第二章~⑤
一昨年同居していた両親が亡くなり一人暮らしとなった。だがそれまで自炊もしていたからだろう。食事を含め特にサポートは必要ないようで、問題なく生活できているそうだ。
「もう一人で大体どこでも外出できたでしょうからね。といってもコロナ禍のせいで、ここ二年位はある程度限られた場所しか行っていないでしょうけど」
「私もそう思い込んでいました。でもそれが今回、二つの事件現場近くまで行っていた事実が明らかとなって、完全に覆されました。私はもちろん、様子を聞いていた妻も全く知らなかったので、驚きしかありません」
「その施設名は教えて貰えるのかな」
「もちろんです。施設の名前はオーバーカム。英語で打ち勝つ、とか乗り越えるという意味らしいです。社会的偏見が多い性のサービスですからね。そうしたものに負けないよう、偏見の壁を乗り越えようという願いが込められ、名付けられたと聞いています」
今の社会だと、まだまだ風俗店や店で働く人に対する偏見は強い。職業に貴賎なしと言うけれど、実際に風俗嬢が胸を張って自分の仕事について他人に言えるかといえば、そうではなかった。家族や友人や近所の人達に、風俗嬢だと打ち明ける人は少ないだろう。
須依も偉そうなことは言えない。風俗店を利用する人達を蔑視していないかと言えば嘘になる。風俗を利用している人でさえ、風俗嬢に偏見を持つ人もいるというから、簡単な問題ではなかった。
そう告げると彼は同意した。
「ありますね。利用していた客が、女性に説教し始めたから揉めたなんて話、生活安全課の捜査員から聞いた覚えがあります」
「警察沙汰にまでなったのね。でもそれが現実でしょう。性サービスは提供する人も利用者も、そうやって傷つけあっている状況なのかもしれない。そう考えると、障害者の立場と似た状況とも言える。私達だって社会的偏見が多い状態で生活しているから。そう思うと障害者の性の問題というのは、なかなか難しい問題よね」
「そうなんです。だから秀介が黙秘している理由に、その点が絡んでいるのかもしれません。それは私だけでなく、捜査している一課の面々も同じだと言われました」
「そこは追及しているんでしょう」
「はい。ただその点も、あいつは黙秘を貫いています」
「なるほど。そこで私達が記者としてその施設に取材し、中に入り込んで情報を引き出せないか。そういうことね」
「はい。ただあくまでこれは、私個人によるものです。捜査本部とは一切関係ありません」
「分かった。違ってもそうとしか言えないのも分かるから」「いえいえ、そうじゃなくて」
須依は彼の背中をバチンと叩き、最後まで言わさず質問を続けた。
「他に何か言っておかなければならない点があれば教えて。まず一課では誰と誰から話を聞いたとか、どういう人が内情に詳しそうだとか喋りそうだとか、何でも言って。烏森さんと一緒に行動するけど、もちろん秘密は厳守するし警察の名前や事件については触れない。そうすれば、あくまで障害者に性サービスをする施設の取材だとしか思われないからね。障害者である私達だからこそ、取材記者としては適任でしょ」
「有難うございます。これは須依さんにしか頼めません。宜しくお願いします」
「分かった。でも知りたくない事実が出てくるかもしれない。その覚悟はしておいてね」
「はい。それは他の方からも言われています」
神妙な声を出し、頷いたらしい彼を励ますように言った。
「これは、私自身にも言い聞かせている言葉でもあるの。私にとっても、秀介君はただの知り合いじゃないから。できれば誤解であって欲しい。彼が黙秘しているのも、止むに止まれぬ事情があってだと信じている。だけど先入観に捉われず、私的な感情を持たないように、そうじゃない可能性もあると思って取材するつもりよ」
そう告げた所でふと思い当たり、念の為に尋ねてみた。
「この話、もしかして誰かに入れ知恵されたのかな」
顔を上げこちらを凝視しているらしき気配で、またまた図星だと気付く。そうなると相手は一人しかいない。だが敢えて聞いてみた。
「佐々君でしょう」
彼は渋々認めた上で、必死に懇願した。
「私が白状したなんて、絶対言わないで下さいね。硬く口止めされていたんですから」
「分かっているわよ。でもあの人の事だから、私が気付くかもしれないって薄々は覚悟していると思うけどね。だから勝手にそう推測したことにしておくから」
「実際、そうじゃないですか。まったく須依さんには敵わないなあ。その聡明さにこれまで何度も助けられていますけど、隠し事がし難いところが困ります」
須依は苦笑しながら言った。
「あなたは基本的に真面目だから。そこがいい点でもあり、弱点でもあるかな。あと私より若いのに少し考え方が古いよね」
「どこがでしょう」
「ずっとサッカーをしていて警察に入ったからかもしれないけど、典型的な体育会系でしょう。しかも男は男らしくあるべきで、女性は守るものだって昔、言っていたじゃない。空手も習っていたよね」
結婚を前提に付き合いを申し込んで来た頃の話だ。やや男尊女卑の思考があり、また視覚障害者の弟という社会的弱者がいながら、トランスジェンダーなどに対しては比較的理解が浅い。雑談の中で、そうした発言を無意識にしていたと思い出す。
彼は気付いていないのかもしれないが、そうした点も彼を受け入れきれなかった要因の一つだった。しかも最近では、コロナ禍における危機感の差も気になった。周囲に良くいる、仕事だからしょうがないと三密を疎かにする言動をするタイプだからだ。
といっても、面と向かってそうはっきり言えるものではない。よってそこまでに止めて置いた。
「そうですね。確かにそういう傾向はあると思います」
「でも分かり易いからいいわよ。それに比べれば、佐々君なんて可愛げなんて欠片もないから。ただ刑事としてあのずる賢さは、学ぶべきかもね。人としてはどうかと思うけど」
そうふざけて言うと、彼は困った様子を見せた。
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