狸の虚【3】夕飯ついでに神さまの話

 惑羽イチトと真道シガヤは、夕飯の買い出しのために麓の町へ向かっていた。バンの窓越しに見る夕暮れ空は、薄ピンクとオレンジ色が半透明の雲の幕の向こうで混ざり、ぼんやりしたものだ。


 イチトは柄本美蔓つかもとみつるからの頼み事をさっそく後回しにして市警察署へ赴く。この署はジエン市一帯が管轄のようで、イチトの要件に適しているようだ。

「シガさんはここで待っていてくれ」

 受付ソファにシガヤを座らせると、イチトは我が物顔で署内にズカズカと上がりこむ。


 わざとイヤそうな顔を見せる初老の受付だったが、イチトが胸元から警察手帳を差し出すと眇めていた眼を丸くしてみせる。

「ほぉ、皇都から、わざわざ!」

 物珍しさが混じる喜悦の声……この社会の警察組織には明確な階級があった。各地を任される市警察より皇都警察の方が上だとされる。だからイチトが印籠のように掲げる警察手帳は、日ごろ市井で見かけるそれよりもひとまわり大きく意匠も豪華だ。


 見てくれになんの意味がある、とシガヤは頬杖をついてやりとりを眺めていた。しかし釣られるように過去のやりとりを思い出す。

 ――皇都大学の学生証を出したとき、市役所職員の対応が途端に柔らかくなった。それまで田舎町の若者相手だと、ぞんざいな態度をとっていたくせに。


「シガさん、俺の用事は終わったぞ」

 イヤな思い出を脳内でやわく食んでいるうちにイチトが戻ってきた。

「うん、よかったネ」

 あいにくシガヤは生返事だが、イチトはあまり気にしない。

「読みどおりだった。行方不明者届が一定間隔でちょうど春の頃……この時期に出ている。どの人物もこの町の青年団に所属しているのが特徴だ」

「それが知りたかったの?」

「スグリとヤマさんは大丈夫だろう。だが他の者は


 自分たちが危険だと指摘されてシガヤは静かに機嫌を損ねる。イチトは俯いたシガヤを気にすることなく、腕を取ると警察署を後にした。受付に手を振られ見送られる。


「イチトくん。あんまり町の事情に深入りすんなよ」

 今度こそ商店街に向かう道すがら。バンの助手席でシガヤは説教をひとつ。組んだ足の先を不機嫌そうにゆらゆらさせながら。

「オレたちは魔神の対処をしに来たんだ。北高みたいにドアーへの対処はしなくていいんだぜ」

「この町にはドアーが根付いているから、だろう?」

「その通り。よくできました!」

 呆れ混じりに答えたのに、窓の外を見るイチトの口元は少し笑っているようで、それがシガヤを複雑な気分に傾かせた。


 目的地である商店街は古めかしいアーケード街であった。いくつもの店舗の前に幟が立っていて神事の時期の近さを意識させられる。

 材料が買える店を探して並んで歩くイチトとシガヤ。学校帰りか塾帰りか、ランドセルを背負った小学生たちがふたりの側を駆け抜けていった。

「こんどの竹とりどうするー?」


 行かない方がいいヨ、とシガヤは遠ざかる男子の背に向けて小声で投げかける。

「……どうせ神隠しにあうんだから」

 口の中だけで転がした言葉は、イチトに背を叩かれ咽る呼気として霧散した。

「ゲホッ、なに、叩くならもっとやさしくしてぇ!?」

「叩くなとは言わないんだな」

