第27話「廊下の泥濘、寄せ餌の不幸」

「さーっすがハバくん! 困った時はハバくんだね!」

 ニコニコ笑顔で告げる村主スグリとは対象的に、枕木巾来まくらぎハバキは苦々しい顔を見せた。

 なんせ時刻は夜9時。いつもならとっくに家に帰りついている時間帯だ。風呂も夕飯も済ませている頃合いだろう。


 それなのにどうして自分は今、博物館バックヤード非常口前に立っているのか。スグリのせいだ。


「ほんと、前村主まえスグリが見つかってよかったぁ」

 スグリが何も居ない足元に視線を落とし、手をひらひら振っている。これは子供の幽霊の頭を撫でている仕草なのだろうと、推測はできるが気持ちが悪い。

「今日だけだぞ。二度と憑子タノシの保管庫に近づくなってガキ共に言い聞かせとけ!」

 ハバキのがなり声はスグリには響かない。

「魔神の骨がキラキラしてて気になったんだって!」

「キラキラってカラスかよ。憑子は幽霊と近いから、それ系の保護がいっぱいかけられてんだって。いいか繰り返すぜ。ち、か、づ、く、な」

 指をさして注意され、スグリは周囲に気を使うように笑った。

「えへへ。出られなくなって展示されるかと思ったって泣いてる」

「まーだ泣いてんのかよ。助かったんだから泣きやめ! そんでもう家帰れ!」


 スグリの周りにいるらしい、前代の村主子供の幽霊保護者スグリから離れて博物館内をチョロチョロと歩き回る。軽率なお散歩によって、異界対策の保護機工トラップに引っかかってしまうことがたびたびあった。ハバキは回収員コレクターになる前の調査員リサーチャー時代、この手の機工をよく扱っていた為、対処が早いのだ。


