狸の虚編

狸の虚【1】わいわい回収員ドライブ

 モルグ市魔神博物館の朝はやかましい。

 ……いや、館内は常に静かなもので、騒がしいのはバックヤードに限る話だ。


「さすがに急すぎんだろ!」

「よりによって前日の朝会で言うって!」

「はいはい! おやつはいくらまでですか!!」

 めいめい騒ぐ回収員コレクターの声に、不座見ヤマヅは己の両耳をそっと手で覆った。


 回収員待機室のホワイトボードにはとめ・はね・はらいが完璧な筆跡で記された『ジエン市出張業務』の文字。下に連なる名前は不座見、枕木、村主、惑羽、真道。日時は明日から3日間の見込み。


 つまり騒ぎの原因は「泊まりでのお仕事」のお知らせだ。


「仕方がないだろう。調査員リサーチャーの新人バイトが引き当てた頃には、すでに時期が悪かった」

「ドアーがもう開いてる? それとも魔神が?」

「両方だ。後者はまだ、可能性の話だがな」


 ヤマヅの返答に、真道シガヤは大げさに嘆くジェスチャーを見せる。枕木ハバキも野次を引っ込め、スグリは「わたしお泊りはじめてだなぁ」と指先をいじいじしてみせた。惑羽イチトはソファで腕組み足組みの姿勢のままだんまりだ。


「本件で犠牲者は?」

「まだ居ないとのこと」

「……モルグ市北高みたいに、タレコミじゃなくて調査員の情報なら信じるけどさァ」


 シガヤは己を無理やり納得させると口出しをやめる。だが閉じた口は、ハバキによる頬つつきでそのうち開かれることになるだろう。

「なんだよ〜大学先生はイジケてんのかぁ~? とんだ長期だったもんなァ北高の用務員!」

「いーなぁスグリも高校いきたかったなぁ! 制服ってやつ着てみたい!」

 グローブに包まれた人差し指が上機嫌にシガヤの頬を押し、わめくスグリはシガヤの着ている指定白衣の裾を握る。

「助かったヤツはろくでなしだし、回収した魔神は既知個体だったみたいだし、とんだ貧乏くじの仕事だったな!」

「そうなの? そりゃあ助けがいがなかったねぇ~」

「はぁい余計なおしゃべりやめ!」

 1分待って、シガヤは大きく口を開いて号令をかけた。


 シガヤの白手袋が順番に指差す先。

 眉根を顰めたヤマヅと、無表情で此方を見上げているイチト。

 八百万の苦言を告げたくて疼いている孔雀青の瞳と、何もかも焼け尽きた光の無い茶色の瞳が、3人を眺めている……。


「……チッ、それで? 説明の続きは?」

 ハバキは悪態を寄越し、スグリは己の両手で口を塞いで「静かにします」と態度で示す。1班のリアクションを見届けて、ようやくヤマヅは眉間のシワを緩めた。イチトはうっすらと口を開いたまま無言だ。

「明日はいつも通りの時間に出勤。その後、5人まとめてバンで移動となる」

「こーきょーこーつーきかんは使わないんですか?」

「村主、貴様が居るとお年寄りが絶えず構ってくるからなぁ……」


 ヤマヅがげんなりとした物言いになるのは、過去何度もスグリが老人に囲まれる騒動に巻き込まれているからだ。よくピンク髪の女にビビらねぇよなと、ハバキはモルグ市の老人を想って呟く。


