美術館送りの刑【終】そこを去る時なに連れました

 錯真トシオはよく覚えている。あの時トシオは呪われていて、シガヤはそれを笑ったのだ。


 ――軽率にちぎった紙は旧い魔道書だった。破損してはいけない本の類。復元のために手漉きの紙が必要という、七面倒な案件であった。

 紙の材質の解析に力を貸してくれたのは皇都大学・飢村研究室所属の真道志願夜助教授で「オレ、もとは理工学系だったんだよネ」と器具を扱いながら目を細めた。

 長い前髪で遮った昏い眼差しを見て、トシオはこの青年とはこれきり縁がないだろうなと思ったものだ――


 錯真トシオはよく覚えている。呪いを受けた者を歓待する、燻んだシガヤの眼差しを。それが今、陽の光を受けて輝いていることは明日には忘れてしまうだろうけれど。



 ……。



 午後の空は煤けていた。何もかも暗いグレーがかった空から陽光の筋が下界を切り分けるように届く。大きな鳥がトトキ市の上空に飛び立った。ボサボサの羽は美術館の展示のひとつ『不死鳥』を思わせたが、シガヤが「あれは鳶だネ」と指差して笑う。


「また来てね〜脳和ノワさんにもよろしっくね〜!」

 美術館の駐車場。からっぽの荷台の軽トラに乗る回収員たちを錯真トシオが大きく手を振り見送る。シガヤは運転席の窓を開けて「もう来ないかもだけど飲みには行こーね」と声をかける。トシオは人懐っこい満面の笑みで「おう!」と返した。

「今度ウケグチノホソミオナガノオキナハギ食べにいこ〜ね」

「そいつ食用じゃないし、日本でとれないだろ!」

 わははと笑い合ったのち、シガヤがアクセルを踏みこんだ。不服そうに此方を見つめる助手席のイチトをわざと見ないように。


 バックミラーに遠ざかる美術館が映る。退館する一群が門から出ていく様子も見える……果たして自分たちが館内に居た頃、あんなに来館者は居ただろうか……。


「シガさんは、トッシー錯真とは飲みに行くんだな」

 イチトが口を開いたのでシガヤはようやく思考を脱した。眼前に黄色信号が見えたので慌てて減速する。

「なになに羨ましいの? イチトくんも来る?」

 シガヤは、ふたりの性根は合わないだろうと予見していたので、軽く煽った。もちろんイチトは眉を顰める。

「あの男と話が盛り上がる気はしないから遠慮する」

「そんなんトッシーがばか喋るから聞きながしときゃあいいんだよ。酔うとべたべたしてくんのは鬱陶しいけど」

「絶対に行かん」

「ふっ、そんなら無理には誘わないヨ」

 笑ってあげればイチトは口をつぐんで窓の外を見やった。イチトが口を閉じているのは珍しく……もちろん人間生きてる限りそんなことないのだが……唇を尖らせてる横顔を横目で見たままだったので、シガヤはあやうく青信号を見逃すところだった。慌ててアクセルを踏み込むとガクンと揺れて軽トラが走り出す。

「安全運転頼むぞ」

「へーへー、得意分野ですよ」


 シャッター通りの商店街を突っ切ってひたすらまっすぐ道をゆき、お化け電信柱の通りを抜ける。空の端には暗い雲が見える。梅雨が近づいている。あの雨雲が走り去ったのち、夏が姿を見せるのだろう。


「荷台が空のままってさ、成果ナシって感じがするネ」

 ふとシガヤが"回収員"らしいことをこぼした。「行きとは言ってることが違う」とイチトは気づいていたが、それを指摘するとシガヤがいろいろ言いそうなので「そうかもな」と同意を選ぶ。

