第26話「被害者救済オークション」
「なるべくちゃんとした格好で」という連絡に
そういう服ならたしかにある。あるんだけれど、どこだっけ。
シガヤの部屋は荒れている。ボロアパート2階の角部屋だ。シガヤは帰宅してすぐ、畳んだまま床の上に放置している服の山を見た……あれは普段着の山だろうから大丈夫。目当ての服は、しわになってはいないはず。
シガヤはクローゼットを開くと、モルグ市に長く居着くわけでもないのにどうしてこんなに沢山の服を持ち込んでしまったのかと後悔した。季節はずれの服を次々とベッドの上に投げ置いた。
シガヤのベッドはクイーンサイズだ。一人暮らしにも関わらずだ。学生時代、学会参加で泊まったホテルでこの大きさの寝床を知ってからずっと憧れだった。初任給で買ったこのベッドは、部屋に入れるのは多少苦労した。だが入ってしまえばこっちのものだ。
今ではベッドの上には様々な枕と、読みかけの本と、研究室の先輩たちから誕生日にもらった猫の抱き枕が乱雑に置かれている。シガヤは物を多く持ちたいタイプで、それゆえにモルグ市への引越し料金もそこそこ高くついたと記憶している。
さてさてクローゼットから「ちゃんとした格好」を見つけたシガヤは、それが要件を満たすものだと確認して安堵の息をついた。チェック模様のテーラードジャケットにグレーのボトム。大学や学会の懇親会で着る、ここぞという時用の服だ。
実は今週頭からヤマヅに用意を言い渡されていたのだが、忙しさと趣味にかまけて週末になる今日まで用意を怠っていた。だが服さえ見つければミッションコンプリートだ。
シガヤはベッドに置いた服を一抱えにすると床に置く。
こうして部屋がまた荒れる。
片付けもそこそこにシガヤはベッドに横になった。スマートフォンでSNSを眺め、好きなゲームの二次創作作品を漁る……シガヤは作品解釈を深めるためにファン作品を追う趣味がありイラストよりも漫画や小説を好む、そして今日は作品のエンディングに関してとりわけ悲しい解釈を反映した長編の小説を読んで涙しながら眠りについた……明日、土曜日に用事があるにも関わらずの無計画な睡眠だった。
そうして翌日。
「いま何時!?」
起床したシガヤは慌ててベッドサイドの目ざまし時計を手に取った。時刻は9時だ。集合時間まで1時間……本当は8時に起きたかったとシガヤは悔いながら支度を進める。
大きな姿見にはボサボサネコっ毛ヘアのシガヤが写っている。この髪型はちゃんとした場に相応しくない。苦手な先輩に指摘されたことを思い出し、シガヤはワックスで髪を後ろに流す。
前髪をあげて露わになったツリ目を見て、これは父親譲りだとシガヤは実感する。『目』以外は父に似なかった、では誰に似たかと言うと……。
ここまで考えて、テレビの電源が勝手についたのでシガヤは驚いて少しだけ浮いた。定時で電源が入るようにしているのだが、今日はいつもより早い時間なので忘れていた。
テレビが伝える天気予報。どうせ今日も明日も明後日も雨だ。
……。
午前10時より少し前。
ビニール傘片手にシガヤは小綺麗な施設に向かう。キャノピーの下に集まっているのは「ちゃんとした」格好をしている
小綺麗な水色のワンピースを着ているスグリは珍しく髪を下ろしている。こうして見ると
ハバキはシガヤと同じようにスーツを着ているが、リクルートスーツの着回しだろう。ネクタイも緩めていて、総じて柄が悪い。髪も整えている様子は無い。
ヤマヅは、和装に和傘という出で立ちで、ひとりだけ世界観が違う……。
「オーイ。誰かと思ったらシガヤかよ!」
一番に気づいたハバキがシガヤを見て手をあげる。
「シガやん、ちゃんとおしゃれしてるー! いつもと違う髪!」
「スグリちゃんもかわいいヨ」
「照れちゃうな~そんなこと言ってくれるのシガやんだけだよぉ」
