第二節:博物館・警戒する炎節

第24話「危機が膿む、夏が来る」

「魔神侵攻」の爪痕は、大きかった。


“異界性侵略的怪異”は、災害、災禍、災厄、あらゆる凶事を引き起こし、この国の機能をほぼ停止させた。

時を同じくして、世界各国も同様の被害に見舞われたと云う。


そうして、『科学(Science)』の時代に『神秘(Occult)』が息を吹き返す。




――ここからは回収員たちの、夏の物語。




 モルグ市魔神博物館、夕方の館長室。机上には世界各国の現在状況の資料が散らばっている。


 資料によるとほぼすべての国が、自国の「復旧」あるいは「改修」に専念している状態だ。最悪を脱した日本国同様、民の生活も徐々に改善している。そうなると警戒しなくてはならないのは軽率に魔神の領域、すなわち『異界』に足を踏み入れる民が増えること。

 

 異常の時期には平時には考えつきもしないような機会を齎らす。未知の経験、有益な物品。すなわち積み重なった日頃の鬱憤を晴らすような物事を。


「……で、長らく留守にしていたことに対する弁明は?」

 副館長の不座見ヤマヅは、小上がり和室にて茶をすすっている老人に威圧的に尋ねる。

「弁明も何も、お前がおらん間にちょくちょく顔を出しよったわ」

 博物館の主、不座見日霊ヒルメが歯を見せて笑った。総銀の歯のひとつひとつには呪術が施されている。


 刺青のある禿頭、皮膚の表面には深い皺、また文様のような痣。その風貌は息子をしても「妖怪男」と形容する程だ。『盛愚市魔神美術館』と記された羽織は、魔神への威嚇の衣装である。


「そうじゃ、土産なら休憩室にたんまりあるぞい?」

 父の威圧に押されぬよう、ヤマヅは慎重に言葉を選ぶ。

亜米利加あめりか土産まであるとは予想外だった。どうやって海外に?」

「神器トンネルぐらい話に聞いておろう。ちょっくら使わせてもろうたわ」

 そんなものがあるとは知らなかった、と言えば己の父は手を叩いて大笑いするだろう。無知を悟られぬようヤマヅは口を噤んだ。雄弁は銀、沈黙は銀だ。

 

「ああそうじゃ、亜米利加は宇宙への道を閉ざしておるようだ。国土に専念するためか、宇宙ステイションに何かを隠したか、じゃな」

 ヤマヅが黙っているのをいいことに、ヒルメはどんどん話を展開していく。

土耳古斯坦とるくめにすたん利支敦士登りひてんしゅたいんも見てきたがの、まぁあの辺りはボチボチじゃったわ」

「ど、どこだと?」

 国名をうまく聞き取れなかったヤマヅだが、ヒルメが口角をあげてニタァと意地の悪い笑みを浮かべたので追及を諦める。


 館長室にいるのは不座見親子のふたりだけ。出入口の扉は式神の形代が大量に貼り付いていて、人の出入りを制限していた。室内は風もないのに吊るされた風鈴がチリチリ音をたてる。