「はーい帰ります。帰ってシガやんオススメのドラマを見るよ! 間に合いそうでよかったー」

「十時からのやつ? あんまり夜ふかしすんなよ。ひとりで帰れるのか?」

「うん。総務のおねーさん待たせてるからだいじょーぶ!」

「そりゃ大丈夫じゃねぇ! さっさ帰れ!」


 怒られて、逃げるように去るスグリの跳ねる朱鷺色のお下げ髪を見送る。ハバキの方は、己のが終わるまで帰れないのだ。

「……この間の髪型の方が、フツーの子っぽくてよかったけどなぁ」

 それは存外大きな独り言となっていたらしい。

「ハバキってあの子のこと好きなの?」


 曲がり角から赤髪の青年が顔を見せたので、ハバキは「ウワッ」と短く嫌悪感に満ちた声をあげた。


「んだよメイガスかよ……」

 ハバキの厭そうな言葉に、跳ねるように全身飛び出してきたのは回収員3班『メイガス』だ。メイガスはもちろん偽名。本名は████。

 彼はスグリと同じように奇抜な髪、燃えあがるような赤色のおかげで。きっと魔神にとってもそうなのだろうと、ハバキは思っているけれど黙っているつもりだ。できれば一生。


「んー、反論しないってことは、ほんとに好き?」

「好きになるかよあんな危険物件。勝手にくっつけようとすんな」

「よかった! 安心した! ダメだよあんな偽物のカミサマに惹かれちゃあ」

 あははと眉を下げて笑うメイガス。彼にとってスグリは『異教の神』であるため、とにかく当たりが強い。

「アンタのカミサマだって正しいカミサマじゃねぇーからな」

「『ボクの神さまが正しい世界』がどこかにあるって、とっても素敵なことだよね」

 釘刺しは効かずにメイガスはゆるりと微笑む。まるで話にならないと判断してハバキは肩をすくめた。


 バックヤードがざわついてきたので、ハバキはイラつきたっぷりに溜息をこぼす。自分の領分じゃない時間に足を突っ込んでいる。

「もう帰るわ。夜組はこれからだろー? おつかれさん」

「ああ待って、待って待って待って! 待って!」

 帰ろうとするハバキの腕にしがみつき足を引っ掛け、倒れ込んだ状況をさらに上から押さえつけながらメイガスが追いすがる。

「んッだよ離せや! 腹減ってんだよ!」

「ボクのカロリーメイトあげるからちょっと付きあって!」

「カロリーメイトで腹が膨れっか!」

「味、ぜんぶ揃えてあるから。満足するまで胃袋に詰め込んであげる!」

「アンタ横暴だな。てか用があったんなら煽るより先に話せや! アンタらのそーいうとこ嫌いなんだよ!」

 床に抑え込まれた状態でハバキは喚く。メイガスは「ごめんね」と己の非を認め、ハバキを助け起こした。


「ったく。話は聞いてやるけど、オレの手にあまるようだったら帰るぜ」

「あのね、オスカーがね」

「帰る。おつかれさん」

「諦めるのが早いよぉ!」


 腰にしがみつくメイガスを振り払おうとあがきつつ、ハバキは自分の目的の部屋に向かう。

 しかし、問題が起きている場所に運悪くあたってしまい、ハバキは頭を抱えた。

 避けては通れない廊下のど真ん中。床に下半身がめり込んでいる男がひとり……回収員4班『オスカー』だ。オスカーはもちろん偽名。本名は████。


「おー、やっと来たかよ助けが!」

 のんきに片手をあげる黒髪の青年に、ハバキは「いやただの通りすがり」と力なく呟いた。

「腰にメイガスぶらさげといてよく言うぜ!」

「知らねーのかこれは流行りのアクセサリーだぜ。じゃあなオスカーまた来世」

「へい、へい、ストップ! 帰んな! 助けて! 助けてくれー!」


 両手をパタパタ動かすオスカーが鬱陶しくなってハバキは仕方なく足を止める。この廊下に監視カメラはない。展示神の搬入も終わったのか他の人の気配もない。市内に潜む魔神も動きがないのか、今宵に限って出動アナウンスもない。


「……なんで床に埋まってんだよ。この世の法則的なのを無視すんじゃねェ」

「実は異界の入口ドアーが開いちまってよォ」

 唇を尖らせ不機嫌そうなオスカーだが、おおかた本人オスカー体質仕業だとハバキは勘付いているのでイライラが募る。

「館内でそう簡単にドアーが開くわけねぇだろ! 何しやがった!」

「あのねぇ、オスカーは運が悪かったんだ」

 ハバキの一喝でしょぼくれたオスカーに代わり、メイガスが説明を引き受ける。

「週末からはじまる企画展で久しぶりにお目見えする死体、動かすのに特定のルールがあるものだったんだけど」

「もういい、どうせ自業自得じゃねーか! 軽率なアンタらが悪い!」

「ボクたち真面目にやってたんだって。でもオスカーってほら、好かれやすいじゃん。それで……」

「助けてくれよぉハバキ。おれの腰から下、異界にぶら下がってる状態だぜ? 自力じゃ出れねぇんだ」


 メソメソしだす3班を哀れに思ったのか、ハバキはとりあえず己の用事を後回しにする。これを無視した時のデメリットの方が大きい。最悪、一生この件を持ち出して絡まれる。メイガスに捕まった時点で「詰み」だったのだ。


「……館内が異界と繋がるなんて、どんな二次災害が起きっかわかんねぇしなぁ」

「お、枕木って難しい言葉知ってるんだな!」

「やっぱ帰る」

「ごーめんってぇいちいち拗ねんなよかわいいやつだな!」

「助かりてぇなら黙っててくんね?」

 ハバキも調査員のバイト時代、何度か『特定手順が必要な輸送』の手伝いをしたことがある。繰り返し繰り返し注意され、「これで死にかけても回収員は決して助けに来てくれない」と、先輩に厳しく躾けられたものだ。


 だからこそ軽率な態度の夜組にハバキは不満を覚えている。

 死にかけても誰かが助けてくれるのだと、甘えているようにしか見えないのだ。


「こういう時にシガヤがいればな……どうすりゃいいか教えてくれんだけど」

「おお、あの魔神博士! はやく連絡いれろッ電話で聞けッ」

「この時間のシガヤって掴まんねーんだよ。諦めな。ゴートは今日来てねーの?」


 夜組の中でも4班の『ゴート』はこの手の事象に最も詳しい、とハバキは奇妙な信頼を覚えている。彼は意味深なアドバイスを寄越すことが多く、きっとどこかの異界の帰還者なのだろう……が、事情を深く聞こうとは思わない。

