美術館送りの刑【2】トトキ市魔神美術館にようこそ

「俺の父は、すでに死んでいる」

 運転席で惑羽イチトが淡々と語る。

「魔神侵攻の折に亡くなった。俺の家族で唯一、こちら側で死ねた男だ」

 

 助手席の真道シガヤは脱力した体勢で窓の外を眺めていた。軽トラックの窓ガラスの向こう、田んぼと青空が広がっている。遠くに鎮守の森も見える。

「俺についてきて皇都なんかで暮らしたから」

「……ひょっとして、お父さんのこと恨んでる?」

 シガヤがそう尋ねたのは、イチトの声色に不機嫌が含まれていたからで、彼が家族語りをする時に聞いたことがなかったから。


「『恨む』」

 イチトはそれが初めて聞いた単語かのような返答をした。通行人がいない赤信号で止まる空虚な時間。


「恨むものか。あの頃はもう、恨むほど接していない。俺は寮に入って、父は友人のもとへ転がり込んだ……俺は皇都入りの口実に使われただけだ」

「あは、恨んでんじゃん」

 幼子に感情の名前を教えるように、シガヤは断言する。だけど人を呪うには明るい声で。目も歪な三日月ではなく、いっそ上機嫌とも言えるそれで。

「でもそういう『友人』がいるの、いいネ」

「誰も居ない家で余生を過ごすのと、気が置けない友人のもとへ赴き死ぬのと、どちらがマシだったのだろうな」

「すでに答え出てるでショ」

 返事の代わりにイチトは車のアクセルを踏んだ。車両向け信号機は青で、日差しの強い中アスファルトの一本道をゆく……。


 本日の回収員業務。

 1班は某地区公園に潜む魔神の回収。

 2班はトトキ市魔神美術館への絵画の運搬。

 シガヤたちが美術館に行くことになるだろうと誰もが思っていたのでこの分担に異論は出なかった。


 昨夜にシガヤが魔禍濡れを起こしたことなど回収員たちは知る由もなく、ただいつも通りに業務をこなす。


「……今日は回収しなくていいから楽だネー」

 家族語りを終わらせるためシガヤは話題を変える。道の先は片側一車線のアスファルトが続く。道路脇に生える名も知らぬ植物の茂みは、道をゆく人よりも背丈が高い。

「シガさん」

 イチトは短く相棒の名を呼ぶと用件を告げる前に減速した。茂みがちょうど途切れた箇所に、子供たちが集まっているようだ。全員がランドセルを背負って、黄色い帽子をかぶって。

「トラブルかな?」


 非日常独特の気配を察してシガヤは軽トラックの助手席から飛び降りる。イチトも道端に停めて後に続いた。荷台に積んだ博物館職員の絵画は気になったが、盗る者は居ないだろうと判断してそのままだ。


