美術館送りの刑【1】お菓子は謝罪で絵画は狂乱

「いや昨日はほんと~にご迷惑をおかけしました!」

 モルグ市魔神博物館、回収員待機室。

 朝イチに真道志願夜は謝罪の一礼。


 手提げの紙袋は、駅ナカで買える高級菓子店の焼き菓子詰め合わせ。イチトは「あの程度で迷惑など」と神妙に答えた。紙袋の図案から視線を外すことなく。


「ほらハバキくんとスグリちゃんも!」

 待機室中央のローテーブルに焼き菓子の箱を置き、シガヤは遠巻きに見ている若者を呼び寄せる。

「スグリももらっていいの?」

「そりゃ、謝罪の品だからネ!」

「オレ甘いのイヤなんだよ」

「ゴマサブレは甘くないヨ」


 朝礼前の隙間時間。回収員たちはお菓子を中心に盛りあがる。

「このブランドはとりわけ好きなんだ」

 イチトがアールグレイのフィナンシェを頬張るのを見て、シガヤは口元をほにゃほにゃとさせていた。罪悪感が解消された笑みか、イチトへの餌付けに近い行為への高揚か……。

「イチくんいっつもこういうの食べてるの!?」

 スグリはミルククッキーをちまちまとかじる。

「まさか。貴重な機会だ。だからこそ記憶に刻まれている」


 目を細めたイチトの雰囲気から、これはまた『家族語り』が来るなとシガヤが察する。イチトの次の口撃が来る前に、シガヤが大げさに手を降って注目を集めた。


「こっちは置いてるのは夜勤組の人向けだからネ!」

 ローテーブル下に置いていた紙袋を持ちあげ、全員に見せびらかした。

「だから勝手に食べちゃダメだよ!」

「ふふ、わざわざ丁寧なひとだ」

 イチトが訳知り顔で笑うのでシガヤは口をへの字にしたが、家族語りになりそうな流れは変えられた。その証拠に、ハバキが難しい顔で紙袋を見つめている。

「丁寧っつーか、気持ち悪ぃ予防線だな」

 ハバキが指さした先、紙袋に大判の付箋が貼られている。


『昨日は魔禍濡れでご迷惑をおかけしました。夜勤組の皆さんでお食べください。回収員2班真道志願夜』


 シガヤの丸みがかかった文字が付箋をぎっちり埋めている。

「ええ〜予防線なんて人聞き悪い。これくらい書かなきゃだよ。お菓子だけ置いてあるって怖くない?」

「俺はあまり気にしないぞ」

「うーんイチトくんはちょっとは気にして……」

「スグリも、お供物としてみなす!」

「スグリちゃんも特殊例で……てなると、やっぱハバキくんの感性がフツーか」

 シガヤの生暖かい視線を感じて、ハバキは己が何か間違っているのだろうと不安を覚える。

「やめろよ……そうやってオレを『まとも』枠に入れようとするの……!」

 シガヤに何らかのカテゴライズをされることをハバキは嫌う。本能的なものであり、誰にも理由は説明できない。


「ま、オレが自分の不手際を謝るなんてめったにないことだからサ」

 シガヤの目が三日月のように歪む。笑っている、と数秒遅れて気づけるだろう。

「だから、ありがたく受け取りなヨ」

「なんだよ……アンタまでなんなんだよ……」

 不穏な空気を感じながらハバキはめそめそとゴマサブレを口に放り込んた。少しいじめすぎたかもしれないと、シガヤも三度目の話題転換を図る。


「それで、魔禍濡れでたいそうご迷惑をおかけした真道志願夜なわけですが」

「アンタ自虐好きだよな」

「うっさいナ。しかして、転んでもタダでは起きないシガヤ先生はひとつ思いついたワケ!」

 シガヤは大きく手を広げて主張する。動きの大きさに注目が集まる。

「精製光で幌加賀ホロカガ型の魔禍濡れにしちゃえば、自白剤に使えないかな?」


 ――昨日のおさらいである。異界や魔神の影響でHk型魔禍濡れに陥れば、その者は異界からの交信の発散装置に変わる。しかしシガヤが魔禍濡れになったのは、イチトが第壱神器でHk型攻撃光を照射したせいだ。

