第33話「怪物の面影【前】村主が憑いている」

 夏の夕刻。地元の小中学生たちが竹製の神具を担いで家々を巡る。毎年おなじみの行列を、柄本美蔓つかもとミツルは神社の入口から眺めていた。

 たくさんの幟が夜風にたなびく町。天気は曇り気味だが、時折雲の切れ間から冴えた星空が垣間見える。


「みーみずうち、みみずうちー」


 高学年の子供たちの揃った掛け声に、低学年の子供たちのバラバラな掛け声が続く。輪になった子供たちと引率役が、神具でアスファルトの地面を叩いて回る。


「今年も蚯蚓打みみずうち、無事に終わりそうだね」

 袴姿の父、柄本晃正つかもとあきまさが美蔓に優しく声をかけた。

「一時はどうなるかと思ったよー」

 虚の騒動を思い出しながら苦笑する美蔓に父もゆるりとほほ笑み返す。

「竹取係もケガ無く戻ってきたし、虚の様子も変わりないと言っていたから」

「新しい地主神さまもうまくやっていけてるみたいだね」


 、と続ける美蔓の声はわずかに強張る。

 彼女はひとつ、父親にウソをついている。


 先に帰るねと言って自転車にまたがる美蔓の表情は暗い。それも宵闇にまぎれるため父親にはバレなかった。帰途で顔なじみの駐在さんに「美蔓ちゃん、夜道にひとりは危ないよ」と声をかけられたが「ひとりじゃないからー」と煙に巻いてやり過ごす。

 美蔓の家は山間にあるので、行きはよいよい帰りは怖い。自転車から降りて坂道を登る。その前後にはもちろん人影などない。自転車のボコボコのフレームには『地縁森神社』由来の御札が何枚も貼られていた。おかげで自転車が盗まれたことはない。たとえ鍵をかけ忘れていてもだ。


 ふと振り返ると、神事の灯籠が遠くに見える。橙の光が地にポツポツと灯り、小さな宇宙が町に降りてきているようだ。これもひとつの神降ろしかもしれない、と息をつく。


 近くでニャア、という鳴き声がしたので咄嗟に首を向けた。

 モルグ市魔神博物館の一行が帰った後、とりわけ柄本家の近くでネコを見かけることが増えたように思う。

 このことは、まだ町の人には知られていない。知られたら不審に思われるかもしれない……この町にはこれまでネコがいなかった。ネコが排斥された逸話はこの辺りでは有名だ。


「うちに来るより、先に町の方に顔だしてよ~」

 思わず愚痴をこぼすと、ネコの鳴き声はウフフという笑い声に変わった。


 美蔓は驚いて立ち止まる。


 てってって、と跳ねるような足音に身が竦む。オンボロ自転車のハンドルを握ったまま立ち尽くす美蔓の、無防備な腹にひとりの少年が抱きついた。


「おかえりなさい!」

「もう、か。驚かせないでよね~……」


 美蔓はひとつ、父親にウソをついている。

 『何も変わらない』なんてことはない。

 あの日以来、美蔓にひとりの"村主"が憑いていた。



 ……。



 某県の東に座する四方矢山。山中の隠れ里で祀られていた現人神が村主スグリ

 柄本親子が認識する「スグリ」は、モルグ市魔神博物館で回収員コレクターをしている少女のことだ。彼女の年齢は16歳。かつては村を守る神として振る舞っていたが「魔神侵攻」を受けて守るべき村人を失った。


 スグリと美蔓が同性であったこと。現人神スグリが人懐っこい性格だったこと。ふたりが打ち解けるには一晩もあれば十分だった。


 そして友情を育んだ結果、神の力を借りれるほどにもなった。家を守るため、魔神と対峙するためという条件付きで村主の"村人"、すなわち信者となった。


『ひょっとして、一緒に戦いたかったりする?』


 それは甘い誘いだった。超常の力を得る代償として美蔓は長い髪を差し出した。安い対価だった。「魔神」と呼ばれる悍ましき存在、すなわち異界性侵略的怪異を容易に屠れる身分となれたのは幸運と称するしかない。