「軽い車両が不満なら、あの石像でも積み込んでいくか」

 ちょうど、行きで見かけた"膨らむ石像"の位置が近づいていた。

「勝手に持ち出したら怒られない?」

「あるいは何らかの不都合をあの地に呼ぶかもな」


 触らぬ神に祟りなし。

 しかし、とうの石像は見当たらなかった。

 血飛沫のような墨の汚れが道路に散っているだけ。


 ふたりは顔を見合わせると「土着性怪異だ」「怖い話だ」「怖い話といえば昔、俺の姉が……」と雑談にシフトする。

 この場では、それだけだ。

 やがて軽トラックは博物館に帰還する。



……。



「そうだ表から入ろうよ。脳和サンに声かけよ」

「除染はしなくていいのか」

「美術館行っただけだし、大丈夫でしょ」

 館員の証であるカーキのジャケットは小脇に抱え、ふたりのまどうは正面玄関から博物館に入場する。


 ガラス扉の向こうには受付嬢。マネキン人形と人間のふたり。そして受付カウンター前にもうひとり、カーキのジャケットを羽織った青年が熱心に人間の方を口説いていた。

「おい業務時間中だぞ」

 彼はハバキではない、と脳内人物リストにチェックを入れながらイチトは男に声をかける。

「いーだろ別に客いねぇんだし」


 振り向いた男には見覚えがあった。精悍な顔つきに甘さのある眼差し、木漏れ日を想起させる色の瞳に目が奪われる。「どこかで見たことがある」とイチトは、数日前の出張帰りに一瞬すれ違ったことを忘れて思う。


 その時だった。

 ジリリリリ、と報知器の音が鳴り響き玄関ホールが緊張を帯びる。

 イチトに向けて脳和を、もうひとりの受付嬢が慌てて抱きすくめて止める。

 回収員の男が銃を構えた。テーザー銃だ。シガヤの得物の第壱神器と同型、『十色テーザー』。


 同時にイチトも警棒を構えていた。左手は銃を構える男に向けて、右手は無害の魔神・マネキン人形脳和に向けて。2本の警棒神器点灯展開、光の色は銀色だ。


「何のつもりだ?」

 銃相手でもイチトは動じなかった。撃たれる前に腕を打てば良いだけのこと。目の前で銃を片手で持つ男の照準は甘い……これまで魔神しか相手にしていないのだと戦歴が手に取るようにわかる。

 魔神はまととして大きすぎる。イチトは、モルグ市に来る前は警察官として市民を相手にしていたのだから、制圧は容易だ。


銀色そのいろはやめろ。あと『なんのつもりだ』はこっちのセリフだぜ!?」

 男はイチトではなくその後ろ、黙ってやりとりを見ていたシガヤに銃を向けた。シガヤは武器も持たずに降参の姿勢ハンズアップを見せる。

「身に覚えがありません。急にふたりが神器向けあってビビってんだヨこっちは」

「なァ~仕事帰りは裏口で浄化処理を受けないとダメって、不座見さんに習わなかったか? まどう教授よォ」

「あいにくまだ教授じゃないんだよネ。オレは助教授なんだ、オスカーくん」


 警棒に銃、警告に話題ずらし。得物を向けあう硬直状況の中、マネキン人形の脳和だけがバタバタと身をよじらせていた。イチトに向けて木の指先が広げられる。


 ――脳和さんにもよろしっくね〜!

 ふとイチトの脳裏に明るい声が蘇った。

「……これか?」

 イチトは右手でサイドポーチから名刺を取り出す。「それだ」と言ったのは"オスカー"と呼ばれた回収員だ。小さな紙片を見やる目は、気持ち悪い虫を見かけた時と同じものだ。

 

 一方でマネキン人形はコクコクコクッと嬉しそうに頷く。カウンターを乗り越えようとする行動をキャンセルし、名刺を受け取りたいと手を伸ばした。イチトが、錯真徒汐から押し付けられた名刺を。


Ttトトキ型の魔禍がちょこっと名刺に含まれてたみたいだネ。報知器が鳴ったのはそのせいか」

 確光レンズを掲げたシガヤが補足した。それを聞いて納得したのか、オスカーはテーザー銃を下ろす。それを見てからイチトも2本の警棒を帯革に収めた。


「まったく美術館帰りかよ。そりゃもう魔神の相手をしたよーなもんだろ。バックヤードいけって」

「これは脳和さんに渡してもいいものか?」

「多分だめだな」

 オスカーはイチトの手から錯真徒汐の名刺を奪い取り、くしゃりと潰す。目も鼻も口もないのに脳和が、悲しそうな顔をしたように見えた。その場にいる誰にとっても、監視カメラ越しにホールの様子を伺っている警備員すらも。


