第31話「異界バンドマン【前】パレードの行く先」

 "みんなご存知アンノウン"

 正式名称は「UnknownアンノウンCraftクラフト」。昔からのファンは「アンクラ」と略すが、そのバンドの"御利益"を信じるファンは「アンノウン」と呼ぶ。知られざる者と。


 車内に流れる音楽は10周目。運転している惑羽一途まどうイチトは辟易とした声をあげた。

「他の歌はないのか?」

 しかし新聞を読んでいる真道志願夜まどうシガヤの返答はつれない。

「この歌が代表曲だから、嫌でも覚えろってさ」

  イチトが一瞬だけ助手席に目をやる。シガヤの手にあるローカル新聞、『今年も盛り上がった蚯蚓打ち』という特集が目に入る。


 イチトは視線を外に戻した。日の落ちた空は直黒だが、雲が浮いている様子は視認できる。この街の灯りは皇都に比べて心許ない。

 ……そしてすっかり、口ずさめるくらいには聞いてしまった音楽。アンノウンクラフトの代表曲『Parede』。歌はシガヤのスマートフォンからスピーカーモードで流れている。


 軽トラックに備え付きの通信機からは、博物館からの連絡が絶えず届く。魔神の反応を感知、また、同時に新たな通報も。

 人が森に食われた、と司令部員オペレーターが告げる。その森は異界に繋がる"ドアー"と呼ばれるスポットが存在するため、誰も立ち入らないように厳重な措置が施されていたはずだった。


「イチトくんが前に異界落ちして、全裸で帰ってきた事件があったじゃん?」

 シガヤが不意に口を開く。通信機の向こうで女性職員が息を飲む声が聞こえた。

「……シガさん、それは今やる必要ある話だろうか」

「まぁ聞いて。あれってとんでもなくラッキーなことだったと思うんだヨ」

「間抜けな帰還ではあったが、幸運が過ぎた」

 イチトは当時のことを回想しながらハンドルを操作する。それはまだシガヤとあわせて『2班』と呼ばれる前の、試用期間のエピソードだ。

「今にして思えば、俺の服がヤツらにとって鶏皮のようなモノだったのだろう」

「とりかわ?」

「超化ポリエステルの生地をうまいうまいと食い散らかしていた」

「ああ~……いるよね、鶏皮だけ食べる人……副館長サンとか」


 車内BGMがまた一巡する。『Parede』は3分ごとのサイクルだ。

「まぁ鶏皮談義はおいておいて」

 シガヤは新聞を折りたたむ。

「あの時はお前さんを"置いて"いってしまったとずいぶん肝が冷えたもんだよ」

「そんなに俺のことを心配してくれていたのか?」

 イチトは視線を道の先に向けたまま呻き声をあげた。

「帰還時の第一声! 俺の裸体の感想だったことをまだ根に持っているからな!」

「あの時はビックリしすぎて口が滑ったんだヨ」

「滑らないでほしかった」

『あの、なんて感想だったんですか?』


 いつのまにかオペレーターが男性に代わっていて、興味津々に聞いてくる。一連の会話がセクハラにあたっていたかとイチトは眉間に皺を寄せ、シガヤも反省の半笑いを浮かべた。