 構って欲しい男児のように、イチトはシガヤの袖をつまむと商店街の奥を指さした。シャッターの下りた店先にガラの悪い大判ポスターが1枚。


 十時市魔神美術館

 魔のことば展――呪詛、天啓、救難信号。さまざまな祈り。


 ポスターの案内を目で追って、それからシガヤは目を閉じる。睫毛の擦れる感覚を、昏い視界で味わった。

「ほんとに宣伝あるんだね。こりゃ美蔓サンも知ってるワケだわ」

「博物館のポスターも持ってくればよかったな」

「イヤだよここに並べるの。張り合ってるって思われたくないし」


 シガヤはゆっくり目を開き、ポスターに歩み寄る。指先でなぞるも屋外掲示特有の砂埃の気配は無い。丁寧に管理されている……根付いている。魔神の肯定が。

「この内容なら山茶花サンの展示は無いネ」

 シガヤの呟きにイチトは「果たして本当にそうだろうか」と疑問を挟む。

「別に、わざわざ見に行って確認する義理もねぇこった」

 吐き捨てるシガヤの横顔を見てイチトはまた笑っていた。


「シガさんは美術館に行ったことが?」

「あるよ。知り合いがいるんだ。山茶花サン以外のネ」

「ほう、初耳だが」

「気になるなら今度会わせてあげるよ」

「うん」

 興味の有無は曖昧にしつつも素直に頷くイチト。そうやって話を切り上げると、シャッターの隣の精肉店に向き直った。


 夕暮れを浴びるイチトの背が、シガヤにとっておそろしく見えるのは、風に翻ったジャケットの裾のせいだろう。

 カーキのジャケットがこわい時はが近いという、ひとつの指標に成っていた。


「シガさん。今夜はコロッケのようだぞ」

 振り向いたイチトの頬の輪郭は、西陽で金色に輝いていて。

「アー、あの人数で? そんなら卵もいっぱい買わなきゃだネ」

 平静を装うのはシガヤの得意なことだった。昔から、むかしから。



 ……。



「結論を言うとアレはタヌキじゃない」

 冷えた麦茶のジョッキを掲げて宣言するヤマヅに、回収員たちは「ええ……?」と困惑を表にする。


 ――柄本家での夜の話。

 回収員たちはジャージだったりパジャマだったり、ラフな格好で夕飯をいただいていた。任務中はアルコール禁止なので、それぞれがほうじ茶を片手に、できたての猪肉のコロッケやけんちん汁を胃にかきこんでいく。


「虚で見かけた獣の足跡も調べた。あれはタヌキのものではない」

「じゃあだれの足跡?」

「ネコだな」

 不座見ヤマヅの言葉に、ビールを飲み干した柄本晃正つかもとあきまさが神妙な声で返す。

「ネコが虚にいるわけが……」

「使いに成り代わろうとしているとか? タヌキの代わりにネコがさぁ」

 炊き込みご飯をよそいながら美蔓が尋ねる。しかし柄本が娘の疑問を否定する。

「それはないだろう……だって、ネコは……ほら、ありえないだろ?」


 そのままビールを呷ったため続きの言葉は無いが、美蔓むすめには通じたようだ。親子の会話は、この辺りに伝わる『狸と猫の争奪』を前提としたやりとりである。

 件の話を聞いていないヤマヅとスグリは首を捻ったが、「タヌキとネコが仲が悪くてねぇ」という柄本のぽわぽわした説明では理解が進まない。酔った人間に説明を任せてはいけない。


