第四章~⑥
「それなら関係なさそうですね。理恵さん達はどうですか」
「あいつの親は俺より十歳ほど上で、まだ五十代だから介護なんて関係ない。病気で寝込んでいる家族もいるとは聞いたことがない」
「薫さんのご両親はどうですか」
「父親は少し前、勤めていた不動産会社を定年退職したが元気だと聞いている」
「華道とは関係のない仕事をされていたんですね」
「ああ。先々代の祖父もそうだったが、父親も婿養子で別の仕事をしていたんだ。それに先代が体調を崩していた頃、介護施設は利用していなかったはずだ。病院を行ったり来たりしていたようだけど、周りには人が沢山いる。住み込みで働いている弟子だっているんだ。外部の人間に頼ったりはしないだろう」
「では皆さん誰一人、そうした施設に関わっていないのですね。友人や知人でそうした仕事をしている方もいらっしゃいませんか」
「いないね。あるとすれば、仕事関係で取材する位だろう。しかし俺や理恵もだがそんな取材は記憶にないな。薫が会社にいた時も部署が違うから、そんな接点はまずない」
「それでは病院はどうですか。薫さんの母親、つまり先代の家元は何の病気で亡くなったのですか。通っていた病院はどこですか」
彼はすらすらと教えてくれた。その口調や声のトーンを聞く限り、これまでの質問と変わらず淀みが無く、嘘も感じられない。
烏森に質問をさせたのは、須依が集中してその点を探る為だった。どうやら介護施設については空振りに終わったが、別の情報を入手できた。
その為、曇天の空に僅かながら光が漏れる様子が頭の中に浮かんだ。そう考えると、大きな収穫を得たと言える。あとは薫に当たればいい。さらなる情報を収集した上で、あらゆる可能性や疑問を潰す必要が出てきた。そうすれば真実に辿り着ける。そう思える筋道がようやく見えてきた。
この後いくつかの雑談を交え、尊の飲み食いが終えるのを待ち、十一時過ぎに三人は店を出た。腹立たしいが、彼の分の代金はこちらの負担だ。取材費として経費処理できるとはいえ、余り気分がいい物ではない。しかも須依達はウーロン茶のみで、何も食べなかったから余計だった。
駐車していた車に乗り込み、烏森と二人で帰宅する途中に会話を交わした。
「明日は薫だな。しかし尊の話からすると、これまでの関係者と接点は無さそうだ。それに奴が今回の殺人に絡んでいるとも思えない」
「それはある程度予想していましたから。問題は本当に四人目の被害者も、連続殺人犯に殺されたのかどうかです。まずどうして彼女が狙われたのか。単に目を付けられただけなのか。そこをはっきりさせないと、次には進めないと思います」
「分かっているさ。それにしても尊という奴はむかつく奴だったな。取材対象者じゃなければ、とっちめてやるところだ。会社の上司に苦情電話をするなりあいつの言動をネットで晒せば、多少は社会的制裁を受けるだろう。出版社の人間だからな」
彼の毒舌に須依も乗っかった。
「あの業界に限らず一定数はいますよね。相手を蔑んで喜ぶ奴って。意識的にしているのか、無意識なのかは知りませんが。だから周囲の評判も悪かったんだと思います」
「理恵さんじゃなく、尊が被害者だったら良かったのにという人もいたからな。こう言っちゃなんだけど、俺も一瞬そう思った」
「我慢してくれたから良かったですよ。もういつ烏森さんが殴り掛かるかと冷や冷やしていましたから」
「よく言うよ。須依の方こそ、蹴り倒そうとしていたんじゃないか」
図星だったので肩をすくめると、彼は笑いながら言った。
「まあ俺も人の事は言えないけどな。相当堪えていたつもりだったが、そんなに分かりやすく怒りのオーラを出していたのか」
「もうひしひしと感じましたよ。さすがにおかしな真似はしないと思いましたけど、それでも相当怒っていましたよね」
「それはそうだろう。あれだけ露骨な奴に会ったのは久しぶりだよ」
「本当ですね。コロナ禍になり親切な人も増えましたけど、それ以上に偏見を持つ人達が表面化した気がします。非常時こそ人間の本性が出るといいますが、その典型ですね」
「全く嫌な世の中になったな。特にバブルが弾け経済成長が止まってからのここ三十年、どんどんおかしくなっていくばかりだ」
同感だったが、敢えてプラス面を挙げた。
「でも昔は考えられなかったような、世界で活躍する若い人達が増えましたよね。それもしっかりとした人格者が多いでしょう。それが唯一といって良い救いかもしれません。若年層の人口は減るばかりですが、まだまだ日本も捨てたもんじゃないと思えますから」
「それだけ日本の魅力が無くなったとも言える。だから海外に目を向けられるんだろう」
そうかもしれない。ただ将棋の世界のような日本主体の業界でも、若者の台頭は目覚ましい。そんな人々の発する言葉から、偉業をなし遂げながら謙虚でかつ取り組む姿勢の真摯さは強く感じられる。
さらに今時の若者の特徴かもしれないが、好きで楽しんでいるからこそ努力が苦にならず、だからコツコツと続けられるという共通点があった。好きこそものの上手なれを地でいく姿は、中年の仲間入りをした須依達も見習うべきだろう。
努力家で真面目で謙虚であることは、長年日本人の美徳とされてきた点だ。それを今の大人達の多くは失ってしまった気がする。
いくつになっても
人生百年時代と本気でいうのなら、須依などまだ折り返し地点の手前だ。ここから先の人生はまだまだある。そう考えれば、もっと真摯に日々の努力を欠かさず、謙虚であり続けながらも好きなことを楽しんでやるという行動なら、自分だってできるのだ。
視力を失った後も記者という職業を諦めなかったのは、この仕事が好きだからである。もちろん辛い経験もして嫌な目に遭い、逃げ出したくなった思いもしてきた。
それでも烏森のような代え難い理解者や協力者がいて、それを上回る喜びと遣り甲斐を感じられたから、続けて来られたのだろう。
仕事に関わらず、そう思えるものの存在はとても幸運であり、恵まれていると思う。世の中の大半は、そう感じられるものが見つからないまま、目先の生活を維持する為に働いているのかもしれない。
そんな事を考えながら、須依は烏森に家まで送って貰い帰宅した。明日は朝から薫に直撃する為、華道教室兼自宅を訪問する予定だ。その最寄り駅に朝九時に集合し、そこから歩いて向かうと決めた。
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