「わかれよ脳和。十時市が懐かしいのもわかるけど、おめーはもうモルグ市魔神博物館の所有神モノなんだぜ」

 オスカーからは肩を撫でられもうひとりの受付嬢からは頭を撫でられ、十時型魔神・脳和ノワはすっかり落ち着いた……ただ、彼女の首はずっと、丸められて床に転がる名刺に向けたまま。そしてシガヤが紙くずを拾い受けてからは、シガヤの手先に標的が変わる。

 

「脳和サン。トッシーが、よろしくねって言ってたヨ」

 シガヤが邪気のない笑みを見せてようやく、ゆっくりマネキン人形は頷いた。ギ、ギ、と木製の身体が軋む音。



 ……。



 バックヤードで除染作業を終えたふたりを、回収員3班・オスカーが待ち構えていた。腰に手を当てた仁王立ちで、ふたりを決して通さないと言いたげだ。薄暗い廊下、ほかに人の気配は無い。

「回収員2班!」

 ビシ、と演技かかった動きで指差す青年。スグリのような大仰な動きではなく、洗練された指の動きだった。シガヤは一瞬のうちに「難癖つけられる」と眉を潜めたが、イチトは逆に目を瞠った。


 やはり、と声が溢れる。「お前を見たことがある」と続く。

 

 イチトの言葉に、青年は出鼻を挫かれてしまった……指先がくにゃりと力を抜き、眉尻も下がっていく。

「ええ、いや、おれたちちょい前に会ったよなぁ!? おれ3班の『オスカー』、ほら、夜組の!」

「イチトくんあんまり記憶力よくないから。異界区分まったく覚えてくんねーし」

 シガヤがフォローに入ったがイチトは「俺は人の覚えはいい方なんだぞ」と逆にシガヤをなだめにかかる。

 

「あーじゃあ『絵を見た』とか? オスカーくんっぽい人の絵、トトキ市魔神美術館にいっぱいあったヨ」

 わざわざイチトに共有しなかったが、シガヤは美術館でそれを見つけていた。作者も画風もそれぞれ違うのに、それが彼モチーフだと分かってしまった。

「えーこわい……おれってばモチーフにされすぎだろ」

 オスカーは自分の身体を抱きしめる。イチトやシガヤが着ているそれとは違う形状をした、カーキ色のフライトジャケットがぎゅうっと歪んだ。


「お前のは?」

 シガヤとオスカーのやりとりをすべて無視してイチトは単刀直入に問う。

「バカでーおまえ、わざわざ秘匿してるヤローに聞くかふつー!? それともナンパか? おれはライバル多いぞ、わはは!」

「いや……」

「あーひょっとしてオスカーくんって前科持ちだったり? 半グレにいそうなツラっていわれたらそうカモ」

「そっちの助教授は失礼すぎだろがい」

 じゃれ合いはじめたふたりの男をよそに、イチトは納得したように手をポンと打った。



「えっ!? 同郷なの!?」

 思わずイチトとオスカーを交互に見るシガヤだったが、すぐに違和感に気がつく。それならば「同じ中学だった」という言い回しになるはずだ。

「えっ……なんなの……?」

 すぐに引き気味の声をこぼすシガヤ。その隣でオスカーは口元に手をあて、照れた様子だ。彼は無言で、イチトが説明をする。

「中学生の時、芸術鑑賞会で俺の学校に来た人だ。劇団の少年役者だった」

「ウソだろおれのオーラありすぎか……? よく覚えてんなぁ何年前だよそれ、だって声変わりだってまだじゃねぇかその時のおれ? うわぁ~役者続けとけばよかったな~」

 