「聞きたい?」

「シガさん!」

 ははは、と通信の向こうで笑い声。シガヤは小声で「茶化さないとやってらんなくて」と言いながらスピーカーの音量を上げる。


 車内は聞き飽きたJ-ROCKで満たされた。オペレーターがそれにあわせて『Parede』を口ずさみはじめる。イチトもシガヤもそれを咎めることはしない。

 この歌こそが、巷で「たすかる歌」だともてはやされており、同時に結成5年目の中堅バンド・アンノウンクラフトを"有名"にしたものである。


 かくして軽トラックは「人を食った」と通報のあった森へ向かう。



 ……。



 軽トラックから降りたふたりを迎えたのは、3人の市警察と心細げに立つ女性だった。彼女の見目よりも、その手にあるそこそこ立派な撮影機材がふたりの印象に残る。


 イチトが敬礼をすると警官たちも同様に敬礼を返した。シガヤは頭を下げるにとどめる。

「保護ありがとうね。話の大筋は、博物館への通報で分かってるけどさ」

 周囲に博物館の調査員リサーチャーは居ない。ふたりの視線は首が取れた地蔵に向かう。

「立ち入りできないようにしてあったはずだろう?」

 警官たちの気圧された呼気の気配が伺える。威圧感を与えていることを気にせずシガヤが嘲笑った。

「……こりゃ、開くもんも開くわ」

「あの、これは来たところからこうなっていて!」


 言い訳を試みたのはカメラを持った女性だった。イチトは彼女を一瞥しただけで、偵察用機械ドローンに指示を出し現場写真を撮影する作業に入る。

「貴女は?」

 シガヤがイチトに代わって女性に応対した。

「アンクラのマネージャーをしています、内山と申します」

「内山サンね。危ないから下がって、下がって」

「十中八九、異界落ちだ。しかしドアーが見当たらないな……」

「大丈夫です! アンクラの歌は、人を現世に導く効果があるので!」


 女性が自信満々に告げるのは、異界バンドマンの都市伝説。

 その歌を口ずさめば、異界で迷ってしまっても、やがて助けがやってくる。


「何か呪術的な音階とか、祝詞でも混ぜてんの?」

「そういうのは無いです。無いからこそいいんじゃないですか! 彼らの紡ぐ歌詞と声とメロディーがあわさったことによる奇跡です!」

 はしゃいでいるようにも見える女性にふたりのまどうは嘆息した。

「で、ここには何をしに?」

「ミュージック・ビデオの撮影です」

「……は?」


 聞き返すシガヤに、内山は強く言い直した。

「だから、撮影です。せっかく素晴らしいご利益があるってウワサになってるんです。利用しないと」

「それでわざわざ異界に行ったの? 楽器持ち込んで?」

 シガヤは侮蔑するような困り笑いを浮かべ、一方でイチトの顔は嫌悪に歪んだ。

「いくつか訂正します。異界に行きたくて来たわけではありません」

「とはいえ『立入り禁止』を無視したのだろう」

「今どき自己責任論ですか!? これだから博物館さんは……」

 ケンカになりそうな雰囲気になったのでシガヤがイチトの脇腹をつついて嗜める。イチトは「むぅ」と不機嫌そうに声を漏らした。


「で、他の訂正事項は?」

「楽器を持ち込んでもいません」

「些末だ……」

「アンクラのパフォーマンスは、掃除道具を楽器にみたてているので。音は後からハメます!」

「良かった。ギターやドラムをわざわざ運んでこんな辺鄙な森に入った阿呆なバンドマンはいなかったんだネ」

 シガヤの言葉に内山はムッとした顔を返す。とうとう市警察のひとりから「こういう場で喧嘩はよくないのでは」と忠告を受けた。まったくその通りである。


「ドアー封鎖処置が必要だが、肝心のドアーが見当たらない。確光レンズの色も一様だ」

「おまわりさーん、お地蔵さん直すように業者に連絡おねがいしますネ。あとこの人、事情聴取したげて」

 警官はハイ、と答えると内山を伴って移動する。内山は不満そうな目だ。


 その直後だった。

 イチトの足元に何かが浮かび上がった。

 白いカビのようなものが円状に地面を染め、突起をつくる。

 まるで口が開いたかのよう……ここは、人を食う森だ。

 ワークブーツ越しに悪寒が全身を駆け巡る。


「……ッ!」

 しくじった、とイチトは舌打ちをする。ドアーが開く!