 他人の悲劇なんて、惑羽イチトの存在だけでお腹いっぱいだ。わざわざ首を突っ込む義理もない。イチトは『アイツが勝手に語るだけ』。それがハバキの耳に入ってくるだけ。


「ゴートくんどこに居るかなぁ。ちょっと探してくるね」

 メイガスはこれ幸いとばかりにこの場を離れる。静かな廊下にハバキとオスカーだけが取り残されてしまった。


「……いっちまった。ふたりがかりの方が引っこぬける望みがあんのによ」

「あーあメイガスがやっても無理だったから枕木ひとりじゃ絶望的だな」

「はあ? アイツ、もやしじゃねぇか! オレは元運動部だぞ!」

 ハバキはオスカーの後背から腕を差し込み引っ張り上げてみるが、オスカーは床にがっちりとハマってしまって抜けるどころか動く気配すらない。

「そんなもんか枕木? メイガスはもーちょっと頑張ってたぞー」

 得意げに挑発するオスカーを相手にぐぬぬと表情を歪めてしまう。

「あんな文化部顔に負けっか!」

 ハバキは腰を落とすと、気合いを入れてオスカーの体を引き抜こうとする。

「言っとくけどメイガスって普段は山で木を切って暮らしてるってよ」

「うっせーオレだって引っ越しバイトで『今月の優秀賞』もらったことあっから!!」


 全身全霊の力を込めるがオスカーの腰は床と一体化しているように思える。まったく、抜ける気配がない。


「あががが、枕木ストップストップ、下半身ちぎれる!」

 オスカーの泣き言にハバキは大きめの舌打ちを返した。

「アンタが日和ってどうすんだよ。抜かれたくないなら一生そこで同化してろバーカ」

「同化とか言うなハマってるだけだっての! それに今なにかに足の親指ぺろぺろされてるからどうにかしてほしいぜ」

「きっもちわりぃ報告すんな! え、アンタ裸足かよ?」

「おきにいりのブーツ履いてたはずなのに……おれ指先弱ぇんだよォ」

「今一番いらねぇ情報だバーカ!」


 不意に会話が途切れる。ペタペタという音が近づいてきたので振り向くと、サンダルを履いた白髪の男が気だるげに歩いていた。回収員・3班のドーズだ。

「アンタ素足でこっち来んなよ。絶対よくないことおこるぜ」

「まず挨拶が先だろ枕木ィ」

「はいはい。こんばんは史々岐先輩」

「なんで日勤の連中はぼくの個人情報プライバシーを尊重してくんないの?」


 喚くドーズに、ハバキは『うるさいから帰れ』のジェスチャーをし、オスカーは『おねがい置いていかないで』と手を伸ばす。どう行動しようか二の足を踏んだドーズだが、オスカーがうるうると涙目で見上げるものだから一応その場に留まることにしたようだ。


「……これさぁ、しがやセンセが言ってたんだけど」

 しかし手伝うわけでもなく、遠くを見ながらドーズは語り出す。指先の独特の動きは、ハバキにはすぐにピンときた。タバコを持つ仕草だ。かつての先輩もよくやっていた、ヤニ切れの合図。

