狸の虚【2】神域偵察とケンカの話

「妹は兄のことを覚えていなかった。なんせ兄が死んだ時、まだ幼かったからな」


 バンが通夜の席のように静まり返っているので、後部座席に座る惑羽イチトの声は不必要なほど大きく聞こえた。

 ガタガタ、と山道を走る音すら遠い。竹の葉と木漏れ日が惜しげもなく降り注ぐ、柄本家への参道にて。運転席にいるのは真道シガヤ、助手席にいるのは枕木ハバキだ。


「だから俺と姉は、長兄がいかに勇敢な人間だったかを、妹に説き続けた」

 ハバキはスマートフォンで柄本家の場所を確認している。このまま道なり、と呟いた声に、他に道ないよとシガヤが返す。ふたりとも小声だ。

「それが、間違いだった。妹はそうするのが当然と云うように――」


 突然ガタン、ガタンと大きく車体が揺れたのでイチトの話は途切れた。バンが停止する。ハバキもシガヤもそれぞれ、先程の衝撃でぶつけた箇所を撫でながら周囲を見渡した。


「今度は何だってんだ!?」

「オレなんにもしてないからネ!」

 面食らっているふたりをよそに、イチトはさっさとバンを降りて車の下を確認する。茶色の瞳が慎重に暗がりを探った。

「異常は無い。何の変哲もない石畳の道だ。探せば虫くらいは居るかもしれん!」

「探さなくていいからね!」

 車内からシガヤの声。だがイチトは返事をしない。視線を前方に向けていた。


 竹林の先の門の前、女がひとり立っている。

「あんたたちでしょー? 父さんから聞いてるよー!」

 ツヤのある長い黒髪を雑にくくった、快活そうな人物だ。ジャージ姿で手にはスコップ。土に汚れたタオルをぶん回しながらバンまで走り寄ってくる。


「誰だ?」

「あ、父さんから聞いてない? 柄本美蔓つかもとミツル! 柄本晃正の長女!」

 イチトの不躾な問いにも女性は明るく邪気無く返す。

「博物館さん今日うち泊まるんでしょ?」

 尻ポケットからスマートフォンを取り出すと、それを傾けてイチトに笑いかける。イチトは画面に一瞬視線を落とし「Wi-Fiはあるようだな」と呟いた。


「イヤ~まさか柄本さんにこんなに美人な娘さんがいたとはネ」

 バンの窓を開けたシガヤが美蔓に声をかける。

「そんな褒められると困っちゃうな~! 車とめるなら、こっちおいで!」

 美蔓は屈託なく笑うと、自宅の方へ引き返していく。追ってバンもノロノロと動き出す。しかし、車体が再びガタンガタンと大きく揺れた。


「んっだよシガヤも運転下手かよ」

「シガさん、下には何も無いぞ。虫は居るかもしれんが」

 開けっ放しの窓から車内に向けてイチトが告げる。道に耳をあてたり、石畳を撫でたりを繰り返して、イチトなりに何かを調べていたが、目ぼしい成果は無い。


「嫌われてんじゃない? オレらか、あるいは積荷が」

「積荷……アー、神器か」

 するとタイミングよく、後部座席からアラーム音が聞こえた。音は控えめだがなかなか鳴り止まない。

「あの音、スグリのスマホじゃね?」

「連絡手段を置いてったのか。迂闊だな」

「ポケットにハンカチとティッシュしか入れないタイプの子みたいだからネ」

「それは逆に躾が行き届いてんな……?」


 結局ハバキが後部座席に移動して止めるまでスグリのスマートフォンの音は鳴り続けたし、それは着信でもなく設定されたアラームでも無かった。

 気にしても仕方がないので、3人は柄本家の車庫にバンを停める。



 ……。



 他方、不座見ヤマヅとスグリのふたり組。

 森の入口には、2台のレンタサイクルが倒されている。風で倒れないように予め倒しておくという、スグリの主張によるものだ。


 神域と呼ばれたドアーの周辺、傾いた看板には剥がれかけの文字で「この注意」と警告が記されている。

「はぁー疲れた」

 鴇色の髪をちょいちょいと整えながらスグリは文句を垂れたが、応えるハバキもシガヤも今は居ない。


 ヤマヅはスグリより数歩先を歩いていた。足取りは軽く、姿勢はまっすぐ。その背が、車酔いからは完全に解放されたと語っているようだ。

「此処から先は、ほとんど獣道だな」

「歩きにくいな~……でも、あんまり立ち入ってほしくないなら、わざわざ道を整えたりもしないかぁ」

 追いかけるスグリは「スニーカーでよかった」と、ピンクと黄緑といった派手なカラーリングで土の道を進む。


「蚯蚓打ちの儀式に使う竹とりは、主に男性の役割だそうだ」

 ヤマヅが周囲を眺めながら呟く。竹はこの辺りには見られない。

「小学生にさせるんだっけ?」

「竹の運搬は重労働だから、これは成人の担当だな。ただ、希望すれば小学生も竹とりに参加できるそうだ」

「じゃあ、神域には子供も大人もどっちも入れるんだね!」

「子供しか行き来できない異界の入口ドアーも多いからなぁ」


 やがてふたりはしめ縄で飾られた2又のクスノキにたどり着いた。この森でクスノキはこの1本だけだ。元来ご神木として信仰の対象となる樹種であるためか、太い幹を眺めているだけで言い様のない迫力に気圧される。