 つまりそこに魔神の意図はなく『安全な発狂』ができたとも言える。


「シガさん……」

 イチトがショコラフィナンシェを飲み込んでから告げる。

「魔禍と一緒に倫理観も流してしまったのか……?」

「ンなぁ!? イチトくんにそんなこと言われる日が来るとはショックだわ」

「それにシガさんの昨日の言葉、調書にするのも大変だぞ」


 イチトはそう言って手元にあったパッド型デバイスを差し出した。シガヤは唇を尖らせてイチトを一瞥したのち、デバイスを受け取ると指先でざっとなぞる。


「……うわウソだろこれ……オレこんなこと言っ……!?」

「録音した分の書き起こしだ。これをまとめるのは骨だろう?」

「わざわざ書き起こしてくれたの……?」

「いや、鑑定員長に頼んで文字起こしができるソフトウェアを教えてもらった」

 淡々と告げるイチトの表情を見る勇気はシガヤに無い。それでもここは毅然としなければ今後に響く。シガヤは頭をプルプルと振って雑念を散らすと、強気の目をつくって画面を見た。


「これとこれと、これは虚偽情報。こっちはまだ仮説を言ってる」

 指先で指し示す。心のやわいところを悟られぬように、冷静な声で、何でもないことのように。

「なるほど的確な指摘だ」

「まぁね、オレが年間で何本のレポート読んで、何件書いてると思ってんのサ」

 イチトの顔を見ることができないシガヤだが、きっと隣で相棒は無感情な眼で此方を探っているに違いない。

「きっととても多いのだろう」

 イチトの声は、凪いでいた。シガヤの冷静をそのまま写したような声色だった。

「……わかってんなら、よろしい」

 覚えた安堵を澄ました顔でごまかしきって、シガヤはイチトのレポート画面を閉じさせる。


 自分の醜態だと思っても凛としていればそれは悟られず、そしてこの場にいる人々もシガヤの魔禍濡れ発狂を笑うことは無い。それは背中を預けて戦うための適切な態度であった。

 