「……親父。海外に足を伸ばすのはいいが、この辺りのことも考慮してほしい」

 ヤマヅの提言にヒルメは小首を傾げる。パキパキと骨の音が聞こえてヤマヅは不快感に顔を顰めた。

「ここ数ヶ月、親父についてマレビ市魔神動物園とトトキ市魔神美術館から苦情が急増している。海外だけじゃないのだろう、ちょっかいを出しているのは」

「ふむ、動物園はズゥズの娘、美術館は宇闇夫人か。れでー相手は気を遣わんといかんのう」

 扇子で仰ぎながら反省の色なく「れでーLady」と呟く父親にヤマヅは頭を抱えた。

。頼むから『長』同士が喧嘩しないでくれないか。毎日ありとあらゆる手段で連絡が届いて、総務部が大変な目にあっている」

「あらゆる手段? フム、当ててやろう。美術館からは毛筆の脅迫状、動物館からは鳩じゃろ。どうだ!」

「それに加えて新聞コラージュに血文字で書かれた羊皮紙に館内投書に送信元を隠さない無言電話に矢文にと、枚挙にいとまがない!」

 怒りで声を荒げる息子にヒルメは「呪いの儀式みたいだの」と鼻で笑い飛ばす。


「……親父。わかってるだろう。あのふたつの施設は敵に回すべきじゃない。潰すにしても、此方が力をつけてからじゃないと駄目だろう。挑発は抑えてくれないか」

 ヤマヅが懇願すると、妖怪男はギャハハハと品のない笑い声をあげた。人に害を為す悪鬼のような迫力がある。

「お前らみたいな真面目なヤツらを揶揄うのがわしの生きがいなんじゃ! 年寄りから楽しみを奪うな!」

「糞親父……ッ!」

「ギャハハ、なんでわしの息子なのに優等生気質なんじゃろうなぁお前も! 母さん似かのう?」

「母似で良かったと心底思っている」

 

 不座見ヤマヅがこれ以上老いたとして、目の前の小柄な妖怪男のようにはならないだろう。ヤマヅは背が高いし、髪や目の色も父とはまったく違う。淀んだ昏い眼の父親と並んだところで、すぐに親子だと理解する者は少ない。

 ――かつての父は、と言ってもヤマヅが赤子の頃の写真を見ただけだが、それこそヤンチャ"坊主"が歳を食ったような外見だった。ヒルメは仲間内では「小猿」と呼ばれていた。それが今では「妖怪男」だ。果たしていつから、魔神侵攻が始まった頃からか、それともずっと昔から……――


「不座見ヤマヅ副館長よ」

 ヤマヅの思考を遮ったのは、いつになく真面目を気取った父親の言葉だった。

なぞ、気にかける時分ではない。夏が来る、夏が。老若男女問わず命が減るぞ、ごっそりな。夏はそういう季節じゃからな」

 

 モルグ市魔神博物館館長・不座見ヒルメは視線を窓に放る。夕闇が天頂を覆っていた。空の裾に残る雲は何かを孕んでいそうな質量を持っている。

 

「この一年で我らは盛愚市の、この国の、未来を変える。しかしもう一節が過ぎてしもうた。夏、秋、冬。どれだけの回収員これくたあを仕上げるかで結末は変わる。正念場だぞ、我が息子よ!」

「……まるで未来を知っているような語り口だ」


 ヒルメの方が口をポカンと開け「お前は占いを信じない性質たちだったかの?」と真面目に言うものだから。

 ヤマヅはそれ以上、妖怪男に何も返せなかった。



 ……。



「これとかどう?」

 閉館後の資料室。回収員のスグリと受付嬢の脳和ノワが向かい合わせに座っている。


 スグリは赤いリボンをマネキン人形の脳和の頭に巻いていた。その手付きは少しぎこちないものの、つるりした木の頭部に可愛らしい飾りができる。

「なーんか包帯みてぇだな」

 ふたりを見ていた枕木ハバキの一言に、脳和がしょんぼりと肩を落とした。木製パーツが干渉する乾いた音。

「そう思って白のリボンはやめたのにー! 赤でも包帯って言っちゃうの!?」

「あ〜前にヤマさんが包帯真っ赤にして戻ってきてよぉあれ思い出すわ」

「そういう話はこわいヤツだからヤメヤメ」


 スグリが脳和のリボンをゆるめるため手を伸ばすが、人形は慌てたように首を振る。おずおずとした動きの木の手が、スグリの手にそっと触れた。

「……でもノワさん、はずさないとハバくんにきらわれちゃうよ?」

 脳和の意図を汲んでスグリが顔を覗き込むようにする。マネキン人形はキシ、と音をたてながら頷いた。

「別に嫌うなんてまで言ってねぇし。勝手に盛んなや。そもそもなんで包帯なんて巻いてんだよ」

「包帯じゃないって、リボンだよ! 明日、どっかの学生の団体予約が入ってたから、おめかししようと思っただけですう」

「おめかしぃ? 別にいいだろ。だいたいカワイク見せるとナメられるぞ。魔神のくせに、そりゃダメだろ」

 