「それで、持ち込む神器は『第弐』まで。各自申請を怠らぬこと」

「第弐か」

「第弐かァ……」

「あ~いまオレの神器って展示期間じゃなかったけ?」

「スグリは無くて良いので申請しません!」

 回収員たちの反応を受けて、ヤマヅは重めの瞼をとうとう閉じた。丸メガネの位置を正せばカチャリと控えめな音が室内に響く。

「その他、今日の日中は必要な物品をバンに載せるため声をかけると思う。それでは、各々の業務に励みなさい。朝会おわり」


 やれやれとわざとらしく零して部屋を出ていくヤマヅの背に、回収員たちは「はぁ~い」とゆるい返事をした。


「ねぇねぇシガやん、おとまりって何がいるのかなっ」

 スグリはわくわくした気持ちを隠さずに、ソファへ深く沈み込んだシガヤに尋ねる。

「それオレに聞くの?」

「だってシガやん頭いいんでしょ?」

「おっと分かってるじゃんね。じゃあちょっとスマホで女子のお泊りセットについて調べるから待っててネ」

 楽しげなシガヤとスグリを横目に、ハバキはノートパソコンに向き合うイチトにちょっかいを試みる。

「今日はイチト、おとなしかったなぁ?」

「むぅ、考え事をしていてな」

「それって家族の話だったりするか?」

 絡んできたくせに引いた顔を見せるハバキに、イチトもむぅと眉根を寄せた。

「俺が四六時中家族のことを考えているとでも? 泊まり込みの仕事について、同居人への説明が面倒そうだなと」


 同居人はニアリーイコールで家族じゃね、とハバキは首を傾げたが、本件に深入りすれば亡き家族の話という"本命"に移るだろうから黙っておいた。

 この春からイチトとシガヤが博物館にやって来て、展開それが分かるくらいの付き合いには成っている。



 ……。



 翌日、モルグ市から離れた人気ひとけの無い林沿いの道路にて。


 車体に『盛愚市魔神博物館』と書かれたバンが5人の回収員を乗せて走る。

 色とりどりの翠を抜けた日光が、アスファルトの道に木陰の模様を描いていた。

 

 座席2列目、窓にベタリとはりついて外を眺めているのはスグリだ。

「そこそこいい天気だね~!」

「出張初日としては申し分無いな」

 今回の運転手はイチト。助手席に座るシガヤから、定期的にじゃがりこの供給を受けている。


「木がワサワサ生えてらぁ。タヌキとか出てきそうだな!」

 スグリの隣に座るハバキが、反対側の窓の外を見て機嫌のいい声を漏らす。

「そういえばタヌキって外国じゃあんまり見かけない動物らしいヨ」

「マジかよ!?」

「少なくともオレらが思うほど身近な存在じゃあないね」

「スグリの山にはいっぱい居たよ! あと、たまに煮込んで食べた!」

「鳥獣保護法はどうなっているんだ」


 イチトが呆れ混じりに呟く。そのまま視線はバックミラー越しに後部座席へ。

 釣られてシガヤも後ろを振り向いた。

 ……座席の3列目、黙りこくっているヤマヅに声をかける。


「さっきから静かだけど、副館長サン大丈夫?」

「もしかして酔ったのか?」

 1班の問いかけにヤマヅは大げさに首を振る。ひとつに結わえた髪があわせて揺れた。力ない指先からスマートフォンが落ちて、コトンと軽い音をたてる。

「イチくんの運転がヘタだからじゃないかな~?」

「山道の如く蛇行している道が悪い! 俺に非は無い」

 スグリの指摘をイチトは即断で否定する。

「たしかに、緩やかにぐねってんね。ここ川沿いなのかな?」

 シガヤは外に視線を向けるが、窓際を青々とした枝葉がかすめていくばかりだ。


「ヤマさん窓あけっか?」

 ハバキが珍しく上司を心配して声をかける。

「……いい。酔い止めは飲んできている」

 ヤマヅの声は、地獄から届いたかのように低い。

「うわ、顔が青い! 窓! 窓あけろスグリ!」

 スグリとハバキが慌てて窓をあけると、春の空気がぶわりと車内に入ってきた。少し冷えていて、でもどこか柔らかだ。

「念のため聞くけどサ、花粉症の人はいないよね?」

「くしゅっ」

「イチトくん!?」

「いや、花粉症じゃない。今のは木々の香りにやられただけだ」


 騒がしいバンは林を抜けて、坂道をゆっくり下りはじめる。

 眼下に広がるのは県境の小さな町だ。あちこちにのぼりが立っていることが遠目にも分かる。


「ここがジエン市かぁ~」

「モルグ市よりも自然が多いな!」

 平日昼間の町中は道ゆく人も少ない。道の左右に植えられた竹林の隙間から、川の水面がキラキラと輝いて見えた。


「あ、イチトくん1個前の交差点を右ネ」

「1個前だと!?」

 シガヤの指示にイチトがつんのめる。他に車が通っていないのをいいことに、イチトは思わず車をその場で方向転換させてしまった。「ギャア」とか「グワ」という声が飛び交う中、とうとうヤマヅが完全に沈黙する。