 子供たちは、近づく他人の気配を察してこわごわ首だけで振り返る。全員が手を合わせたままだ。

 拝む先は、道端に置かれた石像。目の大きなムジナを模したもの。古い物なのか下半身は苔に覆われている。


 それがジエン市で見かけた苔の魔神を思い起こさせるから、シガヤは一瞬眉を顰めた。付近に石像の曰くを語る石碑の類はない。


「もういい?」

 女の子がひとり、シガヤとイチトに不安げに尋ねる。帽子のつばが邪魔で子供たちの目は見えない。何を考えているのか掴めない……ふたりの回収員は互いに目配せをした。

 シガヤがしゃがみ込み子供たちと目線をあわせる。みんながすがるような眼差しで大人シガヤを見る。

「学校、行かなくていいの?」

 やさしく尋ねるとひとりの男の子が首をふった。泣き出しそうな顔だった。手はかたくなに、石像にあわせたままで。

 こりゃ何かまずいものだなとシガヤにもわかり、改めて石像を見る……。


 石像が先ほどより膨らんでいた。


「……ッ」

 シガヤは驚いて尻もちを付き、同じタイミングで石像を見たであろうイチトは腰から下げた公色警棒のひとつに手をかけた。

 しかし、イチトが行動に移すより前に、別の通行人が声をかける。


学校に行ってですわよ」


 日傘を差した若い女だ。紫色の髪留めで抑えたセミロングの髪が熱を帯びる風に揺れている。

 女からが下りた子供たちは、一目散にその場をかけていった。イチトとシガヤたちが来た道を引き返す。此方を振り返ることもなく。


「見かけたら、ちゃんと逃してあげないと可哀想ですわ」

 女の声は冷たい。事情をしらぬイチトとシガヤを明確に咎めている。

 石像の大きさは元に戻っていた。先程は見間違いをしたのかもしれないと、シガヤがイチトを見上げるがイチトは首を振った。

「コレは?」

 イチトが公色警棒を石像に向けた。シガヤは確光レンズをかざしてみるが、特徴的な色は見えない。

「さあ。地元の怪異、というところではないでしょうか。『魔神』が異界性怪異を指すなら、これは土着性怪異と呼ぶべきかと」

「コレの名前知らないんだ?」

「ええ。コレ。『博物館』が放置しているなら、そっとしておいた方がよくなくて?」


 それだけ言うと女は回収員から離れていった。ただの通行人に戻るように。ふたりが行く先に向けて早足で歩いていく。


「……イチトくん。一応コレ、博物館に聞いておこうか」

「それがいい。あの子供たちが祈っていなければ果たしてどうなっていたことか」

「あるいはあの女の人が通っていなければ、だ」


 イチトとシガヤを乗せた軽トラが石像を離れる。先を歩いていた女をすぐに追い越す。シガヤはサイドミラー越しに彼女を伺ったが、日傘に遮られて顔は見えなかった。

 

 

 ……。


 

 軽トラックを走らせて、お化け電信柱の通りを抜ける。シャッター通りの商店街を突っ切ってひたすらまっすぐ道を走れば、やがてトトキ市にたどり着く。


 いわゆる「十時型」に区分される魔神は、この地を中心に観測されたので土地の名が冠された。


 トトキ市はモルグ市に比べ「人が住むための街」という雰囲気が強い。魔神の被害が大きすぎたモルグ市よりも、復興が早めに済んだからだろう。

 美術館のある通りは新しい建物が多いが、少し外れた所に足を伸ばせば、古い町並みや情緒溢れる木造の橋が残っている。


「着いたぁー」

「随分と大掛かりな施設だな」

 トトキ市魔神美術館は、ガラス箱の芸術品のような外観である。三方をガラス壁で囲った内側に、黒煉瓦で構成される本館が在った。施設の周りを巨大な樹が守るように囲っていて、雄々しい幹は「箱を掲げる人の手」にも見えてくる。

 モルグ市魔神博物館の、無機質な箱に似せた外見とは趣が異なる……彼方は墓所で此方は籠。


 ふたりが駐車場にて絵画をおさめたプラスチックボックス2箱をどう運ぼうか話し合っていると、ガラス箱の施設から誰かがやってきた。

「シガぴ~!」

 人懐っこい青年の声。それに反応してシガヤも嬉しそうに片手をあげる。

「トッシー!」

 知り合いかと尋ねる前に「しがぴ?」とあからさまに怪訝な声がイチトの口から溢れてしまった。


 トッシーと呼ばれた青年は派手な風貌をしている。まずワックスで前髪を逆立てている。イチトから見て右側の髪の根本に鮮やかな紫メッシュ。そして羽織りは蛍光黄緑、ズボンは赤色。色合いがガチャガチャしていて、彼本人がポップアートとして美術館に飾られていてもおかしくはない。


「どーもどーもこんにちは。おれはトッシー錯真です!」

 人懐っこく握手を求められたのでイチトは一応それに応じる。彼の指先はインクで汚れていた。

「おにーさんの名前は?」

「妙なあだ名を付ける気なら伏せてもらおう」

「実は知ってんだ、惑羽一途くん! というわけでよろしくねイッチー!」


 イチトは説明を求める不機嫌な顔をシガヤに向けた。シガヤは「ごめんネ」と片手で謝る。

「前に話した、美術館にいるお友達が彼なんだ。ちぎり絵師の錯真徒汐さくまトシオ。高校美術向けの資料集にも作品が採用されてる、気鋭の現代アート作家サ」

「ほう、資料集に……ところでシガさんとの関係はなんだ」

「貴重な飲み友だヨ。ひとりっこ同盟でもある」

「珍妙な同盟を組んでいるんだな……」


 まだ握手されっぱなしなのでイチトは柔らかくトシオの手をほどく。解放された手にはいつのまにか名刺を持たされていた……『暗黒ちぎり絵師』という酔狂な職業名には触れず、イチトは名刺をサイドポーチにしまう。