「まさに入口です、って感じ~」

 スグリは自分の手をすり合わせる。地に向かって割れた幹の三角形の暗がりは、長身のヤマヅでも通ることができそうだ。

「近辺で『うつろ』と呼ばれるドアーだ。中もある程度は整備されているはずだが、警戒しておきなさい」

「普段は案内のタヌキさんがいるんだよね? スグリたちだけで大丈夫?」

 スグリは上目遣いで問うが、ヤマヅは目を合わせない。苔むした虚の大口開いた様子を眺めている。

調査員リサーチャーが、事前に偵察用機械ドローンを3基放っている」

「わぁ、それなら」

「どの機体もまだ戻ってきていない」


 多分それ数日前の話だよね、とスグリは力なく首を振った。状況はあまりよろしくないと見ていいだろう。


「さあ、入るぞ」

「副館長~躊躇なさすぎ!」

「30分だけ探索してここに戻る。中で逸れることはないだろうが、判断に迷ったらここに戻ってきなさい」

「はぁいその時は連絡しまー……あ」

「どうした?」

「えへへ、スマホを車に忘れました!」

 ごまかすように笑うスグリを見て、ヤマヅは長く長く息を吐く。

「ドローンが戻らないということは、電波が乱れているのかもしれん。場を荒らしたくないから式神の使用も避けたい」

「つまり~」

「役に立たない可能性が高いからこのまま行く」


 ヤマヅはスグリの返事を待たずに『虚』の中へ足を踏み入れた。

 草を踏む音が遠くなり、ドボンという音が続く。

 ヤマヅの羽織るジャケットの背の文字『盛愚市魔神博物館』の文字が次第にぼやけていく。


「……いけない、はぐれちゃう!」

 スグリは『虚』の入口で手をあわせて礼をする。頭を下げた勢いで長い髪がゆるやかに弧を描く。

「"失礼します"」


 そうして、虚と呼ばれるドアーの中へ。


 すぐに、むっとする苔の匂いが鼻先をかすめる。スグリは半目を開けながら進んでいると、ドボンという水の音が耳を覆った。しかし着水の感覚は無い。


 ほんの少し歩いただけで、唐突に金の光が半開きの目を刺した。

「まぶし……」

 スグリはこわごわ目を開く。

 周囲の空気は冷たい。湿度が高いのか、ヒタヒタと肌に空気がまとわりつく。

 周囲には青々とした竹、加えて灯籠のような岩が立ち並び、笹に似た形の葉が宙に浮いている。


 ――なるほどここは"神域"だ。

 スグリは無意識に、歯を剥いて警戒していた。


「ここまで丁寧に整備されているのなら、長らく管理・利用されていた異界の入口ドアーなのだろうな」

 欠けた石畳の道にある灯籠の側で、ヤマヅが苔だらけの球を弄っている。

「村主。魔神は居そうか?」

「…………。」

 答えないスグリにヤマヅが歩み寄る。サクサクと、水気の混ざった苔を踏む音。


「魔神がいないなら、殺気を出すのをやめなさい。使いを不用意に刺激する」

「居るか居ないかはまだわかんない。ここ、空気が濃くて……」

 スグリの瞳孔は開きっぱなしだ。檜皮色に金の日光が滲む。

「清涼とした良い場所じゃないか? 許されるなら両手両足投げ出して日光浴をしたいくらいだが」

「ここで? 正気じゃない……」


 珍しく嫌悪感を滲ませるスグリだったが、すぐ理由に思い至った。

「わたしが他所の神さまだから、きらわれてる?」

「ドアー内部とはいえ、まだ人里側のはずだが」

「ひょっとして乗っ取りに来たって勘違いされてるのかも」

 スグリのふたつに結わえた髪がざわざわと揺れている。一方でヤマヅは、指先で宙を泳ぐ葉をあやしたりと、この空間にすっかり馴染んでいた。


「あ、でも、土地側が警戒してるってことは……」

「地主神は存命かな。しかし、何かしらの問題が起きている可能性が高い」

