第三章~⑯

「それなのに多賀目さんは、過剰防衛で実刑まで受けた。私達は罰して欲しいなどと思っていなかったのに、死なせてしまった事実は変わらないと言い張った。あの時、私達がもっと彼を説得すれば良かった。そうすれば刑務所内で病死なんてしなかったかもしれない」

 思い描いていた反応と違い戸惑いながら、私は恐る恐る聞いた。

「実を言うと父がそう思っていたと知ったのは、最近でした。それまでは母から運が悪かったと言い聞かされてたので、母宛の手紙を読み驚いたのです。でも事故だとおっしゃるのは、どういうことでしょうか」

「奥さんまで秘密を守っていたんだね。あなたが見たものには書いていなかったのかな。全てはあの女が悪いんだ。勝治も多賀目さんも、騙されていただけなんだよ」

 どうやら事件の背景にあった秘密を彼らは知っていたらしい。そこで念の為にと持って来た手紙を出し、こういう内容だったと彼に見せた。その上で言った。

「私も今回初めて事情を知り、それを遺族である御両親も承知の上だったのかを確認したかったのです。もしご存じだったとしたら、何故この女を野放しにされていたのかお聞きしたいと思ったのです。私は殺人犯の遺族ですから止むを得ませんが、お二人は事件後、被害者遺族にも関わらず様々な誹謗中傷を受け、転居を余儀なくされたのですよね」

 ネットにそうした内容が書かれており、それでこの場所を特定できたことも伝えた。さらに私が直接見聞きした点は伏せ、現在あの女がどんな暮らしをしているかも教えると、彼は目を丸くしていた。

「そんな事まで調べられているのか。恐ろしいな。それにあの子が結婚していたなんて、全く知らなかった。私達は二人共、余りネットを見なかったからな」

 その後彼は父が刑務所に入った後に心筋梗塞で亡くなったと聞き、夫婦共々後悔したと口にした。弁護士に説得されて表向きは正当防衛で無罪を主張していたけれど、父は気が済まないと本気で思っていた事も知っていたらしい。

 その為由美の件を黙っていたんだろうと言った。さらにはもっと彼を説得していれば良かった、本当に申し訳ないと頭まで下げられたのだ。

「そうだったのですね」 

 私が力なくそう答えると、彼は顔を上げた。

「でも誤解しないで欲しい。あの子を放っておきたくはなかった。けれどそれが多賀目さんの強い希望だと思っていたし、彼が亡くなった後は特に、考えないよう心掛けていたんだ。けれどこの手紙を見る限り、彼女を庇っていた訳ではないんだね。あくまで勝治を死なせてしまった罪を背負う為だったのか。それなら刑が確定した後にでもあの子がしたことを雑誌社へリークし、世間に公表することも出来たのに」

 悔しがる彼の様子を見て、本当は江盛夫妻も由美を憎んでいたのだと知った。それだけで私は救われた気がした。

 しかしそれで気が済むはずがない。由美に対する怒りはかえって増幅した。

 その為、つい口にした。

「でしたら今からでも遅くないとは思いませんか。あの女がどんな奴かばらせば、少なくとも家庭は崩壊するでしょう」

 だが彼は首を横に振った。

「今更、こんなネタを取り上げてくれるマスコミなんていない。有名人なら大騒ぎするだろうが、彼女は単なる一般人に過ぎないからね。それにもし旦那やその親達が知っても、昔のことで済んでしまうだろう。子供もいるのなら余計に難しいと思う。あの子のしたことは確かに悪い。でも直接手を下した訳じゃないし、今騒げば思い出して責められるのは、私やあなたの方かもしれないだろう」

 言い分は間違っていない。確かに相手が無傷でいられなかったとしても、ようやく忘れられかけていた古傷を暴いて受けるダメージは、私達の方が大きいかもしれない。

 彼女はあくまできっかけを作ったに過ぎなかった。暴力を振るったのは江盛勝治で、死亡させたのは父だ。下手をすれば若い女に騙された馬鹿な男達と笑われるだけで終わってしまう可能性もある。

 けれど彼にも同じ復讐したい気持ちがあり父を憎むどころか気の毒がってくれていると分かっただけで、思い切ってここを訪れた甲斐があった。そこで質問してみた。

「今回、お話しできて良かったです。手紙を見つけてからずっと悩んできた問題が、少し解消した気がします。ただ引っかかっているのはやはり由美についてです。私が彼女と会って話しをすると言ったら、反対されますか」

 彼は直ぐに頷いた。

「もちろんだ。止めておきなさい。会って何を言うつもりか知らないが、嫌な思いをするだけで何の得にもならない。下手に責めたりしたら、脅迫されたと警察へ通報されかねないよ。実態がどうであれ、あなたが殺人犯の遺族である事実は消せない。しかも多賀目さんは既に亡くなっている。裁判のやり直しをしようとしても無理だ」

「そこまでは考えていません。でも彼女に謝罪を求めることは間違っているでしょうか」

「それは無駄だろう。そんな殊勝な気持ちがあるなら、まず私達に頭を下げたはずだ。しかし近所に住んでいたあの子は、事件後から目も合わせなくなった。避けるように逃げ回っていたよ。後ろめたい気持ちがあったからだろう。勝治が騙されていたという話は、私達を含む近い関係者の中だけだが周知の事実だったからね」

「それでも謝らなかったのですか。それで許されたのですか」

「許すはずがない。あの子のせいで勝治は死んだ。唆される馬鹿な奴だったと思えれば良かった。でも私達にとってはかけがえのない一人息子だったんだ」

「だったらどうして」

 彼は大きく息を吐き、説明してくれた。

「私達も大変だったんだよ。最初はストーカーなんてしていたから、罰が当たったと責められた。勝治は昔から悪さをしていたせいもあり、親の教育が間違っていたと批難されたよ。マスコミの取材も酷かったし、逃げるしかなかったんだ。それに今は私も、」

 彼らは周囲の騒ぎに嫌気が差し、別れた後も一時親戚の家に身を隠していたという。その後騒ぎが治まりだしたので家を売却し、新たに買ったこの家で一周忌をひっそりと行ったそうだ。

 その時勝治と親しかったごく一部の友人達だけに声をかけ、訪ねて来た際に実はストーカーなんてしていなかったと打ち明けられたらしい。驚きと同時に怒りが湧いたという。

 けれど同じ日に刑務所から届いた父の手紙を読み、考え直したそうだ。そこには由美が裏で仕掛けていた行為を知った上で、彼女を責めないと決めた思いが綴られていたという。まだ裁判の途中で、刑が確定する前のことだった。

「それまでも正当防衛だと裁判で無実を訴えていながら、自分がやった行為を反省している態度を見て、おかしいとは思っていたよ。でもその理由が分かり私達は混乱した。多賀目さんも勝治と同じ、被害者だったと分かったから」

 その後弁護士を通じてやり取りをし、改めて新たな事実を暴けばまた騒ぎになる。それはお互いの為にならない。そう結論付け、有罪判決が出た後は控訴せず、賠償を求める民事裁判も起こさないと決めたようだ。

 さらに昨年奥様を亡くした後、自らも病に侵されてると教えられた。コロナ禍で先が見えない中、もう生きていてもしょうがない。だからこれから何かする気力などないという。

 説明を聞いた私は、由美に対する憎悪を膨らませた。それを率直に伝えたところ、彼もようやく同調してくれたのである。そうして二人で色々と話しあい、親交を深め連絡先を交換し別れたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る