「俺も、シガさんのおかげでひとつわかったことがあるぞ」

「どんな教訓? 人に神器を向けちゃいけません?」

「……博物館の怪談話だ。あれは全部、魔禍濡れの行動だと思えば説明がつく」

 イチトの言葉に今度はハバキが「ちぇー!」と大きな声で悪態をついた。

「新参者をビビらせるネタなのに、勝手に真相にたどり着いてんじゃねーよ!」

「やはり魔禍濡れが原因だったのか?」

「さあね、いくつかはそうかもしんねぇし、そうじゃねぇかも」


 かくして話題は『博物館の怪談』に移り変わる。愉快そうなハバキをよそに、シガヤは腰に手を当てご立腹だ。

「怪談話なんてオレ聞いたことないけど?」

「アンタ研究員連中に仲間はずれにされてんのか?」

「……だいたいサ、ついこの間に『七不思議』を解決したばっかじゃん?」

「ほう、シガさんは七不思議だけで満足できるのか?」

「別にオレは怪談蒐集家じゃありません」


 大きく息をついてシガヤはソファに座り込む。入れ替わりにイチトが立ち、待機室の入口近くに置かれたホワイトボードに近づいた。

「ハバキから聞いた怪談話じゃ、展示物を破壊する少年とか……」

 ホワイトボードに大きく『器物損壊』の文字が書かれる。

「……それ怪談じゃなくて、不審者情報じゃない?」

「置いた覚えのない日用品が増えているとか……」

 続いて力強く『威力業務妨害罪』の文字。

「う、ん、備品が増えていいことじゃんね?」

「午前2時にシンクに緑色の水が溜まってるとか……」

 ボードに追加される『浄水汚染罪』の文字。

「それはホラ、魔禍濡れでショ?」

「赤い髪の男とか……」

「……それも魔禍濡れ、Kh型かMb型」

「黄色の目の女とか……」

「高い確率でTt型魔禍濡れ」


 ふたりのやりとりを聞いてハバキが声を荒らげた。

「なーあ怪談話してぇのか犯罪の話してぇのか魔神の話がしてぇのか、どれかにしてくんねぇ!?」

 ツッコミありがと、とシガヤは労うがハバキは「アンタもアンタだ、そんなんだから誰も怪談話をアンタにしたがらないんだぜ」と批難を含んだ声で告げる。


「ほんならオレも怪談いっこ教えてあげるヨ」

「ンだよ」

「モルグ市の求人雑誌、写真付きの広告に枕木ハバキが4人も写ってる」

「マッジかよ!? 怖っ!」

 フリーター歴が長いハバキのこと、バイト募集の写真に映ることも多かったのだろう。辞めたヤツの写真使うな、とハバキが眉間のシワを深めている隣でスグリが「ドッペルゲンガーってこと?」と無邪気に尋ねる。

「へぇ、ドッペルゲンガーなんてよく知ってたネ」

「シガやんに勧められたドラマでたまに出るキーワード!」

 スグリがシガヤに向けてVサインした。シガヤは己の好きな作品のファンを増やそうと、日々スグリに英才教育布教活動を進めているのだ……。


「ドッペルゲンガーも幽霊も怖がる必要ないよ! スグリが守ってあげるから!」

 話の流れが村主に収束しつつある。3人の男たちはやや警戒の意図を込めた眼差しをスグリに向けた。

「何より幽霊は、いつもみんなの近くにいるし〜?」

「いや……そういうのはいいんだぜスグリ……どうせ幽霊なんて見えねぇし……」

 スグリが連れている子供の霊のことだと分かっているのでハバキは大げさにうんざりしてみせた。いつもの塩対応にスグリも慣れたのか、特に気にせず話を続ける。

「そういえばイチくんには時々幽霊憑いてるよね!」

「なに、本当か? とってくれ」

「虫みたいに言うなよ……」


 スグリは別にお祓いやさんじゃないし、と言い出しっぺのスグリも乗り気じゃないようだ。白い指が焼菓子のボックスにのびて、迷う指先と共にスグリはポツリとこぼす。

「でもさぁ、シガやん。いちいち魔禍濡れでお菓子配ってたら、お金すぐなくなっちゃうよ?」


 スグリはいいんだけどぉ、とダックワーズを選び取ってスグリは言う。全員の焼き菓子消費スピードは存外早く、箱の半分はすでにからっぽ。空席が目立ち始める箱を見下ろしながら、シガヤは返事をした。

「まー……今回のはえらい騒ぎにしちゃったから。普段はもっと、自分で対処してるんだけどね」

「なるほど、普段はどうしているんだ?」

 ミルククッキーを一口で食べたイチトが何気なく尋ねると、シガヤの顔にようやく笑みが戻った。


「『絵を書いてる』」


 シガヤの口から出た言葉にキョトンとしたイチトの顔を見てシガヤがふ、と鼻で笑う。

「京式昇華法って呼ばれてるやつ。京都の小学校で考案された、お手軽な魔禍濡れ解決法サ」

 ホワイトボードの前に立つとシガヤは見やすい丸文字で講義をはじめた。


「其れは、魔神に関する『民間療法』の中でも、とりわけ低コストだが原理不明の治療法……」

 語り慣れているのか、淀みなく。

魔禍マカと呼ばれる精神堆積物の発散儀式」


 すぐにスグリが「うあー」と呻いてソファに寝そべった。聞き慣れない単語が多いのだろう。


「精神堆積物が一定量を超えると人は異常行動をとる。しかしそうなってしまった人に『絵筆』を持たせれば、各々がおぞましい絵を描いた後に、精神状態がもとに戻る」

 ホワイトボードにはニコニコ顔の人が絵を描く端的な説明図。

「シガさんは大学でそのような講義を?」

「オレはまだ授業していい身分じゃないの。これはゼミ用の説明だヨ」


 ここらでハバキが首をかしげた。ハバキは高校までしか出ていないので、大学のカリキュラムの仕組みはわからない。イチトも同様だが、警察業務で大学とやりとりがあったので少しは会話に追いつける。


