モルグ市魔神博物館
最堂四期
第一節:博物館・通常業務
第1話「ふたりのまどう山をさまよう」
りぃん、りぃんと、忘れた頃に音がする。
なにかの楽器の響きにも、ヒトの声にも聞こえるだろう。
……泣いている。
「あの時の兄は、長兄の立場を誇りに思っていた」
外で何かが泣く音にはまだ気づかず、厳しい目つきの青年は軽トラックの助手席で語り続ける。茶に焼けた瞳で、ライトに照らされたアスファルトの道路を睨みながら。
「ずっと俺たち下のきょうだいに威張り散らしてきた男だ」
彼の手には缶コーヒー。山の麓の自動販売機は、まだかろうじて稼働していた。
「兄としての尊厳を存分に披露する、絶好の機会だったのだろうな」
聞き役に徹している運転席の青年は、灰色の眼で濡れた道路を眺めていた。
「いるよネ、そういう英雄タイプ」
ふたりを乗せた軽トラックはノロノロと山道を走る。照らす先には何にも無い……かすれた『スクールゾーン』の文字以外は。
「"りゃうりゅう"を前にして、兄はどうしたと思う?」
「『笑った』」
運転中の青年は目を細めて答えを告げる。
「さすがシガさん!」
助手席の青年は缶コーヒーを飲み干すと、缶を持つ手に力を込めた。
「兄はまだ16だったと云うのに!」
聞き手の男……"シガさん"と呼ばれた者は、ハンドルをさばきながらコーヒーをひとくち含む。そうして溜息をついて、鬱陶しそうに。
「イチトくん前見て」
「いつでも見ている!」
「じゃあレーダー見て」
「反応無しだ!」
遠回しに話題を逸らすことはできないようだと、
「お前さん、その話、飽きないねェ」
「シガさんにならば何度でも聞かせてあげよう」
「もう飽きたよ~」
シガヤはとうとう音を上げる。僅かばかりに軽トラックが加速した。
呼応するように、りぃん、りぃんと満月を背にして音が唸る。
暗い山道に人の気配は無い。それは昼間の時分でも変わりはない。どのみちこの山にはもう住民が居ない。
軽トラックのライトは古びた掲示板を照らす。点滅する蛍光灯の下、錆びた案内板が曲りくねった山道を示していた。
案内の隣には、風雨に晒されボロボロになったポスターが並んでいる。
『魔神出現注意』
『サイレン鳴ったらシェルターに!』
『つかまったらたすかりません』
語り手の青年は、ようやく陰惨な過去話から話題を逸らした。
「侵攻中期のポスターか……あんなものが残っていたとは」
「え、イチトくんあれ読めるの?」
「視力の良さは、俺の数少ない自慢のひとつだ」
「さすが“皇都警察“は違うネ~」
「だが俺は視力だけで皇都警察と成ったワケではない!」
ふたりの青年は同じ
「イチトくんご自慢の視力でさ、魔神、補足できない?」
「視力なぞなくとも見えるはずだ。今日の相手は」
今日の相手がどのようなモノか、ふたりは
一言で言えば人喰いバケモノ。
異世界より襲い来る『怪異』、この国では、それらをざっくり『魔神』と呼ぶと定めている。
やがて軽トラックのライトに照らされる周囲――山間の棚田に白いヒトガタが浮かび上がった。
通称『贄カカシ』。どれもこれもが体躯120cmほど。すべて着ている服が違う。
これらは不慮の事故で亡くなった子供の皮と肉でつくられた
シガヤは減速運転しながら首を傾げた。
「満月に五重の輪の影はある? あと、居るなら鳴き声も聞こえるはず」
イチトはトラックの窓を開けると答えを探した。ゆるく吹く風が前髪を散らす。イチトの茶色い瞳は贄カカシをなぞったあと、空に浮かぶ白い月を捉えた。
「影がある。そういえば声も聞こえるな。シガさんの見立て通りだな」
シガヤはフロントガラス越しに月を見上げようとして、諦める。
「……残念ながら、オレにはなんにも聞こえないねぇ」
シガヤの首振りにあわせて、夜に溶け込みそうな黒色の髪が揺れた。
りぃん、りぃん。
音は泣くように震えていて。
その実、歓喜に咽ぶ声である。
言葉は理解できないが、今宵の敵には「選り好み」の知性が在るのだ。
「シガさんに聞こえないのなら、今日は出ない方がいいだろう」
「おぉ怖い……割りとマジで」
「俺が独りでやろう」
「祈りながら見ているよ!」
雲は満月を覆わず、避けるように空を這う。
やがて標的の魔神は贄カカシという哀れな餌に釣られて降りてきた。
「Hg型は釣りやすいねェ」
シガヤは缶コーヒーを一気に飲み干すと、無線機で博物館に連絡を入れる。
「こちら
細く長い体躯の影が棚田と軽トラックを満月の光から覆い尽くした。りぃんりぃんと音が激しく響き渡る。シガヤには聞こえず、しかし通信先の博物館職員の耳には痛いほど響く嬌声だ。
「……はァい、すぐに回収ね。分かってんよ。戦闘は