「『感覚遮断落とし穴』ってネタがあるらしいんだわ」

「えっなんて? ぜんぜん漢字変換できねぇんだけど」

 現状解決のヒントになるかもしれないと、オスカーは懸命に解説を求めるがドーズは無視する。

「ハマった夢、見ちゃったんだって」

「落とし穴に?」

「うん。下半身がずっぷりと……『感覚』が『遮断』されてるから、腰から下は何をされてもわかんないワケよ」

 ここでようやく、オスカーそしてハバキにも『かんかくしゃだん』がどう変換するのか理解できた。

「幸い、夢に相棒のまどうくんが出てきたんだって。それで引っ張り上げてもらったら……」

 わざと話を切って、ドーズは結論を語る。


「腰から下がごっそりなくなってたってさ」

「ぎゃあああああ!」


 オスカーが恐れ慄き喚くのをジェスチャーで抑えて、ドーズは続ける。

「それを見た夢の中の相棒が一言」

「まだ続くのかよその話」

「『夢の中でよかったな』」

「うわ言いそう言いそう本物もぜってー言うわそれ!」

「おまえらおれの迫り来るピンチそっちのけで盛り上がんじゃねー!」


 結局ドーズは現状解決のヒントを与えてくれなかった。ネタの共有ができて嬉しいのかケタケタと上機嫌に笑う。

「いやぁここに居るのがおまえらだけでよかったわー。感覚遮断ネタ、エッチな同人ネタだからさ。ゴートくんいたら聞かせらんないね」

「シガヤってアンタとならエロネタ話すのかよ?」

「いやめちゃくちゃ嫌がられるから愉しいんだ」

「悪趣味だな」

「なぁっなぁっ!」


 いよいよ話題の中心から外れてしまうと焦ったのか、オスカーが両手をあげて主張する。

「夢の中でも相棒が助けてくれるって、なんか、よくねぇ……?」

 ――オスカーは己の無事より、興味関心を優先した。


「は? アンタそーいうのに憧れあんの?」

「ぼくの写真あげようか? 枕の下に入れておけば夢に出てきてあげられるかも」

「ウインクやめろ気持ち悪い」

 坂道を転がる勢いで話題が脱線していく。緊張感のない現場そのものだ。こういう現場は、最終的に死亡率が上がることを今はハバキも忘れている。

「夢に他人が出てくるなんて相当だろ。オレ、そもそも見た夢とか覚えてねぇし」

「誰かが夢に出てきたら全力で覚えといてやれよ! 自分のこと好いてるヤツが出るって言うぜ! 古文の授業でこれだけ覚えてんだ」

 得意げなオスカーに、おべんきょうができるタイプの人間であるドーズは「他のも覚えたれや」と呆れた声を返す。


「……好いてるヤツねぇ。イチトはシガヤのこと好きかもしんないけど、シガヤはどうだろうな」

 ハバキのぼやきに、3班のふたりが「おやぁ」と面白げに顔を見合わせた。夜組の男たちはゴシップの類をとにかく好む。

「え、しがやセンセってまどうイチトのこと苦手なの?」

「苦手っつーか……まだ警戒してる感じか? とくに最近、シガヤがずっとイチトのこと観察してんの怖いんだよな。ぼーっと見てんの」

「正面から?」

「いや横顔」


 ハバキは思い出す。シガヤの灰色の目がゆっくり細められる、今まさに他人を見定めてますと言いたげな眼差しを。仮に己をそんな目で見るなら殴ってでも辞めさせるが、イチトが相手なら好きにすればいい。他人のいざこざに首を突っ込む趣味はない。


「んじゃ『倒せる算段』でも考えてるんじゃないのかね。バディ組んで少し経って、冷静に見られるようになったんだろう」

 ドーズは冷たい。他人と親しげに関わっておきながら、根底に思いやりというものがない。

「倒せるって……同僚だぜ? んなケンカしたら周りにも迷惑かかんだろ」

「互いに警戒させるパターンもあるだろ。おれたちみたいになー!」

「わはははは!」

 オスカーとドーズが笑い合う。ハバキは、夜組のこういった態度がとにかく嫌いだった。チームプレーを乱すヤツほど迷惑な存在はない。ハバキがこの世から消し去りたい存在だ。多分、魔神以上に。