「あっぶねぇな! 言い忘れたオレも悪いけど、その場スピンはないでショ」

「どうろこうつうほういはん!」

「ここで止まってると迷惑じゃね? さっさと車出せよ」

 博物館のバンは2車線道路を斜めに分けるように止まったまま。同乗者たちに文句を言われながらも、イチトはアクセルを踏めずに道の先を凝視している。


「……人でもひいた?」

 スグリが不穏なことを言いながら運転席側に身を乗り出す。シガヤもイチトの視線を追う。ハバキだけは後部座席を振り向いて、ヤマヅが口元を抑えて身を屈める様を眺めていた。


「タヌキがいる。しめ縄を付けているぞ。今は正月か?」


 道路の真ん中。イチトの指摘通り、しめ縄を首から下げた4足歩行の獣が、バンを睨みつけるように立っていた。


「うわマジでタヌキ出るのかよ!?」

「かわいい~! スグリの山の子より太ってる~!」

「しめ縄つけてんなら魔神じゃないな。それともオレら、化かされてる?」

 各々が見解を述べあっているうちに、タヌキは道路脇の茂みに姿を消した。もちろんこのような動物と邂逅するのは貴重な体験であり、とりわけスグリとハバキは「写真とればよかった」と口々に言い合っている。


「今は、正月じゃない……」

「ヤマさんツッコミ遅っ」

「それでは獣も去ったことだし、進むぞ」

 イチトが運転を再開する。急発進だったので、また「キャア」とか「グオ」という声が車内に響いた。ヤマヅは再び沈黙する。


「イチくんなんで安全運転できないのー!?」

「俺なりにヤマさんの車酔いの原因を探ったんだ……速度か、と」

「絶対に違うだろぜーったいに違うだろ。イチトって真面目なツラしてだいぶポンコツじゃね!?」

「はいはい提案! 帰りの運転はシガやんかハバくんがいいです!」

「イチトくん、次の交差点をみ、ぎ、じゃないや、左だ」

「指示が遅いぞ!」


 荒いハンドル捌きによって、とうとうイチト以外が押し黙った。

 開けたままのバンの窓から、花の香りに混ざって煙の匂いが流れ込む……。



 ……。



 ささやかなトラブルはあったが、昼前には目的地の『地縁森神社』に到着した。

 そう広くない駐車場にバンを止めれば、いの一番にヤマヅが外に飛び出す。


「はあ、えらい目にあったもんだ」

 ヤマヅが座りこみ水分補給をする傍らで、イチトが腕を伸ばしつつ尋ねる。

「ここの人から話を聞くという目的で相違ないか?」

「ああ、信頼の置ける地元民だ。件のドアーに詳しい」


 車から出た回収員たちは神社内をゆるく見渡す。

「ここらにはまだ『神』が居るんだな……」

「へへ、お邪魔しまーす」

 境内は、狛犬の代わりにタヌキの像が建っていた。周囲を囲う鎮守の杜、その奥でスズメがチチチと鳴く声が聞こえる。のどかな春の光景だ。


 やがて小さな社務所から、紫色の袴を着た男性が駆け寄ってきた。

「博物館のみなさん! 今日はどうも」

 白髪が目立つ男性だ。下がり眉の笑顔と頬に入ったシワがそのまま人の良さを示している。年齢は40代くらい。

「あれ、不座見くんは……?」

「柄本、ここだ」

 バンの影からヤマヅが顔を見せた。顔は真っ青、眼鏡はズレたまま。

「不座見くん!? 随分やつれて! 魔神を管理する仕事なんてやってるから……!」


 柄本と呼ばれた男はヤマヅの職を責めるが、その他の人物はみなイチトをそっと指差す。今日だけでドライバーとしての信用を失ったイチト本人は、預かり知らぬと言わんばかりに境内で一番大きなクスノキを見上げていた。