「地主神への信頼を崩して『成り代わり』を行おうとしてるんなら、こりゃ魔神騒動じゃなくて内輪もめだネ」

 考察を深めながらシガヤは、イチトにドレッシング取ってと指先で合図を送る。イチトは塩としょうゆで悩んだが、再度の指示でゴマドレッシングを渡すことができた。

「成り代わりか。罪で悪だな」

「そうだそうだ」


 2班がもごもごと語り合う中、ヤマヅが座卓をコンコンと叩き注目を集める。

「もう1点報告だ。どうも我々は『マレビ市魔神動物園』から妨害を受けている」

「前言撤回、本件は明確に魔神が絡んでるネ!」

「動物園が妨害なんて、なぜだ?」

 イチトがわざわざヤマヅの隣に移動したので、柄本はそっと間をあけた。イチトは会釈して副館長の隣を陣取る。


「理由はいくらでも思いつく。根拠は、虚で回収したドローンに式神の形代が貼られていた」

「あの苔むした鞠にー?」

 スグリの茶々入れにヤマヅは肯定の頷きを返す。

「貴様が長風呂している間に、柄本と庭で洗って苔を落とした」

 ヤマヅの説明に、お風呂中に外がうるさかったのはそれか~とスグリがフンフン納得してみせた。楽しそうにはしゃいでいたねとも付け加える。ヤマヅは咳払いをひとつ。


「あれは通信を絶つ型の形代だ。陰陽寮に問い合わせをしたら、近ごろに大量入荷したのは某国会議員、北海道の警備会社、宮崎県の個人事業主、そして『マレビ市魔神動物園』」

「形代も鮮度というものがあるからねぇ。犯人はその中のだれかだよ」

 ほわほわのんびりとした語り口で柄本が告げる。柄本の顔はアルコールがまわってほんのり赤い。

「だからマレビ市の連中だと言っただろう柄本……飲み過ぎだ。貴様は酒に弱いのに……」

 議員も北海道も宮崎県も遠い。マレビ市だけが博物館にとっては妙に近しく、迫っている。


「む、そういえば大量入荷と言ったな。少量入荷者の線は無いのか?」

 イチトの問いにヤマヅは残念そうに首を振る。

「そこそこ居るが、トトキ市に居る『ちぎり絵師』以外に目立った人物はなかった」

「あーアイツね」

 シガヤがポツリと零す。

「それなら式神は使わないでんね、無害だ」

 ひとり納得すると、シガヤは筍と鶏肉の炊き込みご飯をガツガツとかきこんだ。


「ところで副館長サン。陰陽寮って、個人情報をそんなに簡単に吐くもんなの?」

 シガヤの指摘にヤマヅは自慢気に人差し指を立てる。

「『市警察』経由の情報だ」

「あー……脅しを?」

「私じゃなくて父が」

 モルグ市魔神博物館の"館長"は、何でもやる人物として悪名高い。それは博物館の職員からみても評判が悪かった。

「不座見くんのお父さまは、いつも破天荒で驚かされるよ」

「あの妖怪男を好意的に捉える人は柄本ぐらいだなぁ」


 酔った柄本にぼやくヤマヅ。ふたりを囲う2班から離れて、ハバキとスグリは食事に夢中だ。うまいうまいとはしゃぎながらコロッケの取りあいをしている。

 急に5人分もすみません、と改めてシガヤが謝れば「大量につくって冷凍しとくのがウチ流だから」と美蔓は笑った。柄本家の母はちょうど婦人会の旅行に出かけているらしい。


「動物園に話を戻すけど。オレらの調査妨害までして、何がしたいんだかね」

「タヌキかネコが欲しいんじゃないか?」

「ネコが欲しいなら持っていっていいんだけど。見つかれば、ね」

 美蔓の言葉に柄本も「そうだそうだ」とコップを掲げて同意する。酔いで挙動が怪しかったので柄本のコップはヤマヅがそっと受け取った。


「此処の人はネコを"居てはいけないもの"と扱っているようだ。例えば『行方不明者』は、虚に居るネコを見て、捕まえるか追いだそうと手を出して異界落ち……というのも考えられる」

