにマナーを守らず、呑気に酒を飲んでいる被害者を見て腹が立ったのが先か、そういう啓蒙チラシを見たのが先かは分かりませんけど」

「確かにそうした物を見て、その後たまたま目に付いた被害者を狙おうと跡をつけた可能性はゼロで無いと思う。だがそれだとまた新たな矛盾が生じる」

 須依も同意した。

「彼女の勤め先は、繁華街の裏通りにありますからね。犯人自身が、そんな時間にそうした場所の近くにいる事自体、不要不急の行動です。そんな人が自分の行動を棚に上げて人を刺し殺すかと言えば、大いに疑問が湧きます」

「それに電車で跡をつけていたとしたら、防犯カメラに写っているはずだ。少なくとも同じ駅に降りた映像は残っているだろう。それを警察が見逃すとは思えない」

「そうですよね。しかも被害者を殺した後、犯人がどうやって現場から去ったのか。電車はもう動いていません。となれば徒歩で移動するか、始発が動くまで身を隠していたかでしょうけど、後者は危険が伴います」

「始発までに誰かが死体を発見した場合だな。直ぐに警察が駆け付け、周辺に聞き込みをかけるはずだ。そうなれば逃走が難しくなる。凶器は現場に無かったんだったな」

「はい。犯人が持ち去ったと聞いています。現場近くでは発見されていないので、徒歩などで逃げる途中に捨てた可能性も低いと思います。となれば職質されるリスクを考えると、やはり車かバイクなどで早々に犯行現場から去ったと考えるのが妥当でしょう」

「つまりこれから行く先でも、空振りに終わる確率が高いな」

「それはしょうがありませんよ。警察も同じでしょうけど、可能性を潰していくことも取材には必要です」

 そう二人は慰め合っていたのだが、予想通り収穫は得られずにその日は終わった。その後も啓蒙チラシの線を辿ってみたものの、何も進展しないまま時が過ぎた。だからだろう。烏森を通じ、東朝の編集長から怨恨の線についても取材しろとのお達しが来たのである。

 断わりたかったが、新聞社としては中立でなければならない。その観点から言えば、愉快犯の可能性ばかり追うのも矛盾が生じる。またあくまで東朝から委託された仕事だ。よって渋々ながら、その指示に従わざるを得なかった。

 そこで烏森と相談した結果、怨恨だったと仮定した時に疑わしいと思われている人物の中から、被害者の母の新原千鶴を選んだ。理由の一つとして、他のマスコミではあまり扱っていなかったからである。被害者の身内だから当然だろう。

 実の娘が殺されたことで例え容疑者の一人に名前が挙がっても、憶測のみで記事にすれば被害者遺族の感情を逆撫でしてしまう。もしそうなれば余程の根拠がない限り、本人のみならず犯罪被害者遺族の会や支援団体等から、激しいクレームを受けかねない。

 加えてまず千鶴は警察による事情聴取以外、マスコミの取材を一切断っていた為、書こうとしてもネタに乏しいのだ。とはいっても、全く可能性がない訳でもなかった。

 何故なら被害者と千鶴の関係は、かなり険悪だったという証言が周辺の人物達から得られていたからである。しかもアリバイがやや曖昧だった。雇われ店長としてスナックに勤務している千鶴は、死亡推定時刻より一時間早い、夜の十二時半には店を閉めていた。そこから徒歩十分程の場所にあるアパートへ帰宅し、そのまま就寝したという。 

 だが周辺には防犯カメラが無く、アリバイを証明するものは何もなかった。さらに車を所有しており、事件現場に急いで走らせば犯行はギリギリ可能だと見られていたのである。

 被害者と仲が悪かったのは、やはり義父であり殺された和尻のせいらしい。彼と千鶴が結婚した為に、被害者は性的暴行まで受けたのだから当然だ。それがきっかけで娘は家を出て一人暮らしを始め、それから多少交流はあったものの、それ程頻繁で無かったという。

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