 握手を求めるオスカーに、快く応じながらイチトは口元だけ笑う。

「それだけわかれば本名もわかるな」

 オスカーは怖くなってカヒュッと息を小さく吐いた。イチトが握手をやめようとしないのでシガヤは慌ててフォローに入る。

「やめなよイチトくん、人を怖がらすの。大体、本名は総務部の名簿見ればわかるから!」


 手を剥がそうとしてもイチトの力は強く、結局シガヤはすぐに諦める。手助けが得られないとわかりオスカーは情けなく喚いた。

「暴くのやめろぉ災い避けなんだぞ夜組の渾名制度は! おれぁただでさえ好かれやすいんだぜ!?」

「好かれるだろうな。彼は幼いながら優秀な役者だった。その眼差し、よく通る声、美しい姿勢は、俺の脳の片隅に今も残っているのだから」

「お、オゥ……そんなに褒めてくれるな気持ち悪ぃ……面映ゆくもあるけどよォ、でもそれって10年以上は前だよなぁ……?」

 怖がったり照れたり忙しいオスカーを、シガヤは少々冷ややかな目で見ていた。どこか引っかかりがある。


 きっと、きっと。シガヤの引っかかりには、確証があった。

「イチトくん」

 誰かに嫌われようと、シガヤは好奇心に勝てない。


「彼の劇を見たのって、家族の誰かが死んだあと?」


 オスカーは、なにかおそろしいものを見るための眼で、シガヤを、そしてイチトを見た。シガヤの瞳も、オスカーと同じくらい怯えて揺れていた。

 イチトはいつも通りの、茶に焼け尽きた眼差しを逸らすことなく「ちょうど妹が死んだころだな」と言ってのけた。


 ……オスカーはイチトから手を剥がそうとするが、どうしても指を緩めてもらえない。

「お前はどうして役者を辞めてしまったんだ。上手だったぞ。女の子の役をしていたな。話の仔細は忘れてしまったが、お前が化け物を退ける姿の勇ましいこと」

 あの劇の、化け物の機構はオスカーもよく覚えている。大道具班の力作だ。しかし勇ましいと称されても、それはあくまで壇上でのお話。役者をしていて「それが厭だったのだ」と、オスカーは当時の小さな傷を引っ掻かれる心持ちだ。


「いや、今のおれの方がよっぽどいい在り方だな。脚本じゃなくて、ほんとうに、化け物を退ける仕事をしてんだぜ?」

 回収員になってよかったと笑うしかない。つくり笑顔だ。オスカーは表情をつくるのが上手だった。

「妹さんについてはご愁傷さまだ。魔神絡みか? かわいそうに。そういうヤツが減るように、お互い回収がんばろーぜ。おめーは昼で、おれは夜……」

 元役者の勘を働かせ、適切な台詞を言ったつもりだ。


 しかしオスカーの視界の端、舞台袖でシガヤの目が細められる。何か悪手をとった合図に見えた……それは演出担当の、母親が見せる眼差しと似ていたから。

 

「俺は回収員2班の惑羽一途だ」

 ちょうど誰かが除染室を抜けて廊下の扉を開けたものだから、外の明るさがイチトの背から飛び込んでくる。

「兄、妹、母、姉、弟、父を、それぞれ魔神に殺された」

 タイミング悪く逆光の演出となり、イチトの表情がわからない。ギラギラ輝く金の瞳以外は。

「日本国内の異界の入口ドアーをすべて封鎖することが俺の願いだ。その悲願達成のため、となった」

 

 扉はガシャンと閉じられて、廊下に薄暗さが戻る。調査員数名が、立ち尽くす3人の横を早歩きで通り過ぎていった。


「……それ、おれに言ってるやつじゃねぇな。警告か? だ、だれかいた?」

「扉上と廊下奥に監視カメラがある」

「へ、へ~マジかぁ。ほんとに、それだけか?」

「オスカーくんって意外とそういうのに敏いんだネ」

「あぁ!? バカにしてっか!?」

「ガラ悪……いやだってオスカーくんって魔神の寄せ餌じゃんね。オスカーくんを通じて、魔神に警告だしてるんでしょ」

「なんだよおれのこと知ってんのかよ教授の方は……」

「助教授ネ」

 

 結局だれも己を見てくれないのだとオスカーは分かっている。まだ両手をイチトに封じられたままだったので、いっぱい力を込めて引き剥がした。ようやくイチトは解放してくれた。


 そうすると、廊下のライトが一段明るくなる。ここが薄暗かったのは、照明が絞られていたからだった。どうしてこの場にいる誰もがそんな当たり前のことに気づかなかったのだろうか……確かに先ほど通り過ぎた調査員たちは「なんか暗くない?」と言っていた。