スグリはその場でくるりと回る。葛の花を模した赤紫色のバレッタが衣服の水色とよくあっている。シガヤがそれを伝えると、いよいよスグリは上機嫌になった。
「さて、残るは惑羽一途だけか」
ヤマヅが懐から懐中時計を取り出して呟く。やはりヤマヅの出で立ちはひとりだけ世界観が違う気がする……。
「副館長サンて、いつもオフはそういう格好なの?」
「家ではもっと楽に、着流しだ。これは外出用だ」
「ふぅん。和装だと館長サンに似てますネ」
見た目というより雰囲気が、と続けようとしたのだがヤマヅが思い切り厭そうな顔をしてみせたのでシガヤは感想を引っ込めた。
弁明のタイミングもないまま、パシャパシャと足音が近づいてくる。モノトーンのセットアップに身を包んだイチトだ。横分けにしたヘアアレンジのおかげで、彼の茶色い目がよく目立った……シガヤと目が合うなり、どんどん不機嫌になっていく様も。
「シガさん、なんだその頭は」
「はー!? お前さんに言われたくないんですけど!」
「そうだぜイチト。ふたりして髪変えてきやがって。オレいつもと変わんねぇんだけど」
示し合わせるなら事前連絡しろやと文句をつけられるが、ハバキは2班の剣呑なやりとりをしっかり見ていなかったと思われる。
「ほら、みんな集まったのならこれを」
ヤマヅが回収員をひとところに集める。それぞれに
表紙には『遺品オークション』の文字。
この会場で行われるオークションの出品物がまとめられているカタログだ。
「こういうの参加させるなら
「昨日も言っただろう。博物館が回収しきれなかった、あるいは手放した物品がどういう人の手に渡るのかも知っておくための休日出勤だ」
「社会見学かよ。給料出るからいーけど」
「オレはオークションってはじめてなので楽しみでーす」
「はッ、いい子ちゃんぶりやがって」
シガヤのちゃちゃ入れにハバキが噛みつき一触即発の雰囲気となるが、ずっと不機嫌そうに口を開きっぱなしのイチトが参戦してくる。
「シガさん今からでも髪型変えないか」
「なんなの。横分けにしたらお前さんとかぶるでショ」
「貴様らどうしてケンカになるんだ!?」
男3人の背を押してヤマヅは移動を促す。後ろを大人しく着いてくるスグリに、珍しく優しい声をかけた。
「村主はおとなしいな。手がかからなくて助かる」
「そうかな? はしゃぐの我慢しててよかった~!」
……。
オークション会場はガラス張りの部屋だった。入退室は自由。並べられた椅子にヤマヅ、シガヤ、イチト、スグリ、ハバキの順番に座る。
壇上には司会進行を兼ねる
「んだよ、別にもうちょいゆるい格好でもよかったんじゃねーか」
周囲に座る参加者を盗み見てハバキが文句をこぼす。
「それを許すと貴様はパーカーで来るだろうが」
「パーカーのヤツもいるじゃねぇか!」
ハバキがヤマヅにツッコミを入れるが、声が届いてしまったのかパーカーを着た男性が振り返る。大きく顔をしかめた後にまた壇上に視線を戻した。トラブルにならずよかったとハバキは息をつく。スグリに小突かれるがハバキが悪いから仕方がない。
「Tシャツの人もいるわ。逆に大物感あるネ」
「広く市民に受け入れられたオークションなのだろうか」
「落ち着いてよく見なさい。ちゃんとした格好をした大人の方がずっと多い」
ヤマヅに窘められ、回収員は服装の詮索を止める。
「ヤマさんの格好は果たしてちゃんとした格好なのか……」
「あ、副館長サンは何も競り落とさないんですか!?」
イチトが余計なことを言う前に、シガヤはカタログ片手に言葉を被せた。カタログには有象無象の『遺品』の写真がある。それに品名と、最低落札価格。
「博物館で飾るべき物があるのなら、ここに回されることはないだろう」
オークショニアが入札価格を宣言し、落札のたびにハンマーの軽快な音が響く。
