第32話「異界バンドマン【後】敗走の果ての音」
動画サイトはレコメンドする。繰り返しParadeを再生する。
知らしめろ知らしめろ、まだ歩いてるから歩き続けるから。
帰るために、いつかのあの日に戻るために。
あの日に帰れるわけがなく、再生数はこれから増える。
……
これは公になることではないのだが、成人男性"合計"1人分の骨は宙から落ちてきたのだという。まるで手品のように。
「あいつが届けてくれたんだ」
善行ではない、その逆だ。異界バンドマンはただそれだけのために
蒸し暑い夜だった。3つある頭蓋骨のうちひとつは大きく砕かれていて、食べられてしまったのだと理解ができる、その程度。詳しくは鑑定待ちだ。
どんな結果が出たとしても、死んでしまったことに変わりはない。
……。
場所はモルグ市魔神博物館・館長室。
イチトとシガヤは部屋の最奥、館長デスク前に並んで立つ。
館長デスクには調達された喪服が2つ重ねられていた。「喪服なんて持ってない」と駄々を捏ねるシガヤをこれで黙らせるためだ。
「焼香だけでも参加なさい」
不座見ヤマヅが命令する。椅子に深く腰掛ける不座見ヒルメは息子に進行を任せている。窓から差し込む初夏の日差しでふたりの顔は陰って見えない。
回収員2班のふたりは、消沈、懐疑、冷然の眼差し。
「……人死にを出した。そのたび回収員は、葬式に出るのか?」
イチトは冷ややかな声で問う。憎まれ役を買って出ているのだとその場に居る全員が理解した。その一方で、シガヤの顔色は悪い。目の焦点も実はさっきからあっていない。
「わざわざ行くわけがない。日頃は代理で総務部が赴く」
「ではなぜ、俺たちが」
「箔をつけた"罰"じゃよ!」
品がない金色の扇子で仰ぎながらヒルメが哄笑した。
「『異界バンドマン』に助けられ、おぬしらだけが帰還者だ。これがどういうことかわかるか?」
シガヤは小さく口を動かすだけ。イチトは不服そうに黙っている。冷房が効きすぎているのか室内は涼しいを通り越して冷たい。おかげで死体は腐らない。
「もはや我らの手では新たなる都市伝説は止められんよ。UnknownCraftの歌は"たすかる歌"! 歌えば異界バンドマンが助けに来てくれる!」
大きな声だ。声量で他人を制御しようとするのは間違ったやり方だ。
「肝心のUnknownCraftは死んだ! それがまた"箔"をつける! それともおぬしらが……」
たった3人の聴衆を前に館長の演説は止まらない。
「絶対生還の"曰く憑き"なのか?」
「……惑羽一途、真道志願夜、そうで在るならば私の判断ミスだ」
父親の大演説を止めるため不座見ヤマヅが口を開いた。
「貴様らを今回の任務に就けるべきではなかったな」
そんな落胆の言葉にイチトは機敏に噛みつく。
「俺が"絶対生還"を死守しているのは、己の信念に依るものだ。勝手に曰くを憑けないでもらいたい」
不座見親子をまとめて敵と見做したかのように、残光を受けた金の眼差しがギラついている。
「どうだかのう。曰くはどこから湧くかわからんものよ」
イチトの威嚇を受け流しヒルメは目を細めた。
「ほれ、"神退き"と云う――」
「ごめんなさい」
しじまから投げかけられるシガヤの声が室内に波紋を広げる。
全員が口をつぐみ、シガヤが絞り出す言葉を待つ。
「……イチトくん、副館長サン。オレは 安 堵 してるんです」
無理をしていると一目でわかる病んだ笑みを浮かべていた。
「何よりイチトくんが自分の 信 念 を貫けて よ か っ た 。『絶対生還』だっけ。きっちりそれを成し遂げるんだから、 偉 い よ」
ヤマヅが口を挟もうと息を吐くが、シガヤが早口で畳み掛ける。
「生きて戻れておめでとうって上司なら言ってあげるべきでは? それが帰還者にとって何よりの慰めになるって研究室の聞き取り調査でも判明しています」
「シガさん、俺は慰めなど……」
「ああイチトくん、オレからも言ってなかったねごめんネ! イチトくんが 生 き て て よ か っ た! オレたち運が良かった。ああ、"幸運"だったんだ。"曰く"なんかじゃない。オレたちにそんな力はない。ただの人間なんだから」
シガヤに説き伏せられてイチトは黙ってしまう。
「運が良すぎるのも曰くの域じゃぞ、真道志願夜助教授さんよ」
館長の茶々入れにシガヤは屈しなかった。色素の薄い瞳は爛々と輝き、声にも熱が帯びていく。