シガヤが左手で合図を出せば、イチトが2本の警棒を持って車から降りた。春の風にイチトのジャケットがなびく。満月に重なる醜悪なシルエットを睨みながらイチトは呟いた。
「本当に、子供を好んでいるのだな。あの魔神は」
姿勢を低くして投擲の構え。
「唾棄すべき存在だ」
イチトの両手の警棒が煌々と空色の発光をはじめた。警棒と呼ぶよりケミカルライトと呼ぶ方が近しい。迸る閃光と共に、チリリと周囲の空気の焼け付く音が弾ける。
「貴様にくれてやる国民などひとりもいない」
上空からベチャリと吐く音、そのまま虹色に輝く糸が落ちてきてイチトの右腕に付着した。空に釣られる前に、イチトは傾向水色の光源を2本、暗黒に放つ。
投げられた武器『公色警棒』は標的を正確に打った。
「そして貴様を故郷に帰すつもりもない!」
りんりんと割れる音が途切れ、空から影ごと落ちてくる。虹色に輝く細い糸と、ヒトの臓腑がねじれて蜘蛛の形をつくったような、まごうことなき"化物"が。
イチトは走って避けたが、幾つかの贄カカシは犠牲になった。ギュツ、グチュと虚しく音が響く。
「一撃必殺ぅ」
軽トラックから降りたシガヤが口笛を吹いた。化物から咲いた、肋骨に似た形の感覚器は今も震えている。りぃんりぃんと断末魔を揺らし続ける。
「誰だ、こんなモノに『
外套に付着した糸を剥がしながらイチトは愚痴を吐いた。
「シルエットだけ見たお偉方かね」
シガヤは眼を細めて嗤う。
「まぁ、オレでも似たような名前を付けると思うよ!」
か細い鈴の音は山を駆ける風にかき消される。
Hg型魔神『ツキノワグモ』は、無事に回収員に
「シガさん、回収手伝ってくれ」
「おっけー、さっさと終わらせようネ。この辺はおばけも出そうでイヤだからねぇ」
「『贄カカシ』の祟りとでも?」
「いやいや、あの子たちは国が遺族から買い取って手厚く……ああ、もういいや。これ系の話は気が滅入っちゃう。魔神の回収はじめちゃおうぜ」
シガヤは両手にゴム手袋を装着すると、頭を垂れながら歩み出た。
もはや人の手が入らない放棄された棚田、そして白く浮かびあがるヒトガタたちが「後片付け」を待っている。
その対象は、グタリとして動かぬ標的、一柱。
「ほんとに死んでるよネ、これ?」
「生きているなら何度でも殺すまで」
「生きたままだと
ぬらりとしている遺骸を抱え、ふたりがかりで軽トラックの荷台に押し込んだ。魔除けの文様を記したブルーシートで覆い隠せば、これでようやく公道を走れるようになる。
「……生者はみんな動物園、だもんなぁ。ところでイチトくんもコイツの相手がうまくなったもんだねェ」
「3体目となると流石に。それにヤツは動きが遅い」
滑るような見目の遺骸だが『ツキノワグモ』は存外吸い付く表皮をしている。絡まれてしまった人の子は、決して逃げられないだろう。
過去に倒された同種の魔神を解剖して分かったことは、表皮のすぐ下に無数の歯を持つ構造だった。全身で肉を食む生命体であるらしい。
――最初は、祖父母と歩いていた小さな孫が。次に、飼い犬の散歩中だった女の子の姉妹が。それから、遠足帰りの小学生たちが。ツキノワグモの引く糸によって、空に釣られていったと報告が残っている。怪異の食べそこねた靴や荷物が、雨のように山に降ったという
「この山に人が戻るのはいつになるかな」
「ツキノワグモをすべて殺した時か?」
「近年は出現ペースがはやいって。もうこの山もダメかもネ」
「それは困る。日本は少しでも居住区を取り戻さねばならんのだ」
某県モルグ市月架山、ふたりの居る場所は今では『心霊スポット』としても名が広まり始めていた。此処が人里に戻る道はすでに絶たれているのかもしれない。
「そのための『魔神博物館』かね……さぁさぁホームに帰りますか!」
「それにしてもシガさん、腹が減らないか? カフェに寄ってから帰りたい」
「死体を荷台に載せたまま!? 営業妨害でしょ! だいたい神殺しのあとに食欲なんて湧かないよう……」
「シガさんは繊細だな!」
「繊細だったらこんなモノの研究職にはつかないっての」
やがて山に響くは軽トラックの排気の音。
荷台で揺れるは人の仔喰らいのツキノワグモ。
本年度3体目、通算8体目の観測個体だ。
空の亀裂よりその身を潜らせやって来て、食欲を満たせば彼の世界に帰っていく。人の命が溢れていた世であれば「神隠し」だと見て見ぬフリができたかもしれないが。
数多の"魔神"に依って皇都を壊滅させられた日本にとって、これらは看過できない存在となっていた。
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