第30話「赫笹」
七月を迎えたモルグ市の商店街。アーケード街の入口には短冊と油性ペンが置かれた長机がひとつ。散歩中の幼稚園児が群がり先生に見守られながら競うようにおねがいごとを書いている。
惑羽イチトと真道シガヤのふたりは、商店街の店員たちと共にその平和な光景を眺めていた。
「博物館さんもどうですか?」
親しげに尋ねられシガヤが人懐っこく応える。
「え〜いいんですか? じゃあごはんの後に書いちゃおっかな」
「おいやめろってスグリ」
ハバキの叱責の声が聞こえたのでそちらを見やる。スグリは折り紙で作った珍妙な飾りを笹に取り付けようとしていた。彼女の地元の飾りだろうか……。
突拍子も無い行動に周囲から変な笑いが零れたが、シガヤは「この商店街を彼女の領域にしようとしているのではないか?」と思い至り渋い顔を浮かべてしまった。ただの郷愁の思いからかもしれないのにね、と自分に言い聞かせながら。
やがて風に乗って小学生たちの囁き声が届く。
――あかささってしってる?
さてさて、今はお昼時。
老舗の蕎麦屋でメニューに迷っている頃に些事は忘れてしまうだろう。珍しく回収任務の無い今日、1班と2班は「一緒にランチをしよう」と近所の商店街に出向いていた。
ざる蕎麦ミニ天丼付き、とろろ蕎麦、天そばミニ海鮮丼付き、月見うどん。それらに今日は「七夕なのでサービスです」と食後のデザートがついてきた。寒天ゼリーの上に星型にくり抜かれた砂糖菓子がのっている。
「七夕の日の給食はこういうゼリーが出ていたな」
「小学校の時の? モルグ市でもあったぜそれ」
イチトとハバキは盛り上がるが、地元を語りたがらないシガヤはダンマリで、そういう習慣のなかったスグリは居心地が悪さを感じている。
「……そういえばハバくん、博物館の短冊にお願いごと書いてたよね!」
語れない話題から語れる話題にスライドを試みる。
「あ? 書いたぜ。『給料あがりますように』ってな」
「夢がないこと書くな〜! スグリはね、『世界平和』って書いた!」
「アンタもそんな無難なこと書けんだな」
スグリの試みは成功し、これまでからこれからの話題に変わる。
「元々書いてたおねがいごとはシガやんに破られたのだよ」
「え!? シガヤ、そんなことすんのかよ。見損なったぜ」
「イヤイヤ……言わせてもらうけど……オレ、すっごく、ファインプレーだから……! あれ副館長サンに見つかってたら……ヤバかったから……ッ!」
苦渋の表情のシガヤを見て、ハバキもイチトも少女の願いをうっすら察する。
「撤回した願いを詮索はせんが、身の程を弁えるんだな」
「イチくんの言い方が一番怖いよぉ~……ふたりは何書いたの?」
スグリの上目遣いの問いかけに、2班は顔を見合わせてから。
「オレは『健康第一』」
「俺は『無病息災』だ」
「つまんねぇ! かぶってるし!? アンタらほんと面白みがねぇな!」
ハバキのツッコミにふたりのまどうは大いに同調した。たしかに給料をあげてもらう、という発想の方が"可愛げ"があっていいだろうと。
「なんでそんな生暖かい目でオレを見んだよ……やめろよ……」
「そういえばわたし、出掛けに副館長の短冊も見たけど、読めなかったよ!」
それって達筆ってこと? というシガヤの問いにスグリは首を振って「ほんとに読めなかったからみんなも見てみなよ!」と元気よく答える。
「あの人はあの人で変なところでキメェ感じだしてくるよな」
「せめて、独自の世界観、って濁してあげてヨ」
……。
一番最後に会計を終えてシガヤは蕎麦屋を出る。ほんの少し目を離したすきにハバキとスグリがケンカをはじめていたので慌てて仲裁に入る。
「だってハバくんが! 織姫さまの悪口いった!」
「なんでスグリがこんな怒んのか逆にわかんねぇよオレはよ!」
「はいはい、落ち着いて。ところでイチトくんはどこ?」
