第25話「てるてる坊主は6体吊るせ」

「兄さん、傘もってないー? この際ダサくてもいいからー!」

 このところのモルグ市の天気予報はずっと雨である。薄型テレビの中でキャスターが「梅雨入りですね」と神妙に語っている。小雨ふる空をリビングの大窓越しに眺めながら、フツカは2階自室に篭る同居人イチトに向けて声をかけた。


「人のセンスをなんだと思っているんだ?」

 相手はすぐに怒った調子で部屋から出てきた。トレーニングウェア姿のイチトはすでにうっすら汗をかいている。朝のルーティンワークである筋トレは、フツカの失礼な問いかけで中断されたようだ。


「だって兄さんがおしゃれな傘を持ってるって、想像がつかないんだもの」

 悪びれもせずにフツカは軽快に階段をあがる。あってるでしょ、とどこか自慢げだ。怒られるとは微塵も思っていない悪戯をしかけたような顔を浮かべている。

「俺はそもそも傘を持っていない」

 イチトのフラットな声にフツカが「えっ」と露骨な怪訝を示す。このままイチトが黙っていれば「へんなひと」と続けるのだろう。

「警官だからな。機動力確保のために傘ではなく合羽を使う習慣がある」

「かっぱ……それじゃあすぐ出かけたい時は不便じゃないの」

 フツカは傘を開くジェスチャーをしてみせた。ぱ、と開く指の動きにあわせて見えない傘が花開くようだ。

「俺は少しくらい濡れても気にしない」

 踊り場でフツカと合流し、イチトはそのままリビングに向かう。ふたり分の足音がトタトタと吹き抜けの階段に響いた。


「なんだぁ、あてがはずれちゃった。傘を借りようと思ったのに」

「自前の傘はどうした?」

 イチトはフツカが自慢していた傘を思い浮かべる。生地の色が面ごとに違うと、嬉しそうに語っていた。おしゃれなフツカらしいものだと、イチトも内心思っていた上等な傘だ。

「なくなってたの。たぶん大学でかな。ネームタグもきちんとつけていたのにね」

「盗られたのか?」

「そうかもしれない。でもぼくだって、こうして雨が降るまであの傘を思い出すこともなかったのだから」

 新しいの買おうかな、とフツカはガラス越しに雨空を見上げて呟く。


「高い傘だったのだろう。それに、あれはフツカによく似合っていた」

 イチトがこぼすとフツカは弾かれたように顔を上げた。その勢いにイチトは一歩下がったほどだ。

「そういうのは見せた時に言ってよ! そしたら今より大事にしたのに!」

 フツカにしては珍しい、とても悔やむような声だった。

「俺に言われなくても大事にすべきだ」


 イチトの説教に「だって傘は失くすものなんだよ」とフツカは頬を膨らます。イチトは「価値観が違うな」と思うばかりで、こちらは口にしなかった。そんな価値観のくせ、いいお値段の傘を買うあたりフツカの金銭感覚はどうかしている……と嘆息も内心に留めておいた。物に対する方針は人それぞれで、イチトはフツカの保護者になるつもりはさらさらないのだ。


「結局、今日はどうするんだ。俺の合羽を着ていくか?」

「そうしたら兄さんはどうやって博物館まで行くの」

「走って5分のコンビニで使い捨てのレインコートを買うが」

「なるほど、その手があったかぁ」

 そう言いながらフツカは出発の準備もせず、ティッシュペーパーを丸めている。白く細い指が輪ゴムを広げ、やさしくティッシュペーパーを包み込んで形づくる。油性ペンで顔を書いたら完成だ。

「それは……」

「じゃーん。てるてる坊主だよ。兄さん、知らないんだ?」

「てるてる坊主くらい知っているぞ。まさかそいつでこの雨をどうにかしようとしているのか?」

「ぼくはてるてる坊主の力を信じているからね」


 できたばかりのてるてる坊主の首根っこを掴んで空に掲げる。手頃な紐がないかを見回したが、結局そんなものはなかったのでフツカはテーブル上に放置していたストラップのひとつをてるてる坊主の首にくくりつけた。そうして棚の上にあるアクセサリースタンドにぶらさげる。フツカの指が離れてもそれはゆらゆら揺れる。