「ドアーがあるなら、異界落ちは切っても切れない話だネ」

 警察署で得た情報を軸にイチトとシガヤは考察を進めていく。しかし、そこにスグリが口を挟んだ。

「イチくーんシガやーん。ごはんの時までおしごとの話しなくてもいいじゃん!」

 千切りキャベツを口に放り込みながら不機嫌そうな声をあげる。難しい話ヤダ、と文句も続く。


「じゃあなに話せばお気に召すワケよ?」

「俺の妹の話をしようか?」

 イチトによる昼の話の続きの提案に、シガヤとハバキが「やめろ」と重ねて制止した。その様子を見て柄本親子が同時に吹き出す。笑いのツボは親子で似ているようだ。


「息があってるんだねぇ」

「博物館に就職してどれくらいなの?」

 話題を逸らす好機と見て、塚本親子の質問にシガヤとハバキは喜んで答える。

「オレとイチトくんはこの春からの客員だからネ。正式にこっち来る前から、何度か依頼を受けて組んでたけど……」

「オレはバイト時代から数えたら3年くらいか?」

「スグリさんは?」

「よくぞわたしのことを聞いてくれた市民!」


 質問を向けられ、スグリが勢いよく立ち上がった。何やら面白いことがはじまりそうだと、柄本が楽しげに手を叩く。ヤマヅは呆れ顔だ。

四方矢山よもやざんの守り神、村主スグリとは他ならぬわたしのこと!」

 スグリは座卓に片足をかけてふんぞり返る。その足をイチトが下ろさせ、卓上をすぐにおしぼりで拭いた。お行儀が悪いぞときっちり嗜める。


「……四方矢山にある隠れ里の悪習だ」

 イチトに怒られるスグリに代わって、ヤマヅが露悪的に説明する。

「幼い子を現人神として『村主』に選び、育て、村人の信仰の対象にする」

 美蔓の目が周囲の回収員に向かう。ヤマヅが誂っているのではと疑っているが、残念ながら回収員たちは皆が素面シラフであった。見得を切ったスグリでさえも。

「凶事が起きれば"神のせい"として

 最後の言葉にあわせてヤマヅは手で首を落とす様を示した。あろうことかスグリがそれにうんうんと頷いている。

「村の為の人工的な神だな。彼女は、数年前に皇都警察と協力して我々が保護した」


 淡々と説明された内容は、現代日本の話とは思えないほど『オカルト』の領域に突っ込んでいた。柄本親子は怪訝そうに顔を見あわせる。しめなわを付けたタヌキが神の使いという、別方面で『オカルト』の日々を生きていながらこの反応だ。