 今も時々、裸足に金属片を感じることがある。とびきりの成功体験を思い返す。


 ……騒動の後、スグリとは連絡先を交換して別れた。回収員のひとりの体調が悪化してしまい慌ただしい別れとなった。このことに己の母も一因となっていることは美蔓も申し訳なく思っているが……スグリの方は気にしていないのか、今も数日に一度の頻度で他愛のないメッセージをやりとりしてくれている。


 簡単に連絡できる仲なのに、美蔓は彼女に伝えていない。

 回収員たちが帰った後すぐに自分の部屋の姿見の後ろに"少年の幽霊"を見つけたことを。


「おねえちゃん」

 少年の声はどこかスグリに似ていた。だからすぐに分かった。

 この子は村主だ。スグリに取り憑いている、村主。

 すなわち神の一柱ひとはしら、村主の中でも希少な男児村主。


 鏡の前で腰を抜かした美蔓は「幽霊」「成仏」という言葉を口走ったが、少年がの服の裾を引っ張ったことで気持ちは変わる。

「おねえちゃん、もっとボクとあそぼうよ」

 彼は死んで『神』という役目から解放されたが、肝心の遊び相手が居なかったのだろう。美蔓は同情した。


 それから美蔓と男児村主の奇妙な生活がはじまったのだ。



 ……。



 男児村主は鷹揚な子供だった。


 美蔓は父の神職を継がずに農業の道を選んだので、日中は母と一緒に畑の世話をしている。男児村主はその間、作物の間をうろちょろしたり、見目の良い虫を追いかけたりして、気ままに過ごしていた。美蔓の目が届かない場所には行こうとしない。美蔓にとってありがたいことだ。


「みつるー、またネコがきているよ」

「エサはあげちゃだめだよ。居着いてもらったら困るから」

「だいじょうぶ。村主は食べ物を施す神じゃないのだよ」


 夜は中庭の池のほとりでネコと戯れ過ごしている。そのおかげで父親に男児村主が見つかったことはない。柄本晃正が中庭に姿を表わすのは休日の昼間だけだ。ルーティーンがしっかりしている父親なのだ。


 なんて奇妙な同居生活だろう、と美蔓は考える。悩むわけでもなく、ただぼんやりと事実を噛み締めるだけだ。


 美蔓は一度だけ男児村主を写真に撮ってみたが、幽霊らしく何も映っていなかった。代わりにネコがうまく撮れたので隣県に住む妹に送りつけた。

 そして返事の代わりに姪っ子の写真が送られてきた。前に見た時よりも身体が大きくなっている。子供の成長は早いものだ。

「かわいいねぇ、まもってあげたくなるねぇ」

 姪っ子の写真を見て指差してはしゃぐ男児村主は、もう成長が見込めない。生きることと死ぬことの手触りを、美蔓はこの歳になってようやく理解したのかもしれない。


 さて、晃正同様、美蔓の母・花江にも男児村主は見えていない。

 一度、母親がぬかるみに足を取られ転倒しそうになった時、男児村主が不思議な力で支えてくれたことがある。何が起きたか分かっていない母に代わって、美蔓は村主に手厚くお礼を述べ、おはぎを買い与えた。


「お礼なんていいのだよぉ市民」

 少年の物言いは「調子に乗った時のスグリ」を真似たものだ。

「ボクはおねえちゃんが好きだから、たすけるよ」

 それでもおはぎを受けとりうれしそうに食べる男児村主。幽霊のくせに物は食べられるんだ、と捧げた当人である美蔓は感心しながら少年の話を聞く。

「だってボク、カミサマだからねぇ」


 ふにゃりとした笑い顔を浮かべる少年を前に、美蔓はほんのりとした罪悪感で頬が引きつる。

『次に魔神と相対する時は、神の力に頼らないでくれないか』

 かつて回収員に念を押されたことを思い出す。


 魔神じゃないからセーフ、日常茶飯事だからセーフ、と美蔓は言い訳を重ねるが、それはあくまで自分の物差しの話。ヨソの土地神の尺度など測りかねるものだ。


 特に美蔓は、己はただの農夫である――、という意識を強く持っている。干渉できるなど思い上がってはいけない。いけないのだ。そういう役目の人間ではないのだ。


「ねえ、なんできみだけウチに残っているの?」

今村主いますぐりがのこりたがっていたから」

「いますぐり。変な呼び方。もっと個別の呼び方はないの?」

「ないよ。今村主は、ボクでもあるし」


 16歳のスグリと言葉を交わしている時、不意に彼女の口調が変わることがあった。それは目の前に居る男子村主のものだったり、あるいはもっと聡明そうだったり、排他的だったりした。