 幸いハバキが夜組と共に働くことはない。

「アンタらの『オレたち異常者でーす』ってノリ、ついていけねー」

 露悪を込めて呟けば、咎めるように肩を叩かれた。

「オレは混ぜないでほしいっス!」

「うおゴート? きてたのか」


 にこやかに笑う黒髪短髪の青年。彼の登場を機に、ハバキの嫌悪も、3班の仄暗い話題も霧散する。

「メイガスはどうした? 一緒じゃねぇのか」

「ねぇーどうして私のこと無視するんですか!?」

 ゴートのすぐ後ろに立つメガネの男、鑑定員長ヘッド・レジストラが悲しげな声をあげた。この場に現れたのは、ゴートと鑑定員長の身長デコボココンビだ。


「私こそが、貴方たちの困窮した事態を解決できるというのに!?」

 カチャチャチャと忙しなくメガネを鳴らしながら鑑定員長は自らの有用性をアピールする。

「おれはイヤだぜ、あんたみたいなマッドサイエンティスト。どーせかわいそうなおれを使って実験でもしようってはらづもりだろ!」

 オスカーは鑑定員長につれない態度を見せる。これまでいろいろ、いやな目にあわされてきたのだろう。

「貴方たちはメガネをかけてウェーブのかかった髪をした白衣の男性に悪意を持ちすぎなんですよ」

 鑑定員長は自らの手を合わせる。むすんで、ひらいて、一連の滑らかな動き。白い手袋に包まれた踊る指、短い演目のようなソレはオスカーに向けられる。


 途端、オスカーが「うおおゆるんだ!?」と驚きの声をあげた。


「え、今何した!?」

「オスカーくんと異界の入口ドアーの同調を緩めました。これまで貴方はマンホールの蓋のような役割を持たされていましたが、今じゃ側溝に落ちたカエルです」

「ウオオ助けて! だれか、シュロの糸!」

 ずぶずぶ床に飲み込まれかけるオスカーの腕をハバキとゴートが慌てて掴む。

「シュロの糸ってなんだよ!?」

「そのあたりは帰ってから調べていただいて」

「もっと力いっぱい引っ張ってくれー! ついでに両足ぺろぺろ味見されてるから助けてー!」

 オスカーの叫びに、ゴートがぎょっとして動きを止めてしまう。

「え、オスカーパイセンってこの下どうなってるんスか!?」

「少年は知らなくていいんだよ。感覚遮断落とし穴ネタはきみにはまだ早い。お兄さんはオススメしません」

「貴方たち、職場でなんて話をしてるんですか! 博物館という神聖な場で」

「あーもうウッセェ! 話を混ぜっかえすな!」

 ハバキの一喝で全員が黙る。聞こえるのはオスカーのべそべそした弱音だけだ。


「枕木は頼りになるな……頼む、そのままそっと引き上げて……やさしく、そして情熱的によぉ……」

「マジでうぜぇなこいつ。聞くけど、多分、これ魔神も一緒に釣り上げることになるよな?」

「先方がおれの足をぺろぺろするのをやめてくれなきゃそうなる」

「オス先って樹液でも分泌してるんスか?」

 ゴートがいよいよ厭そうな顔を見せた。オスカーは必死に首を振って否定するが、ゴートの目はずっと冷たいままだ。

「おすせんってなんだよ?」

「オスカー先輩の略っス。さて、魔神も釣れるなら準備が必要っスねぇ。展示神ゲットチャンスだ」


 ゴートはオスカーの腕から手を離すと自分のボディバッグの中を漁る。支えをひとりぶん失ったオスカーはより床に沈み込み、不幸な異界落ち寸前だ。そしてもう誰もオスカーの泣き声を気にしない。

「メイちゃん呼んできたら? 神殺しチェーンソーでズバっとやっちゃお」

 しかしメイガスが戻っくる気配は無い。おおかた館内で誰かに捕まっているのだろう。

「チェーンソーなんて、メイガスならおれの脚ごともってくだろ! もっと繊細に、やさしく殺せるやつにしろい」

 オスカーはとにかく注文が多い。ゆえに提案は無視される。

「搬送していた魔神って何型でしたか? 館内の結界が強固なので、ドアー外からじゃ異界区分がわからないんですよね」

 鑑定員長は冷静に尋ねるが、その場にいる全員が首を振った。オスカーが覚えていないなら、居合わせただけの回収員たちにはわからないのだ。


「枕木が第壱神器『区々楓』使えるだろ。あれ手袋だし、繊細にやさしく殺せるんじゃねぇかな」

 手を貸す素振りを見せないドーズだが口は出すらしい。ハバキは「男の足ペロペロしてる魔神の相手するのいや」と断りたい気持ちも強かったが、他の誰かに任せたらオスカーの脚が犠牲になりそうなので苦渋の表情で頷いた。