「絵を描くことで発狂が解けるのは、適応機制のひとつ『昇華』に近い行動だろうと一部の研究者は見解を述べているネ。オレもその説の支持者」

「適応機制……」

 とうとうイチトも首を傾げた。全員がシガヤの講義から脱落する。


「イヤイヤ、適応機制は学校で習ってるからネ! 保健体育の授業の範囲!」

 退行、抑圧、攻撃、とシガヤがホワイトボードに『適応機制』の例をあげていく。『フラストレーションの解消』という文字が書き添えられ、赤いペンで大きく丸囲み。


「えーシガヤって保健体育マジメに受けてたのかよムッツリだな」

「ハァッ!? ……ハァッ!? その考えはさすがにガキすぎでしょハバキくん!?」

「そんなキレんなよ……」

「はいはーい、保健体育ってなーに?」

「あっスグリちゃんって学校通ってないんだっけ」

「小学校まででーす! 神さまにお勉強はいらないので!」

 えっへんと偉そうなスグリ。その肩をイチトがつつき、パッド型デバイスをもたせる。「なにこれ」と言うスグリだったがそのまま画面をなぞる動作に入った。

「なに見せてンの?」

「保健体育のデジタル教科書、サンプル版だ」

「サンプル版じゃどうにならんでショ」


 全員はふと静かになる。ようやく会話の切れ目が訪れたようだ。近頃の天気予報は「雨」が増えたと誰かが言い出す前に、廊下から規則正しい足音が響く。

 幾ばくもしないうちに、待機室の扉が開かれた。


「全員そろっているな?」

 不座見ヤマヅが室内を一瞥する。

「朝会を開始する。今日の業務だが……」


 ヤマヅがホワイトボードに今日の予定を書こうとして、手が止まった。すでにシガヤの講義や謎の罪状でホワイトボードには余白が無い。


「あ、副館長サンすみません……今すぐ消すんで」

 シガヤがクリーナーを手に取るがヤマヅは手を広げて制した。そうして、たっぷりシガヤの目を見る。

「え、なに副館長サン。オレの顔になにか気になる点でも……?」

 ひきつるシガヤの顔から視線を外すと、ヤマヅはソファ前に並んで立つ回収員たちに命令をひとつ。

「今日は回収員の対応案件が無い。代わりに2番倉庫の整理をしなさい」

「ええー雑用〜!?」

 スグリが拳を突き上げて抗議したが、ヤマヅは無視を決め込んでいた。


「2番倉庫には、博物館職員が描きためた絵がある。今期分をまとめて搬出の準備をすること。手順は枕木巾来と真道志願夜が指示しなさい」

 ヤマヅに名指しされたふたりは「はぁい」とやる気の無い返事。


「整理整頓に参加しないヤマさんは今日は何を?」

「惑羽一途、口の横に菓子クズが付いているぞ」

「あ、副館長サンもよければこのお菓子どーぞ。オレからの昨日の謝罪の品です」

「几帳面なことだ。謝罪は不要だが、お茶請けとしてもらっておこう。それで、私のやることは、振り出しの作業だな……」

「副館長サンはいろいろ大変ですネ」

「貴様らが回収に集中するためなら、何でもやるさ」


 スピーカーからは副館長を呼ぶ新人事務員の声。春先に比べアナウンスは流暢で、ヤマヅはせっつかれている状況に片眉を上げる。


「それがモルグ市の、ひいてはこの国の平穏に繋がるんだからな」


 季節は春から夏に変わりゆく。誰もが"新しい生活"に慣れた時分であった。



 ……。



 第2倉庫に入ってすぐ、シガヤは「いくらなんでも散らかりすぎだろ!」と空間に向けてツッコミを入れた。

 