 かつての村主が彼女に取り憑いているから。あるいは、村主とはいくつもの子供の魂が混じり合った存在なのかもしれない。


「そんなに我が家を気に入ってくれたんなら嬉しいね」

「ここをボクの村にしてもいいくらい!」

 その冗談は笑えないな、と言いながら美蔓はむりやり笑う。


 ふたりは縁側に腰かけ夕焼けを眺める。男児村主が甘えるように、美蔓の太ももに頭をのせてうずくまった。ネコがする『ごめん寝』のポーズとよく似ている。

 美蔓はそっと少年の頭を撫でた。柔らかい髪だ。いつか自分にも子供ができたらこんなことするのかなぁと美蔓は笑ったが、まず相手を見つけなくてはならない。軽くため息をつく。


 幽霊の身で船を漕ぎはじめた少年のやわらかな頬の輪郭を眺め、美蔓は哀しそうに笑う。

「返した方が、いいのかなぁ……」


 夕日はゆっくりと堕ちていく。初夏の空は日が長い。

 まだ、時間はあるよと、美蔓の優柔不断を肯定するような空の色だった。



 ……。



 柄本美蔓に取り憑いている「男児村主」の髪色は、枯れ草のような青朽葉あおくちば色だ。

 他方、彼らが「今村主」と呼ぶスグリの長い髪は、とき色に女郎花おみなえしのグラデーションに染まっている。


 スグリ曰く、かつては村特産の草木から色を採っていたが、今はそれに近い色を再現してくれる美容院に頼んでいるそうだ。


 日本人の地毛は黒や茶色である。そこにまぎれても映える頭髪の色は、彼や彼女たちが特別で在ることを端的に示すために必要だったのだろう。

 美蔓の家に泊まったスグリには枝毛をいじる癖があるようだったし、男児村主も頭を撫でてやれば髪の痛みを確かに指先で感じることができる。


「みつるのかみはきれいだねぇ」

「そうでしょう? 気合い入れて手入れしてるからね。長かった時は時間がかかって大変だったよ」

「今もお手入れに時間がかかってるよ」

「それはね、出かける準備をしてるからだよ!」


 力強い熱射が地に降りそそぐ夏の日。外出にふさわしい晴天だ。

 美蔓はいつにも増して気合を入れておしゃれをした。ブランド物のラッシュガードに、長距離歩いても疲れないが宣伝文句のミュール。露出する脚に日焼けどめは欠かさない。


「どこいくの?」

「モルグ市魔神博物館ー!」

 この時間なら父も母もまだぐっすり眠っている。行き先を聞いて幽霊はトタトタと駆けてきた。そのまま美蔓の腰に抱きつく。

「ボクもいくー!」

「もちろん連れていくよ!」

 案山子のために購入した子供サイズの麦わら帽子を男児村主の頭にのせると、少年は今までにないぐらい表情を輝かせた。

「これいいの!?」

「もちろん。おしゃれしていこ!」


 美蔓はスクーターを引っ張り出してエンジンをかける。後ろに乗りなと声をかけたら「こんなの今村主だってやったことがないよ!」と少年は小さく跳ねて飛び乗った。


 幽霊との二人乗りを咎められる警官はいないだろう。美蔓はこっそりしたルール違反を鼻で笑いながら初夏の山を下りてゆく。

「いや~ヘルメットはあっついなぁ~」

 退屈な田圃道を今すぐ抜けんとアクセルを強く踏む。御札だらけのスクーターはアスファルトの上を遠慮なく飛ばして進む。真正面から受ける夏風は、生ぬるくて全身をお湯に浸している気分になる。