「なんだか首吊りみたいだね」

 雨天といえどぼんやり明るい朝の空を横目にフツカはこぼした。

「ひねくれた小学生のようなことを言うな」

 イチトの指摘にフツカは「だって坊主を吊るすんだよ。怖いなぁって思わない? 人柱みたい」と続ける。

「俺はてるてる坊主をつくったことはないから、そんなことを思ったこともない」

「そうなの。神頼みしないのは兄さんっぽいね」

 フツカは笑った。

「神様を殺す方だからな」

「ああそう。あれを神って呼ぶほうがどうかしているよ。この国じゅう、全部だ」

 フツカの嘆きに「じゃあ別の呼称を提案するようシガさんに頼んでおこう」とイチトは答えた。彼に己の紺色の合羽を押し付けながら。


「出た、

「おばけみたいに言うんじゃあない」

 フツカの嫌悪が何に起因しているのか、膨れる頬の青年を斜め後ろから見ているだけではわからずに。


 雨の音は強まっていく。



 ……。



 モルグ市魔神博物館職員入口に到着したイチトは、雨合羽を脱いで雨水を振り払う作業に集中していたのですぐに気が付くことができなかった。副館長の不座見ヤマヅが壁際に身を預けぐったりしていることに。

 後からやってきた真道シガヤが「おはよーイチトくん雨合羽派なの? なんかイメージ通りでウケんね道理で折りたたみ傘持ってなかったワケだわ、って副館長サンそこで何やってんのぉ!?」と淀みなく喋ってくれたことでようやく朝から憔悴している副館長の存在に気づく。


「夜通し、対応をしていたんだ……魔神の件で……」

 ふたりのまどうに覗き込まれてヤマヅは絞り出すように語る。

「魔神!? 何が出ました!? 映像あります!? ちゃんと殺しました!?」

 げんなりしているヤマヅにシガヤは質問詰め。その間イチトはヤマヅの背中をゆっくりとさする。

「映像は監視カメラにある……今日の朝会で報告したいが、とりあえず今日の2班は件の魔神の追撃をしてもらう予定だ……」

「殺せてない!」

 ツッコミを入れたシガヤをヤマヅが物言いたげに見上げるがそれだけだ。疲れのせいでいつもの覇気が無い。

「ところで、なぜこんな場所でぐったりしているんだ?」

「此処から離れるのが怖かった。またアイツが博物館に戻ってきたら厄介だからな……」


 ヤマヅが恐れる魔神とはどのようなものか。ふたりのまどうは顔を見合わせる。


 ……それから30分後。窓も無いのに雨音が強く響く回収員コレクター待機室で、シガヤがヤマヅそっくりのげんなりした顔でソファに腰掛けていた。

 その後ろにイチトが姿勢よく立ち、スグリとハバキは向かいのソファに楽に座る。全員でテレビを見るが、シガヤ以外には深刻さは伺えない。

 。その映像内の魔神のことを。


Kgカゲン型魔神、歩哨幼体しにおしえ……」

 シガヤの恐れ慄く声は監視カメラの映像に向けられている。テレビに写っているのは深夜の博物館の職員用出入口。警備員とレインコートを着た子供がやりとりしている……レインコートと称したがそれはぬらりと光る生物の皮であり、影がかる子供の顔には人のかんばせを精一杯に模した穴が収縮している。眼孔、鼻の穴、そして口。


『ここに"死体"があるってききました』

 不自然に抑揚がつけられた拙い言葉で魔神は話す。魔神の身長は120cmほど。透明の体液が、レインコート……否、表皮の裾から滑り落ちている。


 きっと警備員は最初、子供が迷い込んできたのだろうと思っていたのだろう。そして魔神の方からこんな博物館に来るとも思っていなかったのだろう。対面のショックが大きいのか、腰を抜かしたまま首を振るばかり。


『"死体"をひとつくださいな』

 ……イチトは映像を見ながら、子ぎつねが手袋を買うために手だけ人に化け町へ向かう童話を思い出していた。それは微笑ましい望みだから許される。そして主人公が愛らしい子狐だから許される。

『人でなくてもいいです。ここには死が、いっぱいあるって聞いて……』

 此度は要求物リクエストが異常だから許されない。貴方が異界性侵略的怪異だから許されない。それだけの話だ。


 警備員はこの場から逃げ出すことはしない、しかし魔神を追い返すこともできない。やがて画面外、警備員の後方から回収員がやってきた。夜組のひとりだろう。彼は警備員を庇うように立ちふさがる。「しにおしえ」とシガヤが呼んだ魔神が、回収員を見上げて困ったように狼狽えている。回収員が警棒で威嚇しても魔神は出入口から離れず、懸命に頭を下げていた。