「オス坊こんなとこで何してんだよ? アンタの出番にはまだ早ぇ時間だぞ」

「はやばんってやつ? 仕事熱心なのはいいことだぞう市民!」

 ハバキとスグリがやってくる。「廊下暗かったから明るくしたけど何かしてた?」と付け加えて。


「なに、まどうコンビに絡まれてたのかよ。アンタも災難だな」

「え~絡んできたのオスカーくんの方だからネ。そしたらイチトくんに個人情報を暴かれるしっぺ返しを喰らってるにわけ」

 シガヤがすぐさま文句を返すとハバキがぎょっとした顔をイチトに向ける。

「イチトこわ……それが警察のやりかたかよ……」

「自業自得だ」


 廊下が徐々に賑わいだす。博物館はそろそろ閉まる時間だ。客を追い出し、死体を宥め、夜の侵略に備える刻が近づいてくる。


「こじんじょーほーって、なにとられちゃったの?」

 スグリが腕に巻き付くので、オスカーは丁寧に彼女の手を引き剥がした。

「おれの家業の話だぜ。でもそれ以上に、この兄ちゃんのことをいろいろ知ることになっちまった……」

「オイ、イチト……アンタまた自分の家族のこと話して……!? シガヤも止めろよ!!」

「横で聞く分ならオレ相槌しなくていいから楽だなって気づいちゃった」

「イチトくんの家族の話、暗くてスグリもきらいだなー」

「それならば俺の家族の楽しかったエピソードを披露してやろうか」

「バカスグリ!」

「火に油!」

「ええんごめんなさぁい!」

「何言ってもこうなるのかよこの兄ちゃん……」


 この廊下には窓がないからわからないが、時刻はとっくに夕方だ。

 昼と夜が交わる合間の今が、人が最も多くて安全である。

 博物館の外だってそうだろう。帰り道の街道。夕飯の買い出しの外出。

 黄昏時は街の人手が多いから、自分の代わりに誰かが欠けてくれるのだ。

 

「そもそも、どうして俺たちを呼び止めたんだ」

「あー用件忘れてたな」

 空気が和んだところでオスカーは改めて2班に向き合った。

「荷台に死体積んでんならまず除染より申請だろーが。トラックの整備員が怒ってたぜ?」


 ……イチトとシガヤが顔を見合わせる。ハバキとスグリが「こっちで下ろしといたから大丈夫」とフォローの言葉を続けた。


 それは身に覚えがない回収業。


「えーっとゴメン。最終的にどんな死体になってた?」

 シガヤは探る。イチトは黙っているが、右手は腰にさげた警棒にかかっていた。

「え? 最終的には……ちっちゃい石像だよねたぶん」

「こなごなだったからわかんね。警棒で殴って殺したんか?」

「スグリはね、赤い靴に一票! だって警棒じゃ石は壊せないもん!」


 帰り道には居なかった、目の大きなムジナの像を思って2班は黙る。

「あれ"異界性侵略的怪異"じゃなかったからさぁ」

 冷静を演じて、シガヤは台詞を諳んじる。よっぽど上手な役者であった。

「だったら報告なしでいーってかぁ!? アンタ旅先で見つけたきれいな石っころ拾って帰るタイプだろ」

「分析やめてくんない? 行こイチトくん。副館長サンにしないと」

「そうだな」


 シガヤに腕を引っ張られながらイチトは廊下を進む。

 首だけ振り返ると3人の回収員が、こちらに向けて手を振り見送っている様子が見えた。

 美術館から見送るトシオのように。イチトを異界から逃がす家族のように。また会えることを願うジェスチャーだ。

 

「……シガさん、ヤマさんになんと報告するつもりだ?」

「えーっとね。絵画はきちんと美術館に送りましたっつーことと……」

 カツカツ、コツコツ。廊下を往く、連れ合いはふたり。

「回収員の誰かが、怪異を博物館送りにしてるってことかな」

 そのことで不都合があるのだろうかとイチトは疑問を挟もうとしたが、すぐに「そっとしておいた方がよくなくて?」という市民の忠告を思い出す。

 

 では果たして己の神殺しは、長期的に見て正しいことなのだろうか――。

 

 館長室前に置かれた古いラジオから「先日のジエン市で見つかった異界落ちでの行方不明者の葬儀が開かれ」と若いアナウンサーの声が聞こえる。

 異界の入口を塞がぬ限り、魔神は此方を侵略し、犠牲者が増える一方だ。


 イチトは再び前を見据える。その少し前をシガヤが歩いている。なびく白衣の裾を見て、イチトは生家のカーテンに思いを馳せる。


 平穏は遠くなりにけり、ひたすら進むは血と魔禍で濡れた道だ。

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