「あ、たぬきだ!」

 男児村主の声に目線だけでそちらを伺うと、しめ縄をつけたタヌキが茂みから顔を出している。その光景は一瞬のうちに通り過ぎた。

「おお、今日はいい日になるかもねー」

「そうなの?」

「そうなの。この町ではそういうもんなの」

「なんで?」

「タヌキは地主神様の御使いだからー」

「でもみつるには、カミサマがついてるのに」

 ぎゅ、と腰に回された手に力が少しだけ込められた。すがられているような感触だった。

「……だって私は"市民"だからねぇ」


 美蔓もまたどこかでオカルトを許容しながら生きてきた人間だ。超常の隣人に対してどう振る舞えばよいのか、感覚と経験が身についている。

 美蔓と村主のやりとりは、薄氷を踏むような絶妙な力加減だった。もしも踏み抜いたらその時は、どんな祟りを呼んでしまうのだろう。


「みつるはいじわるだ」

「いじわるじゃないよ~。街についたらジュースを買ってあげるからゆるして」

「サイダーがいい!」

「炭酸が飲めるなんて大人だねぇ!」

「だってぼく、みつるよりも年上だからー!」

「またまた~!」


 男児村主がクスクスと笑う。美蔓もあわせてカラカラと笑った。

 スクーターはぐねぐねした道を走り抜け、やがてモルグ市へ辿り着く。



 ……。



『モルグ市はもう安全です!』

『Uターンバックアップ中!』

 不必要なほど大きい黄色のポスターが貼られた看板が、信号待ちの5ツ角に張り出されていた。モルグ市はいつだって誰かを歓迎している。


 日曜はみな遅くに起きると決めているのか、朝10時前の大通りは人が少ない。静かな道を男子村主が不自然なほど警戒しはじめる。

「どーしたの?ヤバいやつでもいる?」

「しろい軽トラみかけたらおしえて。はくぶつかんの」

「博物館?なんで。ヤバいの?」

「ヤバくないけど、イチトのにいちゃんがニガテだから」

 軽トラとの関係はいまいちつかめなかったが、おそらく"イチト"が常に乗っている車なのだろう。美蔓は頭の中で男の回収員たちを思い浮かべたが、誰が「イチト」かは思い出せなかった。

「なんでニガテなの」

「いっぱいおこるし、こわいから」

 多分あの人かな、と美蔓は半分に絞ることに成功する。

「勝手にうちにいたことがバレたら、いっぱい怒られるんじゃない?」

「ごめんなさいする。ゆるしてもらえるかはしらない」


 結局、白い軽トラなんてものはいくらでも街中に溢れていて、そのたびに男児村主はビクビクしながら美蔓の背中にすがりついた。

 頼られるのも悪い気はしないなと美蔓は思う。流れで彼女が高校の時、適職診断で『警察官』が1位だったことを思い出した。クラスの皆で「うそつけー」と笑い飛ばしたものだ。

 ……果たして"適している"とは。己の果たすべき役割とは。そんなもの、一般市民にあるのだろうか。


 そんなことを考えながら、農民の美蔓は、神様の子供を連れてモルグ市博物館の駐車場にたどり着いた。

 白い箱のような施設の中央には仰々しい名とマークが記されている。


 昨日の夜にスグリに送った「モルグ市魔神博物館に行くけど会えない?」という短いメッセージには、まだ既読マークが付いていなかった。


 ガラス扉を通してチケット売り場が伺えたが、他に客はいないようだ。美蔓は男児村主を伴って入館チケットを購入する。幽霊にチケットはいらないだろうが礼儀のつもりだ。

「黄色と赤色だったよ」

 枠に区切られた円による博物館のマークはチケットによって色が異なる。少年には『小人』と書かれた黄色いチケットを渡す。

「トトキの魔神の色だ」

「そうなの? 詳しいね」

「そっちはマレビの魔神の色」

「へぇ、わざわざテーマカラーを決めてんだ」


 かくしてチケット片手に入場すれば、受付にいた『のっぺらぼうの木製マネキン』が顔を向ける。そして丁寧に頭を下げたので、美蔓は好奇心にかられて大股で近づいた。そういうカラクリ人形かロボットか。ロボットならばここは博物館ではなく科学館と呼ぶべきではないか。


