第23話「イチトにまつわる情報収集(インフォ・ノート)」
これはモルグ市の"夜"の話だ。
『市境に魔神が出た。すぐに向かって』
機械音声に導かれてふたりの回収員が博物館の外に飛び出す。
「最近夜はおとなしかったのにぃ」
「迅速移動! バイク使っていいっスか!?」
『許可します』
運転するのボクなんだけどなとぼやくのは赤髪の青年。回収員3班所属の『メイガス』。かたやヘルメット片手にウキウキで駐車場に向かうのは黒髪の青年、回収員4班所属の『ゴート』。
ふたりの本名は「安全上秘匿」とされている。「誰」にとっての安全か、もまた秘匿である。
「死体の回収は後からパイセンたちにやってもらいましょ!」
『本日3班オスカーは遅刻、ドーズは連絡なしね』
「こりゃ今夜は来そうにないかも」
それぞれの神器を手にふたりはバイクに飛び乗る。メイガスはフルフェイスのメットで、ゴートはステッカーだらけのごきげんなメットだ。
大型バイクを走らせて市境に向かえば、道路脇、茂みの隙間に報告の魔神が座していた。
――三角形の形のパイプのような頭部。天を仰ぐように高く伸びている。トクトクと脈動する果物に似た喉、その下で人の体が2、3、寄り添うように屈んでいる。それぞれは手を合わせて、ひとつの知性無い頭部を共有している。ぶぽ、という音の後パイプの頭部から何色かの体液が吹き出され粘性の泡をつくる……。
「うげぇ気持ち悪っ。まだ死者いないっスよねコレ?」
「こいつの下半身が犠牲者なんじゃないかなぁ。ただの模倣か、人体近似ならいいんだけど……」
「どのみち気持ち悪いッ! それにコイツ、
ゴーグルについた確光レンズで魔神を見据えれば鏡面は羽交の鮮烈な黄緑色にきらめく。
「羽交の魔神は人を食う……じゃあもう犠牲者確定だねっ」
メイガスはバイクから神器を下ろして展開した。彼の得物はチェーンソーだ。電源を入れるとギュルルルと刃が回り出す。
「メイガス、その神器、
「うるさい! 十時市に近い場所に出てボクは怒ってんの」
赤髪の青年はフルフェイスのメットの下、凶悪な顔つきで笑う。カーキ色のジャケットがはためき、第弐神器『
「あー言わんこっちゃない、ぜんっぜん効いて無いっスよ〜!」
メットについたインカムからも『Hg型にはAg型よ』とアドバイスが飛ぶ。
「やれやれ、ここはオレがサポートに回らないとダメっすね!」
ゴートは屈伸運動をしたのち、ボディバッグから拳銃を取り出す。第壱神器『
「
ゴートの楽しげな声に魔神が反応を見せる。
「
目があった……この魔神に眼窩はないのに、敵意が確実にゴートに向いている。
「
号砲と共に。魔神が、ゴートに向けて飛び出した。
「虫みたい」
嫌悪感たっぷりにメイガスは言う。人の体を模した部分がボソボソ萎えていく一方で、パイプ部分はしっかりと残り消える様子は無い。拾いあげればズルリと柔い感触を示す。水揚げした魚に似たさわり心地だった。
「展示できそうな部分あってよかったっスねー」
「そんなことより
ヘルメットを脱ぎ捨て十時市に向けて祈り始めるメイガスに、ゴートは「まったく、もう」と盛大に呆れる。
「回収員の自覚が薄いっスよ!」
「何を信じるかはこの国では自由なんだよ」
キラキラしたメイガスの眼差しの底には氷点下の黄色が散っている。
「ゴートくんこそ博物館第一主義すぎる。そりゃあ博物館に恩はあるけどね……あと、説教よりも、犠牲が出なかったことを喜んでみせないと」
「そりゃまー今回の魔神殺しは近隣住民に被害が出る前でよかったっスけどねぇ」
ゴートは魔神の遺骸をメイガスに投げてよこすと、バッグからスマートフォンを取り出した。博物館の研究員がまとめた『貉石像』のレポートを開き、該当箇所を指でなぞる。
「もともとは、ここにあった石像が
「石像が守神をしてくれていたんだ。でもどうしてどかしちゃったのかな」
「壊した不届き者が居るみたいっス! それで空いたこの場所に、別の
それは異界より来た侵略を目的とした怪異である。