 ヤマヅが苔むした球を持って立ち上がった。スグリの意識はようやく彼の手にある異物へ向かう。


「そういえばそれなんですか? 鞠?」

「うちの偵察用機械ドローンの成れの果てだ」


 節が目立つヤマヅの指が苔を乱雑に払いのけると『モルグ市魔神博物館』と刻まれた金属表皮が姿を見せた。



 ……。



 ――最初に供物に手を出したのは、古猫。

 それはこの地の領主が用意した食糧であった。


 まだ人が地を治めていた時代のはなし。

 地主神の代わりに"お山さま"在り。

 人はお山さまから力をその時代の権力者に移し、民を守ってきたと云う。


 供物を食った猫は、別の供物を代理で置いた。

 それを見ていたのは領主の馴染みの大狸。

 猫の供物を食い散らかし、さあ争奪のはじまりだ。


 大狸の言い分はこうだ。

 猫は供物を横取りし、お山さまの加護を人から遠ざけようとした。

 古猫の言い分はこうだ。

 病に侵され精のつく糧が必要だった。詫びの供物を用立てたのに、どうして狸が邪魔をするか。


 互いの尾を食みながらの舌戦は続く。

 お前の供物には毒がある、領主とこの地を殺す気か。

 お前の振る舞いには媚がある、人のおこぼれは美味しいか。


 猫と狸は3日3晩争った。

 大狸は毒によって死んでしまった。

 それが争奪を決着させた。


 領主を救った狸は守護獣として迎え入れられ、猫はこの地を追放された。

 長を失った狸は人の庇護を必要としたが、猫は追放されてなお力を増した。


 後の世の土地開発で、お山は崩され、人は加護を失った。

 長が不在の狸たちが、地主神に昇格し今に至る――


「で、その『狸と猫の争奪』の話を元にしたのが、このおまんじゅう!」

 美蔓が3人にお茶菓子を勧める。『ケンカまんじゅう』と達筆で書かれた包装紙、どこの地方のお土産でも見かけるサイズ感。


 シガヤはパソコンの操作に夢中なので、イチトとハバキが昔話の相槌係だ。

「ネコ、追放されっぱなしなのか? かわいそうだな」

「毒の供物を用意したのなら仕様がない」

「なんで毒入り供物を用意しちゃったのかは諸説あるみたいね!」

 ケンカまんじゅうの中にはこしあんが詰まっていて、ハバキが「粒あんじゃねぇのかよ」とまんじゅうの断面に文句をつける。


「昔話どおり、ほんとにこの町にはネコが出ないんだよ」

「裏で駆除されてるのでは?」

 まんじゅう2つめを頬張りながらイチトが尋ねる。

「あはは。ここの役場、そんなに仕事熱心じゃないって!」


 美蔓は楽しそうに笑っていたが、客に出したお茶がなくなっていることに気づき「ちょっと待ってて」と和室を出ていく。そのタイミングでシガヤがノートパソコンを前に「ふーー……」と長い息をついた。


「シガさんもおまんじゅう食べないか? おいしいぞ」

「あー、そこ置いてて」

 眼鏡をはずすとシガヤは畳の上に仰向けに寝転がった。


「……この町、先に『動物園』が来てたみたいだ」

 シガヤの一言で、それまで茶菓子でほころんでいた部屋の空気が緊張を帯びる。

「マジかよ。じゃあ、のか? 動物が関係してそうなのに?」

「では魔神が居たとしても、飼いならせるものではないのか。あるいはどこかで機会を伺っているのか……」


 美蔓が急須を片手に戻ってくる。

「動物園が来てたってなに? 子供向けの出張動物園みたいな?」

 玄米茶をそれぞれの湯呑に注ぎながら、気軽に回収員たちの会話に混ざった。

「美蔓サン、マレビ市の動物園って行ったことある?」

 ようやくシガヤが起き上がり、イチトに手渡されたケンカまんじゅうに手を付ける。ネコとタヌキの墨絵が描かれた包装紙をはいで座卓の上へ。ぐしゃぐしゃにされた包装紙はイチトが広げなおし、丁寧に畳んだ。