「逃げろ!!」

 すでに回収員コレクターたちに背を向けている警官に向かって、イチトは叫ぶ。声に驚いて、何人かが振り返った。シガヤもそのひとりだ。

 暗い森の視界、でたらめに狙いをつけるように白いカビの円が地面に浮かび上がる。手当たり次第に人を喰らおうとしているサーチング。

「森を出ろ! 走れ! 早く!!」

「うっげ、一番最悪なパターンじゃん!?」

 シガヤはイチトに従わなかった。引き返し、イチトの腕を掴み、ターゲットから逸らそうとする。

「愚策だぞシガさん」


 シガヤは微塵も諦めていなかったのに、イチトの声は冷静だった。ふたりの意識はそこで途切れる。



 ……。



 ひとつ、魔神がこの世界に来る。

 明確な侵略か、より大いなるものからの逃避か。

 結局は各々の事情によって異なるものだ。

 近年、大規模なものは確認されていない。

 災害である。


 ふたつ、人が異界に赴く。

 不用意な立ち入りか、はたまた勇猛果敢な侵攻か。

 結局は各々の事情によって異なるものだ。

 廃墟探索や心霊スポット侵入がこれにあたる。

 浅薄である。


 みっつ、魔神がこの世界に喚ばれる。

 コックリさんに代表される召喚の儀式で境界を曖昧にする。

 エサからの招待を拒む捕食者はいない。

 愚劣である。


 よっつ、人が異界に呼ばれる。

 神隠しと呼ばれるものがこれにあたる。

 対抗手段に乏しく、人の力では避けられない事象。

 災難である。



 ……。



『"異界バンドマン"というケッタイな名で呼ばれる男の噂を覚えているか?』

 混濁する思考に不座見ヤマヅの明瞭な声が分け入ってくる。

『アンノウンクラフトの歌が異界で聞こえたら幸運だ・あなたはここに戻ってこれる・彼があなたを助けるだろう、と……』


 声を頼りにイチトは意識を取り戻す。ヤマヅはひとりで語り続ける。

『その歌が励みになるうちはいい。だが、相手がそれを覚えた時はどうすると思う? きっと相手も歌うだろう』

 ヤマヅの声を聞いても安堵の感情は浮かばない。背筋を正せと叱咤されているようだから。

『そうなれば最後。たすかる歌とやらは、餌のありかの符牒にしかならない。見つけ次第やめさせなさい』


 ようやくイチトは覚醒した。近くにドローンが転がっている。ランプが点滅している……通信は繋がっているようだ。


「……ヤマさん、素敵なアラームに感謝する」

『寝ていたのか』

「気絶だ。異界に落ちた。シガさんは?」

 イチトは立ち上がりシガヤの姿を探す。呼吸は荒い。

 此処は何処の異界なのか。

 あるいは例のバンドのように『Unknownアンノウン』かもしれない。

 いかなる異界であっても気は抜けない。気を抜いたら、ここで果てて死ぬ。


 辺りは肉腫で出来た森、あるいは岩壁で出来た内臓のような空間だった。嫌にさわやかな緑の香りで充満している。仮に目が見えない者であれば、ここが森の中だと勘違いしただろう。歩けば腐葉土のような感触。足下で幾千もの線虫が踊る。イチトを避けるように離れていく。なるほど博物館ジャケットに施された「虫除け」の効果は絶大のようだ。