真っ先に会計を済ませたイチトは店周辺からいなくなっている。ハバキもスグリもお互いしか気にかけていなかったようで「知らない」と首を振る。
「迷子かな?」
「じっとしてらんねーなんてガキかよ」
「もー、あっちもこっちも世話が焼けるにゃあ」
あっち、にカウントされた1班コンビの文句を無視してシガヤは周囲をぐるりと見渡す。イチトのことだから、和菓子店か洋菓子店にでも足を伸ばしているのかもしれない。
「七夕だから和菓子カナ……ちょっとさがしてくるね」
「オレら午後イチでヤマさんとこ行かなきゃなんねーからそっち任せていいか?」
「もちろん。ふたりともケンカせずにお帰りよー」
「何言ってんだ! 帰りしな第2ラウンドいくぜ!」
「うけてたーつ! 織姫さまの名誉はわたしが守るぞ!」
「ケンカせずにって言ってんの!!」
ふたりを見送りながらシガヤはスマートフォンでメッセージを飛ばす。「今どこ?」という短いメッセージには既読が付かない……。
どうせすぐに合流できるだろうと鷹を括っていたシガヤだったが、意外にもカーキのジャケットはなかなか見つからない。
馴染みの和菓子店の店頭。人影なし。
値が張る洋菓子店の店頭。人影なし。
「なんだ、あてがはずれたな」
先に帰ったのかな、いやまさかあの惑羽一途が。そう思った矢先、シガヤは路地に奇妙な笹飾りを見つける。
下がっている短冊の色がすべて『真っ赤』な笹飾り。
「こわ」
思わず呟いた……そう、怖いのだ。
普通の笹飾りは、パステルカラーの色とりどりな短冊が下がっている。アーケード街の入口にある笹飾りだってそうだ。
それなのにこの笹飾りだけが異様だ。赤色1色。
近づきたくない、と思ったが、笹飾りの向こうに探し人を見つけてしまった。
「うそ、イチトくん!?」
イチトは笹飾りを突っ切って路地裏に入ってしまう。
「ええ〜なんでまたあんなとこに……!?」
仕方なくシガヤは笹飾りをくぐって追いかける。わざと入口を塞いでいるのかと疑いたくなるくらい、路地への狭い道に笹飾りが所狭しと並べられていた。
『おこづかいアップしてほしい』
『テストで満点!』
『ママがパチンコやめますように』
『おばあちゃんのクッキーまた食べたい』
『彼女がほしい』
『パパがパチンコやめますように』
『地区大会突破!!』
濃い赤紙に書かれた願いは、どれもこれもが普通のおねがいごとだ。なんでわざわざこんなものに、とシガヤは真っ赤な短冊をピンと弾いてため息をつく。
しかし市井の人々のささやかなお願い事は、シガヤにより『使命感』というものを与えるものでもある。
――この人たちが「普通のおねがい」をできる日々が続くよう、回収員としての役目を果たしたい。
赤の短冊が風になびいて揺れる。シガヤの頭を笹の葉がやさしく撫でた。ふしぎと嫌な気持ちはしなかった。
イチトを見つけたら、自分も短冊を書いて帰ろうかなんて、小さく笑う。
皆の願いが叶いますように、なんて書くのは傲慢だろう。それは天の川にいる星々が果たすべきことだ。
今日の天気は晴れだった。今夜はきっと星がよく見えることだろう。
……。
シガヤは赤い短冊を手で払いながら歩を進める。
「ぷは」
息苦しかった笹の道は終わり、薄暗い路地裏の奥へ。
「イチトくーん?」
声をかけると、ジャリ、と立ち止まる靴の音。
探し人は路地裏の突き当たりに立っている。
「イチトくんどうしたの? まさかドアーでも見つけた?」
声をかけてもイチトは振り向かず、こちらに背を向けたままだ。シガヤの背後で真っ赤な短冊がカサカサと耳障りな音を立てる。
「その気配はあったんだが……」
イチトの声は低く、重い。何かを警戒しているように聞こえてシガヤも気を引き締めなおす。
「ドアーの気配ってわかるもんなの?」
「……一瞬キーホルダーが光った」