神と呼ぶべきではない。
存在に「魔」の一文字を与え、貶めないと。
「隙を見せたら魔神はすぐに侵略を試みる。十時型と違って下品だなぁ」
メイガスの嘆きにゴートはツッコミをいれようか迷ったが、今回はやめておいた。メイガスが大人しく納体袋に死体をおさめる作業をしていたから……作業を放棄して
「ここにあった石像って……2班が持って帰ってきたっていうアレかな?」
夜組の申し送りにあった事項だ。3班所属のオスカーもそれを見たと自慢げに語っていた。
「余計なことをしてくれたものだね。これだから部外者は、殺していいヤツとそうじゃないヤツの区別がつかない」
「や、2班のおふたりは壊してないはずっス。犯人は多分、そろそろ出る……」
ゴートの言葉は「ブブッ」という短いエラー音でかき消された。メイガスが見ていた機材が、異界の入口の
「ドアー封鎖には時間がかかりそう。石像を修復して戻した方が早いかも」
修復員に任せようかとメイガスが告げると、今度はゴートがにぃっと笑った。
「それがですねぇ。あの石像、子供を生贄に欲しがるタイプらしいっスよ!」
は、とメイガスは疑問の息を吐く。下がった眉は哀しみの表明。そういうことを『明るく』言えるゴートに対して。しかしゴートはメイガスの気持ちを知らずにペラペラ解説する。
「どうやら十数年に一度の頻度で? 子供が貉石像に飲み込まれてたらしいんスよ! いわゆる行方不明者っス! そんなんで数世代もこの地が守られるんならコスパはよかった方なんスかねぇ~?」
コストパフォーマンスという残酷な尺度にメイガスは頭を振る。ゴートは軍手に守られた手で己の神器を点検しながら明るく告げた。
「研究員が教えてくれたんスよ~この町には子供を脅すための文句があって、わるいことしたらムッ」
メイガスがゴートの口を覆ったので、無邪気な説明はそこで途切れた。メイガスの手は黒いグローブで覆われている……このグローブも神器であり、メイガスが望むなら爪でゴートの顎を突き破ることができる。
「キミは倫理観をどこに落としちゃったの?」
りんりかん、とゴートは覆われた手の中で復唱し、それからアハハと笑いながらメイガスの手を口から剥がす。
「道徳の授業はマジメに受けてたっスから!」
「じゃあ心に響かなかったんだ。きっと先生も悲しんでるよ」
「……メイガスの中では、あの石像は壊して正解ってことになるんスかね?」
推し量るようにメイガスを伺うゴート。メイガスは今宵の相棒を軽く小突く。それだけだ。
「よかったっス」
肯定と受け取ったのか、ゴートは人懐っこい笑みを浮かべた。
「それなら2班のふたりもお咎めなしっスね」
「あのふたりは石像壊しの犯人じゃない、みたいに言ってなかった?」
「ええー聞き間違いじゃないっスか?」
魔神は無事に殺せたがバイクで死体は運べない。ふたりは後援を待つ必要がある。メイガスはリアボックスから浄化スプレーを取り出し、石像も魔神も退いた空白地帯に吹きかけた。
「皇都と盛愚市じゃルールが違うんだって、誰か2班に教えてあげればいいのに」
「メイガスが教えてあげたらどうスかね」
「そういうことを言っていい相手なのか、ふたりのことよく知らないから」
血の跡のように苔が散っていたが、それもスプレーをかけたら消えてしまった。
「そんなら知ればいいじゃないスか! まどうパイセンの方は、打ち解けたらやさしくしてくれるお兄さんっスよ~」
「それどっちのまどうかな?」
惑羽か真道か。しかしメイガスの問いにゴートは答えなかった。腕時計を凝視している。
「やべー、もうこんな時間っスか」
小首を傾げるメイガスをよそに、ゴートはその場で両膝の屈伸運動をはじめる。
「オレ、次の現場いってきまーす! ここの保守は頼むっス」
「え、聞いてないよ。ボクひとりで死体と一緒にいるのいやだよ」
弱音を吐くメイガスに、ゴートは手で銃のかたちをつくって「ばん」とおどけて返す。
「オレもともと
「オスカーに1票!」
「じゃ~オレはドーズパイセンに1票!」