 しばらく膠着した状況が続いていたが、映像内に犬を引き連れたヤマヅが姿を見せたことで事態は収束に向かう。魔神は犬に気がつくと、一目散に走り去った。



 映像の中のヤマヅが魔神のいた場所に塩を撒いたりお祈りの儀式をしはじめた時分で、テレビの横に立つヤマヅが「もうこの映像に情報は無い」と口を開いた。

 シガヤが映像を止めようとしたタイミングで、映像内の犬が監視カメラに向かって「ワン!」と吠える。

 そもそも映像が鮮明じゃなかったから今まで気が付けなかったようだ。魔神を追い払った犬には首が無く、胴体だけで無邪気に跳ねている。遅れてようやくテレビの電源が落ち、ブラックアウト。


「ヤマさん最後の犬なんだよアレ!?」

「一番ビックリしたよーーーー!!」


 ハバキとスグリが恐怖をあらわにするがヤマヅは「動物園の借り物だ」と暗い声で返すだけだ。

「犬の方はMbマレビ型魔神・首なしドビーだネ」

 あれは危険性の低いドーベルマンに似た魔神だとシガヤが説明する。もちろん動物園が先に見つけたから保護されている存在であり、博物館側が見つけていればすぐ殺すべき怪異である。

「おっかねぇけど怖くねぇ絶妙なネーミングだな……」

「マレビ市魔神動物園の看板犬さ。動物園のパンフにも載ってる。なーんで副館長サンが連れてるのかは知らないケド」

 シガヤも説明を求める眼でヤマヅを見る。ヤマヅは不機嫌そうに首を振った。

歩哨幼体しにおしえが出たと聞いた時、たまたま動物園職員が近場を『散歩』していた……挑発行為に文句を言いたかったが、歩哨幼体しにおしえを追い払うためにはちょうどよかった。その日の散歩を不問にする条件で借りたんだ」

 花言カゲンの魔神は稀火マレビに弱い、とシガヤがイチトに小声で捕捉する。イチトは無言で頷いた。


「何故しにおしえとやらを殺さなかった?」

 イチトの問いにヤマヅは深く長く重い溜息をついた。シガヤはこういう時こそ己の出番だと理解しているので、手を叩きイチト・スグリ・ハバキの注目を集める。

歩哨幼体しにおしえは、近くに他の個体が潜んでいることも考慮すべきなの。『死』を学ぶ手段をすべて潰してからじゃないとね」

 3人の回収員は頭に疑問符を浮かべている……それを見てシガヤが笑った。シガヤのことを何も知らなければ、嘲笑われたと誤解させるような表情だ。


「『しにおしえ』に死体を見せるのは最悪の事態を招くんだヨ」

「ではすでに最悪の事態が起きた例が?」

「その通り。すでに国内各地で目撃例がある。だから実害も十分にあれば、対処法も割り出されてる」

 説明を受けて難しい顔をするハバキ、「知らない」と首を振るスグリ。イチトは腕組みをして記憶を探る。


 シガヤは目を三日月型に歪めると、歩哨幼体しにおしえにまつわる話を語りはじめた。


 ――舞台は九州の某県。僻地の片田舎に住む仲の悪い親子の話。親子の情にヒビが入ったのはいつからか。金をかき集め大学に進めてやったのに、ろくな夢も職も持たず惨めに戻ってきた娘のせいか。この辺りでに行ったのはこの子だけと、娘の成果で周囲を見下し果てに愛想をつかされた母が悪いのか。

 そんな事情もあることだから、母が誤って井戸に落ちた時に娘は「面倒なことになった」としか思わなかったそうだ。井戸から引きずり出した頃には母は死んでいた。死因は溺死。そもそも落ちた理由はわからない。永遠に。

 さてさて警察、病院。生活費、生活用水、保健所、葬儀屋、墓参り。これから待ち受ける山のような生活の変化めんどうごと。母の死体を前に娘はしばらく蹲っていた。近所の人が声をかけ手を貸してくれることを期待していたと、落胆気味に語ったそうだ。たしか昼過ぎの出来事。田舎ゆえ人通りはろくに無く。