 迷惑なやつでも、性格や性質に問題があっても、博物館にとって必要な人員なのだ。


 ――魔神から市民を守りたい、と語るイチトの色褪せた眼を思い出す。魔神に好き勝手させない、と嗤うシガヤの疲れた横顔を思い出す。こういう時によぎるなんて、彼らの存在はハバキの日常に組み込まれてしまったようだ。「案ずるな市民」とスグリが微笑んでいる。ここではない、いつかの、どこかで――


 ハバキは黒グローブの裾を引っ張り、魔禍で出来た爪を展開した。爪の色をいくつか切り替えて、現状で使えるパターンを把握する。

「ゴートの銃で、釣った魔神をオス坊から剥がしてやりな。そうすりゃ安全に殺せるだろ」

「えー! それやってオレがペロペロされる側になるのはごめんっスよ!」

「いやいや、これはいい実験になりますよ。オスカーくんの寄せ餌性能と、ゴートくんの神器の性能のどちらが強いか比べましょう!」

「なーんでオレは鑑定員長を頼っちゃったんスかねぇ」

 文句を言いながらもゴートはボディバッグから第壱神器『Sd式On信号 your拳銃mark』を取り出す。


「引っ張り上げる役割は、ドーズ頼むぜ」

 ハバキの指示にドーズが気だるそうに腰を落とした。

「はいはい。協力しますよ。ほーらオス坊、ぼくがやさしく引き上げてあげるね」

「あっドーズの腕、けっこうたくましいんだな。キュンとしちゃう」

「おっさん同士で気持ち悪いっスね」

「おれは場を和まそうとしてるだけだ!」

「そうだぞゴーちゃん。おまえも将来こうなる」

「さっ最悪の予言!!」


 ゴート視点で「おっさん」同士の馴れ合いをすぐにでも辞めさせるため、ゴートは信号拳銃を天井に向けた。

「オレは枕木パイセンのことは信頼してるっスからね」

「チームメイトから信頼よせてもらえるとやる気でるな」

「意外とスポーツマンシップあって心強いっス」

「意外とってなんだよ!?」

 ケンカになってしまう前にゴートは行動に出る。高らかに宣言をひとつ。


位置についてオン・ユア・マーク!」

 ドーズの腕に力が込められる。

 ハバキは魔神を引き剥がすことに集中するため一旦爪の展開をやめる。

用意ゲット・セット!」

 廊下に居る者たちは息を詰める。

 たしかな緊張感がこの場を支配する。

 救出と殺害のカウントダウンだ。

開始ゴー!」


 掛け声とともに、オスカーが床から引っ張り出され、ようやく下肢が表に出る。

 ……その一瞬は、まさにスローモーションだった。

 引き抜かれたオスカーの脚には煮崩れた女の頭部がしがみついている。それはゴートを一瞥するだけで終わる。


 もっと獣じみた魔神が相手だと思っていたのでハバキはぎょっとしてしまった。

 魔神の正式名称は「異界性侵略的怪異」である。近頃ハバキが相手しているものは「怪異」というより「怪物」が多かった。故に、ストレートにホラーな相手が出てくると怯んでしまう。慣れが、悪い方向に作用した。