明らかに魔神の遺骸と思わしきパーツ、帰還者が身につけていたアクセサリー、そして犠牲者の遺品整理のために手放されたと推測される芸術品。
一見ガラクタにしか見えない物だって、次々と価値を見出され落札される。
「オレもなんか出品したら小遣い稼ぎできねぇかな」
色鉛筆セットが数万円で落札される様を見てハバキがぼやいた。
「え~ハバくん何売るの? いのち?」
「やめろよオレの価値がそれしかねぇみたいに言うのはよぉ」
「一応言っておくと、オークションって事前に出品物決まってるから。売る側は飛び入り参加できないヨ」
シガヤがイチトの膝の上にあるカタログをとんとんと人差し指で叩く。それを合図に、イチトの茶の目が明確にシガヤの指に向けられた。
……見られている。シガヤはプライベートでは手袋をしていない。浅黒く細い指をイチトに晒したことがひどく無防備に思えて、シガヤは手を引っ込めた。
「シガさん」
イチトに名前を呼ばれたのでシガヤは弾かれたように顔をあげる。カン、と心地よいハンマーの音が室内に響き渡った。
「気づかないか?」
小声でイチトに尋ねられる。指のことかと思い視線を落とすが特に異常は無い。意図がつかめず再びイチトの顔を見る。イチトが己の唇に指を当て「静かに」のジェスチャーをして見せたから、シガヤはイチトの意図が『聴覚』だと理解する。
聞こえるのは、スタート価格の宣言。落札希望者の挙げた札を読み上げる声。入札価格の釣り上げでヒートアップする人々の声。遠方から競売に参加する電話の着信音。電話に出る受付の声。落札価格の宣言。ハンマーの音。大雨が降り注ぐ音。イチトの呼吸。鐘の音。ハンマーの音。値を釣り上げる……。
「200万」
しゃがれた声が倍の価格を宣言したので、会場は水を打ったように静まり返った。それは一瞬の凪だった。すぐに場は熱気が盛り返し、落札価格は250万、300万とつり上がっていく。ただの古びたオイルライターに対してだ。
イチトの意図はシガヤにも理解できた。しゃがれ声の主を見るために振り返る。熱気の呼び水となった参加者は……モルグ市魔神博物館の館長、
シガヤと視線がかちあった老人は、ニタァと笑みを深くしたもののそれだけだった。悪霊を見てしまった気分になったシガヤは視線を前に戻す。
「あのォ、副館長サンのお父さんってサクラしてるんですか?」
右隣に座るヤマヅに問えば、ヤマヅは深い溜め息を返す。
「サクラじゃない。オークション荒らしは親父の趣味のひとつだ」
「たちの悪いお父様をお持ちで……」
「ちゃんと競り落としてくれるんならまだいい。親父は、煽るだけ煽るくせに勝負にはとんと
ヤマヅはシガヤに広げていた自分のカタログを寄越す。
「親父が値を吊り上げたアレは『神器』のひとつだ」
「んげェ、コレはたしかに欲しかったかも……!」
鈍い銀色のオイルライターはとうにTシャツの男に競り落とされていて、落札価格は333万円。後方の席からヒャッヒャと笑う老人の声が届いたが、シガヤもヤマヅも無視をした。
「あれ、あの服……」
「だから他人の服は気にするなと」
「違ぇよヤマさん、オークションの方だって!」
壇上に立つ係員が、白いドレスを掲げている。それを見てスグリも「わ、懐かしい!」と声をあげた。
シガヤは手早くカタログで確認する。これより競りが行われるのは『お呼ばれドレス』、最低落札価格は10万円。比較的安い方、とシガヤは考えて、すっかりこの会場に飲まれていることを自覚する。10万円は出費として安くはない。
「ふたりともあのドレス知ってるの?」
「オレらが去年回収した遺留品だぜ。なぁスグリ」
「まさかオークションに流れてたなんてね。あれってスグリの服みたいな色してたんだよ」
