第2話「博物館でふたりを待つもの」

 ██12年、モルグ市もまた日本の一部都市に訪れた災厄「魔神侵攻」によって壊滅状態に陥った。

 日本古来より蔓延る妖怪や悪霊の類ではなく、

 また海を渡ってくる他国の化物でもなく、

 異なる世界より襲来する、圧倒的力を持った"異界性侵略的怪異"。

 それらを皇都官邸所属の研究者たちは『魔神』と命名した。


 古来より在る、祟りをもたらす存在を鎮めるため『神』として崇め信仰する機構(システム)。

 それが赦されるのはこの土地に由来する存在のみであり、空を割って訪れる侵略者に適用すべきではない。土地神への冒涜だ。

 だがその超常の力は『神』と形容するに十分すぎる。

 であれば。


 "魔"のひとことを与え、その神性を最低まで落とす。


 ゆえに魔神、とソレらは呼称される。

 どんな世界より訪れようと、どのような力を誇示しようと、

『魔神』と呼ばれる十把一絡げの存在にしてしまうことが、

 かつての日本にできる、異界性侵略的怪異に対して精神的優位に立つ唯一の方法であった。



 ……。



『モルグ市はもう安全です!』

『Uターンバックアップ中!』


 不必要なほど大きい黄色のポスターがふたりの職員を出迎える。

 ここはモルグ市魔神博物館の裏口。さきほどイチトとシガヤが持ち帰った魔神の亡骸の収容作業のため、鑑定員レジストラたちが慌ただしく行き来していた。


 もう明け方の時分だ。館内清浄域を抜けたふたりの回収員コレクターは揃って大あくびをする。


「ところでイチトくん」

 黒髪から蛍光水色に輝く液体を滴らせながら、真道シガヤは相棒に尋ねた。除染用エアーシャワー、消毒用ミストシャワー、浄化用ライト照射を一通り済ませたふたりはようやくバックヤード入場を許される。

「先にシャワー浴びない? 真水のやつ」

「珍しく俺もシガさんと同意見だったが」

 アッシュグレーの髪から滴る液体を鬱陶しそうに袖で拭ったのち、惑羽イチトは前方を指差す。

「館長から呼び出しがあるようだ」

 イチトが指差した手前、受付嬢の格好をした『木製マネキン』が立っていた。凹凸がない顔面パーツからはどんな感情も伺えないが。

「あれ? 脳和ノワさんじゃん。開館作業にしちゃ早くない?」

 "ノワ"と呼ばれたマネキンは、おず……と恐縮したような仕草で白いタオルを差し出す。表情はなくとも動作は雄弁。彼女は、ふたりの青年に畏れと敬意を持っている。


 イチトとシガヤはタオルを受け取ると、それぞれの髪から滴る『Ag型消毒液』を拭き取った。

 しかしイチトが目をつけていたのはタオルではなくその下に見えるクリアファイルだ。赤い紙が挟められている。それは「至急館長室へ」の合図である。


 ――自立する木製マネキン、Tt型魔神の一種、魔神博物館の看板受付嬢・通称『脳和ノワ』。彼女はその特性上喋ることができない。ジェスチャーでの意思伝達にも限界がある。紙色で指示を共有する方法は、試行錯誤の末に考案されたコミュニケーションだ。


「脳和さんを使いっぱしりにしなくても、アナウンス使えばいいのにネ。アレ音量調整効かないけど」

 シガヤの言葉に、脳和が恐縮したような態度で動きだす。

「いろいろとお気遣い感謝する」

 イチトがマネキンの肩にポンと手を乗せると、彼女のまとう空気が変わった。脳和は両手で小さくガッツポーズをつくり、しかしすぐに取り繕って恭しく一礼をする。ギシリと木が軋む音は遅れて続いた。