「見つけた!」

 背に手のひらを感じたので振り返れば、引き攣った笑みを浮かべたシガヤが立っていた。

「行きで異界落ちの話なんてしなきゃ良かったねぇ」

「していなくとも、他の何かのせいにしていただろう」

 イチトの言葉に、シガヤは、違いないねと笑い返す。ともかく回収員2班は合流することができた。


「オレたちをここに呼んだくせに、すぐには殺さないんだな」

 人が何かを召喚する場合、大方が事情のあるものだ。当然向こうに呼ばれた場合も理由が存在する。

 捕食、孕ませ、素材利用、遊び相手、等等、等等……。

 イチトはドローンを拾いあげるとすぐに命令のコードを入力する。

「生存者がいないか、探してくれ」


 ドローンを見送った、ちょうどその直後であった。上空から液体が降り注いできた。それは雨というよりは意図を持って注がれた水のようで、ここら一帯が、一気に水に濡れる。

 放水行為はすぐに終わり、そこにはぐしょぐしょに濡れたイチトとシガヤと、濡れ踊るたくさんの線虫が残された。

「よ、溶解液とかじゃなくてよかったねェ……」

「今後は警戒しよう。しかし、困った。良い匂いだ」

 快をくすぐる手段を使う怪異は、人間相手が手慣れている可能性が高い。イチトとシガヤの表情は徐々に険しくなっていく。

「幻覚成分のようなものはないか?」

「幻覚っていうか……」

 遠くから、歌が聞こえる。

「幻聴が聞こえる」

「俺もだ」

 茂みのように生える肉腫が視界を阻んでいるので、歌の出処は分からない。

「どこかで聞いたことあるよねコレ」

「耳タコだ」

「「Parede」」


 それは嫌というほど軽トラックの中で聞いたアンクラ唯一のヒットソングだ。

「であれば俺たち、"たすかる"ようだな」

「気を確かにイチトくん」

「冗談も通じんのか」

「真顔で云うから分かりにくいんだよ!」


 ふたりのまどうから逃げ惑う線虫の群れをおもしろく思いながら、森と呼ぶには憚られる道を進む。先行しているドローンは謎の液体による攻撃を免れたようで、故障の様子もなくふたりを案内する。