「だから、此奴は就職して何年というよりも、保護されて何年と称した方が正しいなぁ」

「保護者ツラしないでよ副館長~! スグリ、ひとりぐらし、できてるもん!」

 憤慨しながらヤマヅの肩をポコポコと叩くスグリに、美蔓が慎重に尋ねる。

「スグリちゃんは、えーっと、ホントに神様として育てられた子なの?」


 まるでこれまでの説明がヤマヅの口からでまかせだと願うような問いかけ。

「村主はわりと最初から神様だもん」

 スグリの方は、すっかりそのつもりであった。


「……村主は女児から選ばれる。村主になるよう定められた子は、学もそこそこに祀り上げられた」

 現代の感覚で言えば眉を顰めたくなる説明をヤマヅは続ける。まるで博物館のパネル展示を読み上げるように。

「戦後の教育改革のおかげで、小学校までは通えるようになったらしいがなぁ」

「そう! わたし、小学校は卒業してるよ!」

「義務教育は中学校までのはずなのにぃ……」

 絶句する美蔓。柄本父の方は完全に背をまるめて「なんという話だ……」と消沈の様子。眉が八の字を描いている。


「あ、ひとつ訂正。女の子だけじゃなくて、男の子の村主もいたよ!」

 いっそなんのフォローにもなっていない事実をスグリは告げる。

「だいたい、ちっちゃいまま死んじゃうけどぉ」

 余計な一言で、柄本父がさらに落ち込んで酒を呷る。コップの中身はビールから日本酒に変わっていた。

「享年は11歳前後だ。そして男児村主が居たのは、記録では昭和初期まで」

「な、なるほどね。スグリちゃんはここで言うと大狸様ってことか。でも神様がこんな所をほっつき歩いてていいの?」

 美蔓の疑問にスグリはゆっくりと答える。


「村、なくなっちゃったから……」


 少しだけ、沈黙。

 美蔓は申し訳なさそうに、戸棚にあったみかんをスグリの前にそっと置いた。

 スグリは、わぁいデザートと喜んで、みかんの皮の上下をとりのぞきはじめる。そのまま皮をイモムシ状に広げていった。何だその剥き方、とハバキは嫌悪感を隠さない。


「村人の信仰があまりにも強かったのだろう。彼女は『人の身』には余る力を持っている……」

 ヤマヅはみかんに夢中なスグリに憐憫の眼差しを向ける。

「博物館では、村主の力を利用する算段で彼女の面倒を見ているんだ」

「利用なんて、ハッキリ言うよね副館長~! 村主がモルグ市の神さまになってあげてもいいんだよ!」


 ヤマヅは村主を静かに睨んだ。

 しかし彼女が無邪気にみかんを一房投げつけたので、それをキャッチするために視線を外す。手に取った房はそのまま隣に座る柄本の口に放り込まれた。


「……村主。貴様も何か問題を起こせば『動物園』送りだからな」

「スグリは魔神じゃないもん!」

「オレらも問題おこしたら、動物園に送られんのかな?」

 場を和ませる目的でシガヤがへらりと呟いた。

「貴様らの死体は博物館に展示してやる」

「副館長サン、おっかないねぇ」


 回収員たちのやりとりを見て美蔓は、幼いころに父から「悪いことしたら虚に吸い込まれちゃうぞ」と教わったことを思い出していた。



 ……。



 食器洗いの手伝いを経て、深夜の頃合い。


 スグリと美蔓はリビングでテレビを眺めているようだ。チャンネルが少ない、とスグリは文句をつけているが、これでも隣県の電波があるから多い方だと美蔓はムキになっている。

 そうやって騒ぐ階下の声は、寝泊まりの場所として2階を提供されたイチトたちにも届いていた。


「こっちも下も、うっせーなぁ……」

 スマートフォンで漫画を読んでいたハバキがポツリとこぼす。視線の先、部屋の隅ではイチトが筋トレ中だ。

「ッフ、うるさくしている、つもりはないが」

「息がうるせぇんだよ」

「お望みなら止めようか?」

「ソレ『お前の呼吸をな!』って続く流れじゃんね」

 シガヤも座卓上のノートパソコンから顔をあげた。パソコン作業の時だけかけるメガネのレンズに、日本家屋と幽霊の映像が反射している。報告書をまとめる作業はとっくに切り上げ、ホラーゲームのプレイ動画を見ているようだ。


「明日は魔神を見つけちゃうかもしれないんだし、身体は休めときなヨ?」

「本来ならジムに通う曜日だ。動かしておかないとかえって落ち着かん」

 片手腕立て伏せワンハンドプッシュアップをしながら答えるイチトにハバキがため息をつく。

「意識たけぇな……アンタのそういう生真面目な習慣みてると、なんもしてねぇ自分がイヤんなるわ」

「あ~その気持ちすごく分かるよハバキくん!」

「む、なんだか申し訳ないな。ヤマさんの部屋でやってくる」


 此処がダメなら別の部屋で、と立ち上がるイチトの足にハバキは急いですがりついた。

「やめろやめろ! あの人寝るの早いアンド寝覚め最悪だから! 起こすと展示品にされっぞ!」

「それはまずい! ここでイチトくんを失うわけには! ようやく扱いに慣れてきたのに!」


 シガヤも制止に参戦する。すがりつかられてもなお部屋を出ようとしたイチトだったが、イチトも体格がいい方ではないので、ふたり分の重みにはさすがに負けた。そのまま敷かれた布団の上に転がされる。