「じゃあ脳和さん、今日も受付がんばってね~」

 シガヤはイチトを連れ立って裏口を離れた。水色に濡れたタオルを首にかける。タオルの端には『盛愚モルグ市魔神博物館』と青い文字で刺繍されていた。

「どの魔神も脳和さんぐらい温厚だったらいいのにな」

「それはそれで、楽に日本を懐柔「侵攻」できそうだ」

「……前言撤回しとくわ」


 さて、ふたりは『館長室』と書かれた部屋に入ったはずだった。部屋の奥の和室スペース、そこに置かれたコタツにいるのはふたりが想像する館長妖怪男ではない。

「あっれ、副館長?」

「なぜそこに? 館長はどこだ? それともイメージトレーニングのつもりか?」

「なるほど、館長就任前からよい心がけで。さすが副館長サン」

 

 "副館長"と呼ばれた男は、不機嫌そうに丸メガネをカチャリと正す。枯れ草色の結わえ髪が動きにあわせて小さく揺れた。

 

「神殺しでハイ状態か? 少しは口を慎みなさい。給料を減らすぞ」

「そんな脅し、皇都警察サマに通じますかねぇ」

 シガヤがイチトを指差しながら半笑いで問う。

「皇都大学もどう出るだろうか」

 イチトもまたシガヤを指差した後、その指先を副館長に向けた。

「それにだな、客員に対してお偉方のそのような態度。次に寄越される人材にも影響をきたすぞ」

 ふたりの不遜な態度に丸メガネの男は眉間にシワを寄せるだけ。

「脅し返すな客員コンビ。まったく可愛げのないヤツらだ。脳和さんの方がよほど可愛い」

「魔神と比較されましてもねぇ?」

「ああ」

「"本題"」


 このままでは永遠に茶化し続けられると判断した副館長・不座見ヤマヅは、コタツの上に広げていた資料を片しはじめる。

「申請していた追加客員の件だが、却下されてしまった」

「げっ」

 並んで立つふたりの回収員の嫌そうな声が重なった。気にせず副館長は話を続ける。

「皇都アルカ市からの首都機能引き継ぎ計画が主たる理由だな。三種の神器の輸送もあり、他所に割いている人員は無いと。それどころか、惑羽一途を皇都警察に返してくれと泣きつかれる始末」

「えっ? イチトくん返したらこの博物館やってけないじゃん」

「もちろん丁寧に却下したさ。親父がな」

「ああ、館長が……」

「交渉役が『惑羽がいないと寂しい』なんて腑抜けた理由を零したのはまずかったな。私の親父がそんなことで惑羽一途をこのモルグ市から返すとでも?」

「誰がそんなことを言ったのか……心当たりは複数あるが」

「イチトくんそんなに重宝されてたんだ。大学から追い出されたオレとはえらい違いだネ」

「"本題"」


 不座見ヤマヅはコタツの下から別の資料を取り出すとそちらの整理に取り掛かる。ふたりに見せたい資料というわけではないようだ。資料整理の片手間に、ふたりに状況説明しているようにも思える。


「貴様ら回収員のフォローにあたってバイトを募集するつもりだが」

「なに、アルバイターで工面できる作業だと思っているのか?」

「知っての通り枕木巾来まくらぎハバキもバイトあがりだ。それに、もう幾月辛抱すれば夏休みがはじまる」

「すっげぇ先じゃんね」

「夏休みがはじまればどうなると思う」

「……俺たちに休暇が?」

「馬鹿者。学生の休暇だ。暇を持て余した若い人材が市場にあぶれる」

「……オレたちの休暇は?」

「任期終了までひた走りなさい。魔神の討伐、回収、あるいは捕縛。モルグ市の復興は諸君にかかっている」


 最後は棒読みがちで激励すると、副館長はふたりを追い返すようなジェスチャーをひとつ。連絡は済んだということだろう。


「雑な扱いだなぁ。そこに座ってたこと、館長に言っちゃうよ!」

「構わん。親父はコタツよりも革の椅子よりも、バランスボールがお気に入りだ。それに親父は出張から当分戻ってこない。そして戻ってくる頃には、貴様らはすっかり忘れている」

