第三章~⑬

 始まりは由美が父に好意を抱いたからだという。しかしどれだけアピールしてもなびかないので業を煮やし、相手にして貰おうと考え付いたのが偽のストーカー被害だった。正義感の強い父はその策にまんまと嵌り、彼女の相談に乗っていたのだ。けれど実在しないストーカー話だけでは、いつまでも二人の仲が進展しない。 

 そこで彼女は昔の同級生で、かつて好意を持ってくれていた江盛を利用した。父を悪者のように伝え、争わせるよう仕向けたのである。しかしその思惑が意図しない形となった。

 父は警察に逮捕され、被害者となった江盛が友人達に漏らしていた話を聞き、由美に騙されていたと気付いた。けれどそれを明らかにしても、一人の何の罪もない若者を死なせた事実は変わらない。 

 そう考えたようだ。現場に居合わせた彼女も、激情した江盛が先に殴り掛かったと証言していた為、弁護士に相談し正当防衛を主張、無罪を訴えた。けれども結果は過剰防衛を適用され、実刑判決が出てしまったのだ。

 それでも父は過失致死罪の下限である三年の刑で済み、安堵したらしい。一方で亡くなった彼の遺族が納得し、救われるとは思わなかった。よって控訴せず受け入れる覚悟を持ったという。

 幸いというのか被害者側や検察もそのまま控訴しなかった為、刑は確定。父がそうした背景を母に伝えたのは決して弁解でなく、純粋に真実を知らせたかっただけのようだ。

 その上で腕力を過信し上司として頼られたことに浮かれ、人の悪意を見破る目の無かった自分が恥ずかしいと嘆いていた。それが過ちを犯した全ての原因だと反省していたのである。

 手紙には世間からの批判を浴びることを考慮し、離婚して欲しい旨も記されていた。けれどもし愚かな自分を許してくれるのなら、刑期を終え社会に出た時、籍を抜いたままでいいからまた一緒に暮らしてくれないかと懇願していた。

 私はそれを読み、母が離婚すると決めた際やその後も決して父の悪口を言わなかった訳を理解した。苗字を変える時も、これはあくまであなた達を守る為だとしか言わなかった。そう考えると、母は父の申し出を受け入れるつもりだったのだと確信した。

 けれど私には私の人生がある。出所しても世間の厳しい目はそう変わらない。ずっと人殺しの子だと批難され続けるに違いなかった。だから父の出所後、母は二人だけで過ごすつもりだったのだろう。手紙に書かれていたことを、ずっと私に隠していたのが何よりの証拠である。

 その点は母らしいと納得できた。犯罪者になってもずっと信じ、好きでいられたのだ。しかし父を騙した女について、何も言わずに放置していた点は腑に落ちなかった。

 どうして怒らなかったのか。手紙に書かれていたように、父がそれを望まなかったからなのか。 

 そこで私は長い間考えた末、一つの推論に辿り着いた。母は出所してくるまで我慢していたのかもしれない。

 取り敢えず父の言う通りにし、二人で暮らせるようになればその時どうするか決めるつもりだったのではないか。その時あの女に対する憎しみが消えていたら、父の考えに従うつもりだったのだろう。

 そうでなければ、二人で話し合う気だったのではと考えた。つまり本音では、彼女を許していなかったと思った。

 ただ母が死んだ今となってはもう知る由もない。しかし少なくとも私は許せなかった。父は優し過ぎたのだ。自分でも手紙に書いていた。人が良すぎたから彼女の悪意を見抜けなかったと。

 父が反省するとすれば、相手を投げ飛ばすのならもっと周囲に気を配るべきだった点だけだ。裁判でもその点を指摘され、否定しきれなかった為に正当防衛が認められなかったのだから。

 それも馬鹿正直すぎたと私は思っていた。相手に殴りかかられたら、咄嗟に体が動く事だってあるだろう。それがたまたま投げ飛ばした先に、コンクリートブロックがあっただけではないか。

 柔道の有段者なら、もう少し対処の仕方があったはずだと検察から責められた時、父は頷いていた。らしいといえばそうだけど、母や私が置かれる立場や将来をもっと考えて欲しかった。そうすれば、必死になって無罪を勝ち取ろうとしたかもしれない。

 しかし父はそれ以上に、一人の若者を死に追いやった事実は消せないと思ったのだろう。私達家族より、被害者遺族の無念さを優先したに違いない。

 責任感が強かった父らしい結論ではある。それに今、それを責めても後の祭りだ。判決が確定し、父だけでなく母までもが亡くなってしまった。

 そこでふと思った。このことを被害者遺族は知っているのか。父が知ったくらいなら気付いていたとしてもおかしくはない。しかしそれなら江盛の両親は由美を責めるはずだろう。父の場合は一人の若者を死なせた事実を重く見ていたからと理解できる。

 だけど本当は息子がストーカーをしていたと嘘をつかれ、また上司から嫌がらせを受けていると騙した結果事件が起こり死んでしまったのだ。普通なら父の次に由美を憎むはずではないか。知っていて黙っていたとしても父の罪が軽くなると恐れていた場合だけじゃないのか。でも刑が確定した後なら隠す必要はなくなる。だったらその後、公になってもおかしくない。

 あの頃私達だけでなく、彼らも週刊誌など多くのマスコミの取材攻勢を受けていたはずだ。そこで話せばあっという間に広がっただろう。憎き女の本性を暴けたに違いない。

 そう考えた私は確かめたくなった。はっきりさせないと気持ちが悪い。そう決断を下したのである。母の遺品整理から、想像もしていなかった展開になった。 

 しかしこれらの疑問を解決しなければ、前に進めないと思った。母の持ち物を片付けここから引っ越せば、一つの区切りとなり新たな生活もスタートできると考えていた。

 だがこのままで終われない。全てを明らかにした上でないと、気持ちの整理がつかないからだ。その為私は引っ越しの準備を進めると同時に、江盛の両親に接触しようと試みた。

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