 ハバキの指摘を受けて脳和が頭部を前方に傾ける。言葉こそないが、落ち込んでいることが明確に伝わる仕草だ。言い過ぎたか、とハバキは呟くと、脳和の頭にペタリと手をのせた。

「……アンタはそのままでいいっての」

「そこは、撫でてあげなよぉ」

 ハバキの気遣いにスグリが口を挟む。

「撫でてって、グローブで撫でたらぎゅってなっちまうだろ!」

「グローブはずして撫でなよ! 乙女心がわかんないかなー」

「乙女ってオイ、脳和さんは……まぁ、乙女か……? 乙女なのか……?」

 脳和の服装は女性ものだ。ハバキがモヤモヤ考えているうちに、ついに脳和が恐縮したようにハバキの手を頭から遠ざけた。握手のように数回ふって解放する。


 一連の行動が何らかの弁解になったかな、とハバキも満足して今度はスグリに話を向けた。

「リボンはわざわざ買ってきたのかよ?」

「ううん。イチくんが食べてたお菓子のリボンもらった!」

「こんな長いリボン巻いてるなんて……アイツ、良いとこの菓子を持ち込んでんじゃねぇか……」

「ほんとは時々落ちてるリボンでもいっかなって思ったんだけど、イチくんのリボンは模様が入っててかわいかったのだよ」


 落ちてるリボンって、とハバキが尋ねようとしたところでタイミングよく回収員2班のまどうコンビが資料室にやってきた。だからリボンについてはそれっきりだ。

 

「やーっとハバキくん見つけた! 魔神についての聴取させてヨ。これは回収員じゃなくて研究員権限の命令だからね」

「あと休憩室に旅行土産があったぞ。みんなで食べよう」

「働かせてぇのか休憩させてぇのか、見解そろえてから来いよ!」

 ハバキのツッコミにスグリがクスクスと笑う。脳和はスグリの方を見やる動作の後、真似るように肩を振るわせてみせた。ギシギシと、軋むような音。

 

「あれ、脳和サンおめかし? そのリボンかわいいネ」

「ほら~シガやんはわかるひと! さっすが、頭いい!」

「オイそこは頭のよさ関係ねーだろ!」



 ……。



 『十時トトキ型』と書かれたプレートを、50ルクス以下に落とした照明が照らす。

 ここはTt型魔神の展示室。巨大な枯れ木、恒常展示神『亡命樹』の前にイチトとシガヤ、そしてハバキが立っている。


 閉館後なので客はいない。3人の他にいるのは神々の死体に異常がないか確認する研究員だけだったが、彼もすぐに用事が済んで出ていった。

「先にみやげを食いたかったな……」

「スグリの確保能力に期待しよう」

 ぼやくハバキと、監視役のように後ろ手にして立つイチト。

「だいたいなんでトトキの展示室? 話すんなら回収員の待機室でいいだろ」

「そりゃ、脳和サンの話がしたいからカナ」

 

 シガヤは亡命樹の表面をゆっくりと撫でている。お手を触れないでくださいという注意書きは、研究員プロフェッサーのバッジを持つシガヤには適用されない。


「……十時トトキの異界ってオレらが呼んでるところはさ、そこの生存競争からあぶれたヤツがこっちに来ちゃうんだよなぁ」

 十時市役所を突き破るようにして生えてきた魔神こそが、シガヤの撫でている大木だ。かつては脈動していたが、今はもう"死体"であるためその気配もない。

「新天地を目指してってことだよな……?」

「そんな感じ。でも、オレら人間と魔神の共存は有り得ない。それを許せば、この国はあっという間に乗っ取られる」

 シガヤの言葉にハバキは難しそうな顔を返す。それを気にせず、シガヤは大木をずいぶん愛おしそうに撫でた。

「ここに居るのが許されるのは、お前さんが死体だからだよ」


 昏い眼を死体に向けるシガヤを見てハバキは内心で思いっきり引いていた。ハバキはこの仕事に就いて以降、いやつく前も、魔神に対して大きな感情は抱いていない。シガヤたちのようになれない。