 歌の出処とドローンの向かう先は一致していた。

「生存者かな。魔神かな」

「ここの型は分かるか? 俺の確光レンズは割れていた」

「さっき見たけど改めて絶望しておくネ」

 シガヤが郭公の飾りがついた金縁のレンズを取り出す。

「緑、六十里ツイヒジ型の異界です。上位種六系にあたります」

「ツイヒジか、最悪だ。なにがなんでも生きて帰るぞ」

「頼もしいよイチトくん。そうでなくっちゃ」


 歩くたびにガサガサ、じゅうじゅうと音がする。歩行の音は遠くまで届くのか、離れた位置から聞こえるParedeが少し音量を上げた気がした。


「念には念を入れて照射しとくかぁ」

 シガヤはイチトの腰のホルスターから第壱神器『公色警棒』を引き抜く。赤色、Rh光にダイヤルをあわせてツイヒジにとって毒の光を撒き散らす。

 光を認識したのか、線虫はさらにザアッと退いていった。波が引くような音から幾千の害虫がここに居るかを悟ってシガヤは「キモチワル」と感想を述べる。


「……うわ、残量少なっ」

 カートリッジを確認したシガヤは警棒の光量を落とした。

「出動前にちゃんと補充しときなヨ……」

「すまない。換えのカートリッジが見つからなかったんだ」

「備品管理が甘いにゃあ」

「待機室に置いていたんだが……」

「オレの神器は上位種六系の力は使えないから。イチトくんだけが頼りだヨ」

「プレッシャーだな」


 Th型・六十里ツイヒジは、日本政府が区別する『上位種六系』に属する型だ。

 その世界の魔神は凶悪強烈で、他の世界の魔神種ならあっという間にすりつぶせる。そういった上位の異界の成分を精製した光は希少存在だ。


「ああ、歌が近い。日本人の成人男性の声だ」

「抑揚は?」

「ちゃんと日本語っぽい」

 一歩進むたび、男たちの合唱が近づく。ふたりはParedeに導かれる。


……無数の犬に追い立てられて歩けど歩けど門は遠いし鍵もない

……阿鼻叫喚のミュートは簡単これが幽世チュートリアル

……賑やかな祈りは聞きたくないって鼓膜を破って大盛り上がり

……聖母の代わりの知らない仔たちといつあの羣に混ざろうか


「リズムは御経っぽいんだよネ」

「下品な歌詞だ」


 シガヤが、歌の出どころ、薄い肉の壁を指でゆっくりと裂く。

 その先に3人の男が立っていた。

 ニット帽を被った小柄な青年。プリン頭が特徴的な痩せぎすの青年。そして背が高く前髪重めの野暮な見目をした青年。


 ニット帽は「ひっ」と声をあげて尻もちをつく。残りのふたりは一瞬歌が途切れたが、それでも持ち直しParedeを最初から歌いなおす。

「歌をやめろ」

 イチトは隣に立つシガヤから公色警棒を受け取り、それをブンブン振り回した。赤色のRr光が奔るのを受けてプリン頭が「ひぃっ」と腕を交差し防御する。

「その脅しは奇行にしか見えないヨ……」

 アイスブレイク的な脅しを受けて、男たちはとうとう歌うのをやめた。本当はもう少し前からガタガタしてた。


「……あ、あの、あんた達はっ」

 一番年下に見える、ニットキャップをかぶった青年が、勇気を振り絞って声をあげてくれた。

「たすけにきてくれたのか?」

「そう見える?」

「ひえっ」

 怯えた青年に向けてシガヤは軽くジャブをうったあと「冗談冗談。助けにきましたヨ」とへらりと答える。


 シガヤの胡散臭い笑みを受けて、バンドマン3人は顔を見あわせ抱きしめあった。

「やった!」

「マジだったんだ!!」

「"たすかった"!!」


 眼前でもみくちゃになるバンドマンたちを見て、イチトは不機嫌そうなため息を漏らす。視線は、線虫にまみれている"掃除道具"に向けられた。奮闘の痕が垣間見える。


「自分たちの歌にすくわれた~」

 プリン頭の青年が達成感たっぷりに伸びをする。

「あのね、歌がなくてもちゃんと見つけてたからね」

 シガヤが頭上を旋回するドローンを指差す。しかしバンドマンたちは聞いちゃいない。

「アンクラ万歳!」

「「バンザイ!」」

「はしゃぐな!」

 イチトがピシャリと言い放つと、3人は「ひゃっ」と声をあげて押し黙った。


「ここは異界だ。いつ魔神に襲われるかも分からん。気を引き締めろ」

「ずっと引き締めてたんだからちょっとぐらいいいだろ!」

 イチトの説教にプリン頭の青年が拳をふりあげた。

「おれらだって戦ったんだ! 追い払ったぞ!」

「追い払えたのか?」

「おれらの楽器で、ス」

 前髪重めの青年が、誇らしげに落ちているシャベルを指さす。

「あ〜楽器にみたててた掃除道具ってヤツね……よかったね本物のギターで怪異と戦うことにならなくて……」

「戦略勝ちだな! この掃除道具はライブで売ってるんだ。おにーさんたちもライブ来た時に買えよ!」

「おたくらのファン、ライブ行くたびに掃除用具買わされてんの?」

「うちの実家がそれ系売ってる会社やってるんス」

「癒着〜」

「家業を支える健気なバンドマンと言え!」


 騒いで元気と常識を取り戻したのか、3人ははたとふたりのまどうに向き直った。

「あんたらは一体……?」

「モルグ市魔神博物館の回収員コレクターですヨ。ほら、ジャケットにも書いてある」

「博物館……」

「あんたらは、今の所、立ち入り禁止区域に勝手に入ってムービーを撮ろうとした阿呆なグループにしか見えないんだけど?」

「ば、バンドやってるス。UnknownCraftス」

「知ってんよ。あんたらのマネージャーが通報してくれたんだ。"帰還者"として箔がつくといいねぇ」


 シガヤの皮肉を、そう捉えられなかったのか、アンクラの3人は声を見合わせて「よっしゃ」とガッツポーズをしている。

「はあ、こんなのが『異界バンドマン』とは……」

「言っておくけど、おれらこれが初異界ですから! 変なあだな付けないでください!」

 イチトの嘆きにニット帽の青年が噛みついた。

「そうだそうだ。そんなあだ名がついたら何度も異界入りしないといけないだろ」

「でもこうして助けが来てくれたわけだし……?」

「おお、じゃあこのおにーさんたちをサポートメンバーに加えちゃおう。そしたらいつ落ちても安全だ! たすかるぞ!」

「やめろ……本当に、そんなに明るく言うことじゃないんだぞ……」


 異界への警戒があまりにも乏しい。これが市民の通常の反応である。


「あれ?おれお兄さんのことしってるかも!」

 プリン頭の男がシガヤを指差した。

「ええ? オレを? 本屋で見かけたとか、やめてよネ」

「ちがうちがう! あんた皇都大学の一番若ぇ教授だろ!?」

「まだ助教授だよ。え? なんで知ってるの。大学生?」

「いやいや! おれのかーちゃんがあんたのことネットで知って? まだわかいのにかわいそうだねぇって言ってた。そうそうまどうしがやだ。名前すごい漢字のやつ」

 シガヤが、露骨にいやそうな顔をしたのでイチトは「インターネットで有名人なのか?」とプリン頭の男に問う。

「そういう話が好きなヤツには、みたいな?」

「それは存じ上げなかった」

「やめてやめて。ろくなこと書いてないから。




 ――それは唐突だった。


 今度は、上空から、金の粉が落ちてきた。大量に。


「むあーー!?」

 バンドマンたちが悲鳴をあげる。イチトとシガヤは手早くマスクを付けると、それぞれの神器を手にとって戦闘態勢をとる。液体では遅れを取ったが、粉では彼らの方が早かった。