スグリがワンピースの裾をあげる。鮮やかな水色。しかし壇上のドレスはパールホワイトだ。
「色が違うのに、なぜ同じ物だって決めつけるんだ?」
イチトの疑問にスグリが嬉しそうに答える。
「だって、あのドレスでわたしは『マーメイドドレス』って名前を知ったのだよ。だから印象に残ってるの!」
調査員のお兄さんがお洋服に詳しかったんだよ、とスグリは補足する。ハバキも「あれは確かにあの時のあれだぜ」とふんわり肯定し、ヤマヅが説明を継いだ。
「あの服は回収後に
まるでドレスの死体みたいだねとスグリが悪気なく呟いた。シガヤは
『お呼ばれドレス』を競り落とそうとデッドヒートを繰り広げているのは、我らがヒルメ館長と若い男のふたりだけだ。館長はじわじわ2万円ずつ落札価格を上げていく。青年はさらに2万円を上乗せする。その繰り返し。
しまいには若い男が泣き出したため、会場内はどよめきと同情の声、くすくす笑いと憤りのため息など様々な感情が混ざりあっていく。
「親父も意地が悪い。いっそ100万単位で値を釣りあげれば、相手も諦められるものの……」
ヤマヅはそう言うが、青年が涙や鼻水を流しながら老人に食らいつく姿を見て、本当に「諦めがつく」と思えるだろうか。
やがてハンマーの音が響く。最終落札価格は98万円だった。青年が落札したことで、会場内に静かに拍手が響き渡る。
「軽自動車が買えるぜ」
ハバキが信じられないと言いたげな声を漏らした。青年は壇上へ向かい、脱色の果てに傷んでしまったドレスを係員から奪い取る勢いで受け取る。そのままぎゅうっと強く抱きしめ、泣き崩れた。
「……ハバくん。あの現場って犠牲者いたっけ?」
「あの場には居なかった。戻ってきたのは衣服だけってオチだ」
よくある悲劇をささやきあうスグリとハバキ。それを聞きながらシガヤは、イチトを眺めていた。なぜならイチトが退室する青年の背を目で追っていたからだ。
「全員、移動だ。あの青年に接触する」
ヤマヅの命令にスグリが文句をつける。
「次の見たいのにぃ! 日本人形だって!」
次の品に興味をそそられるスグリは知らないだろう。だがシガヤは気づいている。後方の席に陣取るヒルメからヤマヅが合図を受けたことを。
……。
オークション会場ロビー。ソファに腰掛けた青年は、白いドレスに顔を
「つゆり、つゆり……」
その様子を回収員5人が離れた位置から眺めている。怪しいことこの上ないので、会場の警備員も物いいたげに回収員たちを見ている……。
「副館長サン。彼に聞きたいことあるならオレ行ってきましょうか?」
「あのドレスに魔禍の反応が残っているようだが、どう話しかけたものか……」
確光レンズをかざしながらヤマヅが困り顔を見せる。ちなみに今日のオークションではヒビ割れた確光レンズが5万円で落札されていた。
「ええ、浄化しそびれ? なんでそんなのが博物館から流出しちゃったの」
「魔神の死体でも神器でも無いからなぁ」
小競り合いするヤマヅとシガヤの肩を、スグリがツンツンとつつく。
「それならスグリにお任せあれ! あのドレスに縁あるしね!」
「スグリだけでは不安だぞ」
イチトの指摘にスグリは「うむむ」と顎に手を当て考える仕草。
「……じゃあ、シガやん行こ!」
「なんでシガヤなんだよ!」
あの時一緒にいたのはオレだろと、ハバキは人選に不服そうだ。
「だってハバくんの格好チンピラみたいだもん」
スグリが「ないない」と笑って手をふる。
「話しかけるってのもシガやんが言い出しっぺだし、一番こわくなさそうに話してくれそうだし、服も髪もちゃんとしてるし!」
「いやぁ照れちゃうナ」
「シガさんも髪型はチンピラっぽくないか」
イチトが口を挟むがスグリもシガヤもジト目を返すだけ。
「オールバックにそんなイチャモンつけるのイチトくんぐらいだヨ。ほら行こスグリちゃん」
