第四章~④

 須依は正直気分が乗らなかった。コロナ過は今の所落ち着きつつあるとはいえ、まだ油断できる状況ではない。ゴールデンウイーク間近で、オミクロンや新たな変異株の拡大による第七波が来ると懸念されていたからだ。

 それに普段接しない人と至近距離で、しかも酒を飲む場所となれば感染リスクは高まる。といってこれは仕事だ。そんなことを言っていられないのも事実だった。よって念の為に二人は二重にマスクを着用した。

 靴を脱いで座敷に上がり飲み物と食べ物をいくつか注文すると、早速烏森が質問をした。こちらはウーロン茶だったが彼はビールを頼んでいた為、酔っぱらう前にと思ったからだろう。須依達は事前に、コンビニ弁当で食事を済ませていた。

「何度も警察や記者達にも話されているでしょうが、確認させて下さい。浜谷理恵さんが殺害された火曜日の夜、あなたにはアリバイがあったようですね」

「ああ。三週目の夜だったな。あの日、理恵や他の奴らは八時頃に退社したが、俺は九時過ぎだった。そこから一人で家に帰って着いたのが十時頃だ。そこからずっと部屋にいたけど、マンションには防犯カメラがあるし、カードキーで出入りする時間が確認できる。今は一人暮らしだから誰も証明してくれる人はいなかったが、おかげで助かったよ。彼女が襲われたのは二十三時前後らしいけど、その時間は風呂から上がってビールを飲みながらテレビを見ていた」

 彼がそう告げた後、店員が飲み物を運んで来た為に会話を一旦止めた。その際彼はジョッキに手を伸ばし、再び三人だけになってから口をつけて言った。

「こういう風にな。警察には見ていた番組の内容も説明したよ。それに俺があいつを殺して何の得をする。最近耳にした話では、連続殺人事件の被害者になった可能性が高いらしいな。だから警察や他のマスコミも急に来なくなったよ。それなのにあんたらは、今頃になって一体何を聞きたいんだ」

「あなたの自宅から事件現場まで、電車以外で移動した場合はどれくらいかかりますか」

 烏森の問いが気に食わなかったのか、低い尖った声で彼は言った。

「なんだよ。俺を疑っているのか」

「そういう訳ではありません。私達も当然、今回の事件は連続殺人事件だと思っています。あくまで確認事項の一つなので、お気を悪くしないで下さい」

 須依が代わりに謝り頭を下げると、彼は急に態度を変えた。

「あんた、名前何だっけ。これってスエと読むのか。スエミナミね。珍しい字を書くな」

 評判通り、面倒な奴だと心の中で呟く。ジョッキのビールがどれだけ減ったか分からないが、まだ酔っぱらうには早いだろうと思いながらも答えた。

「よく言われます。父が南海ホークスのファンだったものですから」

「ほう。また懐かしい響きだな。今の若い奴は知らないだろう。あれ。マスクを着けているけど、よく見たら別嬪さんだね。勿体ないから取ってくれよ」

 ここで烏森が間に入ってくれた。

「すみません。お気付きかと思いますが、彼女は目が見えません。生まれつきではなく、十数年前に病気で視覚障害者になったので、重症化リスクを抱えています。コロナ感染は落ち着いていますが、ご了承ください」

 これは正確に言えば嘘だ。重症化する可能性が高い基礎疾患とは、慢性の肺疾患や腎臓病、糖尿病や高血圧または脳心血管疾患、さらには肥満症や妊婦、がん患者や免疫不全の人などがそれに当たる。他にもあるが厳密に言えば、須依の病気はそれらに該当しない。

 ただこう言っておけば、どういう病気で視力を失ったのかが分からない人だと信じてくれやすかった。彼もその一人だった。

「そうか。それは残念だな。それにしても目が見えないのに、新聞記者なんてよくできるよね。うちの会社でも障害者は雇用しているけど、そういう人はいないな。だって仕事にならないだろう」

 思わず、周囲の理解や知識が不足していればそうなるだろう、と口走りそうになった。視覚障害者だって今は読み取り機能のアプリなどを使えば、パソコン上であらゆる文章が読める時代だ。健常者に比べれば、コミュニケーションが取りづらいのは理解できる。それでもできる仕事はいくらでもあるのだ。

 そうした知識や理解が遅れているから、いつまで経っても障害者の働く環境は良くならず、裾野も広がらない。あなたのような人がそうさせているんじゃないか。そう怒鳴りたい気持ちを押さえる。 

 こういう輩に言っても無駄だし、あくまで彼は取材対象者だ。不機嫌にさせては元も子もない。しかも横にいる烏森の発する気配に、怒気が感じられ始めた。その為得意の愛想笑いを浮かべて言った。

「そうですね、だから会社は一旦退職し、今はフリーで正社員の彼に手伝って貰っています。そういうフォローしてくれる方がいないと、仕事にならないものですから」

 中身は事実に即している。また健常者である相手を持ち上げておけば問題ないはずだ。この手の輩は立場の弱い相手を見つけると、常にマウントを取りたがる。したければそうさせておけばいい。

 須依が思った通り、尊の声は弾んでいた。

「そうだな。でもさっき座敷に上がった時に気付いたけど、君の足は義足だろう。なるほど、障害者同士で助け合っている訳だ。二人で一人前ってところか」

 頭に血が上りかけたが、大きく息を吸って吐く。十年前の須依なら彼の頭をサッカーボールに見立て、蹴り砕いていただろう。しかしもう今は四十半ばのいい大人だ。取材相手に腹を立て、傷害事件を起こすような真似は出来ない。

 烏森の嫌悪感が再び高まった為、机の下でこっそり突ついてから口を開いた。

「そうなんですよ。半人前同士で申し訳ありません。ところでさっきの質問ですが、車だとどれくらいかかりますかね」

 改めて事件現場の住所を告げただけでなく、彼のマンションの場所を小声で呟いた。するとそこまで把握されているとは思っていなかったのだろう。不機嫌な声に変わった。

「知っているなら、聞かなくても調べれば分かるだろう」

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