「イッチーもシガぴと同じで皇都から来た人なんだろ?」

「所属は皇都警察だ」

「ゲッ警察かぁ」

「なにか後ろめたいことでも?」

「ないないない! ほら、美術館を見に来たんだろ! 見よう見よう今すぐ!」

 トシオは取り繕った笑顔を見せると、ふたりの腕を引いて美術館に誘いこむ。

「おい、俺たちは絵画の搬入に来たんだ……」

「そんなん美術館スタッフに任せりゃいーから! なぁシガぴ!」

「まぁ事前に連絡入れてるし、やってくれるならお任せだね。入館料はトッシー持ちでいい?」

「まかせなさい! でもよければグッズは買ってって!」

 

 引っ張られながらイチトは、ブルーシートを被せたプラスチックボックスを見送った。軽トラックの脇に下ろされた2箱は視界の端で、死体を思わせる静かな存在感を放っている。

 

 

 ……。



 展示までをわざわざ案内する気はないようで、中に入ってしまえばトシオはさっさと館内カフェに避難してしまった。黒煉瓦に覆われた美術館内は冷えていて、しかし照明の色は温かく、どことなく居心地が悪い。


「あの男は、この美術館のなんなんだ。権力者か?」

「いや、この美術館に『所属』してるアーティストさ。館長サンに可愛がられてる秘蔵っ子」

「パトロンつきの作家ということか」

「その上『魔神美術館』だ。胡散臭さしかないよネ!」

 

 館内は温度以外にも、独特の威圧感が漂っていた。イチトはその正体が『魔禍』だと、もう分かる……隣に立つ男が最近しとどに濡らしたものだから。


「ここにはトッシーの作品と、北高にいた『山茶花』の作品もあるのか」

「あれからちゃんと調べたけど、彼女もここの館長のご贔屓のひとりみたい。だから絶対に在るね」

 トシオは特別企画展のチケット代までは支払ってくれなかったので、ふたりは常設展だけを足早に見てまわる。


 暗い館内、待ち受けるのはセンセーショナルな作品の数々だ。嫌いな人は嫌いだろう。一方で『白い面』の前で恍惚の表情を浮かべている客も見かけた。好きな人は好きなのだろう。

 面の説明書きに「山茶花鬱凶さざんかウキョウ」の名前を見かけてイチトとシガヤは顔をしかめる。面の造形はとりわけ繊細なもので、彼女の下品な笑いとどうしても印象が結びつかなかった。


「あっちには博物館職員の絵があるネ。ちゃんと飾ってくれてんだ」

 シガヤに袖を引っ張られて面の展示から距離を置く。導かれた先は照明が絞られたスペースだ。そこに近づくごとに嫌悪感が喉までせり上げ、イチトもシガヤも遠巻きにしか見ることができなかった。

 博物館内で雑に並べていた絵と、時期が違うが同じ生まれのものだというのに。魔禍由来の不快感がこの場では何倍にも膨らんでいる。


 思わず順路を振り返れば、山茶花鬱凶の作品があまりにも神々しく見えた。拝む客も敬虔な信徒に見える錯覚に陥る。

「……ただ魔禍濡れのままに筆を踊らせたところで、『作品』には成りえないってことカナ」

 なにが芸術たらしめるかを知らぬ、身の程知らずの恥知らず。それを市民に知らせるの展示に思えて、居た堪れなくなったふたりは博物館職員作品の展示から離れる。


 ――だから、その絵の中に『ムジナの石像』を描いたものがあることに気づかなかったし、それが子供を食べることを示唆するものということも、今は知らないままでいられたのである――


「それで、これが錯真徒汐の作品か」

 展示の終盤、だだっ広いホールにて。天井まで届く巨大なちぎり絵の前で、ふたりは唯一しっかり立ち止まった。遠くから見た方が全体像がわかりやすい、と絵から距離を取りなおす。

 鳥のちぎり絵。作品名は『不死鳥』。

 もう一度絵に近づいて見ると、その絵が多種多様な紙で出来ていることに気がつく。折り紙、ティッシュ、切符、写真。許しを請う手紙、離婚届の一部、死亡者多数を報じる新聞記事、手書きの魔術書。


 解説文には「錯真徒汐による通称『暗黒ちぎり絵』。素材は魔禍の影響を受けた紙のほか、個々人の内情や思い出、呪いの込められた物が中心。本作品は大日本文化書院出版の高校用美術資料集にも掲載されている」と記載があった。