「まかせろー!」
ピンク色の髪を揺らしながら、スグリは泣き濡れる青年のもとへ駆け寄った。シガヤもフォローのためにそれに続く。
「あのう、お兄さんこんにちは!」
スグリはハンカチを差し出しながら青年に声をかけた。
「せっかくのドレスが汚れちゃうよ。これ使って!」
青年はスグリからハンカチを受けとり両目を覆った。シガヤは耳をそばだてる。後ろに控えるハバキとイチトの雑談(議題は「スグリのハンカチを持ち歩く習慣について」)、青年の「ありがとう」という絞り出すような声を聞く。外の雨の音、ホールに響く足音、湿り気を帯びた空気が揺れる音、どこからか聞こえる鐘の音。
「きみたちは……? こ、このドレスは僕が落札したものだ。譲らないよ」
男性は慌てて白いドレスを抱きしめる。スグリが慌てて両手をふった。
「ちがうよちがうよ! このドレス、見覚えがあってね!」
あわててスグリはショルダーバッグから名刺入れを取り出そうとしたが、諦めた。いつも持ち歩くカバンじゃないから入れ忘れている。
「わたし、モルグ市魔神博物館で回収員してる
あいにくシガヤも自前の名刺を今日に限って持ち歩いていない。
「同じくモルグ市魔神博物館で研究員をしている、真道シガヤです」
こういう時は別の役職を述べた方が都合がいいと思ったシガヤはもうひとつの役職を名乗った。実際、それは正しい判断だった。
「では回収員のかたが、つゆりのドレスを……?」
男の意識はスグリに向いている。シガヤも回収員を名乗っていたら、参加してもいない回収業の当事者と思われていたことだろう。
男は自分のティッシュで鼻をかんでから、居心地悪そうに笑ってみせる。
「挨拶が遅れてすみません。僕は
男の声はどんどん沈んでいく。
「……回収員さん、本当に、彼女は戻ってこないんですか?」
「ごめんなさい。あの時の
スグリの真摯な慰めは、水津を慰めるのに十分だったようだ。彼に回収員を責める様子はない。
いいなぁ、とシガヤは考えた。
みんな、これくらい理解が早ければよかったのに。
「でも遺品をオークションなんかに出さなくてもいいのにね」
スグリは水津を慰め続ける。水津はゆるく首を振る。
「仕方がないですよ。家族ならともかく、ただの、彼氏に。連絡が来るわけないです。遺品を受け取れるわけもない」
青年の両目から大粒の涙が溢れ出す。
「こんなことなら、早く、つゆりにプロポーズしておけばよかった……」
泣き伏せる青年を見てスグリは困ったようにシガヤを見上げる。「この次はどうする」と助けを求める榛色の目だ。シガヤが言葉に詰まっていると、スグリは自力でなんとかしようと試みる。
「そのドレス、回収した時は水色だったんですけど、今は真っ白でなんだか……」
スグリが少し前に「死体みたい」と言ったことを思い出し、シガヤは慌てて、言うつもりがなかった感想をかぶせた。
「ウエディングドレスみたいですネ」
シガヤは
鐘の音が鳴り響いた。音は近い。雨の音が力強く響く。
「そうか、そうだった」と青年は呟いた。
「あのう、一緒に、隣の式場に来てくれませんか!?」
急に気力を取り戻した水津は、スグリとシガヤに提案する。
「し、式場?」
「チャペルがあるんです。見学だけでも。これもいいご縁です。ちょうどあなたたちも、式場にふさわしい格好をしているし! 弔いだと思って、お願いします!」
もはや有無を言わさなかった。水津はドレスを腕に抱えると、スグリとシガヤの手を引いてオークション会場を飛び出す。
シガヤが回収員たちを振り返ると、ヤマヅが両手で丸をつくっていた。そのまま進めの意味だろう。
……。
会場と式場は隣接した施設で、屋根の下を進めば雨に濡れる心配はなかった。どこからともなく聞こえていた鐘の音はこの式場のものだったのだろう。