 美蔓のような反応に慣れっこなのか、マネキンの隣に立つ受付嬢がまろやかな笑みを浮かべて紹介した。

「彼女はトトキ型魔神、脳和ノワちゃんです」

「魔神!?」

「うちの看板魔神ですよ。彼女は『無害の魔神』の象徴として、受付の手伝いをしてもらっているのです」

「へぇ~無害な魔神もいるんですね~握手しても大丈夫なの?」


 回答を得られる前に握手の手を求めると、脳和はおず……と恐縮したような仕草でそれに応じた。ずいぶん人間らしい反応だ。


「脳和ちゃんだけはです。その他の魔神がいかなる恐ろしさを持つか、そして人間たちがどのように対抗してきたか、ぜひ当館で学んでいってください」

 受付嬢は熱の籠った口調で告げて美蔓にパンフレットをひとつだけ差し出した。

「あの、この『麦わら帽子』見えてますか?」

「はい?」

 美蔓の唐突な質問に受付嬢たちは不思議そうに首を傾げる。


 ああ、お供え物は正しく男児村主の物になったんだな、と美蔓は理解した。



 ……。



 エントランスと一体になっている中央展示。メインホールの天井から吊るされているのは逆さ吊りの鯨。魔神の骨はナイフのように鋭利だった。死してもなお人を殺せる展示物。床に描かれた解剖図は宇宙の展開図のようだった。果てがなく、恐ろしい。


「みつる、なんで博物館きたの?」

「いまさら気になるの?」

 ホールの壁には崩壊した神社の写真が引き伸ばされて展示されている。あわせて並ぶ展示の時計は土地神が最後に観測された時刻で止まっているらしい。この時から盛愚市は神を失った。


「……盛愚市の地主神は認識が塗りつぶされ、当社が"何を祀っていたか"分からない状態となっています、か」

 解説パネルによると、それでもの土地神に感謝を示す儀式や祭りの行事は続いているらしく、いわば盛愚市の住民は何とも分からぬものに敬意を払っている状態のようだ。


 ここに別の神が居座れば穏便に済むだろうが、神主親子はそれを是としなかった。魔神に対する対抗手段をかき集め、人を募り、神社を捨て、モルグ市魔神博物館を成立させる。この組織はやがて、国内でも有数の魔神対抗手段を持つハコと成ったそうだ。


「村主がここのカミサマになってあげてもいいのに」

 写真を見た男児村主がポツリと呟いたが、美蔓は返事をしなかった。


 もし自分の街の地主神が同じ目にあった時、果たしてその提案に頷けるかと考えに耽る。「狸と猫の争奪」の話の、登場人物の項目が空っぽになった状態だ。あとから空白に好きな名前を書き加えれば、その功績を掠め取ることができるだろう。そうやってお手軽に信仰を集めた先は……。


「ねー、みつる! だから、なんで博物館きたの!」

『Oz・御頭型』魔神展示室へ向かう美蔓を男児村主は慌てて追いかける。美蔓は足を止めない。

「私さ、"村主"のこともっと知りたくて。だから魔神のことを調べにきたんだよ」

「えへぇ、"ボクたち"のことを……? でも、どうして、おずがたなの」

「目についたからかな」


 暖色系のライトに照らされた室内は壁一面に『絵画』と『写真』と『解説パネル』が交互に掲示されていた。まるでチェスの盤面のようで、整然とした印象を与える。

 絵画は絵柄が統一されているのでひとりの作家によるものだと想像がついた。一方で写真は、凄惨な事故現場のようなものだったり、夕焼けの写真だったりと様々だ。こちらには統一性がない。

 どんな怪物のポートレートが並んでいるのかと期待していたこともあり、出鼻を挫かれた気分だった。


「こちらはオズ型魔神の展示室です」

 スタッフに声をかけられたので、美蔓は身を強張らせた。男児村主も逃げるように美蔓に追いすがる。

 声の主は軽薄そうな男だった。まず目につくのはがっしりした体躯だ……「農業やってました?」と尋ねそうになって美蔓は己を抑える。


「こいつ、『ドーズ』だ。これくたーの、ひとり」

 美蔓の背に隠れた男児村主が教えてくれる。


「よければ案内しましょうか?」

 派手なアロハシャツに大ぶりのピアス。人が良さそうに笑う面差しは、農家の線を除くなら、地元の消防隊の若者によく似ている……!

