第一章~⑧

「おい、的場、まだここにいろ。大学の同級生とはいえ、記者と二人きりでいる所を他の奴らに見られたら、俺が後々面倒だ」

「わ、分かりました」

 直ぐに振り返り戻ったらしく、須依から見て先程いた位置より少し右へずれた所に立つ気配がした。左側に空いたスペースへと佐々が入った為、三人はテーブルを挟み正三角形に並んだ状態となる。 

 そこで呟きながら彼が動いた。

「俺も喉が渇いたからここに来たんだ」

 自販機へ向かったらしく、小銭を放り込む音がした。選んだのは須依達と同じ缶コーヒーらしい。見えはしないが押したボタンと、取り出し口に出てきた際の音で分かる。

 ただし鍛え上げられた聴覚、嗅覚、触覚を含めた五感の一つである味覚に関しては、普通の人と同程度か、もしくはより劣っているかもしれない。ただそれは健常者だった頃から友人に味オンチ、または食べ物の好みが変わっているね、と言われていたからだろう。視覚を失った件とは関係がないようだ。

 テーブルに戻ってきた佐々が、的場に話しかけた。

「どうだ、そっちはまだ忙しいか」

 急に話題を振られたからか、彼はしどろもどろに答えた。

「そ、それなりに、です。CS本部にも大変お世話になった例の件は、ほぼ片が付きました。私などの事案より参事官達が扱っている件は色々なしがらみがある分、なかなか大変ではありませんか」 

 二人の話に割って入った。

「へぇ、何よ。五係の扱う別件に、あなたの部署が関わっていたの。珍しいわね。CS本部だと今なら特殊詐欺などを扱う二課とか、機密情報絡みなら公安と連携するケースが多いでしょう。殺人事件を扱う一課となんて珍しいわね」

 案の定、佐々は的場を叱った。

「記者の前でべらべら喋るな」

「す、すみません」

 恐縮する彼だったが、須依は怯まずに続けた。

「何よ、少しくらい教えてくれたっていいじゃない。記事にまだ書くなと言うなら、その通りにするわよ。今までだってそうして来たでしょ。一度だってあなた達から聞いた情報を、私や烏森さんが悪用したことなんてないよね」

 少し声が大きくなったからか、慌てた佐々にたしなめられた。

「こら。もっと静かに話せ。誰が聞いているか分からないんだぞ。それに人聞きの悪い言い方をするな。俺達がお前らに便宜を図って、何度も捜査情報を流したみたいじゃないか」

 確かにそれは違う。具体的には捜査内容を教えてくれない。けれど須依が空気を読み、会話のニュアンスや節々から抜け目なく嗅ぎ取れると知っている。その上で敢えて沈黙したり、ヒントを潜ませ言葉を発したりして、間接的に伝えてくれていたのだ。

 これは他人が一緒に聞いていても、聡く無ければ気付かない程度だった。それも須依に告げれば有効活用してくれるだろうという、信頼関係があるから成り立っている。また盲目記者に対しての同情に近い応援があってこその振る舞いだと、須依も十分理解していた。

 よって思わず肩をすくめ、頭を下げた。

「ごめんなさい。ちょっと調子に乗っちゃったわね、申し訳ございませんでした」

「分かればいい。言わなかったのは、大したネタにならないと思ったからだよ。もう片付いた別の傷害事件で、被害者が持っていたスマホの分析をした。実行犯の動機や、計画的な犯行だったかの裏付けに使った程度だよ。的場の言い方が大げさすぎるから、こいつが食いつくんだろう」

「申し訳ありませんでした」

「的場さんを怒らないでよ。私がそのニュアンスを感じ取れなかったから悪いの。どうってことのない仕事でも、立場的にはお礼を言っておかないと後で煩いからね。警察の上下関係って面倒だから」

「いえいえ、そんなつもりではありません。本当に助かりましたから、社交辞令じゃないですよ」

 的場が狼狽える様を見て、佐々が大きく溜息をついた。

「もうこんな奴を相手にしなくていい。呼び止めて悪かったな。席に戻っていいぞ。俺もすぐ終わらせるから」

「分かりました。それでは失礼します」

 安堵したらしく、速足で去っていく彼の足音が聞こえた。それから手元の缶コーヒーを飲み干したらしい佐々が、声をかけて来た。

「じゃあ、俺もそろそろ戻る。今日はたまたまこっちで会議があって来ただけだ。須依も退散しろ。いつまでもこんなところにいると、出入り禁止にされるぞ」

 そう言いながらも、声の調子から本気で追い払おうとはしていなかった。そこで須依は呼び止めた。

「もう少し良いじゃない。せっかく滅多に来ない本庁へ来たんだからさ。久しぶりでしょう。もう一杯飲んだら。私は飲むけど、あなたは何がいいの」

 須依は佐々に声をかけてから自販機に辿り着き、手探りで先ほどと同じ缶コーヒーのボタンを見つける。ここの販売機には点字がついていない。しかし先程的場と彼が購入した時の音で、だいたいの場所は把握した。ガタガタッと取り出し口に落ちてくる響きも全く同じだったため、間違いない。

 ビルの中の自販機だと、視覚障害者でも分かるように音声が付いているものはかなり少ない。だから初めて使い飲み物を買う場合だと、他の人に教えて貰うしかなかった。

 もし周囲に誰もおらず一人であれば、何が出てくるか分からずに押し、どんな商品が出てくるかを楽しむ位の心構えが必要となる。

 無事欲しかった飲み物を手に取った須依は、もう一度彼に尋ねた。

「同じものでいいかな」

 だが返ってきた答えはそっけない。

「俺はいい。公務員が新聞記者から奢られたりすれば、何を言われるか分からん。それに二杯も要らないよ」

「別にここで飲まなくても、持って帰って後で飲めばいいじゃない」

「いや、必要ない。で、なんだ。俺を呼び止めた理由は」

 相変わらず堅物で真面目な人だと思いながら、少し意地悪をしてやろうと鎌をかけた。

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