弱者は復讐する~盲目記者・須江南海の奮闘~
しまおか
プロローグ
指示通り、折り畳み式の
だがここまで来て今更引き下がれない。それにこれからする行為はあの人達だけでなく、自分の為でもあるのだと言い聞かせ、ぐっと堪えた。
相手に接近したところで手袋を嵌め、バッグから取り出した刃物の柄を白杖の先に嵌め込む。事前にワンタッチで装着できるよう、細工されたものだ。締め付け部分をねじり、しっかりと固定する。
しかしただでさえ使い慣れていない杖で、しかも先端がいつものものよりずっと重い。その為左手を添えて構えた。もう少し右、上などガイドに従って位置を調整する。立ち止まっているはずの相手に、そこという合図で力を込めた。
「一、二の、三!」
カウントの最後で思い切り腕を伸ばす。グッという相手のうめき声が聞こえた。と同時に軟らかくもあり、硬くもある不快な手応えを感じた。そこでつい反射的に杖を手放してしまった。その様子を見ていたあの人に小さく、だが鋭い声で
「しっかりとどめを刺して」
刃物は間違いなく刺さったはずだ。しかし致命傷を与えなければ意味がなく、相手を余計に苦しめてしまう。その為慌てて手探りし、再度杖を掴む。感覚でまだ背中に刺さったままだと分かり、もう一度押し込んだ。また
申し訳なく思いながら、さらに強く力を込めた。
ようやくドサリと倒れる大きな音がしたので尋ねた。
「もう、大丈夫かな」
「いいと思う。念の為に周囲を見渡して」
言われた通り首を左右に振り、背後にも視線を向けた。
「うん。誰もいない。じゃあできるだけ返り血を浴びないよう、少し時間を置いて注意しながら杖を引くように」
人間の体は刺してからすぐ抜くと、
近くに人がいないか何度も確認した後、もうそろそろいいと言われ、少しずつ引っ張りながら後ずさりした。その際も忌まわしい感触が手に伝わったけれど必死に我慢した。
「大丈夫。血はそんなに出ていない。後は例の物を置いて。包丁を外し、杖と一緒にバッグの中へ放り込んでから移動して」
その声を聞き何故かホッとする。ただでさえ障害者は目立つ。夜遅い時間とはいえ、返り血の浴びた服装を誰かに見られれば目に留まるだろう。できれば現場を素早く離れ、何事も無かったかのように着替えを済ませたい。その対策の為に今回凶器を白杖に付けたのだ。
基本的に白杖は、自分の身長から四十五センチ引いて二十%前後で調整される。その為一六〇センチと小柄だから普段の長さは一一五センチにしていた。だがこれはもう少し長い。距離を置けば、相手の血が衣服に着く確率も低くなるからだとあの人は言っていた。
実際にやってみたところ、刺した瞬間は杖の先辺りに血が飛んだらしいが、体までは届かなかったはずだという。指示通り杖から包丁を外し用意していた布に撒いてから袋に入れた後、バッグに仕舞う。最後に手袋を外す時、出来るだけ血がつかないよう注意もした。
再び誘導により、公園の街灯が届かない場所へと移動する。防犯カメラは無いと聞いているが、怖いのは人の目だ。よって何度も周囲を見渡すように首を振り安全を確認し、慌てないようバッグを杖代わりに使い、次なる目的地へと向かった。
そこでしばらく待機し、約束の時間になってから再び移動する予定だ。それまで誰も来ないことを祈る。ここで人に見つかれば、全ての計画が台無しになってしまう。
先程人を殺した感触がまだ手に残っていた。そんな恐怖にも怯えながら待つ時間は重苦しく、永遠とも思える程長く感じた。
慣れているはずの暗闇が、いつもより濃い。ようやく待ち人が現れ、言われるがまま車に乗り込んだ。座席に血がつかないようビニールシートを敷いている為か、ガサガサと音がする。
それが耳障りで座り心地も悪い為、なかなか落ち着かない。走り出して現場から遠ざかり、段々慣れてきた所でやっと安堵できた。
そんな様子を見たからか、運転席から優しい声で労わりつつ車を停車させ、指示を出された。
「お疲れ様。ざっと見た所、衣服に血はついていないようだけど、念の為に着替えて」
素直に従っていると、医薬品の匂いがツンと鼻についた。周囲を念入りに拭き取っているらしい。手袋を外した後の手も、丁寧に拭ってくれた。
凶器と一部のもの以外は全て廃棄する予定だが、車や着替えた服などに被害者の血痕が付くと困るからだろう。警察に目をつけられ鑑識が入れば必ず発見される。そうなると言い逃れが出来ない。
しかし例え逮捕され最悪の事態に陥っても、絶対にこの人は守ろうと決めている。あの時受けた屈辱を再び頭に蘇らせた。そうして絶対何も喋らない覚悟をさらに固めた。
ガサガサとビニール袋らしき音が止み、言った。
「もういいかな。服と靴やバッグ等は、私が後で処分しておくから」「お願いします」
「何を他人行儀な。もう私達は共犯で運命共同体だから」
そう言って、頬に柔らかい唇を軽く押し付けてきた。けれど人を殺してきたばかりだ。いつものように抱きつきたくなるほどの性欲は湧いてこない。それを察したらしく言った。
「今日はこのまま解散しよう。家の近くまで送るから」
その言葉に黙って頷いた。シートベルトを嵌め、少ししてから再び車が動き出す。走りながらぼんやりと考える。今日はまず眠れないだろう。恐らく食欲もないだろうが、それでも普段通りの時間に起き、朝食を作って食べなければならない。日常と変わらない生活を過ごせと前もって言われているからだ。
けれど部屋にいる時間は、静かにじっとしていよう。こういう時、一人暮らしなのは気が楽だ。しかしこれまで同様、かつてのような生活にはもう戻れない。関係者にも迷惑をかけたままだ。特に兄が問題だった。そう考えるとやはり気が重くなる。
障害を持っていたが仕事にも恵まれ、これまで生活できる基礎をつくってこられたのは間違いなく家族のおかげだ。両親達から受けた無償の愛の深さがあったからこそ、周囲の人達の支援も受けてこられた。その恩には感謝してもしきれない。
だが新型コロナという忌々しいウイルスのせいで、生活環境は急激に変わった。目の見えない基礎疾患を持つ自身が、感染により重症化して死ねばよかった。何度そう思ったことか。けれど幸か不幸かそうはならなかった。もし世の中がこんな状況になっていなければ、犯罪に手を染めようなどと思わなかったかもしれない。
しかし後悔はしていない。なるべくしてなったのだ。例え死刑になろうとも構わない。これ以上差別や偏見が溢れた世界で生き続けるなど御免だ。自宅に着くまでそう自分に強く言い聞かせていた。
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