「皆、紹介しよう……彼は柄本晃正つかもとあきまさ、この地縁森神社の宮司だ」

 ヤマヅは座り込んだまま、弱った声で紹介する。

「宮司っつーと、ここのボスってことか?」

「あはは、先月に父が亡くなったので、私は跡を継いだばかりです。新米のボスです」

 柄本の声には謙虚さが存分に滲んでいた。

「不座見君のお父さんは相変わらずかな?」

「フン。あの妖怪男は残念ながらピンピンしている……本当に、残念ながら」

 柄本に支えられ、ヤマヅがようやくフラフラと立ち上がった。


「柄本と私は大学の同輩なんだ。親父同士も知り合いでな」

 物珍しそうに見る回収員たちにヤマヅは説明を重ねる。

「もう長い付き合いになるね。モルグ市の、神社、には、よくお世話になりましたよ」

 柄本は言葉を濁した。モルグ市の神社、というやや遠回しな表現にイチトが口を挟もうとしたが、スグリが元気よく挙手をしたので機会を失う。


「はぁい! わたしは村主スグリっていいます! 四方矢山の神さまです!」

「かみさま?」

「っと、この流れでこっちも自己紹介行きましょうかね。オレは真道志願夜まどうシガヤ。皇都大学・飢村研究室所属の助教授です。魔神関係のアレコレを研究してます」

 不安そうな柄本の目が、ピンク髪の少女から黒髪の男に移った。その視線の動きを確認してから、ハバキが自己紹介を継ぐ。

「オレは枕木巾来まくらぎハバキ。博物館の正規職員っす。コレクターとガイドを兼任してます」

 柄本は、パーカーとジャケットを重ね着している、およそ"博物館"という教育施設とは印象がかけ離れた青年を眺める。それからゆっくり、アッシュグレーの髪をした男に顔を向けた。この場で知らぬ最後のひとりへ。

惑羽一途まどうイチト。皇都警察からの出向だ」

 イチトが敬礼をして見せたので、柄本は恐縮した様子で頭を下げた。


「……すごいね不座見くん。博物館ってのは、いろんな人を集めているんだねぇ」

 ぱちぱちと拍手しながら柄本は感嘆の声を漏らす。

「親父のコネだ。だがすべて私の部下でもある。好きにこき使え」

「こき使うなんて、そんなことできる性格じゃないでしょう。お互いに」

 やわらかく告げる柄本の言葉を耳にして、回収員たちは少なくともヤマヅの評価を否定するために首を振った。


「ところで柄本、横になれるところはないか? 車酔いで……」

「ああ! ごめん、立ち話をさせて。皆さん、社務所でお話をしましょう」

「わたしおみくじ引きたい!」

「村主、それは後にしなさい……」



 ……。



 社務所の縁側にそれぞれ腰掛けて、振る舞われた三色団子を頬張りながら説明を受ける。ヤマヅだけは座布団を枕に、曇り空をぼんやりと見上げていた。


「博物館の調査員から、この町のに異常があると報告を受けましてねぇ」

 柄本は中庭に立つタヌキの像や幟を指差しながら、ゆったりとした口調で語る。

「でもそろそろ『蚯蚓打みみずうち』の準備がはじまるんです。これは神事のため、時期もずらせず……」

 困ったような言葉を受けてシガヤは灰色の目を眇める。

「神域って、ドアー内部のこと?」

 問いかけにヤマヅが小さく「そうだ」と答えた。「最悪」とシガヤはひとりごちる。幸いにも、その冷たい響きは柄本には届かなかった。


「みみずうちって何だよ? あんま楽しそうな響きじゃねぇな」

 ハバキは雑な物言いをしたが、柄本が機嫌を損ねた様子はない。むしろ頬がやんわりとほころんでいく。地元の文化に興味を持ってもらえて嬉しいと、口に出さずとも表情が語っていた。

「神域の竹で槌をつくり、家々の地面を打つ行事なんです。槌をつくるのも家の訪問も、地元の子供たちの役目で、参加するとおこづかいがもらえます」

「えーいいなぁ」

「参加したいとか云うなよ?」

「大丈夫ですぅ~スグリは神事"する側"じゃなくて"される側"だもん!」


 スグリの言葉が柄本には妄言おふざけに聞こえるのだろう、弱ったように眉尻が下がっていく。しかし、柄本は意を決したように両手を握り込むと、回収員たちに誠実に向き直った。