「あのッドーズさんッ」

「えっぼくのこと知ってるんだ?」

「農業か消防隊のご経験はッ!?」

「えっぼくのことぜんぜん知らない!」


 美蔓が自分の思考回路を説明すると、ドーズと呼ばれる男はアハハハと豪快に笑った。これで黒髪だったら美蔓は恋に落ちていたが、脱色髪ツーブロックはヤンキー過ぎて好みから外れる。

「ぼく、元は軍人だったの。訓練がキツくて逃げちゃった」

「そうなんですか。回収員の方が断然キツいと思いますけど」

「そんな風に認識してもらってうれしーなぁ。ほんと、ここのお偉いさんは人使いが荒いんだよ」


 人の良い笑みを浮かべているドーズだったが、人知れず美蔓の服の裾を引っ張る男児村主が「みつる、そいつ『おんなずき』らしーから気をつけてね!」と小声で必死に忠告してくる。

「……回収員さんって、仕事してない時は館内でナンパするんですか?」

「ちがっ、ぼくは夜勤務だから備えてるの」

「備え?」

「そー。ぼくの次のおしごと、御頭型の魔神が相手なんだよね」


 ドーズは展示室内の写真と絵画とパネルを指さしながら解説をはじめる。


 ――御頭オズ型魔神、政府指定認識型は『Oz』。

 某県に住む御頭という名の海洋学者が第一報告者であるため、彼の名にちなんで命名された。その海洋学者を「発見者」ではなく「報告者」と称する理由は、彼が内通者であるからだ。もともと彼の家系ではこの種の魔神を囲っていたらしい。それが異常であると気づいた彼は独断で政府に密告リークした……魔神侵攻よりも前の出来事である。


 さて、Oz型魔神の特徴は「物語を借用する」という機構システムである。

 日本または世界、古今東西に伝わる童話に逸話、フォークロアやネットロア。それにちなんだ様相と力を形作って顕現する。


 つまりは威光の借用。また人々に馴染み深い「設定」を持つため、この社会にとりわけ根付きやすい。「噂が真実になる」ような成り代わり事象は、Oz型魔神の常套手段である。


 ――人間社会は物語ストーリーがないと成り立たない。事件も災害も宗教も神話も、先行にせよ後付にせよ、すべて何かの物語からはじまる。ゆえにOz型魔神は、数ある魔神種の中でも脅威度が高い。「成り代わり」ほど罪深いものはない。