 やがて畑の方からはやって来たという。

『その死体ちょうだい』

 見慣れぬ子供は死体を欲した。娘は母を考えなしに譲り渡した。何も考えたくなかった。なんにも。後悔も、不安もなく。面倒事を異界の存在に押しつけた。それから3日後、近所の人たちはみな溺死体として発見された。水も無い場所で溺れ死んだという。母と同じ死に方をして。

 女性はただひとり生き残り、聴取に応じた。彼女だけ生き残った理由はわからない。魔神に情はあるのだろうか――


「……ええ、じゃあ、しにおしえって名前は……」

 シガヤの話から概要をつかめたらしいスグリは弱り声をあげた。ハバキは首をひねるだけ。イチトは眉を顰めたまま、茶の目でシガヤを見つめている。シガヤはスグリに答えるべく苦笑いを浮かべた。


「その魔神、報告書にはよく『歩哨・幼体』と書かれてる。魔神が日本を乗っ取るために邪魔な生き物……つまり人間を排除するために、花言カゲンの異界から派遣されているみたい」

 異界より侵攻してくる魔神がこの地に来る理由は様々だが、大半は土地征服を目的としている。日本国に限ってはそのような敵対異界を、少なく見積もって14種類も相手にしている。


「『歩哨・幼体』は人間排除の方法のひとつである『死』を知らされずに投入されているみたい。だから最初に学習を必要としている」

 少しの間、待機室は静かになった。ザアアという雨の音が遠くに聞こえる。イチトはフツカが作ったてるてる坊主のことを考えていた。まるで効果がないようだ。

「……まず死を知る、と。魔神も実地研修なんてものをするんだな」

 イチトの言葉にシガヤはゆるく微笑んだ。

「幸いサンプルなら現地にいっぱいある、ってネ。しにおしえ達は死体を得てそこから『死』を学ぶ。学べば最後、となる」


 ここまで説明すればようやくハバキにも理解できたようで、ハバキは己の膝をパンと叩いた。

「溺死体をあげたから、みんな溺死しちまったのか!?」

「そうだヨ」

「じゃあ交通事故で死んだヤツあげたらみんな車に跳ねられて死ぬのかよ?」

 不可解そうなハバキの言葉に、スグリも「魔神が車運転するの!?」と重ねて問いかけた。シガヤのニヤニヤ笑いが深くなり、これは確実に嘲笑である。

「学ぶのは『方法』じゃなくて『結果』なんだって。だからその場合は、車に跳ねられたような傷を受けて死ぬんだろうネ」

 ハバキとスグリは「ふーん」とわかったようなわかってないような曖昧な返事をした。


「極めて概念的なやり方だからしにおしえは最初は御頭オズ型魔神だと思われてたけど以降の研究で……」

 シガヤの解説は、イチトの「未解決事件の殺人犯はそいつが原因の可能性もあるのか?」という問いによってキャンセルされる。

迷宮入りコールド・ケースの案件に魔神が関わっていることは十分ありえるケド……古巣への連絡は後にしろよな」

「ただの可能性の話で上司に連絡はとらんぞ。叱られるだろうからな」

 イチトも上司に叱られることあるんだなというハバキの耳打ちは、部屋が静かだったからスグリ以外にも聞こえた。しかしクスクス笑ったスグリ以外はこの件について黙秘を貫く。


「それで」

 イチトは切り替え、今回の件について話を進める。

「安易に『歩哨幼体しにおしえ』を殺してはいけない理由は?」

「わかるだろ。近くに他の個体が潜んでいたら、殺された同類から死を学ぶじゃんね。もしも昨日の時点で史々岐くんが警棒で魔神を殴り殺してたら、モルグ市で撲殺死体が急増してた可能性あるぜ」