「……神域に棲む、神の使いの様子がおかしいということには、私たちも気づいていたのです」

 え、かみのつかい? と怪訝そうにする回収員たちの様子に気づかず、柄本は悲壮感を滲ませ相談を続ける。

「しかし捕まえて動物病院へ連れていくわけにもいかず……」

 え、かみのつかいを動物病院へ? と頭上に疑問符を浮かべる回収員たちに、ヤマヅが助け舟を出す。

「来る道で見かけただろう。しめ縄のタヌキ。あれがこの町の『神の使い』だ」


 あれか、と呑気に呟くイチトをよそに、シガヤとハバキとスグリは「轢かなくてよかったぁ~」と心の底より思い、実際に声にも出していた。

 それを聞き「轢く……?」と眉を下げた柄本をヤマヅが手で制する。


 気の抜けたやりとりの間に、社務所の奥から巫女が来て全員に緑茶のおかわりを注いでまわった。茶葉はこの県で採れたものなのですと解説を聞き、地産地消かとシガヤだけは感心する。


「……この近辺に伝わる『狸と猫の争奪』の昔話、それに出てくる"大狸"が地主神だ。その使いであるタヌキは神域ドアーに生息している」

 身を起こしたヤマヅが緑茶をすすりながら解説を続けた。

「その情報、事前に出してくれれば調べて来たのに」

 シガヤのぼやきをヤマヅは指先の動きでいなす。シガヤは片眉を上げたが、それっきり黙った。


「そうなんです。お使いさまに神域の中を案内してもらって、蚯蚓打ちに使う竹を分けていただくんです」

 柄本がヤマヅの解説を補足する。それを受けてシガヤとイチトは顔を見合わせる。

「なるほど、様子がおかしいタヌキに道案内させたらもれなく異界落ちの危険ってワケね」

「そして恐らく、使いは侵されているな……魔神が神域にいる可能性がある、と」

 状況を把握したふたりのかんばせは今日の空以上に曇っていく。


「それにしても、自らドアーをくぐり、異界落ちをして、みみずうちとやらの準備をするんだな」

 イチトの言葉は、やわらかいが、明確に咎める口ぶりだった。

 異界とは人間が利用するには過ぎたものだと、回収員2班のふたりは、繰り返し異界落ちをしてきた帰還者は、骨の髄より理解している。


「ず、ずっとずっと昔から……神域の竹を使うと定められていて……」

 申し訳なさを感じてしまったのか、柄本は言葉に詰まりながら弁明をはじめる。そこにヤマヅが割って入る。

「惑羽一途。これはこの町に伝わる神事であり、ハレの日の祭りだ」

 鋭さを増すイチトの眼差しを、外から隠すようにヤマヅは手を広げる。

「蚯蚓打ちは五穀豊穣と家内安全を祈る儀式。魔神なんぞのせいで途絶えさせるワケにはいかん」

「そうだな。この国の文化だ。魔神に邪魔されるのは、俺とて本意ではない」

 イチトは茶を飲み干すと、音を立てて縁側に置いた。


「それで、これまでに何人が犠牲になったのだろうか?」


 イチトは逃すつもりがなかった。

 柄本は喉をゴクリと動かした。唾を飲み込んだのが傍目にも分かりやすい。

 この人はウソがつけない性格なのだろうと、彼を前にした誰もが理解できる。


「ぎ、せい……」

 社務所の縁側が張り詰めた空気に変わる。スズメの鳴き声すら聞こえてこない。風も、止まったような気がした。

「……そ、それは……江戸の時代より前から遡って、でしょうか……記録あるかな……」

 弱ってしどろもどろになる柄本を見て、イチトは鼻で笑って問い詰めを取り下げた。

「いや、もう十分だ。だがこの町の近年の"行方不明者数"は知っておきたいところだな」


 ホーホケキョと鎮守の杜の奥からウグイスの声が響く。それをきっかけに、ヤマヅは緊張の糸を口先で切る。

「後にしろ惑羽一途。ここでの我々の業務は、ドアー内部の調査と魔神の回収だ」

「それとの検証か?」

「分かっているじゃないか……調査員のサンプルは、初心者故に雑だったからな」

 ヤマヅの言葉に、使えないにゃあと愚痴るシガヤ。それを今度はハバキが肩を軽く叩いて制した。ハバキはバイト上がりなので、新人の失敗にはやさしい。


「ところで柄本さん、団子のおかわりはないだろうか?」

「そこは遠慮しろ惑羽一途!」