 上空は深い闇、肉腫の茂みから黒い尾が飛んでくる。それをイチトは警棒で弾き返した。Rr光をまとうそれは尾にとって痛いものだったらしく、強襲者は一瞬大きくのたうつ。


「ドローン! 出口さがしヨロシク!」

 シガヤはそう叫びながら、紫の電撃を尾に打ち込み続けた。

 第弐神器を発動すべきかとツールバッグ内の黒杭に手を伸ばすが、それよりも早くイチトが『銀の盾』の解放を果たす。

「まぁどう考えても切り刻んだ方が早いよネ! 料理してやれー!」

 発破をかけるシガヤに応えるように、イチトは彼の神器を振るう。これまでは様子見だったと言わんばかりに、いくつもの魔神の黒い尾が襲いかかる。

「……料理、いや、料理か」

 すくみ上がる3人から粉を払いながら、シガヤは思考に入る。

「疲弊させることが魔神なりの調理法だったりとかしたら、嫌なもんだな……」

「な、なぁあんた、助けに来たって言ったくせに、出口わかんないのか」

 ツートンカラーの髪の男が震える声で尋ねる。

「それ今聞くこと?」

「いやほんと、アンタら何なんだ?」

 パーマ髪の男が睨みつけながら問いかける。


 緊張をまぎらわすためか、つとめて明るく喋るアンクラの3人を見て、シガヤは困ったようなため息をつく。

「防衛戦、苦手なんだよネ。頼むから怪我しないように縮こまっててくれよ」


 ツールバッグから手のひら大の黒杭を取り出すと、シガヤはそれを足で思い切り踏みつけた。足裏から這い上がる液体に覆われ、やがて彼の脚は黒色に変わる。

「う、ワ」

 突然の自傷行動に、ニットキャップの青年が困惑の声を漏らす。シガヤは彼を、紫と青に変わった目で見下ろした。憂いを帯びた顔を見て、青年は「なんか歌つくれそう」と呟いた。