アハハと明るい笑い声を残して、ゴートはアスファルトの道を駆けだした。車通りのない二十三時。青年は誰より自由に見える。
「……走っていくんだ? 現場近いのかなぁ」
灰色ジャケットの背を見送って、メイガスは博物館に通信を入れる。
「ねぇねぇ、4班ってなんの現場があてられてるの?」
返すオペレーターの言葉は冷ややかだった。
『館長命令だから教えられないわね』
ちぇ、と舌打ちをしてからメイガスは地面にチョークで円を描き簡易的な結界を施す。道路に転がるチェーンソー、周囲に飛び散った体液に、納体袋に収まりきらなかった魔神の遺骸。
やがて現場にやってくる軽トラックのフロントライトに照らされた彼こそが、忌まわしき儀式を行う
……。
「そう、そろそろ
式神を1枚耳にあて、ゴートは物陰に潜んでいる。
次の現場、モルグ市中央公園。
ちらつく街灯のそばに、ひとりの少年が座り込んでいた。それをゴートは監視している。緑色に疼く瞳で、決して気取られぬように。
遠目に見える、少年の手にはノートと鉛筆。何かを一心不乱に綴っている。
……それを、空に飛ばした紙飛行機が覗いている。ゴートが飛ばした式神のひとつだ。記述を捉え、ゴートの脳に内容を送る。
・
・皇都警察に所属
・使用神器…公色警棒、銀の盾、第参神器はわからない
・銀の盾は従順
・魔禍濡れ未発生
ノートの字は歪んでいる。特に漢字は、そういう図案とみなして書き写したように不自然なバランスだ。内容をわかって書いているようには思えない。
・
・皇都大学に所属、一途の相棒
・使用神器…十色テーザー、赤い靴、第参神器はわからない
少年は、荒れた文字で、情報を書き記していく。野球帽を深くかぶって、顔かたちは紙飛行機の視点からは伺えない。
・
・モルグ市魔神博物館の副館長、一途の上司
・使用神器はわからない
野球帽をかぶった少年はページをめくる。すでに情報が書きこまれている。不格好な形の文字……街灯の明かりを頼りにノートを読んでいる。
・
・博物館職員、一途の同僚
・使用神器…鬼皮、鬼面、第参神器はわからない
少年はペン回しの要領で鉛筆を回す。先が平らになった2B鉛筆。
・
・博物館で保護されている、一途が救助した
・使用神器はわからない
紙飛行機が通過し終わる、その時に強い風が吹いて紙飛行機を押し戻した。風でページがめくれて少年は「ア」と幼い声を漏らす。
・不座見ヒルメ
・モルグ市魔神博物館の館長
・妖怪男
・
・Tt型魔神
・亡命樹から削り取られた木偶人形
・気に食わない
少年がとうとう上空を向いた。ギラギラとした目が、暗い空を往く紙飛行機を認めてしまった。少年は舌打ちをすると傍らのスポーツバッグからバスケットボールを取り出し蹴りあげる。
ボールにぶつかった紙飛行機は宙で不自然に引き攣り、落下した。
少年は紙飛行機を拾うと鉛筆で突き刺した。何度も、何度も。
……ゴートは声をあげないように必死だった。
ザクザク、ザクザク。歯を食いしばり必死に堪える。ザクザク、ザクザク。痛む両目を手でおさえ、すべての情報を遮断する。
最後に紙飛行機を踏み潰した少年は、野球帽をかぶりなおしてすべての道具をスポーツバッグにしまった。それからバッグを宙に放り投げる。エナメル生地は街灯の光を反射し、やがて魔法のようにその場から消えた。
「……。」
少年は周囲に目を向ける。物陰にいるゴートには気が付かず、公園前に立つガラス匣のような建物をとらえた。
「ハァ」
幼さが残るやわいため息ののち、少年は街灯の上に向かってジャンプした。着地してまたすぐ近くの電信柱に飛び移り、ゴートの潜む物陰の上を通り過ぎ、そしてそのまま建物の壁へ。
少年は重力を無視して壁を歩く。そうしてひとつの部屋を目指す……。
……。
マンションの一室。
吹き抜けのリビングルームで、灰色髪の美青年が腕組みをしてお怒りだ。
「もう、ほんとうに信じらんない!」
ぽこぽこと頭から湯気の塊が出ているよう。