「で、この絵は御頭型魔神にパクられた逸話を展示用に描いたやつだよ。だから見ても害はないよ」

「害がどうこう以前にすっごいコワイ絵柄してるけどね……」

「そもそも魔神はコワイものだって思ってもらわなきゃなんないからねぇ、博物館にとっては」

「ドーズさんにとっては違うの?」

「え?」

 美蔓は首を捻って思い出す。

「そうだ、イチトって人に言われたんだ。すごく怖い顔してさ。魔神は排除しなきゃいけないって」

「あはは、昼組は真面目だからね」

「ドーズさんだって真面目じゃん。わざわざ勉強に来てるんだから」


 ドーズは肩を竦めるだけ。美蔓も肩を竦め返すと、解説パネルを冷えた指でなぞる。存在模写のかげおくり、異界につながる夜の鏡、男を誘う雪山の美女……被害規模は様々だ。


「そうだ、ドーズさん。この博物館に『村主』の村の説明ってないの?」

「あー柄本さんはスグリちゃんのこと御頭型だと思ってるんだー」

「ちがうちがう! 魔神と思ってないからやめて!」

 自分の足元で頬を膨らませている男児村主を気遣いながら美蔓は否定する。

「あはは必死でカワイイ。でも四方矢山に関する情報はどの展示室にもないよ。村主の風習も、山を滅ぼした魔神についても、魔神侵攻による事件のあらましもぜーんぶ秘匿」

「ドーズさんでも知らないんだ?」

「ぼく下っ端だし。聞くなら『イチト』って人がいいんじゃない。あいつは皇都警察として"現場"に居合わせてるらしいから」

 しかし話を黙って聞いていた男児村主が美蔓の服の裾を掴む。その手にいっそう力が込められた。美蔓はため息をついて、氷の表面から足を離すことを決める。


「スグリちゃんは今日はおやすみ?」

「いやー出勤表に名前あったよ。裏で雑務してるんじゃない」

「じゃあムリに会わなくてもいいかぁ」

「案内が欲しいなら引き受けようか? グロいのとかいっぱいオススメあるよ」

「グロいのを見る趣味はないので結構。ありがとうねドーズさん」


 軽やかに手を振るドーズと別れて美蔓は他の展示室に向かう。


 御頭型は写真による展示に留められていたが、十時型や稀火型の魔神は骨や外殻が多く展示されていた。型によって展示基準が異なるらしい。

 決まってその魔神が起こした事件の詳細もパネル展示されているため、被害状況がよく理解できた。


 魔神と相対した美蔓だって代償がなかったワケではない。だが博物館を見学しているうちに、自分の運が良かっただけということにイヤでも気付かされた。

 軽度なケガ、重度のケガ、発狂、忘却、性格代わり、昏睡、死亡、生きて帰らず、そして魔神の眷属化。

 超常の存在が一般市民に与える悪影響は、大なり小なり様々なものであった。


「……村主の村は、魔神に襲われてなくなったんだよね」

 モザイク加工がほどこされた犠牲者写真を眺めながら美蔓は爪を噛む。

「そう。でもおそってきた魔神は、今村主が封じたよ」

 称賛に値する成果のはずなのに少年の声は暗い。だから代わりに美蔓が「スグリはすごいね」と褒める。

「ぜんぜんすごくない。今村主は山と村人をまるごとつかったんだ」

「……それは」

「まもれなかった」


 ポツリ、と呟く声は人の居ない展示室に響き渡った。

 その直後、完全に不意打ちで、室内の照明が落ちる。


「わっ!? なに、停電!?」

 あわてて身構え、周囲を見やる。闇にまぎれて男児村主の目が光っているように見えた。夜中に遭遇するネコの目のようだ。展示される犠牲者写真の目も光る幻覚にとらわれる。

「ウ、ア」

 美蔓の声は恐怖で引きつった。部屋がシャッターで封じられる音。どういう状況なのか理解できない、そう思った時、天井から何かが降りてきた。

「ヒャアア!」

「やはり、柄本美蔓だな」

 落ちてきたのはひとりの男だった。

「……あ、『イチト』さん?」


 惑羽一途は手に赤く輝く警棒を握っている。なぜ上から落ちてきたのか、自分のもとへ来たのかわからない……いや、すこしわかる。男児村主の件のはずだ。

「久しぶりですね~ところでこれ、博物館のアトラクション?」

 男児村主を庇うように明るく話す。イチトの目は美蔓にまっすぐ向いていて、男児村主を見ていない。恐らく見えていないはず。


「恒常的なアトラクションではない。センサーの反応があったからここを封じて出動という経緯だ。お前を『信奉者』だと思いこんですまないな」

「信奉者?」

「村主、お前のせいだ。反省してくれ」

 イチトが明確に男子村主に目を向けたので美蔓は「ヒュッ」と息を飲んだ。今まで意図的に無視していたということだ。なんて意地が悪い。

「見えてんの!?」

「少なくとも足跡は」

 美蔓は驚いて目を下に向けたが、俯く少年がいるだけでそれ以上のことは分からない。

「足跡って、ココ、土の上じゃないのに……」

「この展示室は冷えているからな。さて村主。はやく今村主のもとへ戻れ。柄本さんに迷惑をかけるな」

「やだ!」

 男児村主はいやいやと頭をふった。ごめんなさいするつもりだったはずと美蔓は記憶しているが、本音は違うらしい。


「柄本さんも、こいつを引き渡すために博物館まで来たんだろう?」

 暗闇の中で尋問が続く。イチトの目も警棒の光を受けてギラついているように見える。他方、美蔓の顔も悪い色で彼の目にうつっているであろう。緊張による冷や汗が止まらない。