「史々岐くん? ああ、ドーズのことか」

 監視カメラに写っていた回収員は3班の通称・ドーズだった。夜組は適切に仕事をしている。そしてシガヤにはドーズのプライバシーを守るつもりがないらしい。


「それならあの魔神はどう殺せばいいんだ?」

「手順さえ守ればどんな殺し方でも大丈夫。まずそいつが使った花言の異界の入口ドアーを閉じるのが先決。その後に個体数の調査。すべて見つけてから、まとめて殺す」

「なるほど。それが俺たちの今日の仕事だな?」

 イチトの問いは、静かに栄養ドリンクを飲んでいたヤマヅ副館長に向かう。

「……そうだ。ドアーの場所は調査員が探しているが、じきに割れるだろう。2班は該当個体の逃げた先に向かい、同類がいないか探してくれ」

「1班は?」

「商店街で魔神の死体が見つかったから回収だ」

「今日も展示物が増えそうでよかったですネ」



 ……。



「シガさんはビニール傘派なんだな」

 現場へ向かう軽トラック、今日はイチトが運転席だ。助手席足元に立てかけられた傘を見てイチトが指摘する。

「盗られる前提で、お財布へのダメージ少ないものにしてんの」

 缶コーヒーを飲みながらシガヤは落ち着いた声色で答える。


「む、そんなに盗られるものなのか。俺の同居人も盗られたらしい。日本の治安は危ういな」

「同居人さんも大変だね……そういや気になったんだけど、イチトくんの同居人って『恋人』の別の言い回しだったりしないよね?」

「するものか。ただのルームシェアだ。だいたい未成年相手にそんなこと、この俺がすると思うか?」

「わかんないじゃん他人の趣味嗜好なんて。同居に至ったのはどういうツテなの、ってうわっ!?」

 フロントガラスが水はねで濡れた。対向車線を勢いよく駆け抜けたトラックによる犯行だ。雨水で塞がった視界はすぐにワイパーで拭われ事なきを得る。


「道路交通法違反だぞ……第七十一条だったか」

「そういうのすぐ出てくるのになんで異界の相性は覚えてくんないのっ!」

「おいおい覚えるつもりだぞ。てるてる坊主も効果が無いようだし、気が滅入るものだな」

 話を逸らす目的でイチトはガラス越しに雨空を見上げた。雨足は強まるばかりだ。ラジオも「一日中雨でしょう」と告げている。

「てるてる坊主か、懐かし~! 昔よくつくってたわ」

 シガヤは車内のティッシュボックスに手を伸ばした。鼻歌をうたいながら、てるてる坊主をひとつ作り出す。


「じゃーん、完成!」

 自慢気に掲げるシガヤをイチトは横目で見る。顔のないシンプルな出来栄えだ。


「どこに吊り下げる気だ?」

「バックミラーにつけちゃお、お守りみたいにさ。でも紐がないな」

「俺の同居人は、てるてる坊主が絞殺死体のようだと言っていた」

「ハッ、厨二病かよ」

 すぐに吐き捨てたシガヤがおかしくてイチトは「ふふ」と小さく笑った。そうこうしている間に、車は山の麓にある公園に到着する。

 レーダーによると魔神はこの辺りに居るようだ。ドアーの反応も近いのか、調査員が同じ場所を調べていると連絡が入る。木々の多い場所にドアーは発生しやすいと、イチトも異界の傾向がだいぶ掴めてきた。


「着いちゃった。イチトくん、これ持ってて」

「いらないものを押し付けるんじゃあない」

 生まれたてのてるてる坊主はイチトのポケットに入れられた。口では咎めるものの、せっかくシガヤがつくったものなのでとイチトは突き返すことはしなかった。

 イチトはビニールのレインコートを着用して、シガヤは雨傘を広げて軽トラックの外に繰り出す。


 雨の公園に人の姿は無い。「ドアー調査中・近辺立ち入り禁止」と書かれたフロアスタンドがブランコの前に配置されている。公園は雑草だらけで遊具も錆びていて、心配せずとも立ち入る人は少ないのだろうと伺える。


「ドアーも魔神もここにいるのかぁ。異界に帰ろうとしてるのかな? それとも仲間を呼んだりとか……」

 シガヤが所感を述べたと同時に『キャア!』と色めき立った声があがった。木の上、茂みの中、祠の上。一度に三箇所。ガサガサという葉のこすれる大きな音が響き、魔神はすぐに隠れてしまったと知る。

「うわ早いなッ出るのも消えるのも」

「ひとり消えた先がわかる、先に行く!」


 手短に伝えてイチトは駆け出した。腰のホルダーから第壱神器・公色警棒を引き抜き魔神との戦いに備える。第弐神器の展開も考慮したところで「安易に殺してはならない」という面倒な制約を思い出す……。