 不死鳥の表面がざわついた気がして、イチトはポケットに入れっぱなしの確光レンズを取りだして絵にかざす。鏡面が一瞬、虹色に輝いただけ。見間違いとも判断できるほど短い時間だ。

「これだけでかいと圧倒されちまうなぁ……」

 首を目一杯上に向けながらシガヤは驚嘆の声を漏らす。シガヤが作品に飲まれるのではと不安に思いイチトは手を伸ばしかけたが、ちぎり絵の一部に「忘れたくない」という走り書きの文章を見つけたので、伸ばしかけた手を下ろす。


 結論、この美術館は見るだけで精神力が削られる展示ばかりだった。


 ロビーに戻れば特別展側の入口近くで、先ほど見かけた紫色の髪飾りをつけた女を見つける。彼女もまた此処を目指して歩いていたのかと理解する。

 彼女が拝むのは錯真徒汐の小さな作品で、破裂した花のちぎり絵に祈りを捧げている……。

「魔神信奉者シンパのための施設だ」

 シガヤが女を遠巻きに冷ややかに告げる。彼女の髪飾りは、錯真トシオのメッシュとまったく同じ色だ。それだけで『熱心なファン』だと、今なら理解ができる。


「錯真徒汐に山茶花鬱凶。十時市魔神美術館が擁する『13人の狂った芸術家』と、作品の信者が集うハコ……」

「なぜシガさんは、トッシー錯真となんか友達でいられるんだ?」

 イチトが真面目にトシオの自称で呼ぶものだから、シガヤは笑いを咳払いでごまかす。それから少し考えて。

「オレ友達すくないから、人を選んでられないの」


 やがてロビーに並び立つふたりのもとに、美術館のスタッフが早足で寄ってきた。二の腕には「魔神美術館」の腕章がある。

 ふたりが運んできた絵画は問題なく納品されたこと、適切な処理をして展示または処分されることを告げられる。

「よければ飾ってネ」

「企画次第ですね」

 棒読み気味のシガヤの言葉に美術館スタッフも淡々と返す。魔禍の発露の結実がどう扱われようとシガヤが惜しむことはなく、だからこそ彼も芸術家たりえない。



 ……。



 美術館内に併設されたカフェでは、ソファ席でトシオがストローをくわえたまま体操座りをしていた。カフェ内に他の客は居ない。

 流れでシガヤが相席を持ちかけると、どうぞと着席を促されたのでふたりの回収員は向かいに座る。

 シガヤの手にはほうじ茶ラテ、イチトはロイヤルミルクティー。トシオのグラスはからっぽで、何を飲んでいたかは分からない。


「うちの作品どーだった?」

「相変わらず気持ち悪かったワ」

 シガヤの返答にトシオが「わはは」と楽しげに笑った。

「お前の作品は……『不死鳥』は、どうしてつくろうと思ったんだ?」

 イチトの問いかけに、トシオは質問者の目を覗き込む。トシオの美しいブラウンの目に、イチトの茶に焼けた目が反射する。

「死にたくなったから」

 真顔で告げたあと再びトシオは「わはは」と笑ってソファの背もたれに身を預けた。


「そういやシガぴは出張に行ってたんだろ。魔神のお話、聞きたいなぁ~」

 猫なで声でおねだりをするトシオにシガヤは「ふぅん」と悩む声。

「聞きたいならここのケーキぐらい奢ってヨ」

 この子に、とシガヤがイチトを指差す。イチトは提案を辞退しようとして、しかしレジ上のメニューに目を向けてしまったので『負け』だった。

「このカフェ、パウンドケーキがおいしいよ。ドライフルーツがのってるの。おれのオススメはスコーンだけどね」

「パウンドケーキがいい」

「オレが行ってくるわ。トッシー財布貸して!」

「カードだけ貸すね!」

「うわ黒い~オレはじめて見たよブラックカード……」


 席を立つシガヤを見送ってイチトとトシオは視線が絡む。双方が不機嫌そうな眼となって、先に視線を外したのはイチトの方だった。

 視線の先はテーブルの上にあるトシオの持ち物。よれたルーズリーフ。赤ペンで『7月7日』『モルグ市商店街』と簡潔なメモが書かれている。

「……異界案件に積極的に関わろうとするんじゃないぞ」

「おれに言うこと聞いてほしけりゃ、おれのご主人さまパトロンになりなよイッチー」

 