 魔神に対して、迷惑な隣人だとも新たな世界を見せてくれる存在とも思えず……言うならば、それらは商材だ。運送会社でバイトしていた時に重みを感じた宅配物、レストランでウェイターをしていた時に客に運んだステーキの皿。今はそれが、博物館に展示するための怪異の死体に変わっただけ。


「シガヤは魔神に厳しいよな……」

 なにも思い入れがないから、その程度の感想しか出てこない。

「そういうタイプの研究者だからネ。魔神大好きタイプの鑑定員長ヘッド・レジストラとは違うさ」

 ハバキは鑑定員のリーダーを思い浮かべる。いつもハバキに「殺し方が雑過ぎます」と文句をつける苦手なメガネ男だ。

 

 シガヤは「オレは『魔神侵攻』前から連中にゃ世話になってるから厳しくもなるヨ」と嫌そうな顔をして見せる。ハバキは「イチトもそんな感じだったよな」とシガヤのネガティブを軽くイチトにパスした。イチトはゆっくりと頷く。

「ハバキは何故この仕事についているのだろうか」

 軽率なハバキのキャッチボールは重い返球で返された。

「えーオレの話かよ? 脳和さんの話がしてーんじゃねぇのかよ」

 イチトが視線で威圧するのでハバキは渋々説明する。

「別に、あの時に募集してたバイトでここが一番時給よかっただけ」

 それまでは引っ越しの手伝いとか、倒壊家屋からの家財の運搬とか、そういうのばっかで、と付け加える。身体を動かすもんばかりじゃんねとシガヤが笑う。


「……オレは他の連中みたいに、直接魔神とのゴタゴタに巻き込まれてねぇからさ。それは何か、わりぃなって思う」

 ハバキはぼんやりと亡命樹を見た。この大木が顕現した時、枝に貫かれ何人も市民に死傷者が出たと聞いている。立派な殺人樹であり、それを博物館は大事に大事に飾っているのだ。復讐をしたいとは思わないのだろうか、と枯木を目の前にしてハバキは考える。己が遺族なら、たとえ相手が死体でも切り刻んでやるけど、と。

 

「アンタらだって、よく魔神の死体を飾ってるとこなんかに来ようと思ったよな。ここって本職より儲かんの?」

 ハバキの問いに、異界から生還帰還者ふたりの眼の色が変わった。シガヤの灰の眼はいっそう昏く、イチトの茶の眼は野を焼く火のように揺らめく。

 そうか、そうだよな、とハバキは納得する。伏せた目の先で、病室のシーツの幻が浮かんでは消える。


「……わり、脳和さんについてのちょーしゅ、だったよな」

 慌てて話題を変える。さっきの問いは、軽率だったとハバキですら理解した。

「もっと別の魔神の話でもいいぜ。最近もいっぱい回収してっし。イヤだよなぁ、夏は、なんか増えるよな」

 相手は怪異だしな、と軽く言う己がハバキは嫌になった。どうしてこんなオカルトな話してんだろうな、と。


「脳和サンって、ハバキくんやスグリちゃんに懐いてるよネ」

 シガヤの声は怒っていなかった。むしろ、不自然なくらいに猫撫で声に聞こえた。

「あ? 同僚と仲良くして悪ぃかよ? いくらアンタが魔神ぎらいつっても、脳和さんはうちの正規の職員だぜ」

「組織にはいろんな立場の人が必要でショ。副館長サンがオレを呼んだ理由わかるよ。博物館の人たち、思った以上に魔神が好きだ」

 

