第一章~③

 この事件を扱えば視聴率は上がり雑誌なども良く売れたからだろう。そこで事件のブームを長引かせる為、各マスコミが新たなネタの発掘に総力を挙げていた点は否定できない。

 須依もその一人として呼ばれた。しかし健常者の記者のようには動けない。それでも依頼されたのは、猫の手も借りたい状況だったからだけではなかった。まず一つは障害者になった後、烏森と組んで何度か大きなスクープをものした実績があったからだ。

 実を言うと、彼は須依が視力を失う少し前に、事故で左足の膝から下を切除している。けれど義足があれば仕事も日常生活にも余り支障が無かった為、常時雇用されている障害者の正社員として復帰し、今でも引き続き記者を続けていた。

 つまり障害者としても須依の先輩にあたるのだ。しかし会社員としては所謂いわゆるラインから外れていた。そうした影響もあり、須依のような記者と手を組むなど、現場において自由な取材が比較的許されている。

 須依より一つ年上の彼とは入社してから交流も深かった為、話が進めやすく早かった。そこで他の記者の鼻を明かそうと組んだ共同戦線はもう十年以上経過し、二人が目を付けた事件は時折健常者を上回る結果を残し、WIN―WINの関係にある。

 健常者だった頃から随分と世話になり、色々な指導を受けてきたからだろう。視覚障害者となった後も、彼は以前と変わらない態度で接してくれた希少な理解者の一人だ。今では須依にとって絶対欠かせない確かな人物となっている。

 ちなみに彼は七歳の息子と五歳の娘を持つ妻帯者の為、単なる仕事上の相棒でしかない。しかし彼が独身だった頃、正直少しだけ憧れていた時期はあった。そうした経緯もあり、東朝の烏森から受けた仕事は絶対に成果を出さなければと意気込んだ。

 それだけではない。須依に依頼がかかった別の要因は、和尻一也殺害事件の担当刑事を良く知っていたからでもある。警視庁捜査一課第五強行犯係が捜査しており、そこの班長でノンキャリアの的場まとばさとしは、須依より五つ下の三十九歳だ。

 六年前に結婚した既婚者で、既に子供が二人生まれている。そんな彼がまだ独身だった頃、二人は現在のような記者と刑事の立場でなく、プライベートな場所で知り合った。しかも須依に求婚した関係なのだ。

 他にもう一つの切り札がある。今は別の建物に移ったけれど、須依の大学時代の同級生で警察庁のキャリア官僚となり、現在警視庁に出向している佐々ささ警視長の存在だ。他の刑事達と比較すれば少なくともこの二人とその部下達は、須依に好意的な対応をしてくれる数少ない相手である。そうした人脈があると、烏森は良く知っていた。その為警察から情報収集しやすい須依に声をかけてくれたのだろう。

 またこの件で、捜査に当たった警察の中に犯人がいるとの憶測が飛び交っていた点に、須依は大いなる疑問と怒りを持っていた。捜査担当である第五強行犯係の面々は、的場を介してそれなりに知っている。

 だからこそ早期に真犯人を捕まえる手伝いをし、彼らにとって不快な疑惑を払拭させたいと考えていた。とはいっても一応フリー記者の肩書を持つ須依だが半分契約社員扱いで、しかも今回は取材の補佐的仕事を依頼された身である。 

 通常警視庁の記者クラブには、大手新聞社に属する記者やテレビ局関係者でないと入れない。須依のような記者は、東朝から委託されて特別許可証を貰っているからこそいられるのだ。よってもし問題を起こし追い出されれば、仕事を任せてくれた東朝や烏森にも迷惑をかけてしまう。そうなれば今後仕事の依頼が無くなることもあり得る。それは絶対に避けたいところだ。

 それでもやはり動かなければ、与えられた使命を全うできない。ここで耳を澄まし他人が得てきた、裏が取れているかどうかも分からない情報を探っているだけでは駄目だ。

 そこで須依は思い切って警視庁内に入り込み、目的の部署に向かおうと決めた。やはり本丸である刑事部警視庁捜査一課第五強行犯係へ赴き、的場を掴まえて話を聞くしかない。もちろん捜査本部がある大会議室は立ち入り禁止で、近寄ることもできなくなっている。見つかれば厳しく注意を受けるだろう。

 ただ万が一注意されても、視覚障害者の為に重要書類などは盗み見られない。加えて友人を訪ねて来たが迷ったと言えば、多少のお目こぼしを受けられるとも考えた。

 それに何かあっても佐々の威光が届く範囲なら、最低限のフォローはしてくれるに違いない。少なくとも一発退場させられはしないはずだ。そんな打算が働いての行動だった。

 須依は杖を掴み、混みあう記者達の間を縫って歩き廊下に出た。覚えている道順をゆっくり進み、他の人達とぶつからないよう左端に寄る。

 しばらく行くと、いつものことだが好奇な視線を何度も感じた。警視庁内でも見慣れない人達にとっては、記者用の入館証を首にぶら下げた女性の視覚障害者が珍しいからだろう。また中には“須依南海みなみ”という珍しい名に興味を持った人がいたかもしれない。

 当然偏見を持った目で見る人達ばかりではなかった。興味がないか目に入らないのか、足早に通り過ぎていく人もいる。中には須依を見知っているらしい方の、温かい眼差しに気付くこともあった。 

 そうした万人に対して通用するよう、須依は普段から出来るだけ笑顔を保つよう心がけていた。今もマスクをしつつ目だけ笑って歩いていた。外面だけはいいなと烏森からよく言われるが、それも大きな武器だ。もう四十半ばとおばさんの域に入った。 若さが通用しなくなった分、化粧っけの無さは愛嬌でカバーするしかないのだ。

 すると前方から、聞き覚えのある足音が聞こえた。須依の目は完全に失明していないけれど、光がぼんやりとして見え、人らしき姿は影となって認識できる程度だ。

 目当てにしていた人物がこちらに気付いたらしく、声を掛けられた。本部から離れ、本来いる部署に戻っていたようだ。トイレにでも行こうとしていたのか、気分転換に飲み物でも買おうと出てきたのかもしれない。こちらも挨拶に答えた。

「こんにちは。お久しぶり」

「須依さんなら来ると思っていました。例の事件ですよね」

 近づきながら頷き、大げさに憤慨してざっくばらんに言った。

「そうよ。あろうことか、捜査に当たっていた的場さん達が疑われるなんて絶対に許せない。少なくとも私や烏森さんは、第五強行犯係の皆さんを信じているからね。だから一刻も早く真犯人の情報を掴んで情報提供し、逮捕して欲しいと思っているの」

「有難うございます。そう言って頂けると心強いですね。しかし残念ながら、今のところ目ぼしい情報は得られていません」

 彼の疲れた声から嘘は感じられなかった。相手が須依であっても、記者に喋ってはいけない重大な情報を隠し持つ場合、警戒している気配や雰囲気で分かる。しかし今回、それはほとんど感じなかった。

「それは事件関係者で、疑わしいと思われる人物が絞り込めないからかな。それとも誰一人としていない、という意味かな」

「後者ですね」

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