第一章~⑩

 直ぐに反応がなかった為図星だと分かった。やはりそうだったのか。だから一旦彼を留まらせた上で様子を探り、席に戻らせてから本題に入ろうとしたのだろう。といっても秘密の暴露に関わる情報なら扱いは気を付けなければならない。

 その為に先回りして言った。

「大丈夫よ。そのままなんて書かないから。愉快犯の線を濃厚とみる根拠が間違いない証拠だったら、怨恨の線を捨てて取材するだけ。狙いを定め無駄な動きを省けば、核心に迫る近道になるでしょう。私や烏森さんは、的場さん達への疑惑を一刻も早く払拭したいの。これまでお世話になっているからでもあるけど、それだけじゃない。人が一人死んでいるというのに、大はしゃぎしている今の状況を、さっさと終わらせたいのよ」

 幾分の間を置き、彼は独り言のように話し出した。

「被害者の女性が勤めていたのは、都内で第六波におけるまん延防止措置が解除されておらず、酒の提供も制限されていたのに従っていなかった店だ。そんなところで自身も酒を飲んで酔っ払い、終電に乗って帰宅するような奴が、何故あんなものを持っていたのか。普通なら持ち歩かないだろう。誰かに渡されたとしても、直ぐに破り捨てるはずだ。怨恨の為に殺したのなら、わざわざ残す理由が分からない。ある意図を持つ愉快犯の仕業に見せかけた、とも考えられるから断言はできないが」

「え、どういう意味よ。現場に何か、」

 そう言いかけた所で遮られた。

「ここまでだ。俺は帰る」

 言葉通り、場を去っていく佐々の足音が聞こえた。須依は呼び止めようとしたけれど、寸前で諦めた。あれが彼による精一杯の情報提供だったと理解したからだ。その為こちらを見ていないとは思いながらも、彼の背に向けて頭を下げた。

 昔から正義感の強い人だった。大学の第二外国語で同じドイツ語を受講していたことがきっかけで、須依は彼と話すようになった。その頃から真面目で一途な人であり、国家一種試験を受けて警察庁に入りたいと、早くから進路を決めていたらしい。

 そんな話を耳にした時、たいして驚かなかった。それどころか彼らしいと納得した覚えがある。

 彼の家庭は複雑で両親はおらず、また彼を育ててくれた祖父母は無謀な運転手による事故で亡くなった。その時彼の受けた大きな衝撃と悲しみはいかほどだっただろうか。しかも事故を起こした相手は軽傷で済み、数年の実刑を受けただけだったらしい。近年でも交通事故における刑罰が軽すぎると問題視され、厳罰化を推進する動きが目立っているけれど、恐らく彼も同意見だと思われる。

 警察官僚を目指した動機に、事故の件がどれだけ影響したか不明だ。しかし全く無関係とは考え難い。その件については彼と親しかった友人達の間でもタブー視されている、と聞いていた。よって深く尋ねられるほど深い付き合いではなかった為、詳しく話をしたことがない。

 だが犯罪者を許さないという強い意志を持っている点だけは間違いないはずだ。その為に彼は力を発揮できるよう警察庁でも上を目指し、今の所は順調にキャリアを積んでいる。

 現在は警視庁に出向中で警視長だが、数年経てば一つ上の警視監に昇格するだろうともっぱらの噂だ。そうなれば警察庁に戻る確率が高い。内部部局なら部長や主要本部長になるだろう。

 ただ現場好きの彼なら、その後の昇進の足枷にならない場合に限り、そのまま警視庁に残るかもしれなかった。それなら刑事部などの部長か参事官、方面本部長辺りになる。

 IT関連に強い彼なら、そのままCS本部長になる可能性もあった。またはネット関連の事件に多く関わる捜査二課を従える刑事部か、国家機密情報を守る為に動く公安部辺りかもしれない。いずれにしても、これまで以上にしがないフリー記者が会う機会は減る。

 だからこそ限られた範囲で情報提供をしてくれたのだろう。そう考えれば下手な動きは出来ない。彼の経歴に傷をつける訳にはいかないからだ。その上で最大限の成果を出さなければ、彼の行為を無駄にしてしまう。難しい舵取りにはなるがその分遣り甲斐はあった。

 須依は残ったコーヒーを飲み干し、自販機横のリサイクルボックスに缶を入れて白杖を持ち、記者クラブの席へと向かった。佐々が呟いた、現場に残された物証は何かをまず調べなければならないからだ。これまでの記者としての“勘”が、そうしろと命じていた。

 これはあながち侮れない。目の病気もあり止む無く退職せざるを得なくなったが、会社は実際に須依の“勘”を働かせた能力と実績を高く買ってくれていた。辞職を決めた際も強く慰留され、せめて契約社員で残らないかと申し出を受けたほどだ。

 その為今では生活に困らない程度の仕事依頼があり、現在に至っている。会社としても、ただ惜しんだだけではない。大企業では法律により、雇用者の二%は障害者を雇わなければならないという縛りがある。その為、須依を利用したいとの思惑があったのも事実だ。

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