 並べられる数々の情報にシガヤとイチトは肩をすくめる。

「出張ね。美術館か、動物園か。それとも……」

「ぎゃああああああああ」

 シガヤのぼやきを、間抜けな大声がかき消した。場所は室外、ここからそう遠くない。

「行け2班!」

 しかし副館長が命令を出すより早く、イチトは部屋を飛び出していた。

「……はぁ、シャワー浴びようって思ってたのに」

 シガヤは愚痴をこぼすとイチトを追いかけた。向かう先は、解剖室だ。


 博物館の開館時間も近い。待機していた職員たちは、悲鳴が響いた解剖室から距離をおいている。知らぬふりをして仮眠をとる者、資料に目を落として無視を決め込む者、おろおろするばかりの者。

 いま解剖室の中にいるのは、悲鳴の主と惑羽イチトだけだ。


「ああああ……」

 絞り切るような涙声が響く。

「あああああああああ……」

 鑑定員長ヘッド・レジストラが解剖室で泣いている。


「まどう君……」

 背の高い男に、イチトは腹のあたりに抱きつかれている。カーキ色のジャケットが涙と鼻水で汚れていく。

「一体なんてことしてくれたんですかぁ~!」


 イチトの視線の先には、解剖台の上のグズグズになった亡骸。

 もとはHg型魔神・ツキノワグモだったであろう肉体が、今はバラけた燻製チキンのようになっている。

 その中心で光っているのは、惑羽イチトが討伐のために打ち込んだ彼の得物『公色警棒こうしょくけいぼう』だ。電源を落としていないため、今も鮮やかな水色の光を発し続けている……ツキノワグモに代表されるHg型魔神は、水色を象徴とするAg型攻撃光にとんと弱い。


「せっかく、こんな、今までにないくらい綺麗な形でぇ、ワグモがぁ、ツキノワグモがぁ」

 左袖に『盛愚市魔神博物館』と書かれた白衣を着た鑑定員長は、悔しさからイチトに抱きつく腕へ力を込める。

「なんでぇ、ひっぐ、神器を最初に回収しないんですかぁ、まどう君、ひっぐ、こんなグズグズなってぇ、うぐ、展示室のメインはれる綺麗さだったのにぃ、他ならぬ貴方が綺麗に殺してくれてたのにぃ、どうしてぇ」

「すまない……回収を忘れていたのはこちらの落ち度だ」

 イチトはどうにもできずに泣きつかれるままだ。これが年下でもあれば肩を撫でて慰めただろうが、相手は自分よりひとまわりも年上だ。


「神器大事にってことだネ。開発員デベロッパーの徹夜の産物だからねぇ!」

 扉近くで様子を見ていたシガヤは、ようやく口をはさむ機会を得た。イチトが困ったように視線を投げるがシガヤは笑うだけで応じない。

「それにサ、鑑定員長。いい研究結果が得られたと思えばいいじゃんね。Ag光を照射し続けるとこのような変貌を遂げるって。最悪、食べられるんじゃない? 酒のツマミにそっくりだ」

「食べるなよシガさん。間接的に子供を喰らうことになる」

「見境なしにつまみ食いするほどおてんばじゃないし!? そもそも展示できないなら研究室送りだって。ほら集めて集めて、箱詰め、輸送!」


 鑑定員長はシガヤに急かされると、渋々イチトから手を離した。自分の白衣でずびっと鼻水をふきとる。

「まどう先生、相棒の教育ぐらいしっかり行ってくださいよ~」

 彼は今度は回収員コレクター研究員プロフェッサーであるシガヤに泣きついた。イチトに向けた時よりも恨みの感情が強い声色だ。それはふたりが気安い関係であることの証左でもある。


「でもサ、開発員の改良結果がよく出てんじゃん? 公色警棒のカートリッジは、一晩中持つことが証明された」

「仕留めたらこまめに電源オフしてください!!」

「よく言い聞かせておくってば。待機中、移動中、あとはおやすみ前とかネ」

「シガさん、俺と一緒に寝る気か?」

 ちらばった燻製チキンじみたツキノワグモをかき集めながら、イチトは疎ましそうな眼をシガヤに向けた。

「こういう冗談は通じねぇのな!」

 ぐずる鑑定員長の頬をつねりながら、シガヤもまた厭そうな声で返したのであった。


 ……ボォンと時計の音が鳴る。博物館の開館時間も、程近い。

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