 一同は本館を出て、作業棟。シャッターを開ければまっさきに目に入ったのは雑に積まれたカンバスの山。暗い倉庫内は、絵の具ともまた違う独特の臭気が漂っている。酷い匂いというわけではないのだ。ただただ、威圧感がある。


「なんだこの絵は。現代アートだろうか?」

 モチーフが読み取れない、色をぶちまけただけのカンバスをイチトは手に取る。

「それが館内スタッフの魔禍濡れの成果物だヨ」

「成果物」

「さっき説明した『京式発散法』、つまりお絵描きをして落ち着いたんだ」

「ここにあるキモい絵は、ぜんぶ頭がおかしくなって描いたやつってことだぜ!」

 ハバキは緻密に色を重ねられたカンバスを拾いあげて笑い飛ばす。しかし縁に『真道志願夜』の字を見つけて「スミマセンデシタ」とカタコトで謝る。


「え〜と、どう片付けたらいいのかな」

「まずは色ごとにわけるかぁー」


 魔神の死体の回収でもここまで戦々恐々にならないだろう。スグリは薄目がちに、ハバキも自らの体から遠ざけるようにカンバスを持ち、倉庫の床に広げていく。あまり見ていて気分の良い作品群ではない。しかしこれら『昇華品』を展示するための『職員作品展』は、年に2回も行われている。


「色ごとだと? 作者別じゃなくていいのだろうか」

「作者ごとなんてこの絵においちゃ価値ないよ。欲しい情報は『異界区分』だ」

 シガヤもなんとなく具合が悪そうだ。視線がゆらゆら、不安定極まりない。

「異界区分……じゃあ、色ごとに分けるというのは」

 イチトは帯革に下げていた確光レンズを手にとって絵にかざす。カンバスに塗りたくられた色と同じ光がレンズに映り込んだ。


「これらの絵は、魔禍で描かれているのか?」

 レンズの光を反射して、イチトの眼差しが黄昏の陽光に似た鈍い金色になる。

「そうじゃない絵もあるね。ほらあっちのラックにひっかけてある絵」

 シガヤが示した先、スチールラックにその絵はわざわざ立てかけられていた。いくつも重ねられたカンバスを土台にして、目立つように飾られている。

「シャーペンだけで、丁寧なものだ。副館長サンの描いた絵だね」

 大勢の人間が描かれた精密画。顔立ちも服装も必ず個性がある。まるでこの絵に、街の人まるごとを閉じ込めてしまったような錯覚に陥らせる。


 画材は発散作業専用品も売られているが、どうせ便乗商売、とシガヤは吐き捨てる。極論、紙と鉛筆だけでもどうにかなるのだ。出来上がる絵が不気味だったり、奇妙だったりするだけで。