 ニヤニヤ笑みを浮かべるシガヤの隣でイチトは無表情で立っている。「良い警官と悪い警官」の話をハバキは思い出した。前にイチトに聞かされたことがある。しかし今回の場合、どちらが良い警官なのかハバキにはわからない。


「脳和さんの方も、オレらを同僚って思ってくれてんなら、何かあった時に助けてくれっかもしんねーだろ」

 ハバキは必死に頭を働かせて言葉を紡ぐ。誰にとっても立場が悪くならないようにだ。シガヤに何の権限があってこっちが責められなきゃいけねーんだという苛立ちもうっすら湧いてくる。

「ほう、魔神が助けてくれるだと」

 イチトも嗤った。もうダメだとハバキは観念した。おそらくこの場には悪い警官しかいない!


「……夜組のメイガス……あいつだって十時型魔神の信奉者だぜ。命を助けられて以来の『親友』なんだってよ。十時型は、たぶん、人間の味方してくれるぜ。だから脳和さんも」

 これまでに聞いた話をつなぎあわせて、説得する。イチトに怒られないように。なんでこんなご機嫌取りしなきゃいけねーんだという情けなさを覚える。

「へぇぇ、メイガスの話、オレはじめて知ったヨ!」

 聞かせてくれてサンキュー、とシガヤが笑った。ニヤニヤ笑いじゃなくて、課題が終わった時のような達成感のある笑み。興味が、あるいは怒りの矛先が逸れたようでハバキは大きく息をついた。しかし人間の同僚3班の回収員を魔神・脳和の代わりに差し出したことの罪悪感は後から滾滾と湧き出てくる。


「ハバキ、これはシガさんに前に教えてもらったことなんだが」

 スマートフォンにメモするシガヤをよそに、イチトがハバキの肩を組んで耳打ちをする。

「んだよ近ぇよ」

「猫を愛らしく思うあまり、すべてにおいて猫を優先させるようになる者もいるらしい。猫の愛嬌に、心が囚われてしまうそうだ」

「はぁ、シガヤの実体験か? アイツねこ大好きだったろ」

「まるで宗教みたいだろうって。魔神に絆されたメイガスもそうだ。お前も脳和さんに対して、そうなってしまうのか?」

「なるわけねーだろただのマネキン人形だぞ」


 それフラグだからね、とスマートフォンから目を離すことなくシガヤが言った。聞いてんじゃねーよと悪態をつくことが今のハバキにできる精一杯。よくわかんねぇゲーム用語使うのやめろとまでは「今日も」言えなかった。