 やりとりが場を和らげるものだと理解できたので、柄本は小さく肩を揺らした。ほこほこと小さな花が咲くような笑みを見て、ヤマヅは友人の不要な罪悪感も失せたと判断する。


「それではこれより、私と村主が神域の偵察に向かう」

 ヤマヅの指示に、はーい、とスグリが元気よく返事をする。

「枕木巾来、真道志願夜、惑羽一途の3名は、宿泊場所の確保と情報整理だ」

 はーい、と手を……挙げかけたシガヤだったが、ぎゅっと拳を強く握りなおした。


「待って副館長サン。『宿泊場所の確保』って!? 予約は!?」

「車内で車酔いに苦しんでいる時にスマートフォンを間違えて触ってしまった。宿泊キャンセルってやつだろう」

「ば、ばかー! 副館長サンのポンコツ!」

「文句はすべて運転下手な惑羽一途に言いなさい」

「冤罪だ」

 華麗に受け流すイチトをよそに、シガヤとハバキが「どうすんだよ」「今から5人?」「しかも連泊」とひそひそ話。


 どう声をかけようか迷っている柄本に、ヤマヅが別の質問を向ける。

「柄本、レンタサイクルの店はまだ潰れていないな?」

「ああ、自転車のお店かい? 2丁目のだよね。まだあるよ」

 悪い予感にスグリはピクンと体を震わせ、不座見ヤマヅにすがりつく。

「えーっと副館長!? チャリで現場に行く気なのぉ!? 車で来てるのに!?」

「体を動かすぞ村主……風を感じよう。動いたほうがダイエットになる。女子はダイエットが好きだろう」

「村主は神さまだからダイエットとか気にしなくていいのにー! 副館長とチャリ並走とか面白すぎてヤダー!」


 嘆くスグリを気にせず、ヤマヅは俵担ぎで彼女を抱えると神社を後にした。

 あっという間に別行動を開始したヤマヅを見送りながら、残された男3人は深い溜め息をつく。


「出張に来て、まっさきにやるのがホテル探しって。新人の調査員でもナイぜ」

「総務部に連絡とってみる? でも総務部長ってきびしい人だから、オレ連絡したくないにゃあ」

「ホテルなら大体駅前にあるものだろう。近辺に駅があったかは定かでないが」

 春の陽気に包まれた縁側で、それぞれのスマートフォンとにらめっこする。

「あ、ホテルあったぞ!」

「でかしたハバキくん!」

「わりぃこれラブホだわ」

「「アウト」」

 両サイドからゲンコツを当てられハバキは頭をかく。やってらんねーと縁側に身を投げ出せば、木々の間にタヌキの影を見かけた気がした。


 社務所の中に撤退していた柄本が、団子のおかわりを持って回収員たちの側に来る。イチトにあん団子を差し出しながら柄本は優しく問いかけた。

「宿泊先をお探しなら、うちはどうですか?」

「柄本さんの家か?」

 ちょうど空を覆っていた薄い雲が途切れ、天使の梯子のようにやわらかな陽の光が地に注ぐ。

「この神社から、もうすこし山の方に入りますが。部屋を持て余すくらい広い家だけが自慢で……日本家屋が怖くなければ、ぜひ」

「全然こわくねぇよ! ありがてぇ! 柄本さんサンキュー!」


 ハバキが感激して小さく跳ね、シガヤも安堵して盆の上のみたらし団子に手を伸ばした。イチトは入れ違いに団子の串を盆に置く。

 

「なんだよ副館長サンってば。最初から柄本サンをアテにすれば良かったのに」

「不座見くんはあんまり他人に頼ろうとしないんですよ。昔から……」

 シガヤの言葉に、柄本はわずかに寂しそうな顔を浮かべる。

「それなのに、これまでの生業を捨て、魔神との戦いを選ぶなんて……険しい道を行きますね。不座見親子は」

 モルグ市にもう神は居ない。それは誰もが知っている。

「不座見くんのこと、よろしくお願いしますね。"博物館さん"」


 苦しみを隠した微笑みを浮かべる柄本。イチトとシガヤは団子を咀嚼しながら目配せを交わした。ハバキは気にせず車のキーを振り回し「柄本さんちに荷物置きにいこうぜ」と退出を促す。


「まあオレたちのできる範囲で頑張りますヨ」

「ことが片付いたらこの団子を売ってる店を教えてくれ」


 そういう死亡フラグみたいなの立てるのやめない? というシガヤの提案を、イチトはいつまでも受け入れないのである。

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