受付には「6月・ジューンブライド」と案内がある。6月の土日であれば、式の予約でいっぱいのはずだ。受付横の通路で係員がせわしなく行き来している。
「前にここ、つゆりと来たことがあるんです。共通の友人の結婚式で……」
水津は高揚した様子で勝手知ったる式場の階段をかけあがる。シガヤは結婚式に参列したことは1度しかない。研究室の先輩の式で、会場は大きなホテルだったから、専門式場に来るのは初めてだ。
「ちょっと、勝手に入ったら怒られちゃいますヨ」
「すこしだけ、ほんのすこしの間だけですから!」
「まず許可とらないと!」
「いいじゃんシガやん。スグリも見たいし! 結婚式場ってはじめて!」
スグリはこういう時にストッパーにはならない。シガヤが階段下を覗き見ると、ヤマヅが受付でスタッフと話をつけている様子が伺えた。責任問題については副館長に任せるしかない。
水津は白いドレスをお姫様抱っこしながら廊下を進む。その後ろをシガヤとスグリが追いかける。
「スグリの村の結婚は、こういうおしゃれな建物ではやらないよ。行列つくって山道を練り歩くの」
「そういう民俗話あとでゆっくり聞きたいなァ」
「ほらここですよ、チャペルは!」
水津が両扉を力強く開く。運良く、チャペル内は無人だった。別の扉から賑わう声が聞こえるので、今しがた挙式を終えた人たちと入れ違いになったのだろう。幸運だった。呼ばれても居ない3人が乱入したら、せっかくの記念日が台無しになったはずだ……。
室内には豪奢なパイプオルガン、床に落ちたカラフルな花びら、大きな窓、窓の外に広がる分厚い雲。
水津も、シガヤも、スグリもきちんとした格好で。後から遅れてチャペルに現れたイチトと、ハバキと、ヤマヅも、多少ラフだが十分『お呼ばれ』の人に見える。
「見てつゆり、きみとここに並びたかった」
水津は花婿の立つ場所でドレスを抱きしめ泣いている。
「ヤマさん司会進行してやったらどうだ? 神主なら結婚式もできんじゃね」
ハバキが面白そうにヤマヅを小突くがヤマヅは首を振るばかり。
「無茶を言うな」
「教会式やれとはいわねーよ。神前式でいーって」
「違うんだ……記憶にない、ないんだ、私が神主をしていた当時の、詳細は、我々の、神社について、神については……」
ヤマヅは小さく
白いドレスが浮いている。
風もないのになびいて、白いドレスの裾から、首元から、陽光が漏れている。
「
イチトの鋭い叫びでシガヤは我に返った。果たしてマーメイドドレスという
「お兄さんそのドレス離して!」
スグリが声を荒げるが男は歓喜に泣き咽ぶ。
「つゆりだって、結婚式あげたいよな! ずっと言ってたもんな!」
ドレスから漏れる陽光に、異界の導きに頭を垂れた。
「……戻ってきてよ……」
このままではよくないことが起きるはず。シガヤはドレスを引っ張った。
「だめだ水津さん、ドアーを開いたら魔神が来る!」
水津もドレスを抱えて決して離さない。
「魔神なんてどうでもいい! つゆりのために帰り道を開けておくんだ!」
「……あんた、これがドアーだと知ってて?」
シガヤの絶望の声は、風に巻き込まれ曖昧になった。イチトが銀色に輝く斧を振り下ろしたからだ。白いドレスは真っ二つに切り裂かれ、陽光は萎み消えゆく。
「あ、あ、あ」
水津は力を失ったドレスを抱きしめた。彼を見下ろすイチトは、斧の発光で顔にかかる影が強調されている。言葉が通じぬ執行人のよう。
「ドレス、ドレス、つゆりの、ドレスが」
イチトの扱う斧――第弐神器『銀の盾』はWs型に区分されている。詳細不明の超種である銀の光は、すべてを屠る
故に、白いドレスの残骸はもたちまち焦げた布切れに変わってしまった。これこそがドレスの死体と言うべきだっただろう。
「なんでなんでこんなことするんだあんたなんでどうして」