「えー、マレビ市? 遠いなぁ。それにあたし、動物あんま興味なくって」

 申し訳無さそうに頭をかく美蔓にシガヤが苦笑する。

「あそこはただの動物園じゃなくて、さ。正式名称は『マレビ市魔神動物園』」

「へえ! 魔神ってことは、みんなの博物館と提携してるの?」

 美蔓の疑問に回収員3人が同時に肩をすくめてみせる。違う、とジェスチャーでまず語る。


「関連のない、別組織だな」

「むしろ敵対してる感じあるよな!」

「敵対っつーかなんつーか……オレたちの所属する『モルグ市魔神博物館』は、展示のほとんどが"魔神の死体"だ」

 シガヤの解説に美蔓が顔を顰める。しかしシガヤは気にしない。

「生きてたら動物園へ、死んでたら博物館へ。そして動物園の連中スタッフは、なるべく生きてる魔神がほしい」

「だから、魔神を殺すか殺さないかで、動物園とケンカしちゃうってこと?」

 座卓にいくつか残っているケンカまんじゅうに視線が注がれる。


「俺はケンカしたことがないぞ」

「アンタは来たばっかだろうが……」

 イチトの無関係を装う呟きにハバキがツッコミを入れる。

「現場で居合わせると気まずいぞ。茶色の制服着たヤツ見たら気ぃつけとけ」

「あ、じゃあ、あそこは? 魔神美術館!」

 美蔓の質問に、イチトとシガヤが肩をビクリと震わせた。ハバキはお茶を飲んでいたので2班のリアクションには気づいていない。


「たしか『トトキ市魔神美術館』だっけ?」

「動物園は知らないのに美術館は知ってるんだ」

 冷ややかなシガヤの問いに美蔓は首を傾げる。

「だってコマーシャルずっとやってるよ。商店街の方に出ればおっきいポスターも貼ってある」


 金持ってるところはちがうねーとシガヤはやっかみ半分で独り言。代わりにイチトが説明を引き受ける。

「トトキ市魔神美術館には、魔神そのものの展示はない。在るのは『魔神から影響を受けた』作品ばかりだそうだ」

「へぇ……?」

 美蔓はイチトの説明ではあまり想像がつかないのか、腕を組み直す。

「異界に迫り、魔神に触れ、あるいは魔神から得た物でつくりあげた、魔神信奉者シンパによる展示場だ」


 イチトもまた、以前にモルグ市北高で見かけたフライヤーで得た知識の横流しにすぎないので、表面的で露悪の含む解説しかできない。


「じゃあ動物園や博物館ほどは、魔神は関係ないってこと?」

 問いかけにイチトは無言で頷く。言葉がなかったのは、もう何個目か分からないまんじゅうを頬張っているからである。

「だったら美術館はあんまり怖くなさそうね! そもそもただの芸術だし」

 美蔓の感想に、シガヤがここぞとばかりにニヤニヤとした笑みを浮かべる。

「いやいや、芸術ってのは怖いヨ~? オレの持論じゃ、最も危険なのが小説家、次に危険なのが音楽家、同じくらい危険なのが画家だネ」

「……それは魔神そのものよりも?」

 慎重に尋ねる美蔓に、この時はじめてシガヤは目をあわせる。

「どっこいどっこいかな」


 やがて美蔓は申し訳無さそうに笑った。父親によく似た表情で。

「この町、都会ほど魔神の被害を受けてないからさぁ。魔神がどうのこうのって、あたし、あんまり実感湧いてないのかも」

 事実この周辺は魔神の影響が非常に少ない地域であったため、博物館側の話は現実味のない出来事なのだろう。

 例えば『魔神侵攻』に端を発する皇都機能移管の話題すら、ここでは別の惑星の出来事のように捉えられているのかもしれない。


「その煽りでうちの蚯蚓打みみずうちが中止になるのは困るけどねー」

「そーいえば蚯蚓打ちってよ、具体的に何する儀式なんだ?」

 それまで室内に飾られた木彫りの置物を眺めていたハバキが、ようやく会話に戻ってくる。


「儀式なんて、そんな大げさなもんじゃないって! 神竹と藁でつくった槌で『みーみずうちー』って言いながら、家の前の道路をポンポン叩いてまわるの」

 美蔓の説明を聞きながらシガヤはパソコンでメモを取る。博物館への報告と自分の研究に利用する気満々だ。

「そんなことでミミズを追い払えるのか?」

「ミミズ、追い払えるのかなぁ? モグラだったりヘビだったり、こっちも諸説あるらしいけどね! 諸説だらけよ」

「美蔓サンは竹取りに参加したことはあんの?」