「本人の描写能力を超えた絵画が生まれることも多い。だからアーティスト志望者の中には、好んで魔神の影響を受けたがる人も居るってサ」

「えー、それってちょっとずるくない?」

 スグリは「この絵好き」とピックアップする作業おあそびの手を思わず止める。

「もちろんズルだねェ。彼らは一歩間違えれば『魔神信奉者』になりかねない。一部美大じゃ、そういったシンパを弾く試験も導入する程だ」

「美大ってなーに?」

「芸術を勉強する大学だヨ」

「ほぉ~、なんのために芸術の勉強を?」

「おっと意義を問うならこれはまた長くなりそうな話題!」

「美大のことなら俺の同居人に聞いておこう」

 イチトの発言に、全員が絵の振り分け作業を止めてしまう。

「イチくんの同居人!」

「アンタ美大生なんかと住んでんのか!」

「ええー年下と住んでるの!? どういうご縁!?」


 詰め寄られるもイチトは首を傾げて「先に作業をするか」とつれないものだった。家族の話にカテゴライズされないのか、積極的に語ろうとしない。

「シガさん、ヤマさんの絵は赤色をしているぞ」

 レンズ片手に話題を戻すので、仕方なく全員も仕事に戻る。

「赤色なら、マレビの影響かな。副館長サン、よく動物園に行くから……」


 やがてシガヤは勝手知ったるハバキと協力して、集まった絵の群をわけていく。

 3グループにくくられた……明るい5色、暗い5色、そして原色の3色。


「異界区分は、判明している分で14種、UNKNOWNを含めていいなら15種」

 それならこの場に13色しかないがと云うイチトに「静粛に」と指示をして、まずシガヤは明るい5色を指差した。

 

「こっちの5色が『第一種』に認定されているもの」

 紫色の花の絵を指さして「花言カゲン型、区分記号は『Kg』」

 水色の空の絵を指さして「東ヱアガリエ型、区分記号は『Ag』」

 黄緑色の象の絵を指さして「羽交ハガイ型、区分記号は『Hg』」

 黄色の裸の男女と思わしき絵を指さして「十時トトキ型、区分記号は『Tt』」

 飛び散った赤色の絵を指さして「稀火マレビ型、区分記号は『Mb』」


 "第一種"の絵の周りをひとまわりして、シガヤはイチトに説明を続ける。

「このサークルで優勢関係を持つ。花言は東ヱに、東ヱは羽交に、羽交は十時に、十時は稀火に……そして稀火は花言に"強い"」


 強い、の意味はイチトだって知っている。イチトの獲物である公色警棒から発する『攻撃光』、相剋関係にある色を魔神にかざせば相手はたちまち死に至る。それは毒の光とも館内で言われる……回収員たちは、毒をもって怪異どくを制している。


「それで『第二種』の方。これはまた、別のグループ」

 隣のサークルに移動して、炎上に並べた絵の真ん中にシガヤは立つ。こちらもあわせて5色。

 紫色、憑子タノシ型、Ta。

 青色、御頭オズ型、Oz。

 緑色、幸津サイヅ型、Sd。

 橙色、幌加賀ホロカガ型、Hk。

 赤色、鬼子キシ型、Kh。


 これまでの業務で幾度も聞いたことのある名前、見覚えがあるアルファベットの組み合わせ。イチトはふむ、とわかったような返事をする。いつも照合が追いつかないが、これだけ数があるならしようがないと誰もが言う。


「そして第1種と第2種に有利をとれる、世にも恐ろしい『上位種六系』……」

 強烈な青色、六人部ムトベ型、Mt。

 苛烈な赤色、六波羅ロクハラ型、Rh。

 鮮烈な緑色、六十里ツイヒジ型、Th。


「そしてここには無い絵、『超種』の銀色……渡瀬ワタラセ型、区分記号は『Ws』」

 シガヤがイチトに挑発的な笑みを向けた。三日月型の眼は邪気を含んでいる。

「イチトくんの第弐神器が『Ws型』だね」

「絵がないということは、ワタラセは魔禍濡れを起こさないのか?」

「単純にWs型自体がレアな存在だからだと思うヨ」


 勉強になったなーと白々しく言うハバキの声を聞きながら、床に並べたカンバスをプラスチックボックスに集めていく。スグリがはしゃぎながら持ってきた台車に粛々とボックスを載せ、搬出の準備は完了した。

 

「こうしてひとまとめにしたってことは『美術館送り』だなぁ」


 絵画自体に含まれる魔禍の濃度が高すぎたり、二次災害を引き起こしそうな場合は、トトキ市にある『魔神美術館』に寄贈される。そこで適切な展示が行われるか、処理が行われるか……博物館と美術館はそういった協力関係にある。