「へぇ。昼休みに熱心なのはいいけどサ、行くなら声くらいかけてよ」
「声はかけたぞ。だが、シガさんは短冊を書いていたからな」
「あーごめんネ。それなら置いてかれてもしょうがないや」
シガヤの返答を聞いてイチトはため息をひとつ。
決してシガヤを振り振り返らず、突き当たりの壁から目を離さない。
彼の手に握られていた『公色警棒』が点灯したので、シガヤは歩み寄るのを止めてしまった。
「イチトくん?」
「……今日は七夕だな」
イチトがとうとう振り返る。橙の閃光をゆっくり揺らしながら。警棒の輝きが強くてイチトの表情が分からない。行き止まりの壁に描かれた円陣が一瞬だけ呼応するように鈍く輝く。
「███の願い事を聞かせてくれ」
言葉は上手く、聞き取れなかった。
だからシガヤは口籠る。
「……イチトくんが、叶えてくれるの?」
「聞くだけだな」
「そんなトンチみたいな答え方」
シガヤは笑ってみせるが、イチトは決して笑い返してくれない。
オレンジの光が認識を晦ます。目の前でたくさんの星が散る。
「その灯り、切ってくんない? 眩しくてしょうがないんだわ」
一歩ずつ、ゆっくり、イチトに近づく。
「それが『願い』か?」
イチトは警棒を決して下げない。歩み寄ることもない。
「短冊に書くほどでもないけどネ……」
たまらない気持ちに襲われ、シガヤはイチトの胸元にすがりついた。ごわついたジャケットが厭わしい。外套の内側から魔除け・厄除け・虫除けの三ツ目刺繍がこちらを見ている。憎悪と畏れが一気に膨らみシガヤは鼻頭に力を込めた。
「……これ脱いで」
「それが『願い』か?」
イチトは繰り返し問う。
シガヤは、それは誰かに願うことではないと頭を振った。
落とした目線の先に盛り塩が見える。それは毎秒ペースで黒く焦げていく。
――自分で叶えるものだ。願いは、自分で。
「ね、イチトくん。もういいだろ。行こうよ」
「すごい汗だぞ」
「……だってもう夏だし」
「残念だが、お前の願いは叶わない」
思わず見上げたその先。茶に焼け尽きたイチトの眼に、自分の姿が映っていた。真っ黒い影が不安げに揺れている。
「ほ、本当に叶わない?」
身体に力が入らない。指先は震え足元は覚束ない。
嵌められた、とシガヤは理解し、観念した。
星の輝きにシガヤは屈したのだ。
「『もういい、
最後の力で、イチトの肩に手を伸ばし、引き寄せて、首筋に顔を埋めて。擦り付ける鼻先から諦めの吐息が漏れる。
……こうして抱き寄せるのは本来、扉の向こうに押し込むための動作だ。しかし今のシガヤにそのエネルギーは無い。警棒が放つ
イチトがため息をついた瞬間、シガヤの頭の後ろで星が弾けた。身体を劈く明滅にシガヤの意識は攫われる。もうお腹がいっぱいとか、頭がいっぱいとか、胸がいっぱいとか、そんな気持ちで埋め尽くされて。何かを伝えたかったけれど口が動かない。
そうやって最期は星の濁流に叩き込まれた。
霧散して行方不明。ぐちゃぐちゃになる。
……。
イチトは『不思議の国のアリス』の話をしようと思ったが、それは『七夕』にはふさわしくないかもしれないと思いなおして口を閉ざす。あの話は姉よりも、なぜだか弟が好いていた。
――白ウサギに似た役目を持つ魔神は、真道志願夜の思考をよく真似ていた。姿はとても似ていなかったが。
イチトは慎重に『赫笹』で彩られた道を引き返す。
「イチトくん?」
顔が赤い短冊で覆われた
短冊が鮮血に見えた。
……縁起が悪い。
「もー、勝手にどっか行くなよ!」
笹と短冊をかき分けながら、シガヤが怒った顔を見せる。
「シガさんはここで何を?」
光が入らない路地の、鬱蒼とした笹飾りの下。
「はぁ~? わかるだろ、イチトくん探しに来たの!」
「ではなぜここで立ち往生を」
「……あはは、これ読むのに夢中になっちゃってサ」