「曰くで切り捨ててどうするんです館長サン! これだけの志を持つ男をオカルトで祀りあげちゃダメですって! そんなことしたらもう次は、皇都警察から誰も借りられなくなるでショ? 貴方たちが欲しいのは『特別な人間』なんですか!?」
違うでしょう、と念押しして。とかく早口でそう告げる。シガヤの言うことは一理ある。特別な人間なんてこの世にどれだけいるだろうか。英雄を待っている間に魔神から蹂躙されてしまうだろう。
しかしシガヤの相棒は。イチトは、真意を見抜いていた。
「シガさん。俺は気にしていない。シガさんは何を恐れている?」
問い詰めるような声。イチトはシガヤの肩に手をかける。シガヤの首筋を冷や汗が伝っていくのがわかる。汗の色は透明で色鮮やかな魔禍の発露とは違う。
「俺を盾にしてくれても構わんが、恐れの対象は知っておきたい」
イチトの言葉を、宥めるように置かれた手を、シガヤは跳ね除けた。
「恐れなんてあるかよ! オレは死んでもよかったんだ、でもイチトくんが死ななくて良かった……」
灰色の瞳はもう熱を失っている。
「イチトくんが死んでオレが生きて帰るなんてことにならなくてよかった。オレって薄情だよネ、あの3人は」
歯噛みしながら「死んだのに」とシガヤは続けた。
……風鈴の音が鳴る。
チリンチリンと耳に心地よい、邪を祓う清涼な音。
続いて「カッカッカ」と不快さを募らせるカサついた笑い声。
ヒルメは「こわれておる」と続け、館長用の革張り椅子の上で胡座の体勢に変える。
指摘されたシガヤは思わず自分の額に手をあてるが、いつかと違ってやっぱり魔禍の発露は無い。色つきの体液が流れることはなく、つまりは正気である。
「上位種六系・ツイヒジの異界から帰って来られる幸運は、存分に噛み締めるに値するものじゃ」
館長室の10ある時計が好き勝手にカチコチ針の音をならす。開け放した窓から侵入した風が、デスクに広げられた資料を床に散らした。
それをヒルメは手持ちの杖で叩き、引き寄せる。資料にはあのツイヒジの異界に座する魔神について、真の『異界バンドマン』からもたらされた情報が書き残されている。
「……ふたりとも、生きて帰ってきて本当に良かった」
状況の進展を期待して、不座見ヤマヅが渋々といった様子で口を開く。
「だから生きて帰れなかった3人のために、葬儀に参加しなさい」
有無を言わせぬ口調で命令を下す。
「こんな惨めな想いをしたくなければ、もう"ワタリ"には助けられないように」
「強くなればいいのか?」
イチトの問いにヤマヅは首を振る。そういうものではないらしい。
2班は頭を下げ、まずシガヤが逃げるようにシガヤは館長室を出て行った。その後ろをゆっくりイチトが着いていく。
イチトだけが部屋に残った段階で、ヒルメが、モルグ市魔神博物館の館長が言葉をかける。
「惑羽一途。おぬしは皇都警察でも浮いているゆえにこの博物館に送られた。伊毒祈係長によろしく言っておいた方がええかのう?」
「どうぞお好きに報告なさってください」
慇懃無礼な受け答えだ。
「ただし認識違いは訂正させていただこう。俺は……私は、自ら志願して回収員となった」
「奇特な警察官じゃ」
「私が、組織的にも個人的にも……当博物館と志を共にしていることは、どうかお忘れなきよう」
丁寧に一礼をして、イチトも退室した。
……。
「お前のせいでみんな死んだんじゃないのか?」
とうとう父親に尋ねられたのは、弟の葬儀の後の、精進落としの待機時間。
亡骸の無い葬儀のため火葬は省略される。
この場に親戚は多かった。またかよ、という顔を浮かべている者さえもいた。
惑羽八汰にのこった子供は『一途』だけだ。
「お前が魔神とやらに」
憔悴した様子の父は伸びて傷んだ髪をかき乱す。
「……いや、そんなこと、馬鹿らしいな」
イチトを責める口撃は中途半端に終わるのだ。葬式の香りが染み付いた制服の裾を眺めながら、イチトは無言のまま。
イチトには否定も肯定もできない。異界落ちした原因がなにひとつわからないからだ。災害に巻き込まれるようなものだと認識していたが、周囲の考えはそうではないらしい。
ただ、己と弟の立場がもしも、もしも逆転していたら。己が弟を庇って死に、弟が『帰還者』として生きていたのなら。
――弟が父に、あんな目を向けられていたかもしれない。