「残りを探しとくからー! 捕縛優先で進めて!」

 残されたシガヤは傘の下で機材を弄る。魔神を捕捉する手段は、幸いにして幾つも存在する。


 木々と雑草が無秩序に生い茂る山沿いの公園。コンクリートの擁壁によって山の中には入れない。登れない斜面の前、レインコートに身を包む子供が蹲っていた。


 ……レインコートと称したが。それはぬらりと光る生物の皮であり。

 影がかる子供の顔には、人のかんばせを、精一杯に模した穴が収縮している。

 眼孔。鼻の穴。そして口。動いている。肉が、皮が蠢いている。

 それは間違いなく、花言カゲンの魔神『歩哨幼体しにおしえ』だ。


 まだ殺してはいけない。イチトは肩で息をする。レインコートにぶつかる雨音がバタ、バタ、バタと耳障りだ。眼の前にいる魔神は一柱。まだ『死』の実感を知らないのか、イチトをどう排除しようか魔神は迷っているように見えた。

 どうせ殺すなら、痛みのない死に方はどうかとイチトは考える。イチトもまた、手持ちの神器でそんな都合の良い殺しができるかを知らない。どんな死もなんらかの痛みを伴うことを、イチトは知っている。体も、心も。イチトは知っている。瞼の裏、魔神からイチトを庇い死んでいった家族ひとりひとりの背中が過ぎる。


 イチトが逡巡している間に魔神が先に行動する。

『きて!』

 イチトに小さな手を差し出した。イチトの弟が此方を誘う仕草とよく似ていた。

「……来て、だと?」


 そんな誘いは知らない。聞いていた話と異なる。魔神のアプローチは熱烈だった。警棒を握ったままのイチトの腕を引き、魔神は道なき道を行く。雨でぬかるむ土の上。いつのまにかイチトは片腕も別の子供に引かれ、いくつかの手で背を押され。己の周りに6体もの『しにおしえ』がいることに気がつく。皆がキャラキャラとうれしそうな声をあげている。それぞれ目の位置に穿たれた空洞が収縮している。笑い声が発せられる位置は人間と違う。これらは人間の子供と背格好が似ているだけの怪異である。


 2本の腕で扱う2本の『公色警棒』で殺しきれるだろうか。撲殺はダメだ、それでは何なら。『銀の盾』を用いたらどうか。各個撃破は悪手だろう。だがイチトには第参神器奥の手がある。残念ながら展開の許可は下りていない。


 背を押し続ける魔神たちの力は弱いものだ。それでもイチトは共に歩む。腕を引かれる、いつでも振りほどけるのに。素直に歩く。

 イチト予想通り……導かれた先に異界の入口ドアーがあった。山間に誤って黒インクを落としたような、ぽっかりあいた虚無の穴。あそこから先は花言の異界だ。調査員リサーチャーは何をしているのかとイチトは脳内で文句をつけた。


『きてよ』

 子供たちに群がられてイチトはよろける。

『おしえて』

 異界の入口がイチトを歓待している。

『死をおしえて!』


 その時、イチトのポケットからてるてる坊主が落ちた。魔神たちの注目が丸めたティッシュに集まる。イチトは思い出した。フツカの言葉とシガヤの嘲笑を。


「そいつが『死体』だ」

 首吊りを模した死体、とまでは吹聴しなかった。そう伝えたら原因不明の縊死の死体が市内に溢れてしまうかもしれないから。

「てるてる坊主は死体なんだ」

 イチトがあまりにも自信満々に告げるので、魔神たちは頭に疑問符を浮かべながらてるてる坊主を囲んで覗き込む。

『ほんとに』

 魔神の言葉はそこで途切れた。赤色の電撃が魔神の顔面で炸裂したからだ。


 シガヤの攻撃をきっかけに、イチトは展開した公色警棒をまずドアーにぶん投げる。ぐしゅん、と萎びた音がして空洞は萎びた。その様を見届けることはせずイチトは左手に持つ警棒で魔神の胴体を突く。公色警棒の放つ煌々としたMb型あかいろの光のおかげで魔神たちは手も足も出ない。その間に新たに3体の魔神がテーザー銃で死んでいる。逃げ出そうとしたものの足がもつれて転んだ最後の1体。その頭部をイチトは無慈悲に警棒で貫いた。人間の体よりも脆かったようで簡単に穴があいたし、光に負けてしゅわしゅわと縮んでいった。縮むだけで済んでよかった。展示物がなくなるのは、回収員として徒労に他ならないだからだ。


「あっぶなかったねー」

 雨傘を放棄して全身びしょ濡れになったシガヤが笑っている。右手にはテーザー銃。その後ろに調査員2名を庇っている。イチトと離れた後にシガヤは調査員と合流したのだろう。