バツが悪そうに笑う。シガヤの手から離れた真っ赤な短冊がゆらゆら揺れた。
「興味深い短冊はあったか?」
「なんかみんな結構ふつうのことお願いするんだなって感心してた」
「そうか」
イチトは試しに、手近にあった短冊をひっくり返して読んでみる。
『██████████』
……字が歪んでいて分からない。最初からそうなっていたというより、後から歪められたような文字だった。確光レンズ越しに見ればそれはぼんやり緑色に光る。
イチトが葬った魔神は、確かに笹で出来たトラップに引っかかったようだ。
「この笹飾り、だいぶ悪趣味だと思わない? 真っ赤な短冊て! ぜんぶ赤て!」
「シガさんは知らないのか。これは対魔神用の罠らしい」
「え、初耳……なんでオレが知らなくてイチトくんが知ってるの!?」
「おっと……副館長が、シガさんには内緒だと言っていたのに俺は……」
「なんで内緒にすんの!? じゃあこの短冊、罠ってことは、ぜんぶウソ!?」
シガヤが赤い短冊をひとつ握りしめる。疑惑が出た途端に真っ赤な紙切れは忌まわしいものに見えてくる。風が吹いて笹が泣く。
「いや、これには強烈な願いが込められていると聞いた……死んだ人の、生前の」
「あーゴメンそれ以上はいいワ。把握した。儀式的なヤツね」
「シガさんは一昨日に魔禍濡れしたばかりだったから。本件は俺だけで手早く済ませとヤマさんがな」
「たまにこう、秘密主義になるの、なんなの」
シガヤが不機嫌そうにイチトの胸を叩く。イチトは申し訳なさそうに眉を下げるだけで返す言葉もない。
強い風が吹き、シガヤもイチトも笹の葉に頭を撫でられる。
――『七夕の時期に人が消える』という案件はこれにて収束するだろう。
「あの子が帰ってきますように」という赤い短冊の願いは叶わないけれど。
願いに寄せられる魔神は、死人の願いに引っかかって無事に"対処"された。
笹飾りをかき分けてふたりはアーケード街に戻る。
イチトはようやくスマートフォンを確認し、シガヤのメッセージに気がついた。
「隣」とだけ返信をすると、シガヤは端末を取り出し内容を確認する。
それからイチトを見上げて「ばぁか」と笑った。
「そういえばシガさんの名前って七夕っぽいな」
「急にどうしたの?」
「『志願夜』だから、きっと今夜にぴったりだ」
「おやおや」
シガヤが困ったような苦笑いを浮かべる。
「……自分の名前そんなに好きじゃないからサ。肯定的に言われるとびっくりするもんだね」
「肯定的に捉えられることは嫌いか?」
イチトの問いに目線を左にして返答を考えるシガヤだったが、結局「お前さんには教えないヨ」と濁すに留める。イチトは「むぅ」と零して、茶の目でシガヤを見下ろした。目線はどの向きにもそらさず、やがてシガヤの腕を引き。
「……シガさん、早く博物館に帰ろう」
「え、急になに、ちょ、引っ張んなって!」
「短冊に書きたいことできたからな」
「いやな予感する! オレ絡み!? オレ絡みだねこの流れ!」
「シガさんは聡いな」
「もー、怖い! 書いたら見せろよ!? ……、……返事して!?」
自分たちの「何でもない願い」を書ける日々が続きますように。
誰もそんな傲慢な願いを書くことはできず。
笹飾りは、風に任せてさらさら揺れている。
――Sd型魔神「
願いの感情に寄せられる案内人、いわば移動式ドアー。
正月、七夕、流星群の夜によく見かける。
周囲の人の思考を真似てヒトのように振る舞おうとする習性がある。
カタチは魔神本来の姿のため、昼間はほとんど「案内」に成功できない。
目撃例は多いが倒し方は未解明。ただソレから離れるしかない――
「でも『神器』があれば斃せるんだろ?」
生意気そうな少年の声は、雑踏にまぎれて誰にも届かず。
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