「おい枕木、頼むぜ!?」

 オスカーのよく通る声で意識を立て直し、ハバキは魔神の崩れかけた頭部を掴み引っ張った。ほどけてこちらに絡みつこうとする髪は気味が悪く、ハバキは半狂乱でぶん回す。

「うわっ危ないっスよ! ちゃんと殺して!」

 ゴートが両手で己の身を庇った瞬間、魔神がばしゃんと音をたてて弾けた。

「……あ?」


 ハバキの手には湿り気だけが残されている。女の頭部はもうどこにもなく、廊下には濁った水たまりだけが残っていた。いつのまにか、オスカーがはまっていたドアーも無い。


「た、倒せたんスか……?」

「枕木の神器、ツメだしてた? それとも叩きつけただけで死んだ?」

 困惑する回収員をよそに、鑑定員長は水溜りに確光レンズをかざして「稀火マレビ型!」と明るく呟く。羽交ハガイ型じゃなくてよかった、とドーズも続ける。羽交の魔神は人を食らうので、もたもたしていたらオスカーの足は本当になくなっていたかもしれない。そうなるとシガヤの悪夢の再現だ。


「……たまたまこっちの空気が合わないってこともあんだろ。こっちに出た途端に死ぬ魔神もいるってシガヤが笑ってたぜ」

「あの人は本当に魔神が嫌いですね!」

 鑑定員長は嘆くが、ハバキにとってはどうでもいいことだった。それよりも、指先にまだふにゃけた頭部の感触が残っている。オスカーはなんてものに憑かれていたのだろうと少し同情した。


「空気ねぇ。ここがトトキ市ならそれもわかんだけど。それか、メイちゃんがここにいれば納得だ。もはやトトキ型の使徒だろアイツ」

「あーそういえばメイガスどこまでいったんだ? アイツ、結局戻ってこねぇじゃねぇか。薄情~」

 居ないメイガスにヘイトが集まりつつあるのをゴートが「まあまあ謎解きはその辺で!」と慌てて散らす。

「トトキ型なら、おおかた枕木パイセンの神器に遺ってたんじゃないんスか?」

「まだ『区々楓』の残量ありそうですか?」

「いやーどのみち濡れて気持ち悪いから処分するわ」


 ハバキはポケットにグローブを強引に突っ込んだ。第壱神器『区々楓』は、原料となる生物の皮に含まれる魔禍をそのまま利用する人工神器だ。イチトの使う『公色警棒』やシガヤが使う『十色テーザー』のようにカートリッジで補充するタイプではないため、使い潰したら破棄が推奨されている。


「魔神の死体が残らないタイプだったのは残念でしたねぇ。こんな水を展示したところでねぇ……まったく、無駄に働いた気分ですよ」

「ヘッドはもう少しおれのこと心配してくれや」

「貴方のこと心配していたら私の心配ゲージがすぐ尽きちゃいますから」

「平坂センセってそんなの搭載されてんだ」

「なんで最近スタッフ間で個人情報プライバシー暴露の流れがきてるんです!?」

「それドーズの周りだけだから……」


 ひとつのゴタゴタを解決した夜組からハバキはそっと距離をとる。

 これ以上問題に巻き込まれるのはごめんだ。

 ハバキにはハバキの用事があり、それを済ませて帰りたいのだ。


 やっと目当ての曲がり角に差し掛かった時、一瞬だけ夜組の様子を見やる。オスカーが指先の溶けたブーツをつつきながら周りに「みんなありがとなぁ」と呟いていた。

 ゴートの真っ直ぐな目とかちあったためハバキは慌てて目線を逸らす。ハバキはゴートの目も苦手だった。ゴート本人のことは、夜組にしては好ましい後輩だと思っているのだけれど。


「……ああならないようにしねぇとな」

 心の声のつもりだったのに、それは声に出た。今日の夕飯は中華炒めで適当に済まそうと考えて、悪い思考を遠ざける。


 ハバキは廊下を曲がった。通りすがる研究員に「お疲れ様」と頭を下げる。それから少し待つ。

 監視カメラが向くタイミングは分かっている。そういう知恵は働いた。此処で働くうちに身についた。


 この博物館は『魔神の死体』という最重要の展示品が最も警戒されている。

 そうじゃない扉はセキュリティが甘い。


 ハバキは部屋に滑り込むと、第壱神器の保管棚を見る。公色警棒が立てかけられているガラス棚はスルーして、その下の引き戸を開ける。目的のカートリッジを取り出すと、ポケットに滑り込ませた。


 そのまま部屋をあとにする。

 足取りは軽く、そこに罪悪感などなく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る