「宅配便で送るのか?」

「いや、軽トラに積んで運んでるぜ。どうせ隣の市だしな!」

「イチトくん、存外早めに美術館に行くことになりそうでよかったネ」


 まだ誰が向かうことになるとも決まっていないうちにシガヤが言う。予約表をテーブルに乗せるように、その声は倉庫に響き渡った。

「山茶花鬱凶の作品展示があるかも。それに美術館には、オレのいるんだよね」


 シガヤに友達が、と不信感たっぷりに復唱したハバキに、シガヤは小さく蹴りを入れたのであった。


 

 ……。

 


 業務は滞りなく終わり、やがてモルグ市に夜が来る。


 モルグ市魔神博物館は怪談話について枚挙にいとまがない。そもそも魔神の定義が『異界性侵略的怪異』だ。どうして人は怪異の存在に慣れてしまったのか……受け流す、受け入れる、世界は変質しつつ慣れていく。


 それを是としない先鋒が、真道志願夜その人だと言うのに。


「『赤い髪の男』発見……てとこっスかね!」

 第2倉庫のシャッターの隙間から、灰色ジャケットの青年が懐中電灯を向ける。


 照らされた先には、イーゼルに載せられたカンバスにもたれかかる赤い髪の男、否、Kh型魔禍濡れを起こしているシガヤが居た。


「まどうパイセン! 勝手に倉庫を使ってたら、怪談話が増えちゃいますよ!」

 青年を無視してシガヤは体を起こしたが、すぐに頭からカンバスに突っ込んだ。ばしゃ、と弾けるように赤色の液体がカンバスに飛び散る。シガヤの汗腺から分泌されている魔禍だ。本日は鬼子の発狂。


「もう、これじゃあ髪が筆みたいっスね」

 青年の目は笑っていない。シガヤも何も答えない。ゆっくりと頭をあげると、今度は普通の筆を使って、油絵具を乱雑にカンバスに重ねていく。パレットは無く、露出した腕に絵具を直接置いていた。鬼子キシ型を克する、幌加賀ホロカガに似た橙色ばかり。


「……残ってたみたいで、出し切ろうと思って」

 ようやく言葉を発したシガヤは、虚ろに語る。目はカンバスに向けたまま、あまかける船の絵を完成させようと必死に筆を運ぶ。

「副館長サンにはバレてた。だからオレの目を見たんだ。あの人は怖い」

「ここはオレが誤魔化しておきますから。もう帰りましょ? ね? こんな時間で……ほら、もう夜九時っスよ!」

 幼子に言い聞かせるように青年は語りかける。背に手をあて、軽く揺さぶって。


「ゴートくん」

「はい!」

 名前を呼ばれ回収員4班『ゴート』は元気よく挙手をした。

「お菓子もらってくれた? 待機室に置いてた……」

「もちろん! オスカーが『これマジうめぇな!』って貪り食ってたっス!」

 

 声真似を駆使しながらゴートが屈託なく笑う。シガヤはそれをちらりと横目で見ただけで表情は暗いまま。ゴートはふー、と長い溜息をついてからシガヤの背にそっと手を置く。白い手袋を付けているのでゴートの体温はシガヤに伝わらない。


「ささ、お絵かきはもう十分でしょう。そろそろクレバーでカッコいいまどうパイセンに戻ってくださいよ!」

「お前さんがオレの何を知ってるってのさ……」

「オレ、真道助教授をリスペクトしてるんスよ! ところで、パイセンにひとつ聞きたいことがあるんスけど」

 シャッターの外から入ってくる駐車場の光しか光源が無い中、ゴートの瞳は緑色の輝きを秘めている。

「聞きたいこと……魔禍濡れしてる人の言葉はまに受けない方がいーよ……」

 ぼんやり答えるシガヤに、ゴートは耳打ちをひとつ。



 シガヤは「きっとあした会う」と答えたが、口から赤色の泡を吹きはじめたので、ゴートには聞き取ることができなかった。

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