 直後、鞭のように放たれる尾の一撃を、シガヤは回転蹴りで"斬り"伏せる。第弐神器の『赤い靴』は、今は黒いままだ。尾には体液が無い。

「おーいイチトくん、ちゃんと抑えといてよ、って」

 イチトの方を見たシガヤは、そのまま硬直した。


 肉腫にイチトが頭から飲み込まれている。


「いち、と」

 先程から彼が静かだったのはそれが原因か。

 それは明確に食事行為であった。

 肉腫が蠢いている、イチトを飲み込んだまま、それは咀嚼の動きと同じ。

「……ッ!」

 シガヤは無言で肉腫を蹴り飛ばした。脚の形は、今は始祖鳥を模している。爪で肉腫を削ぐと、まだイチトの頭と首は繋がっていた。

「ハ、」

 イチトが短く呼吸をする。どろりと歪めた目でシガヤを見返す。

「あまがみ、だった、ようだな」

「ほんっとにイチトくんは!」

 すぐに肉腫の影から飛んでくる別の尾の相手をしながらシガヤは怒号をあげた。しかしその声には、安堵の色があまりにも含まれすぎている。

「くそ、魔神の本体が分からん」

「だから異界イヤなんだよ!!」

 大きな黒い影がふたりを覆った。反射的に、シガヤとイチトはUnknownCraftに向かって駆け出す。

「博物館さんッ」

 ニットキャップの青年がふたりの背を強く押した。遠ざけるための動きだ。もちろんそれが意味することは。

「なんで……っ?」

 スローモーションとなる世界でシガヤは狼狽して、そのまま意識が途切れた。



 助けに来たのに。



 ……。



 うたが、聞こえる。


 身体を引きずられていることに気が付き、イチトはゆっくりと目を開いた。ちりちりと焦げるような音は線虫たちがイチトを避けて逃げ惑う音だ。

「ッ」

 慌てて飛び起きた。自分の脚を持って引きずっていた"誰か"が振り返る。古びたニットキャップをかぶり、ストールで口元を隠している、身に覚えのない男。

「お前はッ」

 だれだ、と呟く前に、イチトは隣を見た。脚を持たれて引きずられているシガヤが居る。

 彼をも避けるように線虫が踊っていたので虫の被害はない。ただ、彼の扱いに憤慨してイチトはシガヤを奪い取り古いニットキャップの男を睨む。


「……おれはきみたちを知っている。コレクターたちよ」

 彼の背後から強烈な光が差し込んでいることにようやく気づいた。後光のようだ、とイチトは思う。

 光が差し込んでいる、つまりそこは異界からの出入口であり、この男は回収員ふたりを運んでくれたのだ。

「いいモノを持っているね。どれがうまく作用したのかはわからないけれど」

 ストール男の薄汚れた手が、イチトの服を指差す。

「それが魔神のお気に召さなかったから返された。料理長は苦い服を嫌う」

「……料理長だと?」

「おれらがそう呼んでいる、この異界の支配者級たる魔神だ」


 よく見れば男のストールには、なんとも言い難い不吉な模様が刻まれている。イチトはいつも以上に怪訝な目をして男を見上げた。

 異界でこのような振る舞いをするなど、どう考えても彼は一般人ではない。

 ……彼は博物館の関係者ではない。動物園のカフェオレ色ジャケットも着ていないし、美術館に所属する人間とも記憶が一致しない。


 つまりは、個人で異界に潜る"異端者"だ。


「ところで、助けてもらって、ありがとうも言えないのかい、きみは」

「……俺はあんたに助けられていたのか。ありがとう」

「素直でいいこだ」

「『いいこ』と呼ばれる歳では無い! しかし他の3人は……」

 まだ気を失ったままのシガヤを支えながらイチトは男を見上げる。此方がうずくまっていることを差っ引いても、ニットキャップの男は背が高い。

「戻ってはいけないよ」

「何か知っているな?」

 イチトは、もうほとんど察した、震える声で問う。

「おれの腕は2本しかない。助けられるのはふたりだけ。帰還者らしい悪辣な目をおれは好む」

 ストール男は真顔で答える。

「助けるのに好ましい人間を優先しただけだ。選ばれてよかったなぁ?」

 鼻で笑うような言い方。イチトは怒る気も失せた。ここで何かを説教したところで他人の価値観は変えられない。


「ああ、きみたちのペットが戻ってきたようだよ」

「ペットだと?」

 一瞬、そんなわけがないのだが、それがUnknownCraftの3人ではないかと思ってしまったイチトは、よろよろと飛ぶドローンを視認する。

「ドローン……」

「そいつが彼らの最期を記録しているといいね。でも、確認するなら、外でやった方がいい」

 ストール男は長い手でドローンを捉えると、それをイチトに押し付けて、まずはシガヤを光の向こうへ放り投げる。


「ほらきみも早くお帰り」

「お前は、誰だ?」

 イチトはようやく、それを問う。

「『異界バンドマン』って言えば通じると思う。ああ、自称じゃなくて、誉れあるニックネームだ」

「異界バンドマンはUnknownCraftのはずでは……」

「ああ、おれはアンクラの歌が好きなんだ」


 力が抜けたイチトの腕を掴み、『異界バンドマン』と名乗った男はイチトの身体を光の向こうに押し倒す。

「おれの活動でアンクラのファンが増えてうれしいよ」

 イチトはドローンを抱えたまま、後ろ向きに倒れて落ちていく。

「……お前が見捨てた男たちは」

 肉腫の空間と『異界バンドマン』の姿が遠ざかる。

「UnknownCraftだったんだぞ」


 それは双方にとって呪詛となったのかもしれない。

「え?」

 絶句する男の後悔に濡れた表情を見送って、イチトは現実世界に帰された。


 こうして回収員のふたりだけが、六十里の異界から生還したのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る