第二章~②

 本来なら犯罪捜査規範第一章第一節の第十四条に従い、警察官被疑者、被害者その他の事件の関係者と親族その他特別の関係に当たる為、捜査に疑念を抱かれる恐れがあるので外れるのが通常である。それにただでさえ視覚障害者を相手にした聴取は難しい。健常者と違い、目の動きなどで相手の動揺を探れないからだ。

 その上のらりくらりと交わすのではなく、ただ何を聞いても黙ったままなら、説明の矛盾点を突けない。暴力団関係者の取調べだと、こうした黙秘は頻繁に起こると聞く。しかしその場合、状況証拠などをある程度固めている為、そのまま起訴され刑罰が与えられるケースはよく見られた。

 けれど今回は殺人罪だ。しかも相手は一般市民の障害者である。無理やり逮捕し起訴したとしても、裁判で戦うには難しい。さらに冤罪ともなれば世間が黙っていないし、その上兄が捜査一課の刑事なのだ。捜査本部が慎重になったのも止むを得なかった。 

 だが兄の言葉に弟は苦しい表情を浮かべていたものの、終始耳を貸さなかったという。そこで的場だけでなく第五強行犯係全体が、完全に捜査担当から外されたのだ。

 そもそも第一の事件から、彼らの中に犯人がいるのではと騒がれていた。その疑いを晴らす為、下手に引き下がれば認めてしまうと上層部は考えた。その為関連する事件の可能性が残っていた点を理由に、別の係に任せず担当を続けさせていたのである。しかしよりにもよって容疑者が係の身内から出たのだ。よってこの処分はさすがに避けられなかった。

 もちろんまだこの時点ではあくまで参考人に過ぎず、事件に関与している証拠がなかった為、マスコミも実名を報道していない。それでも捜査員の身内である視覚障害者だと、記者達は皆知っていた。 

 秀介の部屋は任意で家宅捜索を受けたが、凶器や被害者の返り血を浴びた服や、犯行時に使用していただろう手袋なども発見できなかったという。また視覚障害者の秀介が、背後からとはいえ包丁などで女性を刺殺できるかと考えれば、かなり疑問が残る。彼が歩く場合は、必ず白杖を突かなければならない。よって近づいてくれば、健常者なら間違いなく分かるはずだ。

 一人目の被害者は酒を飲んでいた為、気付かなかったのかもしれない。または二人目を含め、障害者だからと油断していた場合もあり得るだろう。それでも被害者は二人共、心臓の近くを一度しか刺されていない。しかも強く刺されたその一撃が致命傷となっていた。

 そんな真似が視覚障害者に出来るのか。捜査を外され待機を命じられている彼と話をする為、須依は前回佐々とも話した同じ場所に向かい顔を会わせた。そこで的場からそう聞かれた時、即答した。

「絶対無理。秀介君がどれくらい察知能力を持っているかは分からないけど、私でも一回で絶命させられる自信なんてない。一回だけならたまたま上手くいった可能性はあるだろうけど、それが二回ともなれば神業よ」

「そうですよね。秀介は須依さんと違い、生まれてすぐに視力を失っているから、障害者としての期間が長いのは確かです。それでも須依さんほど感覚が鋭かったとは思えません」

 視力を失った期間は、彼の半分に当たる十五年ほどだ。しかし須依の場合は、健常者だった頃から転勤で各地を回っている中で、人の顔色を窺う能力を磨かれていた。

 その場の空気や人が発する気を感知する力は、サッカーでも鍛えられた。耳で敵が近づく足音などを聞き分け、タックルを受けたりスペースを潰されたりする前にパスを出す、またはドリブルの方向を変えるなどして、日本代表ユースに選抜されるまでになったのだ。

 そのような以前から備わっていた能力は、記者になった後も活かされた。取材相手がどう感じているか、又は嘘をついているか否かなどを知ることは、必要不可欠な要素だったからでもある。

 けれども視力を失った為、取材相手の表情から情報を読み取れなくなった分、それを補おうと相手の声のトーンやイントネーションの変化、または気配などから感じ取ろうと懸命に努力したのだ。

 その上聴覚に加え触覚も磨いた。軽く相手の手や腕などに触り、動揺しているのか緊張しているのかなどの心理状態を、かなりの精度で察知できるようになった。これは健常者だとなかなかできない。女性からべたべたと男性の手や腕を触れば、誤解を生む恐れがある。今や世間でも話題となった、逆セクハラ問題に発展するからだ。

 けれど視覚障害者であれば話は違ってくる。道などを誘導してもらう際、相手の体の一部に触れる動作はごく自然な行為だ。相手の腕や肘、肩を掴む行動は必要な行為でもある。それを利用し嗅覚も増そうと訓練した結果、眠っていた新たな能力を引き出せたのだ。

 そう考えれば、それほど高い精度まで必要とせず訓練もしていなかった秀介が、須依より優れた能力を持っているとは思えない。高校を卒業して警視庁の試験に合格し家を出るまでの長い間、彼を近くで見守っていた的場もそういうのだから間違いないだろう。

 それに彼は須依と同じ五人制サッカーのチームメイトだ。ここ二年ほどはコロナ過の影響で、なかなか参加できていない。けれど共に汗を流しながら練習をし、何度か試合もこなしてきた経験があるので性格も含め、それなりに理解している。

「刺し殺せるかどうかの前に、秀介君がそんな真似のできる人間だとは思えない。それに動機がないでしょう。被害者達との接点は全く見つかっていないよね」

「今捜査している第二と第三強行犯係の話によれば、まだ見つかっていないようです。ただあいつが何も話さないというのが、全く理解できないんですよ。やましい事が無ければ、あの時間帯のあの場所に何故いたのか説明できるでしょう。それをしないから、いつまで経っても疑いが晴れません」

「あなたが新原明日香の件を担当していたと知ってはいたようね」

「当然捜査内容については、家族にさえ話していません。ただあの件で忙しくしていたと、妻は気付いていたようです。しかもマスコミが騒ぎたてているニュースを見て、不機嫌になっていると感じ取っていたからでしょう。ワイドショーなどでも扱われていた事件なので、新原明日香を逮捕できなかったから私が悔しがっていると、秀介の様子を確認する際に雑談で喋ったかもしれないと聞きました」

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