「ぼくの課題は見てくれないのに、トトキ市の美術館に行っちゃうなんて!」
そんな彼を前にして、惑羽イチトはソファに腰掛け爪の手入れを続けている……。
「フツカはまだプロじゃないだろう」
怒っている同居人と決して目をあわさず、イチトはふっと爪先に息を吹きかけた。ヤスリがけは完璧だ。
「ぼくはまだ見つけてもらってないだけだよ!」
「パトロンにか? そもそもお前はまだ一年坊主だろう。他人に期待をかけず、まずは己の腕を磨くべきべきでは?」
「違うよぉそこじゃないの。トトキ市魔神美術館の連中は、安易な題材で大衆に見つかっただけ!」
フツカはこぶしをきゅっと握って持論を語る。
「そういう話は学校で習うのか? それともインターネットの受け売りか?」
芸術に縁遠いイチトにとって、フツカの言い分は過激な言説に思えて苦言をこぼす。ようやくイチトの茶の目とフツカのヘーゼル色の目の向く先がかち合った。すなわちお互いのかんばせに。
「残念ながらぼくの持論だよ。これで小論文も書いて、それで学校に受かった!」
「そうか」
であればイチトにこれ以上言うことはない。爪の手入れも終わり、思い出したように己の首の後ろに手を伸ばした。湿布のようなものを剥がす……そこに『くびのほきょう』と書かれているのは、今まさに窓の外から覗き込んでいる野球帽の少年にしか読めないだろう。
「ぼくは兄さんが美術館に行ったのを黙ってたことも怒ってるんだからね!」
「魔神絡みは嫌いだろうからあえて言わなかったのだが」
「大正解だよ! でも爪が甘いの。なんでこぼしちゃうかなぁ」
「コマーシャルをしていたのが悪い、ということだな……」
リビングに置かれたテレビはイチトの私物だ。今は、小さな癇癪を起こしたフツカによって消されて沈黙している黒画面。
「まったく、すぐ誰かのせいにする。そういうの続けてるといつか誰かに怒られちゃうよ?」
満足気に目を細めるフツカの端正な顔立ちを見て、イチトは不機嫌そうに口を開いた。
「もう十分怒られているんだ。毎日だ。これ以上は勘弁してほしい」
「ええ、兄さんは大人なのに怒られるんだ」
笑みを深めるフツカ。どうやら機嫌が上向いたようだ。軽い足取りでソファの後ろにまわると、イチトの頭をわしわしと撫でる。すでに風呂を済ませているイチトの髪は整髪料も落ちていて、サラサラとした指通りをしていた。
「ああ、懐かしいな、姉の……」
姉にかわいがられたことを思い出す、と言おうとして、イチトは口を閉ざした。
「ん?」
フツカは続きを促すが、イチトは決して家族の話を展開しなかった。
「……大学の夏休みはいつからなんだ?」
「ええ? 気が早いなぁ。まだまだ先だよ。なぁに、一緒に遊びに行ってくれるの? それなら夏休みといわずいつでも大歓迎だよ?」
「夏休みになれば博物館がバイトを募集するだろうと思って」
「やだああそんなとこではたらきたくないよう」
「む、俺の現職場をそんなとこ呼びは……」
「それにぼく、生活費には困ってないからね!」
「その辺りに詳しく言及するつもりはない」
高い階層だからと、リビングの縦長の窓にカーテンが無いのは軽率だった。少年は苛立ちながら鉛筆を動かしている。部屋の間取り図。人相図。これから先の予定。これまでの出来事。見知ったことすべてを。かすれた黒鉛の線で、惑羽一途の構成要素を把握していく。ノートは黒くなる。情報で、情報で、情報で。
「もう寝ろフツカ」
「明日こそ課題のモデルやってね!」
「しないぞ。諦めろ」
リビングから明かりが消えた。ルームシェアのふたりはそれぞれの部屋に戻り、その場に残されたのは壁に垂直に立つ少年だけ。
少年はもう芯が尽きて書けない鉛筆で、ノートに記した。
・二告架
・いつか殺す!!
刻み込まれた憎悪の文章。
少年はそのまま壁を蹴って、落下する。
地に激突する瞬間、溶けるように消え失せたのを、目撃した人は幸い居ない。
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