怒りに震える水津がイチトに掴みかかろうとしたが、シガヤが割って入った。シガヤの神器はカバンの中なのですぐに取り出せず、仕方なく素手で立ち向かう。
イチトは庇われるほど弱い人間ではない。シガヤが懸念しているのは水津の方だった。斧を持つ人間に素手でケンカを売るなんて、正気じゃない。
残された側の過ちを受け止めるのは、いつだってシガヤの役目だった。
「じゃましないで、まどうさん、どいて、どけ、どけってば」
もがく水津は両手をシガヤの顔に押しつけ、髪を乱し、首元を掴む。
「いたい、いたいって。やめて、落ち着いて水津さん」
「つゆりを、つゆりをかえせっ、できないなら弁償しろっドレスのっ!!」
「『弁償』?」
シガヤの背後でイチトがとりわけ冷たい言葉を返した。イチトが今どんな顔をしているのか、水津に掴まれ振り返れないからシガヤにはわからない。横で腰を抜かしているスグリともまったく目があわない。
「『いくら』だ?」
「いっせんまんだっ」
シガヤの脳裏で保護者たちの言葉が弾ける。慰謝料は、慰謝料を、慰謝料だ。謝罪しないなら誠意を見せろ。あの子の命の代わりを払え――まだ小学生の、中学生の、高校生のシガヤを追い詰める懸命な大人の声。
「いいだろう」
イチトの了承にシガヤが驚いた。相棒の正気を疑うが、水津の力が強く振り返れない。イチトが持つ『銀の盾』によって出来た光と影がシガヤの足元をじりじりと照らしている。
「『交渉』しようか。ドレスの代金1千万円と、お前のいのちの代金を」
「はぁ?」
疑問の声はシガヤと水津とどちらのものだっただろうか。
この時、ようやくシガヤも気がついた。
イチトが神器を展開したままの事情。
そしてスグリと目があわない理由を。
……水津の後背に魔神が控えていた。シガヤが息を呑んだ瞬間、黒い繊維状の手が水津の首に回される。
「ウ、く、る、し……助け」
シガヤは慌てて水津の首から魔神の手を引き剥がそうと試みる。シガヤの後ろに控えるイチトは手を貸す気配がない。
「お前のいのちの代金を、ドレスの代金と相殺したい。どうだ?」
「イチトくん言ってる場合かよ! このままじゃ死ぬ!」
「シガさん。俺はその男の意志を問うている」
「問うもなにも、首がしまったら答えらんないよ!」
シガヤは必死に魔神の指をむしって青年の気道を確保する。水津は「うぇ、」と咳き込みながらもまだイチトの交渉に応じない。スグリもハバキも、ヤマヅも神器を展開しているようだが動きはない。イチトがシガヤの視界外で牽制をかけているのか、3人が代わりに魔神を倒してくれる気配もない。
「なぁ水津さん、あんた、ひょっとして諦めてる!?」
たったひとりで魔神と戦うシガヤが、今まさに襲われている青年に問いかける。
「魔神に殺されて、死んで、恋人のもとに行こうって思ってる!?」
水津は必死に頷いてみせた。暗い眼を目にしてシガヤの頭に血がのぼる。
「ふざけんな、よりにもよって、オレの前でそんなことッ!」
シガヤの怒号に驚いたのか青年は涙を流す。
「……なんで、おこって……」
男の首が、魔神の指にぎゅうぎゅうと抱きしめられて、呼吸が止まる。
「あんたの『助けて』はまだ
シガヤの声は、誰にも届かなかった。
きっと『つゆり』の声も、誰にも届かず、異界で果てた。
「ア……た、すけて……ごめんなさ、い」
魔神の指にあらがって、絞り出した水津の声を聞いたイチトの影が手を下ろす。
「交渉成立だな。金額は相殺。支払いは互いにナシだ」
それと同時に魔神が爆ぜた。スグリとハバキによる攻撃で魔神は死んだ。
青年は魔神の指から解放されると大きく噎せ、スグリも「お兄さん死んじゃうかと思った」と大泣きをはじめ、ハバキが「イチトおまえほんとふざけんなよ!」と喚きだす。