 ……。



 館長室のテーブル上の資料は多岐に渡る。傍受した会話。新聞。SNSの画面を印刷したもの。手紙。国会の記録。監視カメラの映像。学級通信。

 大量の紙を前に、ヤマヅは難しい顔を浮かべている。

「占い……占いか。盛愚市に差し迫る危機があるとしたら、いや、危機はあるだろうが懸念はそれから守る地主神が不在なことだ……」

 思わず呟いた神の名前は言葉にならずに消えていった。かつてこの地で祀っていた神はもう居ない。


「新しい神様というのも非現実的だな……」

 ヤマヅの脳裏にピンク髪の少女が浮かぶ。元神である少女は隙あらばとモルグ市の土地を狙っている素振りを見せる危険人物だ。

「人の手で、守るしか……」

 その時、館長室の扉が勢いよく開いた。扉を封じていた式神がハラハラと舞い紙屑と化す。小上がり和室で居眠りしていたヒルメも「なんじゃあ!?」と飛び起きた。


「あ、すみません。ぜんぜん開かなくて思いっきりやっちゃいました、イチトくんが」

「なんだ紙だらけじゃないか。掃除をサボったのか?」

 回収員2班、ふたりのまどうが悪びれもせず館長室に入室する。


「貴様らノックぐらいせんか!」

「しましたーめいっぱいたくさんしました! 副館長サン、うめいてばかりであけてくれないんだもん。具合悪いのカナって心配したけど元気そうで何よりです」

「む、シガさん待て。あそこに館長がいるぞ」

「うそ、レアじゃん! 館長さん、お土産ありがとうございましたー!」

 キャッキャと手を振るシガヤにヒルメも嬉しそうに両手を振りかえす。

「お主らも元気そうで何よりじゃ。元気ついでに残業頼んでよいかのう?」

「はい解散お疲れ様っしたー」


 スイと背を向けて部屋を出ていこうとするシガヤに館長は「ギャハハ!」と手を叩いて喜ぶ。そのゴタゴタの間に、ヤマヅは机上の資料をひとまとめにして箱に収めた。


「行くな、真道志願夜。惑羽一途も、こっちに来なさい」

 そう命令される以前に、シガヤは館長室から出て行けるわけがなかった。出入口に式神の形代が覆い塞がり封鎖している。

「……脳和サンについての状況報告でショ?」

 ため息をついてシガヤは館長室のデスクに歩み寄る。イチトもそれに無言で続く。

「1班とのやりとり見てる限りじゃ、よくない知恵をつけてるかもしれませんヨ。あの子を使い続けるのは危なくないですか?」

「なるほど。口頭じゃなくて紙で報告を頼む」

「はぁいそれじゃあまた後ほど。あと、残業はしませんからネ。メイガスくんの信仰について教えてくれんならそれは別件で調べますけど」

 夜組の事情は込み入ってるのであえて伝えてなかったのだが、と言葉に悩むヤマヅだったが。

「俺はやらんぞ。残業も不要だ。今日は俺が夕飯の当番なんだ」

 イチトがすっぱり切り捨てるので、小さく笑ってしまった。


 この春に皇都からやってきたふたりのまどうは、季節をひとつ経ても態度が不遜の一言だ。ヤマヅは「こういう若者好きそうだな」とヒルメを見やる。

 案の定、ヒルメも物言いたげにヤマヅを見ていた。ヒルメに見られるとチリチリと痛むからわかりやすい。ヤマヅが頷くと、ヒルメが話を継いだ。


「盛愚市には新たなる神がやってくるじゃろう」

 ヒルメの言葉にふたりのまどうは首を傾げ、ヤマヅだけは目を見開いた。一体何の話をはじめるつもりだ。

「それを如何するかは、お主らにかかっておる……と言ったらどうする?」

 ヒルメは枯れ枝のような指をしきりに動かしている。無数の指輪や数珠がチャカチャカと喧しい音を立てる。


「そうやって回収員の士気をあげてるんですか? おじいちゃんやりますねェ」

 シガヤが妖怪男を挑発し返す。なんて胆力だとヤマヅはこの時ばかりはシガヤを見直した。一方でイチトは姿勢を正すと、よく通る声でヒルメに告げた。

「俺が博物館に来たのは、皇都警察と民間の連携試行のためだ。だが、上からの指示以上に、俺個人が国内のドアーを塞ぐことを使命としている。人々の異界落ちが無いように、そして魔神が此方に来ることがないように」

 まるで演説だ。淀みもなく、頼もしい。惑羽イチトを帰還者の前に立たせれば、たちまち後光がさして見えるのだろうとヤマヅは感心した……そして、警戒する。


 ヒルメがヤマヅに視線をよこし、ニィと口元だらしなく笑った。

「励めよ2班。悔いのない任期を過ごすがよい」

「はぁい、次の春までお世話になります」

「俺の存在が次に繋がるよう努力しよう」

 頭を下げる2班に、ヤマヅは「夏は怪異が多いから用心しなさい」と補足するに留めた。


 危機が膿む夏が来る。

 館長もとい父の信じる『占い』が、よくない呪詛のようにヤマヅの脳にこびりついていた。あれを聞いたのが自分だけでよかったとヤマヅはひとりで抱え込む。


 遠くから、しとしとと小雨の音。まるで誰かが泣いているようだった。

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