それは嫌なことだったから、イチトは黙っていた。
「れいじさまはやたがきらいなのかねぇ」
遠い親戚の囁き声は父親を責めているとわかる。イチトはパイプ椅子から立ち上がると、噂を広げる親戚に近づいた。靴の音をたてないように、静かに。
「……弟は魔神に殺されたんですよ」
父を庇って声をかけたイチトを親戚は見上げた。気味の悪いものを見る目をしている。怯えと恐れで大きく広がった目には、茶に焼け尽きたイチトの目が反射していた。
もはや誰が悪いのか、葬儀の参加者たちにもわからない。
……。
「
親子ふたりだけになった館長室。ヒルメが明るく語りだす。
「不運よのう、不幸よのう。死んでしまえば『自己責任』、生還しても『帰還者』として腫れ物扱いじゃ。生きづらい世の中よのう」
おおこわいこわい、とヒルメはほくそ笑む。デスクの上には個人資料を収めたファイルが山積みで、それらはカテゴリごとに分けられている。
それらに付随する
「……"館長"。真道志願夜についてだが。彼については本当に"曰く付き"の域に達しているのでは?」
ヤマヅは小声で言ったのに静かな部屋には異様に響く。
「彼は『ジンゼン町の神退き』と言われているそうじゃないか……」
「たいそうな異名持ちじゃの。大学先生としての立場と、最終的にどちらが勝るか見ものだわい」
ヒルメは面白くなさそうに鼻で笑った。だがヤマヅは真剣さを崩さず訴える。
「客員といわず、こちらで完全に囲った方が善いのでは? 『回収員』の真道志願夜としてなら、飢村教授という先駆者のいる領域よりも……まだ名があがる可能性はある」
「しかし皇都大学も教員不足で嘆いていてのう。真道志願夜という優秀な学徒が最低ラインじゃ。手放して質を下げることはせんじゃろう」
何しろどこも人手が足りない。それなのに、市民は目先の利益、好奇心、慢心に身を委ねて死ににいく。魔神侵攻の脅威についての認識は、国内でもいまだ足並みが揃っていないのだ。むしろ時が経つほど乖離していく。
「惑羽イチトが死に、あやつが生還した時が最後、『神退き』の名声は絶対的なものになるじゃろうな」
不座見ヒルメが伸びをしながら結論づけた。
「世間が、じゃあない。真道シガヤ自身が屈するのだよ」
……そこにノックも無しに扉が開き、黒髪の青年が入室する。
回収員4班の『ゴート』だ。
「まどうパイセンに、そんな未来は来ないっスよ!」
弾けるような笑顔を浮かべて断言するゴート。
「ふたりとも自分の部下を信用してなさすぎじゃないっスか~?」
ゴートは笑いながら、ドア横に忍ばせてあった式神を見つけて握り潰した。盗聴機能が失せた紙屑をそのまま床に落として捨てる。
「それは貴様の願望か?」
「だってオレ、まどうパイセンをリスペクトしてますから!」
ところで夜組の回収員がこの時間から動いているのは珍しい。ヤマヅもヒルメも無言でお互いを見た後、ゴートに向き直った。ゴートはニコニコとした笑みをつくると手を差し出す。
「なんじゃその手は。
「違うっス! オレにも喪服ください!」
「ヒャッヒャッ、おぬしもUnknownCraftの葬儀に出たいのか?」
「いやぁ~こういう服は持ってると便利そうだなって。せっかくだし、おじいちゃんに上等な喪服を仕立ててもらいたいんスよ❤︎」
「人の父親にたかるな。必要な時に標準的な質の喪服を経費で申請しなさい」
「えー、ふくかんちょのケチ!」
気安い会話を交わしながらも、3人の眼差しは紙屑に注がれたままだった。
……。
「チッ、誰だよ潰したやつ……」
ロッカールームでシガヤは悔しそうに片手を握る。2班のふたりが喪服に着替えている最中の出来事だ。
「どうしたんだシガさん?」
「とうちょ」
盗聴と言いかけたシガヤは慌てて己の口を押さえた。イチトから説教を受ける未来が見えたので「当直制度が復活するウワサ知ってる?」と話題転換を試みる。
「そういうのは夜組に任せる案件では?」
「オレもそう思うよ」
「ところでシガさんはズボンをいつ履くんだ」
ちょうど着替え最中に話がはじまったのでシガヤは身支度もほどほどに盗聴を開始したのだ。このために、退室時にわざわざ式神を仕込んだと言うのに。
それを打ち明けるわけにもいかないのでシガヤは「新しいパンツだから自慢したくて」と適当に返した。
「喪服の下に履くには随分と派手だ」