「やるな『鬼憑き』……」

「いやオレ神器つかってねぇから」

「あれイチトくん、オレの参加がノーカンになってない? オレのことも『やるな』って褒めてヨ」

「シガさんはいつでも最高だぞ」

「褒め言葉の振れ幅でかくて困惑しちゃうネ……」

 ハバキの「なんだそのやりとり」と言いたげな視線を無視してイチトは窓の外を見やる。曇り空に月の光がぼんやりと透けていた。


「んー、イチトの身体って痣が多いなぁ」

 転がされた勢いでジャージの上着がめくれたままだ。ハバキはドン引き手前の表情を浮かべてイチトの腹をじろじろ眺める。

「これは皇都警察としての勲章だ」

 誇らしげに告げるイチトに「銃創は無いの?」と興味津々に尋ねるシガヤ。さすがにそれは無い、と申し訳無さそうな答えが続く。


「そういやイチトって、皇都で何してたんだ?」

「言える範囲なら、そうだな、ヤクザを追いかけることと、神器の押収が多かっただろうか」

「神器の押収とかしてたの!? それオレ初耳なんだケド」

「おっとシガさん、髪をかきあげるな。そうすると俺が相手していたヤクザに似ていやだ」

「えぇー? とんだ言いがかりじゃんね……」


 イチトから離れ、シガヤは窓際に寄る。見下ろした先の玄関先には、紺の羽織を身に着けた柄本晃正の姿があった。小さな袋を夜空にかざしている。

 ざわざわと風の音がする……窓が閉じられているのにハッキリと。


「あれはヤマさんに渡した袋だな」

 外に釘付けになっていたシガヤにイチトが投げかける。

「ここから見えんの? こわ……」

「さすがに中に入っているものまではわからん、が」

 イチトがザックから郭公の意匠で飾られた金縁のレンズを取り出し階下にかざす。鏡面が一瞬、ギラリと赤色に輝いた。

「……異界の反応がある」


 固唾を呑んで柄本の次の行動を待っていた3人だったが、やがて柄本は家の中へ戻っていく。

「どの型だった? 稀火マレビ鬼子キシ六波羅ロクハラ……」

「一瞬だけだったし、なんとも。どうする、今から柄本さんのとこ行く?」

「何かあったらヤマさんがなんとかす……寝てるわ」


 ざわざわと風の音がする。家を囲む森から、または家の奥から。

 一方で階下に響くテレビの音は、くぐもって遥か遠くに聞こえる。


「……せめて寝てる間だけでも、遮断スモークを炊いておくとか」

「風があるから無意味そうだぜ。あとアレがRr型ならそもそも無効化される」

「上位種はこわいネ。じゃあ、ドローンに寝ずの番させる?」

「妥当だな」


 3人は部屋の隅に転がしていたプラスチックの箱から白と黒の2基のドローンを取り出した。虚に転がっていた球状のものではなく、哨戒特化のプロペラ機型だ。

「はーい、いってらしゃい」

 巡回をはじめたドローンを見送ると、3人はようやく寝る準備にとりかかる。よれた敷布団を正す、明日の衣服の準備をする、アラームの確認。それから布団の上に横になった。


「……ドローン、ちょっとうるせぇな」

「耳栓したらどうだ」

「そんなん持ち歩かねぇし。コンビニあったら買いにいくけどよ」

「ここは山の中だもんネ。かわいそうに」

「アンタに哀れまれるとムカつくな。あ、そうだ、ドローンに買いに行かせるか? あと1基あるし!」

「ぜったいに店員サンがビックリするからダメ。あ、そーだ、すぐ寝落ちしたいんならイチトくんにお話してもらお」

「悪夢になりそうだからパスだ」

「なるほど、睡眠学習か……」

「イチトって都合の悪い所を聞き流すクセがあるよな……?」


 もう寝るぞと宣言すると、イチトはキャンディをスイッチに投げつけた。部屋の明かりを器用に消す。暗闇に3人の目だけがギラギラと光っていた。


「せっかくのお泊りなんだけどサ。枕投げとか、好きな子の話とかしないの?」

「このメンツでしたいかぁ~?」

「枕投げは明日にしよう。虚から無事に帰ってこられたらな」

「ね、イチトくん。丁寧にフラグ立てていくのマジでやめない?」

 昼間も立ててたでしょ、と死亡フラグめいた言葉を咎めるも、イチトにインターネット用語は通じない。


 すぐにハバキの寝息が響きはじめ、続いてイチトの静かな呼吸音。

 シガヤは窓に目をやったり同室の者の横顔を見たりと、しばらく寝付けずにいたが、やがてドローンの飛ぶ音を子守唄代わりに意識の底へと沈んでいった。

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