「えっとねぇ、スグリちゃんに会えたらって思ってたけど。忙しいみたいだし、まだしばらく、うちで預かろっかなぁ!」


 自分にすがる男児村主を「守らなくては」と思いはじめていた。

 いつまでいつまでと、自分の役割の答えが見つけられない。

 そして美蔓の日常にはイチトと違って任期がない。

 その気になれば「いつまで」を永遠に続けられる。


 状況を端的に表すならば「魅入られている」がふさわしい。


「そのような穏やかな認識で、わざわざモルグ市までご苦労なことだ」

 イチトがインカムに何かを告げると室内の照明が戻った。美蔓の周りに犠牲者写真が浮かび上がる。みな悲しそうな顔をしているように見える。

「スグリもなぜ、すぐに回収しようとしないんだか……」

「言ってないんだよねぇ、アハハハハ」

 悪いことをしている自覚はあったので笑ってごまかした。イチトの目つきが険しくなる。

「口止めをされているのか?」

 イチトは警棒を男児村主がいる場所に突きつける。

「私の意志だよ!」

 それはハッキリと告げた。大きな声で迷いなく。


 イチトは深くため息をつくと、もう一度インカムで命令を下す。封じ込め用のシャッターがゆっくり上がっていった。

「……引き止めてすまなかった。好きに過ごしていいが、できれば帰りにミュージアムショップに寄ってほしい。いいお守りが売ってある」

「お守りはウチの神社のがあるからいいよ」

「それは残念だな」


 結局美蔓は、ミュージアムショップで魔神に関する説明の冊子とモルグ市まんじゅうを購入して博物館を後にした。男児村主は特に何もねだらなかった。



 ……。



 中央公園にある屋台通りに寄ってランチタイム。美蔓は男児村主にサイダーを買い与え、自分の昼食はたこ焼きと麦茶だ。

 木漏れ日の先の青空に赤い十字の切れ込みを見る。今もどこかで何かが起きているのだろう。人々の日常に影響を与えない程度の異常が。


 男児村主はたこ焼きには無関心だったので美蔓はひとりで全て食いらげた。食べ終わったころに「オネーサンひとり?」と通りすがりの男に声をかけられたが、好みのタイプではなかったため「私とかみさまのお話する?」とはにかめば、男は遠慮して走り去る。


「みつるといると楽しいねぇ」

「そう思う?」

「今日だけでおじさんを3人も追い払った。ゆかいゆかい」

「ゆかいかぁ……そりゃどうも」

 人数的に、ドーズやイチトも含まれているのだろう。1日のうちにナンパを2回も受けるのは美蔓にとってもレアな体験だ。

「みつるといると、安心する。だめだねぼく、かみさまなのに」

「急にどうしたの?」

 美蔓の問いかけに男児村主はそっぽをむいた。

「……イチトのにいちゃんにわたさないでくれて、ありがとう」

「あの人のことそんなに嫌いなんだ。スグリちゃんもそうなの?」

「今村主はイチトのことちょっと好きだから、きらい」

「ああそう……」

「ぼくはみつるの方がずーっと好き」

「そりゃあ光栄ですね」

「今日のお礼に、ぼくがみつるを守ってあげる」

「別にあれくらい、気にしなくていーからね……」


 美蔓はゆっくりと麦茶を飲み、喉の不自然な渇きを癒そうとする。


 ……男児村主といるのは楽しい。彼を通じてスグリを知った気にもなれて嬉しい。子供相手も苦じゃないという自分の一面を知れて誇らしい。

 しかし、自分が非現実を楽しんでいるという高揚感を、警戒しなければいけないことにも気づいている。

 彼は居場所のない、わざと悪い言い方をすれば「依存先を探している魂」だということを忘れてはならない。


 日射が強い。馬鹿みたいに暑い。考え事をするには向かない日だ。夏はいつもそうだ。蝉の声がジリジリジリと思考力を削いでいく。


 ふたりは来た時と同じくスクーターに乗ってモルグ市を後にした。

 一歩進んで一歩下がったような、夏の遠出の思い出だ。

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