「だーかーらオレはもともと葬儀に参加するつもりはなかったんだヨ……業務だから行くけども」
イチトに嗜められてシガヤは喪服のズボンを履き直す。
「お前さんこそ『くびのほきょう』貼りっぱなしだよ」
言われてイチトは己の首をさすった。
……異界で肉腫に頭部を喰われたが、『くびのほきょう』と呼ぶ湿布型の護符によって確かに守られた。
まだつながっているイチトの首を、シガヤが何かを言いたげな眼差しを向ける。だけど口にすることはなかった。
「これはさすがに剥がさなくてはな。銀コインはポケットに入れていても怒られないだろうか」
「退魔グッズを葬式に持ち込むのはマナー違反、とはまだ言われてないからネ」
シガヤが身支度を終えた段階でロッカールームの扉が開く。
「いたいた! ふたりとも暑苦しい格好してる! 黒は熱を吸収するんだよ!」
「スグリ、これは喪服ってんだ。黒くないとダメなんだぜ」
スグリとハバキだ。よく知る声に日常がようやく戻ってきた気がしてシガヤは息を吐く。
「黒が熱を吸収するの教えたの、オレじゃんね」
「えへ、そうだっけ。シガやんの教育は身につきますなー」
「で、何の用事。オレらのこと探してたの?」
「うん! 異界落ちしたって聞いて心配したよ~」
「今朝まで総合病院にいたんだっけ?」
畳み掛けてくるスグリとハバキに、イチトが「病院と異界落ちの現場を往復していたんだ」と回答する。帰還は決して自力ではなかったことは、このふたりにはまだ知らされていないようだ。
「仕事を建て替えてくれてありがとーネ」
シガヤのねぎらいにスグリは自慢げにピースサイン。ハバキは視線をずらして頭をかく。
「別に、どっかが開いたらどっかが開きにくくなるのがドアーだからさ。そんなに忙しくはなかったぜ」
「またまたご謙遜を。デカブツの死体回収したって聞いてますヨ!」
「前にアンタらが殺すだけ殺して回収できなかった分を引き受けただけだって」
「アレ、そんなことあったっけ」
「来たばかりの頃のやつかな。ようやく肉が分解されて、骨だけになったから回収時ってよぉ。鑑定員長がうるさくて」
……なんてことない会話も、今のシガヤには毒となるきっかけが潜んでいる。魔神の骨に、人間の骨の見た目がだぶる。
喉奥からせりあがる苦い味を宥めている間にイチトがフォローに入った。
「俺たちはこれから"外回り"だが、何か用件が?」
「あ、大した用事じゃなくて。今日は洗浄係の仙崎さんがいないから気をつけてねって伝えようと思って!」
「えーオレ仙崎さんの洗浄スキルしか信じてないのにぃ」
苦労して明るく取り繕えばスグリが「シガやんは選り好みが激しいなぁ」と笑い返してくれる。肩を竦めるハバキの方も、シガヤの内心に気づいていない。
「そろそろ時間だ。行ってくる」
「いってらっしゃあい」
「日射病に気ぃつけろよー」
……。
空は目に突き刺さるような晴天。白い箱に似た博物館の壁からの照り返しはきつい。ジーワジーワと熱で炙られたような蝉の鳴き声がふたりの耳を突く。葬儀場への道は、ふたりは黙って向かった。
梅雨明けの葬儀に参加者は多い。犠牲者3人の合同葬儀だからだろう。大勢の喪服に混じってふたりは読経を聞く。
「イチトくん、焼香のやり方知ってる?」
「知らないのか?」
「実は葬儀、ほぼ参加したことがなくてネ。あんまり自信ない」
イチトはお葬式に慣れている。何度も家族を送ってきた。シガヤはそうではないようだ。
「だったら俺の真似をしてくれ」
「ありがとう」
シガヤもイチトも、犠牲者3人の最期に立ち会ったことを親族に打ち解けられなかった。話しかけるタイミングは無かったし、その気にもなれなかった。
きっと同級生だろう同年代の若者達はずっと泣いていて、遺影を持つ家族たちも塞ぎ込んでいる。
やがて、バンドマンの3人の家族のうちどこかが決裂したのだろうか。「てめぇの倅のせいで」と憤怒の声が会場に響いた。澱の溢れる瞬間がきてしまったようだ。遺された家族たちにはこれから出棺もあるというのに、あの様子では円満な見送りにはならないだろう。
弔問客は逃げるように会場を後にする。イチトとシガヤもそれに続いた。
群衆から離れて会場を出ると、どこからかParadeが聞こえた気がしてシガヤは立ち竦む。歌詞は聞き取れないけれど、今となってはメロディでわかってしまう。
「シガさんどうした?」
「イチトくんは聞こえる?」