ヤマヅは式場の床を撫でていた。魔神は遺体が残らない成り立ちのようで、跡形もない。悪い夢だったと思ってしまうくらいには。青年の首に残る痣だけが怪異の名残だ。
「……頼むからさ。前見て生きてよ」
髪も服も乱れたシガヤが、真剣な眼差しで水津を見やる。
「誰も責めるなとは言わないけど。こんなくだらない死に方、選ぶんじゃあないよ」
シガヤの両目から涙が溢れる。なんで誰もそれを言ってくれなかったんだろう。
「……まどうさん、僕のために泣いてくれるんですか」
「んなワケねーだろ。水津サンが羨ましくて泣いてんだよ」
室内も、室外も、しとしと湿っぽい。散々な6月の土曜日だった。
……。
式場の支配人に頭を下げるヤマヅから離れた位置で回収員は集まっている。
「イチト、アンタ警察官じゃねぇのか」
「はいはい! スグリもあれはどうかと思いました」
イチトに対する糾弾の場だ。チャペルのやりとりは、回収員たちから見てもとりわけ印象が悪いものだったらしい。
「言わせてもらうが俺は一千万円の支払いをふっかけられたんだぞ」
「イチトくんに自己犠牲の精神はないもんネ」
身銭を切るわけがなかろうとシガヤはせせら嗤ってみせる。
「当たり前だ。俺の命は、俺の家族が命を賭して繋いでくれたかけがえないものだぞ。自己犠牲なんて選ぶわけがない」
イチトの言葉にハバキとシガヤはとりわけ顰め面を見せたが、スグリは逆に「なるほど!」と納得してしまった。
「やべー警官がいたもんだぜ。愛されすぎると自己肯定感が爆上がりすんだな」
「いやァそれは家庭によるんじゃないかにゃあ」
水津は先ほどタクシーで病院送りにした。異界案件に理解のある病院に向かわせたので、当面は大丈夫だろう。
やがてヤマヅが回収員たちの輪に戻ってくる。
「弁償は免除してもらえたぞ。物を壊さなかったことが大きい」
「そりゃよかった」
「結婚の予定があったらぜひ当会場で、とのことだ。誰か予定はないか?」
「えー! 結婚していいの!」
「そんな予定ねぇっつの……」
「同じく」
「万が一やるとしてもモルグ市は選ばないカナ」
「つれない連中じゃないか」
どこまでが今日の計画のうちだったのかヤマヅは説明をしてくれない。だが「今日はこれで解散だ」という言葉から、博物館側の腹の中で進めていた何かは達成できたのだろう。
スグリはオシャレしたからこのまま買い物にでかけます、と宣言し、心配したハバキが着いていくことになった。ヤマヅはタクシーを捕まえてすぐに撤収する。行き先はおそらく水津を送った病院だろう。
「シガさんはこのまま帰るのか?」
合羽を小脇に抱えるイチトを見上げてシガヤは眉根を寄せる。
「お前さん、なーんかご機嫌戻ってる?」
「そう見えるか?」
知らんふりをするイチトから視線をそらすと、シガヤは足元に水たまりを見つけた。覗き込み、納得する。
「……イチトくん、そんなにオールバック嫌いなんだ?」
水津との取っ組み合いで髪が崩れていつものシガヤに戻っていた。セットをしてない、ボサボサ髪でネコっ毛の。
「オールバックは嫌いじゃないが、シガさんがするのはイヤだ」
「なんなのほんと、マジで」
水鏡で襟首を整え、シガヤは腕時計を確認する。時刻は2時過ぎ。遅めのランチにも、早めのおやつにも適した時間だろう。
「……この通りにカフェあるけど、オシャレで入りづらい雰囲気なんだよネ」
「今日の俺たちの格好だとちょうどいいんじゃないか?」
思った通りのイチトの反応にシガヤは笑う。雲間から差し込む陽光を受けて輝く雨粒をビニール傘で受けていると、イチトが傘の下に潜り込んできたので傾けてあげた。そうしてふたりは並んで歩く。土曜の午後はこれからだ。
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