「イチトくん、あいつらをひとまとめに呼び寄せるなんて、どうやったの?」

「これで全部なのか?」

観測機レーダーは正確だからネ。大丈夫、オレたちは正しい対処をしたよ」

 シガヤの言葉にイチトは安堵の息をつく。ひとりでも逃していたら、感電死体や頭部に穴のあいた死体がモルグ市に溢れていたかもしれない。


 調査員はドアーの調査を優先するようだ。イチトはシガヤにだけ足元を指し示し答え合わせを試みる。

「俺は『死体を持っていた』んだ。シガさんのおかげだ」

 てるてる坊主は踏み潰され、捩れ、水に溶け、悲惨なものになっていた。

「これが本物の死体だったら死体損壊罪だったな」

「あはは、人間じゃないからセーフでしょ」


 しにおしえたちの死体もまた、雨に負け表皮がズクズクになって転がっていた。この魔神たちは多湿である日本への侵略に本来は向かないだろう。

「そんな厨二病じみた考えで魔神をどうにかできるなんて、ほんっと」

 『本当は恐ろしい』系の話、オレはもうとっくに卒業したのになとシガヤは不機嫌そうだ。

「だがその場しのぎとしては十分だった。報告書にまとめるといい」

「ほんとに効くか調べてからネ」

「俺の言うことを信じないのか?」


 木々が揺れ、ボタボタボタと雨水が落ちる。イチトのレインコートにぶつかってよけいにうるさい音がたつ。

「だってそれじゃあ、どうしてイチトくんに『しにおしえ』が群がったのかの理由がさァ」

 ……シガヤは思い出す。公園とも放棄地とも言い難い茂みの奥、イチトに群がり見上げる子供たち。囲まれるイチトは、さながら……。


「俺はこれまでたくさん殺してきたから、教えを乞いに来たのかもな」

 イチトはそう推測するが、シガヤは違うと考える。しにおしえは殺し方を学びたいのではないのだ。死の実感を欲しているのだ。

「イチトくんって死んだ家族に取り憑かれてたりしない?」

 シガヤの質問は真面目な声になってしまった。本当は茶化すように言うつもりだったのにしくじった。

「スグリにも俺には霊がついていると言われたが、俺には霊感がないからな」

 イチトは小さく笑っている。シガヤの真面目な声を上手に受け流した。

「……ふぅん、オレも霊感ないんだよネ」

「おそろいだな」

「最近は幽霊が感知できる機械もあるから大丈夫だよ」

「幽霊の存在をあまり信じていないんだがな」

「それ言ったら村主スグリたちが泣いちゃうヨ」


 シガヤばかりが濡れ鼠で、イチトは自分もレインコートを脱いでしまおうか迷っていた。しかしシガヤが天を仰ぎながら「ああもうパンツまでぐっしょりだわ。オレも合羽派に鞍替えしよっかな」と言ったので、イチトは濡れた下着は勘弁願うと考えを改める。それにレインコートなら、濡れた死体をかき集めるにも抵抗がない格好で都合がよい。


「……モルグ市魔神博物館。死体を飾るなんて危険なのでは」

 歩哨幼体の死体を抱えながら呟くイチトに、シガヤは「今さら?」と愉しそうに嘲った。

「そんなのヤマさんも館長サンも承知の上でショ。そもそも日本は火葬の国じゃんね。あえて死体置き場モルグの役目を担ってるんなら、なにか理由があるんだろ」

「シガさんは理由を知らないのか。魔神研究の第一人者なんだろう?」

「いつか教えてもらえたら、イチトくんにもリークしてあげるネ」

 濡れた前髪をシガヤは鬱陶しそうに後ろに流す。オールバックとなったシガヤにイチトは目付きを険しくしたので「ほら回収業、さっさと終わらせよ」と作業を急かして意識をそらさせる。だから博物館に関する話も、うやむやに終わる。


 ――そしてこれは、後年のお話。

 てるてる坊主を『死体』代わりに差し出すやり方は、Kg型魔神・歩哨幼体しにおしえに極めて有効だったことが証明される。顕現が確認された箇所にはてるてる坊主を最低6体吊り下げる取り決めだ。ゆらゆら揺れる晴れの祈りを前に、しにおしえは足を止めるという。歩哨幼体による人間の排除行為、つまり死因の複製はピタリと止まり、真道志願夜はその功績を讃えられることになる。


 今はそんなことをつゆ知らず。雨の中ふたりのまどうは博物館に帰る。オレだけびしょびしょで大変だったわと、いつかシガヤは語るだろうか。

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