「UnknownCraftの例の歌なら」
「そっか、幻聴じゃなくてよかったヨ」
「誰が歌っているんだかな……」
空の青色、掴めるような質感の入道雲。熱気が滲むアスファルトの道を喪服に身を包んだ人々が帰っていく。
あの中の何人が、生涯のうち魔神に、異界に関わらず生きていけるのか。
壊滅的打撃を受けた都心を避けた結果、地価の下がったモルグ市周辺に移住する動きは目立っていて……モルグ市役所が行っている『Uターンバックアップ』の功績も大きい……そうなればUnknownCraftの3人のように『異界落ち』する危険と人々は隣合わせとなる。
危機感がなければなおさら。好奇心があれば、ことさらに。
地主神を失った地は弱く、少なくない頻度で『ドアー』と呼ばれる「異界への繋がり」が開いてしまうから。
「……そういえばシガさんも帰還者だが、あまり詳しい話を聞いたことがないな」
イチトに尋ねられシガヤの足が止まった。
「レポートあるよ。読む? めちゃくちゃ分厚いやつ。通称『真道報告書』」
「かいつまんで話してくれないのか」
「高校時代のオレの力作を掻い摘む気?」
「浅慮だった。すまない」
イチトは謝罪をシガヤに向けるが、シガヤは道の先を見ている。
ツリ目がちのシガヤの目が大きく見開かれ、それはいつかの葬式でイチトを見上げる親戚の眼とよく似ていた。
歩道の少し先に立つのは見覚えのある女性だ。このたびメンバー全員が死んでしまったバンド、UnknownCraftのマネージャー・内山である。
「アンクラ、助からなかったんですねー!」
少し距離があるので、内山は声を張り上げふたりに声をかける。青空をバックに喪服姿で大きく手を振っている。
「責めにきたのか!?」
イチトも大声で威嚇する。陽の光は眩しい。内山を警戒するように目を細めて睨みつける。
「そんなまさかー!」
内山は笑っている。彼女とは距離があるのに、笑っているとわかるのだ。
「彼らの最期の歌、来月リリースするので、よろしくおねがいしまーす!」
内山ははつらつとしていて、喪服でいることが間違いのよう。
「この間のMV、ちゃんとステキに仕上げますのでー!」
後悔や迷いがない声。イチトとシガヤに彼女の心はわからない。帰還者でもなく被害者でもない、置いていかれた側の心情は理解できない。
「彼らの紡ぐ詞と声とメロディーの奇跡、ぜひ聞いてあげてくださいねー!」
キャッチコピーのように告げて、内山は来た道を走り去っていった。イチトは黙って彼女の背を見送る。
……やがて『Parede』が聞こえてきたので視線を落とすと、シガヤがその場に座りこみ"たすかる歌"を口ずさんでいた。
日射は強く、街路樹の影はふたりのまどうには届かない。
イチトはシガヤの日陰になるため立ち位置を変える。アッシュグレーのイチトの髪を、ぬるい風が撫でる。
「シガさん」
「助けられなかったなぁ」
歌うのを途中で諦めてシガヤは立ちあがる。イチトがつくった影から離れて項垂れる。イチトはすこし考えて、シガヤに一歩近づいた。
「……シガさん、アイスを食べて帰らないか。期間限定の店舗が駅前にあるんだ」
イチトから唐突な提案を受けてシガヤが顔を上げる。視線を合わさず頭をぐるりと回して考える仕草。そして下がり眉で笑う。
「あそこはCDショップの前を通るからイヤだね」
「それならうちに寄ってくれ。ちょうど冷凍庫に高いアイスがある。シガさんにわけてやろう」
「イチトくんちに? わざわざ?」
ようやくふたりの目線が交わった。
「わざわざ来る価値はある。ここから遠くないし、この時間なら同居人も不在だ」
「喪服でお邪魔しちゃうよ?」
「塩なら常に持ち歩いている」
「食用でショ」
「シガさんは聡いな」
取るに足らない雑談を交わしながら、ふたりは歩き出す。通行人を通り越す時に「アンノウンが」と熱量高く語る声が耳に入った。
あの時2班のふたりが異界バンドマンに選ばれていなければ「アンクラ」は新たな歌を生み出せていただろうか。
残念ながら遺されたファンは3人が遺した13曲をループする運命にある。
残念ながらイチトもシガヤもファンではないので、UnknownCraftの導くパレードには合流しないだろう。
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