 すぐにシガヤが席に戻ってきた。トレーの上にはパウンドケーキとスコーンと、話題にあがっていなかったはずのミルクレープ。

「おいおい、オレが席はずした瞬間に険悪な雰囲気になってんじゃないよ。何の話してんの? どーせトッシーが煽ったんだろ」

「違うよ。おれのパトロンになりたいかってこのひとを勧誘してたの」

「ならんぞ」

 イチトが一刀両断すればトシオは悔しそうに舌を出す。

「ああーシガぴ、しれっと自分の分のスイーツも調達してんなよぉ!」

「まぁまぁスコーン食べて落ち着いて」

「おれはオススメしただけで別に腹減ってないのよ」


 そう言いながらもトシオはミルクレープの下敷きの紙をそっと抜き取り、紙ナプキンで拭った。ミルクレープの持ち主であるシガヤはこのトシオの『奇行』に慣れているのか何も言わない。

「紙を?」

 イチトの端的な問いかけにトシオは頷く。

「そ、ちぎり絵の材料。いろんな紙使うの好きだからさ。そっちも職業柄、呪いの紙とか手に入ることあるでしょ? 良ければ売ってよ。高く買うよ~」

「式神の形代もちぎったのか?」

「よく知ってんな。なんでもちぎるよ。すべての紙はおれの作品の礎だ」


 それが新しい呪いを生むのだろうとイチトは理解できた。なにしろただの通行人Aが信奉者に変わるさまを目の当たりにしている。不死鳥の名を冠する巨大なちぎり絵が脳内で暗黒に染まり、醜くはばたく。


「……そのツラだと、魔神の話は聞かせてもらえそうにないね。まぁおれはケーキぐらいは気前よく奢れる男よ。ケチケチしないのがモテるコツだね」

「こんなやつがモテるのか。そんな眼をしているというのに」

「ん? イッチーとどっちが酷い眼してるかな」

 トシオの言葉に、シガヤがふたりを交互に見るが「どっちもどっち」とつれなく返した。


「どうも博物館の人はさぁ。魔神とか異界の影響を嫌うけど。『共存』とかさぁ、考えないわけ?」

 トシオはわざとらしく溜息をついてから、スコーンをふたつに割って片方を口に放り込む。

「もう根付いちゃってるじゃん。もはや怪異と隣り合わせの日常なんだ! 死人が増えないように頑張るのは、ま、いいことなんだろうけど」

 イチトは無言でパウンドケーキを食べる。フォークで切り分け、こぼれたドライフルーツをのせなおし、小さく開いた口に運ぶ。

「回収員に説教なんてやめときナ。主義主張が違うから3施設に分かれるんだぜ。博物館、美術館、それに動物園」

 シガヤもミルクレープを食べ始める。お行儀の良い家庭で育ったのか、イチトの兄のようにクレープを1枚1枚はがすようなことはしない。


「勘違いしないでほしいんだけど、おれは博物館の人たちの在り方も好きだよ」

 取り繕うようにトシオが告げる。怪異のど真ん中で扇動の役割を担いながら、十時市魔神美術館つきのアーティストは人当たりだけは良いことが長所だ。

「だって、死なすまで魔神と向き合うなんて、愛がないとできねーよ」

 もう半分のスコーンもトシオの口の中に消える。水分、と言ってシガヤのほうじ茶ラテを勝手にもらって、飲み込んで。

「そうじゃないの? 蒐集家コレクターさん」

 ――紫の髪の男って、もう出会っちゃいました?

 今の今まで忘れていた忠告が、シガヤの脳裏で反響する。錯真トシオを前にして鐘の音のようにガンガン響く。


「その愛は、人に向けたものだぞ。人類愛だ」

 しかしイチトの凛とした声がシガヤの不安をねじ伏せる。惑羽イチトには迷いが無い。どんな場所に置かれた駒だとしても。

大きいこと言うねぇ身の程知らずさすが警察官恥知らず?」

 呪うように呟き微笑むトシオの言葉に、イチトは無言で薄ら笑いを返した。


「もー、仲良くしろとは言わないけどケンカもやめてよネ!?」

 シガヤはふたりの髪を同時にかき混ぜて互いの態度を咎める。トシオの髪を乱して紫色が見えないように、イチトの前髪をかきあげ燦爛たる眼がしっかりと認識できるように。


 イチトの眼の厳しさが、シガヤを咎めて導いてくれる。

 日々繰り返す魔神との、異界との戦いの、導きの灯になってくれる。


 そういう期待を抱くようになっていた。焼き切れた果ての眼にすがろうなんて、愚かなことだとわかっているのに。

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