第三章~⑩
「でもそれだと、被害者は抵抗できたんじゃないかな。争った形跡はなかったの」
「ありません。被害者はお酒を飲んでおり、また病で体力が落ちていたのでしょう。浅いと言ってもダメージが大きかったのかもしれません。刺されて苦しんでいる間に、止めを刺されたと思われます」
須依達は頭を抱えた。余りにも腑に落ちない点が多いからである。と言うのも前の二つの事件と同じ凶器が使われた可能性が高く、チラシがあったことから連続殺人だと捜査本部も考えていた。
けれど今回は、第二の事件の被害者と関連のある人物が殺されている。しかもそれまでは接点のない女性だったが、他の相違点もあったからだ。よって無差別連続殺人でない可能性もあるとの見解が再び捜査本部で出され、捜査は混乱し始めているようだ。
連続殺人ではあるが、無差別でなく何らかの怨恨や関係性または規則性があると考えるのも無理はない。といって今回の被害者に恨みを持つ人物は、全くと言っていいほどいないという。これもある意味前の二人とは異なる点だ。
被害者は息子の死後、被害者遺族であるにもかかわらず、由美をストーカーしていたという報道が出た事で、多くの批判を受けていた。
良く聞くが、殺人事件などが起こった後に加害者家族だけでなく、被害者家族までバッシングを受けるケースに当て嵌ったようだ。自業自得だとか、親の育て方が悪いからと週刊誌などでも散々叩かれていたのである。
それが原因で被害者は六十歳の定年間近だった会社を退職。妻の勝子と離婚し彼女に旧姓の佐藤を名乗らせ、別居してから本人は一時大阪へと移り住んだという。
けれど騒ぎが収まってから東京に戻り以前いた家を売却し中古の一軒家を借りた妻と共に、隠居生活をしていたらしい。その慎ましやかな暮らしの中、妻を癌で亡くし本人も病に侵されていた。
そんな被害者が殺されるほど人に恨みを買うなど考えられないと、彼らを知る数少ない友人や近所の知人は、口を揃えて言ったそうだ。
単なる愉快犯に襲われたなら納得出来る。だが今回に限り所持品が持ち去られていたのは一体何故か。
江盛の自宅や生活状況からも、高価な物を持ち歩いていたとは考えられないという。その上先に殺された手嶋由美と関係があるだけに、謎は深まるばかりだった。
捜査本部では念の為にと、これまで名前が挙がった人物達のアリバイも改めて確認するよう指示が出たという。ただやはり遅い時間だったこともあり、はっきりした結果は得られなかったようだ。
強いて挙げれば第一の被害者である新原明日香の母、千鶴は十二時過ぎまで常連と店で飲んでおり、事件現場までの距離を考えれば犯行は不可能だと分かった。
また葵水木も勤め始めた施設で夜勤に入っていたという。夜九時から朝五時まで働いていたところを、他の職員が証言していた。
やや不審な点と言えばやはり以前の事件と同様、十二時頃から約一時間、体調を崩して休憩室で休んでいた点だけらしい。ただその間も葵を見かけた人物がいた為、抜け出した可能性はまずないという。
その上例えそこから車を走らせ、現場に向かい被害者を刺して戻ってくるのは不可能だと分かった。
そう的場から説明を受けた際、須依は首を傾げた。
「手嶋由美が殺された時も、同じような話を聞いたわね。確かあの時も、体調を崩して休んでいたようじゃない」
「そうですね。しかし以前も説明しましたが、前の施設や今度の職場でも何度かあったようです。それに休憩時間をそういう形で取る人は、夜勤だと少なくないと聞きました。やはり介護というのは体力だけでなく、精神力も消耗する仕事ですから」
「そう言われると何も言えないけど。まあ第一、手嶋由美と同じく葵水木には今更被害者を殺す動機があるとも思えないし、免許はあるけど車を持っていなかったはずよね」
「はい。時間的にも無理ですが、誰かの車またはレンタカーを借りればすぐ分かりますから」
「そういえば、被害者は車を持っていたの」
須依の質問に彼はやや間を空けてから答えた。
「家宅捜索した者から、そういう報告は無かったですね。車どころか、家の中はほとんど物がない状況だったと聞いています。余命宣告されていたからでしょう。終活の為に処分していたと思われます」
息子を殺され、妻にも先立たれた被害者の身を想像すると切なくなった。秀介も両親を亡くし今は一人暮らしだ。兄がいるとはいえ彼は別の家庭を築いている。その為孤独で心細い思いを抱いていたのかもしれない。
それが性的介助を利用するきっかけになったのではないか。しかも今は不幸な事に、殺人の疑いをかけられた影響で仕事を失ったままだ。
買い物などで外へ出る以外、家でじっとしているに違いない。それに葵と会える状況や心境ではまだないだろう。だったらどうやって日々暮らしているのだろうか。経済的な問題ではない。何を心の糧としているのかが問題だ。
幸福は自己満足によってではなく、価値ある目標に忠実であることによって得られるという言葉を、かのヘレン・ケラーが述べている。また世界で最も哀れな人とは、目は見えてもビジョンがない人だとも彼女は言った。
須依もそうだが、彼だって少し前まではそうした格言を胸に刻み、視覚障害者なりの矜持と目標を持っていたはずだ。それがここ最近のコロナ禍以降の不幸で、取り巻く環境は大きく変化してしまった。
そんな考えに陥り気分が重くなる。そこで頭を切り替え再び質問した。
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