「無いね。あれは男の子の仕事。女の子は藁を準備しとくの」

「男だけか」


 ふぅ、とシガヤが安堵の息をつく。イチトが言及していた『行方不明者』、女が対象であれば神の嫁取りあるいは孕みの類を警戒した。

「……どうせ、イチトくんこの後に市警察に行くっしょ」

「うん? 行くつもりだが。シガさんも一緒に来るか?」

「1班の戻りの状況次第カナー」


 ちょうどタイミングよく、柄本家の玄関から元気な声が響く。

「ただいまぁー!」

「お邪魔します、だ馬鹿者」

「おーい帰ったぞぉ」

 スグリ、ヤマヅ、そして柄本晃正だ。

「おかえりなさい!」

 美蔓がパタパタと小走りで部屋を出る。


 シガヤはノートパソコンに向き直り、イチトはまんじゅうの包み紙の折りたたみをはじめる。ハバキは先程まで聞いていた話のメモをはじめて「仕事していました」感を装った。


「迎えにきてって連絡したかったよぉ~」

 真っ先に和室に姿を表したのがスグリだったので、3人はすぐに仕事をしていた素振りをやめる。

 スグリは自分で髪をぐしゃぐしゃに乱しながら畳に座り込んだ。

「なにが楽しくて行き帰りがサイクリングなのさぁ、もおー! 自転車にも蔦が絡まってたし、最悪!」

「おーおー荒れてんな。スマホまで忘れていってご愁傷さま」

 3人はスグリに労いの言葉をかけたり、ケンカまんじゅうを渡したり。

「連絡手段なら、ヤマさんのスマホはどうした」

「バッテリー切れたって! でも絶対に神域のせいだからあれ!」


 憤慨が止まらないスグリの背を、遅れて和室に現れたヤマヅが膝で押す。スグリがおおっと、と言いながら前のめりになったが、ヤマヅは気にせず待機組に問う。

「誰でもいい、袋を持ってないか?」

「密封できる方が都合よければ、ここに」

「でかした惑羽一途」

 ザックから取り出された透明袋を受け取ると、ヤマヅは外套のポケットにそれを押し込んだ。理由は言われなかったしイチトも特に問うことはない。


「副館長サン、なにか収穫あった?」

「わたし先にお風呂はいるぅー!」

 説明を促すシガヤを遮ってスグリが喚く。それを聞いてヤマヅも自分の結わえ髪に指を通した。

「随分と湿った場所だったな……私も早めに身を清めたい」

 ヤマヅの言葉を聞きつけたのか、タオルを持った柄本が和室に顔を出す。

「すぐに風呂の支度をするから待っていてくれよ」

「悪いな柄本。夕飯の準備をするならうちの連中を使いなさい」

「はは、台所は狭いからね。気持ちだけ受け取っておくよ」

「そうか。私はシャワーだけでいいから、風呂の準備は不要だ。先もらうぞ」

「じゃあこっち、こっち」


 柄本に促されヤマヅが和室を出ていった。「貴様の家は相変わらず広いな」という感心した声が遠ざかっていく……。


「えーん! 副館長ってば、こういうの、ぜんぜん遠慮しないー!」

 スグリが畳の上を転がりだしたので、イチトはスグリの顔に彼女の旅行かばんを乗せた。スグリはすぐにおとなしくなる。

「神域とやらはどうだった?」

「あそこ『虚』って呼ぶんだってー。タヌキがいたよ」

 スグリはふてくされた声で手短に答える。

「タヌキ、しめ縄、なかった。変な色してた。使いの案内もなかった。神域の内部も、道が複雑だったから、すぐ戻ってきた」

 端的な説明にシガヤが「ふんふん」と相づちをよこす。


「異界区分は? 何色だった」

「わたしたちだけで行けた範囲は、レンズに反応ナシ。タヌキは疾くて、捕まえられなかった!」

「だったら、まずすべきはおつかいタヌキの捕獲かな」


 やれやれ面倒そうだ、と各々が神器の手入れを始めようとしたところに。

「ごめん、誰か夕飯の買い出し手伝ってくれないかなー!」

 エプロン姿の美蔓が和室に戻ってきた。

「はいはーい2班が行きますヨ」

「ついでに寄り道するつもりだから、早い戻りは期待するなよ」

「おっとこのお兄さん結構マイペースだね……」


 冬があけたとはいえ日が落ちるのは早く、山は橙に染まっていた。

 ずっと曇り空なので、夜になっても星を見ることはないだろう。

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